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Sabbath ➄ 経済 Economy

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今月の誕生日祝いケーキは、ティ... 今月の誕生日祝いケーキは、ティラミス!!!!!
美味しかったです。上のチョコは、中にコーヒー豆が入っていて、苦みとカリカリ感が美味しかったーー
今月は、ケニーさんしかいなかっ... 今月は、ケニーさんしかいなかったので、お祝い一人占め!
本当は三名いらっしゃいましたーー
礼拝後、子供たちはたくさんお姉... 礼拝後、子供たちはたくさんお姉さんに遊んでもらいました。教会学校で使う暗唱聖句のパネルをささっと書いてくれて、すごく助かりました。。。
2018年2月25日日曜日礼拝メッセージ 音声はこちらから、


★御国の経済観念とは

経済とは、人間の生活に必要な財貨・サービスを生産・分配・消費する活動。また、それらを通じて形成される社会関係。

安息日シリーズで今まで共通している観念は、安息とは、神様からのギフトであるということ。また、先週は、共に食事を共にすることを話しましたが、神様の豊かさ、受肉のイエス様の豊かさに入るということを習いました。

みなさん、一つ初めに覚えておいていただきたいことがあります。それは、神が豊かであるということです。経済を話す時に、一番私たちが覚えておかなくていけないことです。神は豊かである。これが、神の人の常識なのです。足りない、足りないかもしれないという恐れは、神の人の非常識なのです。

また、この世の経済は売り買いで成り立っていますが、よく教会でも話しますが、神様の経済は、与えることと受けることで成り立っています。
皆さん、私たちが何かを造り出したというのでしょうか。先週話した通りに、創造のすべてのものは神様からの贈り物。神が造られたのであり、私たちではない。現在の私たちも神に出会った、イエス様の救いを頂いた。これも、私たちの何の力にも努力にも寄与せず、ただ、恵みによって救われたのです。神様からのギフトです。新約聖書にも、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」とかいありますね。それは、神の愛ゆえのことです。
今日は、イザヤ58章を開いて、神の愛とそのトランザクション/経済活動について、御国的な経済観念のレンズを通してみていきたいと思います。

イザヤ58章5-14

5 わたしの好む断食、人が身を戒める日は、このようなものだろうか。葦のように頭を垂れ、荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。これを、あなたがたは断食と呼び、主に喜ばれる日と呼ぶのか。6 わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか。7 飢えた者にはあなたのパンを分け与え、家のない貧しい人々を家に入れ、裸の人を見て、これを着せ、あなたの肉親の世話をすることではないか。8 そのとき、暁のようにあなたの光がさしいで、あなたの傷はすみやかにいやされる。あなたの義はあなたの前に進み、主の栄光が、あなたのしんがりとなられる。9 そのとき、あなたが呼ぶと、主は答え、あなたが叫ぶと、「わたしはここにいる」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりを除き、10 飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、やみの中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。12 あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたは古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者」と呼ばれよう。13 もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、14 そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う」と主の御口が語られたからである。

★断食と安息

当時の人々は身を戒めるために断食を定期的にしていました。また贖罪の日、Yom Kippur のころには必ず断食していました。断食は、宗教的な儀式になっていました。人々は、前の節でどうして断食しているのに、神様は顧みてくれないのか、と文句を言っています。

断食とは、宗教的行為であり、肉体に苦行を与えることで、自分が罪深い存在でることを知り、悔い改めに導かれるためのものであります。私は、心のある断食は大賛成です。肉体が弱り、霊が研ぎ澄まされるから、よく祈れます。しかし、この章の民のようでは、心がありません。彼らの頭の中は、世の経済観念です。売り買いです。こんだけ、断食したのだから、神様からこれこれを期待できるはずだ、と言っているのです。
そして、主は、あなたたちの断食は、わたしは喜んでいない。わたしを喜ばせるなら、次のことだと、語られ、そして、最終的には、安息日を喜びとすることを教えられました。

