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ぼくしのめがね

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才能

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あなたがただ、まだ自分の才能を... あなたがただ、まだ自分の才能を見つけてないからと言って、
あなたに才能がないという訳ではない。


ある本で、
創造力には信仰が不可欠だとありました。

ほんとだなーって。
そして、人は信仰を使う時に、未知の世界が広がるものです。

信仰は、まだ目に見てないことを想像するところから始まります。
信仰は、希望が無ければ始まりません。期待といってもいいですね。

私はさいきん、iPad で絵をかいたり、大人用の塗り絵をしています。
色一つ、ブラシ一つを選ぶにも、
希望と信仰がなくては選べません。

一つ一つ選び、完成させていく。

そこにたくさんの喜びが伴います。

才能があるかどうかは、分かりませんが
何となく、才能が発掘されつつある感もあります。

主人は、わーーー良くできたねーなんてほめてくれます。

小さなことですが、
年をとっても、
才能を発掘することが大切なんだなーと思いました

また、小さなプロジェクトをすることで
希望と信仰、また自分を好きになるきっかけとなります。

コロナ禍で、
パン作りを始めた人や
マスク作りを始めた人、
散歩や料理
新しいことを始めた方も多いのではないでしょうか

それが良いのです。

意外なところにあなたの才能が見つかるでしょう。

考えること
期待すること
造り出すことをやめないように

きっとあなたに素晴らしい才能が見つかるはずです

今日もあなたを応援しています!!!

#ブログ #メンタルヘルス

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子供も鬱に

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子供たちのためのセルフ・ケアと... 子供たちのためのセルフ・ケアとメンタルヘルス
コロナ禍で、子供たちリモートになり。ホームスクールなどする気の無かった親たちも、ストレスがいっぱい。
そんな中、子供たちの鬱が増えています。
また、私の方にも問い合わせがよく来るようになりました。
子供たちにお勧めする、セルフ・ケアとメンタルヘルスです。
下に訳してみます。

自覚を深めるために、自分の感情をシェアする

私は、腹が立ってる、私は悲しいなど、自分の気持ちを言い表すことに集中してみる

一人遊びやストレスの少ないアクティビティのために時間をつくる

日記や気持ちを文章にしてみることを励ます

今、この時に焦点を合わすことを励ます

自分が属していると思える社交的なグループを見つける

セルフケアを実行することを自分の生活の一部に組み込む

セルフケアの習慣を作る

自分に害のあるストレスをもたらすイベントが何か知る

自分の興味をそそること、趣味を探してみる


等です。
子供たちは、まだ自分の頭、身体の中で何が起きているか分かりません。そんなとき、イライラしたり、わがままが出来たり、いうことを聞きにくかったり、兄弟と喧嘩したり、メルトダウンしたりします。
そのような時、しかりつけるのではなく、
周りにいる人たちが、そんな子供たちの気持ちによりそってあげて欲しいと思います。
コロナ禍でイライラするのは大人も子供も同じなのですから。。。

#ブログ #メンタルヘルス

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覚えておくべきこと

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覚えておくべきこと 覚えておくべきこと


あなたは、完璧でなくていい

調子の悪い日があってもいい

ちっちゃく前進することも進歩のうち

誰かに助けを求めることも、あなたの強さのうち

周りの人はあなたを愛しているし、あなたに感謝している



日々忘れて、あっぷあっぷになっているかもしれません。
特に、コロナ禍においては、頭の中が、緊急事態になっていて、あまり自分に優しくなれないかも知れません。。。

今日、自分に話しかけてあげてください。
よくやってるよ。
大丈夫、そんな日もあるよってね。

意外に、自分が気が付いてないけど、あなたはみんなに愛されてるよ。
#ブログ #メンタルヘルス

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愛をもって

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全てのことを愛によってなしなさ... 全てのことを愛によってなしなさい
一コリント16:14


全てのことを愛をもってなすとは、どういう事でしょうか。

愛することとは。。。
究極的には相手の最善を考えて、することかなぁ。。。

でも、
愛するって
愛されたことがないとなかなか分からなかったりする。

人って、自分がされて、嬉しかったことを人にもしようって思うものだから。

私にも、ああ、こういう風にしたいって思う人たちが周りにいてくれてる。
ありがたいことだ。

自分が愛されたように人を愛するようになるのかな。

私は、キリスト教なんですが、

神は愛ですって言う言葉が有名です。

よく、日本人は、お返しをいつもしなければっていう義理堅い性格が多いもので、
クリスチャンでも、日本人の人は特に、迷惑をかけないように、
神様にもなるべく煩わせないようになーーんて、無意識に考えてる人も多いかもしれません。

