後から見るとこうなる。 江戸時代の古布というのが凄い存在感だ。 ホンモノ中のホンモノ。 これを入手できるラッキボーイは誰になるのだろう。今年の ニヌハ2サイトが、やっと完成した。 各メディアにも、続々登場予定です。
ヨットパーカーではない。 サバニ用のパーカーなのだ。 かおるちゃんに作品を依頼すること約2ヶ月? 江戸時代のモノと思われる珍しい生地を見つけて来てくれた。 生地もデザインも凄くいい! これを着てサバニに乗れば、最高の旅が演出できそう。間もなく、カヤックセンターのショッピングサイトに掲載予定なのだ。
12:22。 ランチの時間帯に、ゴールラインである本部船の0度ラインを通過した。 (本部船からの合図がなく、その後何度もタックしてゴールラインをきりなおしていたら、12:28に合図があった。) 記録は4時間22分22秒。 35艇中14位の成績だ。 これまでの記録をひも解くと、優勝タイムに近い成績であるのだからすばらしい。 初めての那覇までの航行。過去最高順位。 僕らにとっては上出来だ。筋力も、精神力も、声も、全てを出し切った。 皆、ぼろぼろだ。 今年もバカをやったな!
2004年 コース短縮により、ナガンヌがゴールとなった。 2005年 コース変更により、慶良間周辺でのレースとなった。 2006年 僕たちにとって、初めての那覇が近づいている。毎度のことだが、ゴールの本部船を見つけることができないので、ゴール後に曳航されているサバニを目指す。 選手は皆、声を張り上げ6ノットまで加速した。
選手の爆漕ぎが続いている。 皆で声を出し合い、辛さを乗り越えて漕ぎ続ける。 5名乗船時のニヌハ2のバランスは良好だ。 アビーム(横風)を受けている時は僕の仕事も多い。 帆綱を引いたり緩めたり、アウトリガーの滞空時間も長くなってきた。 ロープを持つ握力は既に限界を超えているが、漕ぎ手の辛さを思えばなんでもないことだ。黒島からここ前島までは、潮と風に押されて最もスピードの乗るポイントのはずだった。 風位はランニングとなる。 ランニングでは、艇と風のスピードが一致する。 これは、乗船している僕たちには、風を感じない事を意味する。そして、ニヌハ2の風見は破損している。 僕は、この間に風位を見失ってしまった。 風位がランニングであるのか、風が弱くなっただけだなのかを、判断しきれない時間帯があった。艇速が落ちる。 伴走船からホーボージュン氏が叫んで指摘してくれるまで、計算上は3分程度のタイムロスになっていると思われる。これまで、目標としている艇のトランサムを何とか捕らえていたにもかかわらず、ここで大きく離される結果になってしまったのだ。 僕にとって、もっとも悔しいタイムロスだ。
予定の地点を少し越えた場所で、選手交代。 交代の手順がもたつき、2分のロス。 風は南風。 計画では、ニヌハ2に有利な南東の風も考慮に入れてはいたが、風は全ての艇に等分に力を与えたようだ。 全ての艇の船速が上昇する。 前に出るためには爆漕ぎあるのみ!ニヌハ2は、この時マスト上端の風見を破損していた。
スタートから23分。 スタートのどたばた劇はあったものの、艇速が安定してきた。 計画の変進ポイントを通過し、ニヌハ2を北上する潮に乗せる。 この地点は、後からの風位(ランニング)になる。 ランニングでは帆を大きく開く。 揚力を使用しないので、微妙な調整も不要だ。 僕も漕ぎ手に参加する。 遥か先に点のように見えるのは、「海想」と「ざまみ丸」。 彼らは、スタートダッシュで10ノット近い船速を出している計算だ。
サバニレース当日。 朝3時に目が覚めた。 南の風6〜7メートル。 絶好のコンディションだ。 スタートは午前8時。 「出発地点から100度の角度で走り、次は53度、次は110度・・・。 9時の予想地点の潮は1.3ノット、10時の予想地点の潮は・・・。 選手交替のタイミングは・・・。」 真っ暗な海に向かい、風位を感じながら、何度も何度も、いや何十回も、頭の中で戦いをシミュレーションする。 どうしても抜きたい艇がある。 少なくとも、一泡吹かせたい。 急造のオンボロチームと、新米スッキパーの僕がどこまでやれるのか。 今は、持てる力の100%を発揮できるように集中するだけだ。 気が付いたら、空が明るくなり始めていた。