★真の断食とは

神様は、御国の経済について教えられています。神の喜ぶ断食とは、これではないか。と。

1) 人々を解放、救いに導く v.6
2) 貧しい者たち、また肉親の世話をする v.7
3) 人に精神的なかせをかけず、陰口を言わない v. 9
4) 悩める者たちの力になるv.10

これを読んで何を神様から聞きましたか。神様は、私たちの霊、魂、体が安息に入れるように願っていらっしゃるということですね。もう一つは、この世は、我先に、自分さえ儲かったらという個人主義による売り買いの世界です。しかし、神の好む断食は、人々を解放し、助け合うこと、精神的な重荷も担いあうことですね。与え、受けるという、トランザクションが働いています。

御国の法則は、超自然的な恵みが伴うようですね。これをこれだけしたから、これをあの人にあげたから、同等のお返しを期待する。。なんてことではないのです。私たちに光がもたらされ、神の声がよく聞こえるようになり、どんな厳しい状況でも私たちは強くされる、渇くことがない、また、壊れたものを修復するものとなるとおっしゃっているのです。それは、誰もが願っていることではないでしょうか。それは、苦行からは来ず、互いに対する心からの愛のあらわれから来るのです。自動販売機のようにではなく、いつのまにかそれがやってきているのです。

★安息は喜びとお祝いの日

先週に続いてもう一度いいます、安息は、コミュニティーのものです。そして、コミュニティの文化はその経済が形作るものです。神の豊かさを理解し、与える受けるのトランザクションのあるコミュニティは、みんなで、安息に入ることができるのです。
そして、リミットのない、神の豊かさに入り、神と過ごすことを神は私たちに求められておられ、あなた一人ではなく、あなたの周りの人たちコミュニティ全体が入り、そして、これを喜びの日とし、祝い楽しむことを神は望んでいらっしゃるのです。

★すべの人が安息に入れるように協力する

具体的に教会でも皆が神の喜びに入れるようにするには、どうしたらいいか、一緒にかんがえましょう。聖書の中には、必要のある人のため、外人のために収穫をわざと残しておくようにという教えがあります。私たちも、計画的に、誰かが誰かの重荷を担って、互いに安息に入れるようにしたいと思います。英語の教会がしているように、べネボランスミニストリーを立ち上げられたらと思います。ただ、金銭的な必要だけではなく、食事の用意や、託児なんてことも担い合えたらいいですね。神様に導かれて、この人の必要のためにこうしたいという方があれば、私まで申し出てくださいね。一緒に考えましょう。

レビ19:9-10

あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。‘
#イザヤ58 #安息日 #礼拝

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Sabbath ④ 共に食事をするCommunal Feast

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礼拝後、子供たちがごみ集めをし... 礼拝後、子供たちがごみ集めをしています。。。ちゃんと、ごみ袋も入れ替えて、替えの袋も中に入れてっと。。。そういえば、日本の学校では、みんなやってますもんね。幼稚園児が草むしりしているし。。。なんか、できるんだーと新鮮に感じてしまいました。アメリカナイズされたなー。。。 今日は、初めて、けっぴーとしず... 今日は、初めて、けっぴーとしずかちゃんで、ワーシップをリードしてくれました。
不安だったみたいですが、とっても良かったです! 神様は、神によりたのむものを用いられますね。
2018年2月18日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、こちらから。。。


主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。詩編34:8
Taste and see that the Lord is good. Oh, the joys of those who take refuge in Him! Ps.34:8

ダビデがアビメレクの前で気が狂っているふりをして、難を逃れた、その時のダビデの歌です。私たちは、どんな試練の中にあっても、安息に入ることができる。神の豊かさを味わうことができるのです。主に身を避けるなら。。。

ユダヤ人の安息日は、前もって料理をしておいて、安息日の日には料理はしません。けれども、皆が食卓について食べ物を分かち合い、楽しみます。

★安息は,肉体的感覚で喜びを味わう日です

創世記2:1-3 Genesis2:1-3
1 こうして、天と地とそのすべての万象が完成された。2 神は第七日目に、なさっていたわざの完成を告げられた。すなわち第七日目に、なさっていたすべてのわざを休まれた。3 神は第七日目を祝福し、この日を聖であるとされた。それは、その日に、神がなさっていたすべての創造のわざを休まれたからである。.