おばちゃんになってから、思うことですが、
神様にいっぱい愛された自覚がある人は、
いっぱい人を愛する人になり、

神様にいっぱいいただいた人は、
喜んで気前よく、人に捧げる人になってると思わされます。

そんな今日。
神様の愛をありがたい。。。
とコスコランの道すがら思いました。
エリックが運転してくれてたけど、
車も昨日修理できて、ありがたいなーなんて。。。。

神様、これからも、よろしくお願いします。
毎日、神様の愛をいただいて行きます。

みなさま、これからもよろしくお願いします!
#ブログ #愛をもって

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水の上にパンを Bread upon the water

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聖書に水の上にパンを投げよって... 聖書に水の上にパンを投げよって言葉があるんですよ。ふやけちゃうーって思いますよね?
一緒に見てみましょう!
2020年11月15日日曜日礼拝


伝道者の書11:1-6
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。
2 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。3 雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。4 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。5 あなたは妊婦の体内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。
6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。

先週はシェルターのプログラムの卒業式がありました。また前の週には悲しい出来事がありました。そんな中で、このみ言葉が心に響いていました。シェルターでもロックダウンが八か月続き、いつものようなプログラムでない中で、大変苦労して四人の人が卒業しました。彼女たちの証しは、素晴らしかったです。本当に一年前と比べて大変な成長を遂げました。はじめは、どこから手をつけたら。。。。という状態でした。まるで水の上に投げたパンのような感覚。そして、今、後の日になってそのパンがどうなったのか見るようになりました。非常に励まされます。

★余りあるほどに豊かに蒔く神 Lavishly abundantly giving God
〇投資Investment
私たちの信じている神は、投資の神です。賜物セミナーのギバーのところでいつも詳しくはなしますが。。。そして、神は、刈り取りを期待して蒔かれる方です。刈り取りが期待できるからこそ蒔かれるのです。
今日の聖書の箇所でも、後の日にあなたはそれを見出そう。For you will find it after many days 他の訳では、報酬を受け取ると書いてあります。You will be rewarded .
また、私たちの神は、豊かに蒔く神です。コリント人への手紙の中に、「豊かに与える」ことが書かれていますが、神ご自身が豊かに蒔かれる方だからです。
豊かに蒔く。

2コリントCorinthians 9:6
私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。But this I say: He who sows sparingly will also reap sparingly, and he who sows bountifully will also reap bountifully.

蒔きすぎる神というふうに読んでも良いくらいです。Our God is the God of plenty!  一人の人を身ごもるのに必要なのは、一つの卵と一つの精子です。しかし、神は、一つの卵に対して、二億五千万の精子を用意している。250 million!  また、種まきの例話でも、良い地にだけではなく、岩地や道端にまで種が蒔かれている話しをイエス様はしています。神は、さまざまなところに豊かに蒔く神なのです。
今日、読んだ聖書の箇所も投資のお話です。

〇パンBread
「水の上にパンを投げる」と言う言葉は、当時の世界ではよく使われていたことわざのようです。水の上にパンを投げる。とは、私たち日本人の考えでは、ちょっと理解できません。鯉にエサをやるくらいの想像力です。また、みなさんご存知のとおり、水の上にパンをいれると、すぐに、ふやけて消えてなくなってしまいます。

--- 失う危険性Risk of losing
このソロモンの時代のことわざは、船による貿易を指していたようです。船の上に商品をのせるが、当時の船の安全は、今と比べると不安定、本当に掛けのようなものであったことでしょう。また時間的にも、ずいぶんとかかったことでしょう。後の日にならないと、どれほどの儲けがあったか分からないようなものだったのです。

---- 善意や親切Goodwill and kindness
また、「パン」というのは、ユダヤ人の伝統的な解釈では、善意や親切とされるといわれます。善意や親切を普段から存分にしておけば、やがてまわりまわって自分にかえって来るということです。何だか、日本人の考え方に似ていますね。

---- イエス様Jesus
また、私たち、クリスチャンにとっては、イエス・キリストは、いのちのパンです。私が二十数年前、ある国にまだ聖書が自由に手に入らないときに聖書をもってその国に行きましたが、私たちは、盗聴されているので、聖書のことをパンと読んでいました。聖書は、日々の霊の糧だからですね。そのパンを投げるというのは、福音の種を蒔いていく。福音を伝えていくということともとらえられます。

---- 報酬Reward
私たちの神様は、このパンを水の上に投げよ。そうすれば、ずっと後の日になって、あなたはそれを見出そう。というのです。英語では、後にそこから報酬を得るだろうというのです。
蒔くならば、かならず、刈り取ることができるというのが、神様の教えなのです。
たとえ、それが、「水の上」であってもです。

★投資の神の知恵 Wisdom from God of investment

①水の上On the water v1 … 無駄に思えたり、賭けのように思えるところに、大切なパンを蒔け。私たち、損をしたくないという恐れての戦い。福音伝道においても同じです。私たちの教会は、学生さんの出入りが多かったですが、まさに、こんなに短い間かかわったところで、この人の人生にどんなインパクトがあるのかと思いがちですが、帰国前二週間で二、三回あっただけのYKちゃんが今では立派なクリスチャンに成長していますね。不思議なことです。時間や労力、心遣いやお金をかけて、蒔いていきます。
②いろいろな場所に分けてDividing into different areas v2 … 投資をする人は、良く知っていることですが、株でも一社にしぼって大量に買うよりは、数社に分けて、小分けに投資した方が何かあった時のリスクが減ります。神様は、一つの概念に凝り固まって、蒔くよりは、様々な分野に、場所に蒔くことを勧めています。

みなさんはどこに蒔きますか。友達の日本人に、家族に、職場に、ご近所に、また遠くの宣教地の子供たちに、また道にテントを張っている人に、通りすがりの人に。日本にいる引きこもりの人たちに。。。。まくところはいろいろとありそうですね。
③時や環境を分析せずにDon’t analyze about timing and condition v4 … 株をやっている人たちは、いつも新聞を読んで世の中の動向を見ています。やれオリンピックだ、やれ大統領選だとなれば、株の売買の動きがあります。絶えず時を分析してビジネスをしています。聖書でも天のサインを見て、など時を見極めることも書かれています。が、
しかし、聖書は、蒔くことに関しては、風を恐れるな、雲を恐れるなと書いてあります。聖書の他の箇所で、時が良くても悪くてもしっかりやりなさいとあるがbe prepared in season and out of season (2Timothy4)、そのとおり、風がふこうが、雨雲がでてこようが、蒔くことを辞めるべきではないのです。本当に、イエス様が人々を裁くためでなく救うために来られた、その真理の通りですね。救いのためには、時は関係ないのです。いつも、その時なのです。

④どうして豊かにできるか? Why can you be generous?
★ソロモンのポイントSolomon’s message v5, 6
投資の神を知らなければ、むなしい。
投資するものを持っていても、神を信頼しないなら、むなしい。
信仰がなくてはならない

「信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。」Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen. 
ヘブル11:1

私たちは、信じて、蒔き続ける。
必ず、報い・刈り取りをもたらしてくださる神様に信頼して、信じて蒔く。
世の中の考え方と同調しないようにしましょう。世の中は、状況を見て、いろいろと分析して蒔きます。それを賢いことと言います。

★知らなくてもいいIt is OK to not know how.
人は、どのようにして母の胎の子どもに霊が入るのか知らないのです。
神を信じて、収穫が必ずあることを知らないなら、渡したの投資、働きはむなしいものです。
あなたは、信じて蒔きますか?
祈りましょう。
#投資 #礼拝

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Assertiveness

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言いたいこと、言えてます? 言いたいこと、言えてます?


久々に、メンタルヘルス系の投稿ですー。

私の好きなカウンセリングに、結婚前カウンセリングがあります。
自分が受けて、とても結婚に役に立ったこと、いい準備になったことが理由ですが、
結婚してから、後輩?達のカウンセリングをしてみて、
ああーコミュニケーションって本当に大切だなーと思います。

英語では、言いたいこと、伝えたいことを伝える能力をアサーティブネスと言います。

日本の文化では、空気を読むことを美徳とし、はっきり伝えることをやぼなことという風にとる傾向がありますね。

私も、どっぷりその文化で育ちました。とても美しいものですが、
空気を完全に読み、相手の心を100間違わずに読める人は、いません。
神様だけです。

コミュニケーションの取り方に注意して、カップルに練習してもらうととても楽しく、発見が多いです。

まずは、コツ。
話す時に、「私は。。。」から始める。私が、どうしてそれを言うのか。
嬉しいからか、楽しいからか、どんな私の感情のニードからそれを言っているのか、ということに気を付けながら言います。

聞く人のコツ。
相手が何を伝えたいのか、しっかり聞くために、
パラフレーズしながら、相手に会話のラリーを打ち返す、
なるほど、「あなたは、○○だから、私にこういうふうにしてほしいのですね。」分かりましたと。