他の宗教や、キリスト教でも肉体は悪、霊は良いとされる傾向があり、肉体的な欲を取り除くことが、徳を積むようなそんな認識が広くあります。キリスト教の場合は、プラトン、アウグスティヌスに代表される二元論によって、肉体は悪。肉の欲は悪とされてしまいました。私たちの神様は、本当は逆だったのです。私たちの肉体を喜ばせることは、私たちの人間であることを祝うことです。安息とは、タッチ、におい、聞く、見る、そして何より味わうことを祝い楽しむ日です。

★食べ物

食べ物というのは、もっとも私たちを満たす楽しみ。Eating with fullest pleasure.

この楽しみの中に、私たちの感謝が込められています。私たちが作り出したものでない、食べ物は神様からの贈り物です。
エデンの園で、アダムはなんでも取って食べることができた。それは、実践的なレベルでの神様からの命令であり、またアダムの従順のあらわれでもあった。

食べ物というのは、ユダヤの文化の中心的なものとなった。食べ物は、信頼を表します。主の祈りでも、我らの日用の糧を今日も与えたまえ、といいますね。先週のメッセージのマナも、信頼が試されました。荒野を旅しているユダヤ人たちは、岩から自ら出る経験もしました。食べ物がない時に、信仰がなくてはならないのです。食べ物は、もう一度、神を信頼するかどうかをいつも問われるものであります。マナを荒野で自分のためにため込むことは、不信仰の現れでしたね。

何を食べるか、いつ、だれと食べるかということはまたとても重要です。
イエス様がこの地上に来られてからは、それが特に強調されました。イエス様は、また天からのパンであり、生ける水であられました。イエス様の存在は、食べ物に例えられました。そして、奇跡を通しても、神の与えるパンは、いつも十分であり、いつも余りあるほどである豊かさがあることが示されました。イエス様は、人々とともに食べました。ある時は、いつも罪人と食事をしていると責められました。
食べ物は、交わりを示しています。神の豊かさの中で、ともに食することに素晴らしい意味があるのです。

★美しさ

レビ23:3 Leviticus23:3 聖なる会合 Holy Convocation
六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。

食べ物は、交わりのためでもあるといいましたが、レビ記でも、安息日は聖なる会合の日であるとあります。人々が集う日であると。私たちは、聖なる会合に招かれています。

〇三位一体の関係に招待されている

安息とは、神の創造の神殿の中に入ることだと、先週話しましたが、そこには、ホストしてくれている方々がいるのです。それは、父、御子、御霊の三位が交わりながら存在体いる。その三位一体の神が私たちを、安息の神殿に招いていらっしゃるのです。

カール・バルトが次のように書いています。「三位の神は輝かしい、その輝きは喜びである。この喜びは人々を引き寄せ、また打ちのめすほどだ。ですから、この神の美しさ、すなわち、三位であられる神は、一つであるがそれぞれに異なっており、互いに関係をもち、完全な一致がある。その存在が美であり、また経済であり、その愛にあふれる三位の交わりは、まるでダンスのようだ。そのダンスが、美しさを放っている。」

神の美しさは、肉体的な感覚からも私たちに伝わるのです。ともに神の臨在の中で交わり、食事を共にするとき、私たちも神のダンスに参加し、神の美しさを体験するのです。

私たちの教会が毎週食事を共にする意図は、ここにあります。毎週、ケビンさんが心を込めて用意してくれていること、とても感謝しています。
私たちは、神の交わりの美しさから喜びを頂き、神の美しさは、私たちにさらなる願いを引き起こし、その願いは、神に対する畏敬の念に導いていきます。