その時点で、相手は、あれ?私の言ってることが伝わってない、と思ったり、伝わったと確認することが出来ます。

案外聞き手も、自分の感情が先走って、いいように聞いたり、悪く聞いたり、
早とちりしやすいものです。

練習してみると、なかなか、深いことが見えてきます。

あなたの心の思い煩い、恐れ、何かも見えてきたり、
願い、欲、愛が見てきたりと。。。

普段何となく交わしている会話ですが、
自分のニード、自分の感情に心を配りながら、話してみるとなかなか面白いですよ。

どうぞお試しあれ。

あなたの声、意見は、聞くに値するものですし、
あなたは、それだけ大切な人です。
また、あなたのお相手も、価値のある、大切な人です。

言葉のキャッチボールが恵まれ祝福されると、関係が豊かになります。
#コミュニケーション #メンタルヘルス

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鹿のようにAs the deer

thread
鹿のようにAs the dee...

2020年10月25日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ





詩篇Psalms42篇
指揮者のために。コラの子たちのマスキール
1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。4 私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。6 私の神よ。私のたましいは私の前でうなだれています。それゆえ、ヨルダンとヘルモンの地から、またミツァルの山から私はあなたを思い起こします。
7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。
8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。9 私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。なぜ、私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」
10 私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言っています。11 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。

★背景 Context
ダビデがこの詩篇を書いたのは、おそらく自分の息子アブシャロムがダビデに反逆し、多くの者を引き連れて、エルサレムの町を乗っ取った時のことだと言われています。また、ダビデの親しい友達までもが、アブジャロムの仲間になっていたことは、さらなる追い打ちをかけてダビデを精神的に苦しめました。裏切りといのは、信頼関係や愛を踏みにじられるので、一番辛いことですが、更に息子や友という近い存在に裏切られるとは、どんな苦しみでしょうか。大変な孤独を感じていたはずです。また、エルサレムという、礼拝の場を乗っ取られたということで、礼拝者であるダビデは、さらに苦しみを感じたことでした。

★鹿 Deer
鹿は、水を求めてどこまでも行く。ダビデは、荒野の近くのオアシス、川の流れに、鹿が来ているのをよく見ていた。鹿は渇くと、舌が喉にくっつき呼吸困難になるそうです。
日本には、水を求めて、島から島へ海を泳いで渡ってまで水を求めに来る鹿がいるそうです。


★渇きThirst
渇きは、必ず満たしを産みます。渇くことは幸いです。渇きが無ければ、必死で神を求められない。
ダビデは、大切な人に裏切られるという大変な試練の中で、神との一体感を失ってしまいました。絶望しているからです。絶望の最中にいる時には、恥や恐れが先行して、何も考えられなくなり、信仰を持っている人でも、一瞬、目の前が真っ暗になるようなことを経験します。信仰が無いからでは、ありません。絶望というのは、脳にそのようにするからです。そうなると、無気力になったり、うつになったりします。体が脳に反応しているのです。

人間が渇くのは、霊的、肉体的、精神的な渇きがあります。そして、これらすべては、関係によって満たされ、解決され、癒されていきます。人間は、関係の中に生きるように神にデザインされているからです。
関係とは、愛と言い換えることが出来ます。霊的な渇きをいやすには、神の愛が必要です、肉体的には、愛する人のタッチが必要です。精神的には、愛の中でのやり取り、分かち合い、受け入れ相うことが必要です。

そう考えると、ダビデは、肉体的、精神的に乾ききったことで、神に見放されてしまったような気持ちになり、霊的にも渇いてしまっていることが分かります。

★試練とセルフ・ケア Self-care in the hardship
自分の歩みを省みて、霊的な部分も大切ですが、いかに、肉体的に安全を感じたり守りと慰めを感じることや、精神的な満たしを感じていることが大切であるか、が分かりますね。全てが霊のせいではないのです。肉体と精神的なショックや打撃は、神様との関係に、神の側の責任ではないですが、私達が勝手に影を落とし、神と離れているような気持になってしまうのです。

★霊の満たし Spiritual Quench
しかし、霊の満たしというのは、実は、肉体や精神の渇きに影響を受けやすいですが、受けないことを選択することもできるのです。それは、私たちの渇きを永遠に解決してくださったイエス・キリストによります。

イエス様は、十字架で、「私は渇く」と言われた。イエス様は、なぜそんなことを言われたのでしょうか。そうです、それは、まさにイエス様は神との霊の関係の喪失を体験していたからです。父なる神の顔がどんどん遠のいていく。イエス様は、人の罪の故に、父なる神との霊的な満たしから完全に切り離されることを経験したのです。ですから、心底、渇いたのです。ちょうど、鹿ののどの渇きのように生き死にの問題であり、イエス様にとっては、永遠の生き死にの問題でした。

イエス様は、私達が永遠に霊的な満たされるために、あのように渇いて下さったのです。

★淵 Deep
V7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。Deep calls to deep in the roar of your waterfalls; all your waves and breakers have swept over me.

礼拝の場、エルサレムを失ってショックを受けているダビデですが、彼は、羊飼いをしている時や、様々な戦の場面で、神による満たしを経験してきたことを思い返します。どこででも賛美し、神を礼拝できたことを。

●淵が淵を呼びDeep calls to deep…. とありますが、神の霊が私たちの霊の深みを呼び覚まし、引き出しあふれ満たされることです。
ちょうど井戸のようです。イエス様は、井戸のそばで、サマリヤの女に、二度と渇かない生ける水を紹介されました。ちょうどそのようです。

生ける水は、どんな状況の中でも、あなたの中にある、という時代に私たちは生きていることを覚えていましょう。エルサレムに行かなくても、苦しんでいても、今、満たされることが出来る。その泉がここにあるのです。
教会で、皆さんで手を上げて神に賛美を捧げるという祝福は、今は、体験できませんが、一人でも、やむことのない聖霊の満たしで礼拝することが、今キリストによって可能にされています。

ヨハネJohn 7:37, 38
だれでも、渇いているなら、わたしのものに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人との心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
On the last and greatest day of the festival, Jesus stood and said in a loud voice, “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.”

あなたの霊の満たしは、約束されています。

★祈り Invitation & Prayer
今、渇きを感じている人はいますか、祈りましょう。
誰でも。とあります。あなたも、です。聖書の知識が無くてもいい、立派でなくてもいいのです。渇いているなら、神様は与えてくださいます。
今日、イエス様を信じましょう。
そして、霊の奥底の渇きから解放されましょう。







#礼拝 #鹿

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羊のように Like a Sheep

thread
羊のように Like a Sh...

2020/10/18 ホライズン日本人教会バイリンガル礼拝メッセージ


ヨハネJohn10:1-13
1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。5 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
6 イエスはこのたとえを彼らにお話になったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。8 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼の言うことを聞かなかったのです。9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
12 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで狼は羊を奪い、また散らすのです。13 それは、彼が雇い人であっても、羊のことを心にかけていないからです。

★野生の羊はいないThere is no wild sheep
羊について;
羊はよく聖書の中で人間に例えられています。羊は、人間と同じように野生の羊というのはいません。みな、世話されないと生きてけません。一匹オオカミならぬ、一匹羊というのは、存在せず、群れをなして生活します。羊は、視力が非常に弱く、あまり見えていません。近くしかみえないのだそうです。だから、導き手が必要なのです。そして、非常に臆病です。また、牙もなく、強いところはないので、簡単に外敵に食べられてしまいます。だから、羊飼いに守られる必要があります。犬などは、よく捨てられても、家に数日したら帰ってきたり、ということがありますが、羊は、そういう方向感覚とか、来た道を帰るなどということが出来ず、迷いやすいものです。
羊飼いというのは、そんな羊を大切にし、羊の気持ちになって導いているのだそうです。羊飼いは、夜寝るときには、自分が囲いの門となって眠ります。

★羊飼いの必要性We need a Shephard
詩篇23篇に主は私の羊飼い。とあります。私の、羊飼いと、羊を飼っていたダビデの口から神を私の羊飼いと呼んでいますね。ダビデは、神に養われ、守られ、導かれずには生きて行けないことを十分分かっていたのです。
また、神がいるからこそ、自分は安心できるということの確信と、告白でもあります。

あなたにも、羊飼いが必要です。
あなたには、羊飼いがありますか?

★良い羊飼いのイエス様は A good Shephard, Jesus
①あなたを養う Takes care of you 盗人や強盗ではない
v1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。“Very truly I tell you Pharisees, anyone who does not enter the sheep pen by the gate, but climbs in by some other way, is a thief and a robber.

②羊の門から入り、安らかに出入りPeaceful life – coming and going
v9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。I am the gate; whoever enters through me will be saved. They will come in and go out, and find pasture.

へブルの世界では、出入りのことを日々の行動、人の人生、行動の自由を表しています。

旧約では、行き来のことを、詩篇121:8にあるように、日々の自由な生活を表しています。

詩篇Psalm 121:8
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
the Lord will watch over your coming and going both now and forevermore.,

③人生を豊かに Abundant Life
V10羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。 I have come that they may have life, and have it to the full.