★受肉のイエス様を受け取る

この私たちを安息に招く神は、私たちのように肉体をまとって、この地に来てくださいました。これは、大きな意味があります。神は、私たちの肉体を祝福されているのです。イエス様の美しさ、それは、受肉、誕生、奉仕、十字架、死、復活、復活、その命に触れる時、私たちはその美しさ故に、もっと知りたいという願い、それが欲しいという願いがおき、そして、主への畏敬の念にかれるのです。
このイエス様は、私を覚えてこれをしなさいと、パンを裂きました。イエス様を覚えてパンを食しぶどう酒を飲むときに、このイエス様と一つとなるのです。救いを得、そして、まことの魂の安息に入ることができます。

ヨハネ6:55-58

わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。57 生ける父がわたしを遣わし、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者も、わたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。あなたがたの父祖たちが食べて死んだようなものではありません。このパンを食べる者は永遠に生きます。

共同体の食事とは、イエス様を食することであり、神の美に招かれているということです。
#安息日 #礼拝 #詩編

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春のあしおと

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近所の桃ノ木に、つぼみが!! 近所の桃ノ木に、つぼみが!!
今日、日曜日は、ここシアトルとても冷えています。

日中、雪が降りました。

けれども、お天気に。。。

しかし、氷点下の寒さです。

今勉強しているんですが、ヒーターが全然きいてないと感じるほど

寒いです。

こたつが懐かしい。

昨日はいい天気で、風は強いですが、すがすがしく、

なんだか春の日差しのようで。。。

しかも、近所の桃ノ木につぼみがついているのを見つけました。

ああ、春だなーーーと実感。。。

けれど、インフルエンザや風邪が流行っています。

用心して、あたたかくしましょう。

こたつが恋しくなる、今日この頃です。

こたつで、ミカンと、おかきと、チョコ食べながらオリンピックみたいなぁ

なんて。。。

#ブログ #春

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Sabbathシリーズ ③土地—贈り物の管理Land – gift steward

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日曜日は、マイカを日本に宣教師... 日曜日は、マイカを日本に宣教師として送るための援助金を稼ぐために、日本人教会でベイクセールをしました。めいめい家で用意しきた焼き菓子や日本のおはぎなど、なかには、お好み焼きも、売りました。日本式のスイートポテトパイも人気でした。バラエティー豊富、そしてグルテンフリーもあって、お客さんがたくさん来ました。 左がマイカ。お店番当番さんです... 左がマイカ。お店番当番さんです。たくさん売れて、収益も1000ドル以上になったと思います。いやーーーみなさんよく頑張りました。たーーくさん作りました。教会のみなさん、ありがとうございました。お客さんにもありがとうございました。 子供たちが作った、マイカの宣伝... 子供たちが作った、マイカの宣伝パネル! 上手でしょ?
2018年2月11日日曜日礼拝バイリンガルメッセージ音声はこちらから。。。
音声の方が書いたものより、内容があります。。。


安息日とは、神様からの贈り物だと初めの回で話しました。今日は、贈り物に対する態度について、神様の心を頂いてい行きたいと思います。

★土地、スペース

土地、スペースというのは、特別な意味が安息日においてはあります。神様が天地を創造され六日目に人をそこに置き、七日目を聖別し休まれました。すばらしい創造の美の中で、神は、人ともに、喜び楽しんだのです。神は、ご自分の造られた美の中にいらっしゃったのです。そこに、ともにいらして、満ちておられたのです。いわば、創造された世界が、神の神殿であったのであり、その神殿の中にいることが、神に捧げる聖なる式典だったのです。Eucharist

人は、そのスペースを治めるように役目を頂いていました。神の臨在されるその土地は、人にとっては、神からの贈り物でありました。gift
また、契約でありました。地を従えよと言われた神は、神との関係を通して私たちに地をまかされました。covenant

このことをまず初めに心に留めましょう。

Ⅰ列王記21全体ですが、ナボデのストーリーを順を持ってみて行きましょう。

★アハブ王が自分のためにナボデの土地を欲しがるV1-4

1このことがあって後のこと。イズレエル人ナボテはイズレエルにぶどう畑を持っていた。それはサマリアの王アハブの宮殿のそばにあった。2 アハブはナボテに次のように言って頼んだ。「あなたのぶどう畑を私に譲ってもらいたい。あれは私の家のすぐ隣にあるので、私の野菜畑にしたいのだが。その代わりに、あれよりもっと良いぶどう畑をあげよう。もしあなたがそれでよいと思うなら、それ相当の代価を銀で支払おう。」3 ナボテはアハブに言った。「主によって、私には、ありえないことです。私の先祖のゆずりの地をあなたに与えるとは。」4 アハブは不きげんになり、激しく怒りながら、自分の家に入った。イズレエル人ナボテが彼に、「私の先祖のゆずりの地をあなたに譲れません」と言ったからである。彼は寝台に横になり、顔をそむけて食事もしようとはしなかった。

アハブは、自分の便利さのために、土地をナボデからお金で買おうとしました。この世の中でも、便利な場所は、地価があがります。このホライズンの土地も便利なので、いつも売ってくれないかという人が毎日のようにやってきます。不思議ですね、ここでも、前回の時と同じく、スペースさえも、お金と天秤にかけられているのです。

★ナボデは王の申し出を断った

ナボデはたとえ王の願いでも断りました。なぜなら、彼は、神からの贈り物がどんなに貴いか、そして、それを代々受け継ぐことの大切さをしっかり理解していたからです。これは、安息日のマインドセットであります。ユダヤの世界では、例え、土地を誰かに売っても、ヨべルの年には持ち主に返すことが定められていました。また、7年目は土地も一年間休ませることが義務付けられていた。(レビ25章) そのくらい、土地と安息の結びつきが強く、神から受け継いだ土地、賜物の感覚と、安息の感覚というものは根付いていたのです。

ナボデは、ぶどう畑を持っていました。ナボデは野菜畑にしたくて、俺様によこせっと言ったわけですが。。。ぶどう畑は、大切な喜びの祝宴に出す、ぶどう酒を作るためのものであり、ぶどう酒は喜びの象徴でもあります。また、ぶどう畑はよく、聖書でイスラエルにも例えられていますね。なぜなら、イスラエルは神の喜びだからです。

ナボデは、代々引き継いだこの土地、喜びを産み出すこのスペースを決して、王にさえも引き渡すことはできない。と断ったのです。神から頂いた贈り物をお金で売るものじゃないからです。私たちも、大切な人からもらった高価な品物をお金に変えるなんて、なんだか下品にかんじるのではないでしょうか。

私たちも、神の臨在のあふれるスペースに喜びを見出します。教会もそうですし、いつも神様と交わっている祈りのクローゼット、散歩道、車のなか、ビーチそれぞれに、カンファレンスなど、神が待っていてくれるスペースに喜びがあるんです。私たちは、そのスペースを大切にしているでしょうか?

★ユダヤ人ではない王妃イザベルが、ナボデを殺す v7, 9,

7 妻イゼベルは彼に言った。「今、あなたはイスラエルの王権をとっているのでしょう。さあ、起きて食事をし、元気を出してください。この私がイズレエル人ナボテのぶどう畑をあなたのために手を入れてあげましょう。」

9 手紙にはこう書いていた。「断食を布告し、ナボテを民の前に引き出してすわらせ、10 彼の前にふたりのよこしまな者をすわらせ、彼らに『おまえは神と王をのろった』と言って証言させなさい。そして、彼を外に引き出し、石打ちにして殺しなさい。」