④決してあなたを捨てない Never leave you
V11良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。雇われ羊飼いは羊を置いて逃げ出してしまう。“I am the good shepherd. The good shepherd lays down his life for the sheep.

★主の声を聞き分ける Knowing His voice
羊にとっては主人の声を聞くことは生死にかかわることである。
視力が弱いので、羊飼いの声を聞き逃すと、迷いやすく一人で帰ってこれない羊は、命取りになる。

★声の種類 Hearing different voices
①神の声 God …神の声はあなたを養います。聖書は「人はバンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉によって生きる」とある通りです。私たちを、悔い改めに導き、私たちが方向転換できるようにされる。すなわち、神の導く正しい道しるべを与える。
従う時に、良い実をならせる。霊的な実がなる。従えば従うほど、神への信頼が強くなる。

②自分の声 Self/Man ――― 自我・理性・この世の常識…人間の脳は、過去に起きたことや経験から物事を判断しようとします。自分の過去の傷を通して物事を判断することもあるかと思います。恥や恐れや心配に支配されるようだったら、自分の過去の声かも知れません。
また人間的な世的な理性は、実を結ばせず、私達と神を小さな箱に入れたがり、律法的になりやすいです。

③悪魔の声 Satan …悪魔のできることは、あなたから時間を盗み、喜びを盗むことです。それは、人を嫌わせ、自分を嫌わせ、神を嫌いにするように疑いの思いを入れてきます。
もし、自分の中で、疑いや憎しみが出てきたのだったら、悪魔らの声に聞いているのかもしれませんね。

★恐れがあったら聞こえない Fear prevent you from hearing
詩篇Psalms 46:10 “やめよ、私が神であることを知れ” Be still, and know that I am God (NKJV) 

黙想、静止の時間を持ち練習する
心を静め神の信仰に立ち帰る時を日々持つ

深呼吸、身体と心と霊をつなげる
黙想 神の聖書の言葉に思いを巡らせる
ジャーナルを付ける 心に留まった言葉を書き留めてみる

ただ単にセルフケアが不足しているのかも知れません
カウンセラーに会う。ハグ20秒は癒しをもたらすらしい。オキシトーシンが出る
泣くこと、コーティゾーを下げる。笑うこともいい。
人間の感情は健康のためにある。疲れてしまうと、感情がなくなってしまう。

●祈り Prayer
1ヨハネJohn4:18 
全き愛は恐れを締め出すThere is no fear in love. But perfect love drives out fear,――― 神の腕の中に飛び込む。イメージでもいい。祈りでもいい。
ピリピPhilippians4:6-7
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. 7 And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus.
#礼拝 #羊

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一羽の雀さえ Even a Sparrow

thread
一羽の雀さえ Even a S...
2020年10月12日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


マタイ10章 Matthew Chapter 10

マタイMatthew10:1 – 4
イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。10:2 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、10:3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、10:4 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。Jesus called his twelve disciples to him and gave them authority to drive out impure spirits and to heal every disease and sickness. 2 These are the names of the twelve apostles: first, Simon (who is called Peter) and his brother Andrew; James son of Zebedee, and his brother John; 3 Philip and Bartholomew; Thomas and Matthew the tax collector; James son of Alphaeus, and Thaddaeus; 4 Simon the Zealot and Judas Iscariot, who betrayed him.

★送り出される弟子たち Disciples is about being sent, empowered
権威を与えられた弟子たち。
弟子たちの多くは、無学な者たち、様々な人たちからなっていた。取税人など人から後ろ指指される人もいた。私達と同じような人たちであり、人より恵まれているような人は一人もいませんでした。ただ、イエス様と共に時間を過ごし、イエス様から習い、またイエス様と親しくなっていった人たちでした。イエス様は、十字架にかかる前に友よと呼んでいます。

1コリントCorinthians1:27
27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。But God chose the foolish things of the world to shame the wise; God chose the weak things of the world to shame the strong.


にある通り、神は知恵あるものを辱めるためにこれらの人たちを用いたのです。
あなたのような普通の人が、神の働きをするからこそ、神の力が明らかになるのです。

神は、その人たちに権威を与えた。イエス様のような働きをする力をさずけたうえで、派遣した。神が召された人には、必ず、神がその仕事をやり遂げる力を与えるのです。

あなたは、神に選ばれています。それは神の知恵と力が明らかになるためです。

★神の働きの本質と必要 True nature of God’s work
マタイMatthew10:7 – 10
行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。10:8 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。10:9 胴巻きに金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。10:10 旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。As you go, proclaim this message: ‘The kingdom of heaven has come near.’ 8 Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received; freely give. 9 “Do not get any gold or silver or copper to take with you in your belts— 10 no bag for the journey or extra shirt or sandals or a staff, for the worker is worth his keep.