★預言者エリヤが遣わされる v17-19

17 そのとき、ティシュベ人エリヤに次のような主のことばがあった。18 「さあ、サマリヤにいるイスラエルの王アハブに会いに下って行け。今、彼はナボテのぶどう畑を取り上げようと、そこに下って来ている。19 彼にこう言え。『主はこう仰せられる。あなたはよくも人殺しをして、取り上げたものだ。』また、彼に言え。『主はこう仰せられる。犬どもがナボテの血をなめたその場所で、その犬どもがまた、あなたの血をなめる。』」

★結局、神様は、アハブとイザベルを裁かれます。

イスラエルの独自性をチャレンジした。ブドウ畑は、喜びを表す、野菜畑は、苦労toil を表し、そして、それは、エジプトを表します。奴隷生活。
私たちの生活も、いつもこの狭間で戦いがあるのではないでしようか。私たちを鎖でつないで働かせる力と、神の臨在と喜びの中で、楽しみ喜ぶスペースとの間で。。。
敵が私たちに仕向けてくることは、神を礼拝するスペースを奪い、私たちを神の子から奴隷に引き下げることです。
神があなたにお与えになった、礼拝のスペースを守ろうではありませんか。それは、神からの賜物であり、そして喜びです。
#1列王記 #安息日 #礼拝

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ワークアウト

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オレンジシオリーフィットネスは... オレンジシオリーフィットネスは
日本にもあるようです。数が少ないので、私の帰国時にはいけないと思います。遠すぎて。。。。はは。
モニターに今、自分の心拍数がど... モニターに今、自分の心拍数がどれくらいで、どれくらいカロリーを燃やしているか出ています。
みなさん、こんにちは。

私は、年齢のせいか、四年くらい前にちょっと体重がコントロールしにくくなり、ホルモンの関係か、うつぎみになったので

それ以来、コンスタントに運動をするようになりました。

ズンバから始まって、ウエイトリフティング、キックボクシング、水泳、クロスフィットと、いろいろやりました。

身体を動かすのは、とても気持ちよく、うつぎみになることはもうなくなりました。

それから、筋肉が鍛えられて若返ったし、体調にもよく気が付くようになりました。

二年ほど前から、大学院に行き始めたこともあって、忙しいので、家の近くで、すぐに運動がまとめてできるところに行くことにしました。
すこし、値段はしますが、健康のための投資と考えて。。。。

オレンジシオリーは前に一度試したことがあって、きつすぎることと、値段のことであきらめていました。

今は、体力もついて、ついていくことができるようになっていました。
このジムは、ハイインテンシティ、インターバルトレーニングをしていて、心拍数をぐっと挙げて、少し下げるを繰り返す運動の構造になっていて、そうすることによって、より効率よく脂肪を燃やし、それだけではなく、カーディオしすぎると、筋肉が減るのですが、それもないらしく、というのも、
成長ホルモンを増やすことができるからで、また、なんと運動した後も36時間も脂肪を燃やし続けてくれるといういいことばかりの運動なんです。

で、試しに行ってもう半年近く。

週に二回しか行ってませんし、前みたいに、きついウェイトリフティングもしてないのですが、筋肉は増えています。
さすがに、脚を集中とか、自分でワークアウトはデザインできないのですが、