私達の働きは、神の御国を伝え、そして人々をあらゆる意味で束縛から解放することです。ミニストリーの性質は、ただで与えることです。あなたが与える立場なのです。そして、神の命に従って、このように働くなら、決して生活ができないことはない、というのです。
これは世の中のやり方とは全く違います。特に、人というのは、ただの物には価値を見出さず、また大切なものと理解しない。例えば、いつもあなたがタダで一生けん命誰か仕えるとする、すると、受け取る側は、いつもただでふんだんにくれるのだからきっと暇なんだろうなんと思うかも知れない。しかし、与えるあなたは、その価値観で働くのではない。それは世の考え方です。
キリストは、神であるにも関わらず、憐れみの心をもって徹底的にまたとても気前よく私たちに仕えてくださいました。そして、永遠の命を何の働きもない私達にただで与えてくれました。その救いを得た私たちはあまりにも感謝して、多くただで受けたことを自覚しているので、私達もただで与えたくなるのです。強いられてするのではありません。
木曜日のバイブルスタディでヨシュア記を読んでますが、レビ人には、主ご自身が相続財産であると書いてあります。
神のために働くものは十分に食べていける。というのです。神ご自身が報酬であり、養い手であるというのです。
キリストの弟子というものは、神に仕え、また神に仕える限りは食べていけるのです。
あなたはキリストの弟子ですか。

●恐れと将来について。。。信仰
神に従うことは、目に見えるものに従うのでなく、自分の内にある確信と信仰に従うことです。
ただで与えても必ず食べていけるという神にある確信がある
またそこが試されるのです。また神に従う上で一番のテストであると言えます。

Future ----- Fear = Anxiety ----- uncertainty in visible world and in heart
------Faith = Hope ------ certainty in heart Hebrews11:1
信仰は、神ご自身の言葉に信頼し、心に確信を持つことです。信仰と希望は瞬時に相互作用します。

あなたの心に心配があますか?それは将来、明日への不安、があるので恐れているのでしょう。
あなたは、目に見えていることに関わらず心に平安と強さを持つことが出来ます。また信じることであなたの希望は揺るぎの無いものとなります。

★キリストに従うものには迫害がつきもの There IS persecution

マタイMatthew10:16
いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。“I am sending you out like sheep among wolves. Therefore be as shrewd as snakes and as innocent as doves.

イエス様は、警告を与えています。迫害はあると。クリスチャンであるからということで、つらく当たられたら、むしろ感謝してください。しかし、迫害の中で、イエス様は、蛇のように鳩のようにと言われました。
蛇は創世記であるように、地上のどんな動物よりも狡猾であったとありますが、蛇は頭を使い、必ず戦いには策略を持っているのです。わたしたは、策略なしに無防備に戦いに出て行くものたちではいけません。策を持つのです。
私達の最大の策略は、例えばエステルのように断食と祈りでありますし、リーダーを敬う事であり、礼を尽くすことであります。
また鳩のように素直にとあります。私たちは、肉の戦いをし、肉のぶつかり合いによって戦いをするのでなく、いがみ合わないことで勝利するのです。あなたを迫害する人は、あなたの弱点を突いてくるでしょう。しかし、至らないところは至らないで認めればいいのです。要点は、神に対して素直であり、罪を悔い改め、神の言葉に従い続けるという純粋さであります。
不思議なことに、この素直さはとてもパワフルです。迫害する人たちが変えられるときには、必ず、この素直さに心を打たれるからです。
さて、この素直であるのは、なかなか無防備ではないかと感じるかもしません。しかし、神に信頼するあなたには、神の大きな守りがあるのです。

★一羽の雀さえ Even a Sparrow
マタイMatthew10:28 -31
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell. 29 Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care. 30 And even the very hairs of your head are all numbered. 31 So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.


雀は最も貧しい人の捧げる捧げものでした。大きな動物を捧げる人もいれば、様々な捧げものがありました、同じ捧げものの意味は持ちますし意味は変わりませんし、神様の見方も変わりません。
雀は、価値がなさ過ぎて、一羽では売れませんでした。二羽で初めて値段が付くほどの物でした。
しかし、そんな値段の低い、値のつかないような雀のいのちでさえ、神の許しなしではとられることがないというのです。
神はそこまでに配慮が行き届いてるのです。
ならば、私たちがいかに自分に価値がないと思おうが、
神の側では、神の似姿に造られたあなたですから、どんなにか心を配っていらっしゃることでしょうか。

★まとめ Encouragement
あなたは、神の使徒です。
恐れずに、信仰に根差しましょう。祈りに励み、神に対して素直に行きましょう。あなたは必ず神に守られます。
#礼拝 #雀

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信仰とは何か What is faith?