全身が強くなっている感じです。

ま、ワークアウトの内容について賛否はあると思いますが、
女性の私にはいいと思います。

男性のように、めちゃくちゃ筋肉を大きくしたいわけでもなく、リーンになって、筋肉のディフィニションが欲しい方にはピッタリだと思います。

体力もついて、まだ今年は風邪をひいていません。

週に二回、トータルで二時間だけど、結構きつくて、
回復するのに3日くらいかかります。。。汗

みなさんにも、運動をお勧めしますーー

#ブログ #運動

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Sabbathシリーズ② Trust 信頼

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春に、日本に短期宣教師として遣... 春に、日本に短期宣教師として遣わされるマイカのために、今度、教会でベイクセールをします。自分たちで、焼き菓子などを焼いてきて、売ります。その収益で、マイカの飛行機代を払おうということに。。。 子供たちが、そのパネルを作成中... 子供たちが、そのパネルを作成中ー。とても上手にできました。
私は、バター餅、アンパン、ピーカンパイなどを作って出品の予定です。。。
毎月恒例の、今月のお誕生日祝い... 毎月恒例の、今月のお誕生日祝い。この写真は、先週取ったものですが、子供たちがどうしてもろうそくを吹くので、必死に。。。和美さんおめでとうございます。
ケーキは、これまたプロ並みの美味しいベリー三昧のケーキでした。
安息は信頼から始まる Sabbath begins with Trusting
2018年2月4日日曜日礼拝音声は、下をクリックしてください。


出エジプト16

みなさん、こんにちは、サバス安息日シリーズ二回目ですが、今日は、信頼について話したいと思います。神様は、モーセの十戒で安息を律法に定めたわけですが、実は、安息についてその前から、神様は人々に教えていたのです。出エジプト記の16章を開きましょう。みなさん、マナについてご存知ですか? エジプトで奴隷になっていた民が、モーセによって救い出され、約束の地に向かって四十年間荒野を旅しましたね。その四十年間神様が与えてくれたのがマナという食べ物でした。四十とは、試練を表す数字です。また四十年の荒野の旅は、私たちの地上の人生を表しています。私たちも、地上では旅人です。永遠の命、死後の世界こそ私たちのいのちの本番です。16章は、次のようなことから始まります。。。

★民のつぶやき

エジプトの方が良かった

3 イスラエル人は彼らに言った。「エジプトの地で、肉なべのそばにすわり、パンを満ち足りるまで食べていたときに、私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。事実、あなたがたは、私たちをこの荒野に連れ出して、この全集団を飢え死にさせようとしているのです。

死んでいた方が良かったと言う。。神様にお願いする前に、結論を出す

★神様は人々のつぶやきに答えられた

4 主はモーセに仰せられた。「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする。民は外に出て、毎日、一日分を集めなければならない。これは、彼らがわたしのおしえに従って歩むかどうかを、試みるためである。

毎日天からパンが降って来る。。。何を連想しますか? イエス様をすぐに思い浮かべました。「天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは,わたしの父なのである。」「わたしが命のパンである。」また、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉による」と。ですから、み言葉のことをデイリーブレッド、日々の糧という風に言うんですね。

★マナについて

〇天からの贈り物であって、これは何だろう? というものであった。

13 それから、夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると、宿営の回りに露が一面に降りた。14 その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。

〇各自が自分の食べる分だけ取った。が、それぞれの必要にピッタリだった。

16 主が命じられたことはこうです。『各自、自分の食べる分だけ、ひとり当たり一オメルずつ、あなたがたの人数に応じてそれを集めよ。各自、自分の天幕にいる者のために、それを取れ。』」17 そこで、イスラエル人はそのとおりにした。ある者は多く、ある者は少なく集めた。18 しかし、彼らがオメルでそれを計ってみつろ、多く集めた者も余ることはなく、少なく集めた者も足りないことはなかった。各自は自分の食べる分だけ集めたのである。
〇欲ばって、また怠け心で、翌日まで取っておくと、腐った。
19 モーセは彼らに言った。「だれも、それを、朝まで残しておいてはいけません。」20 彼らはモーセの言うことを聞かず、ある者は朝まで、それを残しておいた。すると、それに虫がわき、悪臭を放った。そこでモーセは彼らに向かって怒った。21 彼らは、朝ごとに、各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。

〇六日目には、いつもの倍を集めても腐らず、七日目は休むように言われた。

22 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわち、ひとり当たり二オメルずつ集めた。会衆の上に立つ者たちがみな、モーセのところに来て、告げたとき、23 モーセは彼らに言った。「主の語られたことはこうです。『あすは全き休みの日、主の聖なる安息である。あなたがたは、焼きたいものは焼き、煮たいものは煮よ。残ったものは、すべて朝まで保存するため、取っておけ。」24 それで彼らはモーセの命じたとおりに、それを朝まで取っておいたが、それは臭くもならず、うじもわかなかった。

〇七日目には、マナは降らなかった。探しても見つからなかった。

25 それでモーセは言った。「きょうは、それを食べなさい。きょうは主の安息であるから。きょうはそれを野で見つけることはできません。26 六日の間はそれを集めることができます。しかし安息の七日目には、それは、ありません。」27 それなのに、民の中のある者は七日目に集めに出た。しかし、何も見つからなかった。28 そのとき、主はモーセに仰せられた。「あなたがたは、いつまでわたしの命令とおしえを守ろうとしないのか。29 主があなたがたに安息を与えられたことに、心せよ。それゆえ、六日目には、二日分のパンをあなたがたに与えている。七日目には、あなたがたはそれぞれ自分の場所にとどまれ。その所からだれも出てはならない。」

〇マナから教えられること

労苦はその日その日に十分あると、イエス様が言われた通りですね。私たちは、日々の糧も神の賜物であるが、休みもまた神の賜物であることを覚える必要がある。

この箇所で見て、驚いた。人間の考えというのは、今も昔もあまり変わらないのだと。明日のためにたくさん今日は働いて取っておこうとしても、それは、腐り。七日目に糧を探しに行っても見つからない。人は、己が富むためにもっと働けもっと働けと自分を打ちたたく。しかし、神様がお定めになった賜物しか私を養い、私に益をもたらすものはないのです。労苦はその日その日に十分ある。明日のことは、明日が思い煩うのです。また、その日その日の労苦によって得た糧も、その日の生活に十分なのです。

それは、神様からの賜物だからです。人それぞれ多く集めたり少なく集めます。現代の社会でも、多く得る人少なく得る人もいます。隣の人を見ると自分よりも持っているかのように錯覚しますが、一人ひとり、十分食べたとあります。サイズが違っても、それぞれに満たされました。

マナにアクセスする方法とマナを自分の益とするためには、信頼と従順が必要であった。

休みに入るためには、信頼と従順が必要であった。

★”マナ” を子孫に伝えるという大切な使命。

32 モーセは言った。「主の命じられたことはこうです。『それを一オメルたっぷり、あなたがたの子孫のために保存せよ。わたしがあなたがたをエジプトの地から連れ出したとき、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らが見ることができるために。』」33 モーセはアロンに言った。「つぼを一つ持って来て、マナを一オメルたっぷりその中に入れ、それを主の前に置いて、あなたがたの子孫のために保存しなさい。」34 主がモーセに命じられたとおりである。そこでアロンはそれを保存するために、あかしの箱の前に置いた。35 イスラエル人は人の住んでいる地に来るまで、四十年間、マナを食べた。彼らはカナンの地の境に来るまで、マナを食べた。

モーセは、マナを保存して、子々孫々に神がマナを降らせ民を四十年養ったこととと、休みを与えたことを伝えるように言われました。

私たちにも、安息の精神を次世代に伝えるという使命がある。それは、今日、あなたが天からのマナを受け取ることにかかっています。また、七日目に休みに入ることにかかっています。両方とも神様からの贈り物、賜物です。賜物を受け取るには、神様が良いものを下さる良い方であると、信頼し、そして、その通りに従順にやってみることです。私たちのマナの生きざまを通して、証しをしていきましょう。

マナとは、「これは、いったい何だろう?」という意味です。その時その時には、これは、いったい何だろうと、疑問に思うこともあるかも知れませんし、また、周りの人から見て、これは何だろう? かもしれませんね。特に試練の中では、これは何だろう? と思うことが多いです。これは、何だろう葉、神様からの贈り物です。日々神様を信頼して、その日その日の何だろうを受け取っていきましょう。そして、休ませてもらいましょう。


#出エジプト #安息日 #礼拝

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