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信仰とは何か What is ...

2020年9月20日日曜日礼拝


今週は、信仰についていろいろと考えさせられる週でした。
私の仕えているシェルターで、ロックダウンの中で教会に行けないけれども、イエス様を信じて救われた人がいます。その人は、神を心に信じるようになり、みるみる変わっていきました。中毒からのリカバリーも、心の癒しも同時に良い経過を見せています。つくづく神に根差して人生を見るとは、こうも力強いのかと思わされました。
また、今週は、私たちの家族に悲劇が起きました。目の前にある状況は悲惨なものです。しかし、私の腹の奥底には平安があり、神を強く信じる信仰で、考えが守られています。
信仰とは、エペソでは、大盾と表現され、いろいろな攻撃から身を守るものになぞらえられてしますが、本当に、霊の戦いの大原則であると痛感しています。
先週は、アブラハムについて話しました。アブラハムは、信じて義とされた信仰の父です。
ロマ4:3
聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。What does Scripture say? “Abraham believed God, and it was credited to him as righteousness.”
ロマ4:5
何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。However, to the one who does not work but trusts God who justifies the ungodly, their faith is credited as righteousness.

私達は、往々にして何かを欲しいから信じると言いやすいものです。義とされるために信じる。とか。しかし、アブラハムは、信じたから、義とされたのです。義は、信仰の報酬ではないのです。私たちは、信じるとき、どう、何を信じているのでしょうか。Faith is not a work!!! 信仰は自分の働きではない。

今日は、信仰について考えてみたいと思います。聖書を開きましょう。へブル11章です。

★信仰とは。。。Faith is…
ヘブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
ヘブル11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。2 For by it the elders obtained a good testimony.
ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.
ヘブル11:39,40
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。And all these, having obtained a good testimony through faith, did not receive the promise, 40 God having provided something better for us, that they should not be made perfect apart from us.

●信仰 Faith
ギリシャ語 ピスティス=believe, trust, trust in, put faith in, rely upon / 信じる、信頼する、~に信仰を置く、~に頼る) と言う意味。ただし、人間が自分の信念を信じとおすという意味ではなく、神との関係において信じるということ。神を信じるという意味が前提にある。
1) A firm conviction 強い確信 
2) a personal surrender to Him 神様への降伏/完全に身をゆだねること
3) a conduct inspired by such surrender 神に完全に身をゆだねることによって霊感された行為
「保証し」は、英語では、substance 実体。望んでいるそのものの実体とえる。そして、ギリシャ語では、hupostasis/hypostasis from hupo/hypo = under + histemi = stand 「下に 立つ」ですから、建物の土台というような意味。決して揺るがない確信とも言える。
「目に見えないものを確信させる」まだ、目に見えないものの証拠である。と英語ではいう。私たちは、肉の目で見るものによって左右される。恐れが入ったりする。しかし、信仰というのは、いわば、霊の目である。肉の目で見えないものを見ることである。そして、それを見ながら行動することである。

聖書が語る信仰は、「ペンが落ちることを信じます」と念ずることでなく、「ペンは落ちます」と確信していることです。「そのとおりである」と受け入れることが信仰であり、信仰の結果、その目に見えないことが自分の中で体験されていることになります。
ですから、信仰とは、神がいる、ということを信じ、神は、信じる者に報いてくださる、ということを霊の目で見ること。

◎わたしの献身の証し。私はこれがはじめ理解できないなかった。神様は、それをまず理解させるために試練を通して下さったと今気づく。。。。

●賞賛された-素晴らしいと証明された  Obtained a good testimony
ヘブル11:2
昔の人々はこの信仰によって称賛されました。2 For by it the elders obtained a good testimony.
とあります。日本語では。私たちは、賞賛を受けるなら、何か大きな歴史をこの世に残した。とかより大きな成功を収める人は賞賛される。より多くの金額をチャリティーに捧げるなら賞賛されるなどと思いがちですが、聖書には、「昔の人は、この信仰によって賞賛された。」とあるのです。そして、英語の聖書では、2 For by it the elders obtained a good testimony. 良い証しを得たとあります。証しとは、自分のストーリーではなく、神様がどんなに私に良くしてくださったかを話すこと。また、神様がどんなに働いて私を変えてくださったかを話す。神様の栄光、神様の素晴らしさを話すことです。聖書の昔の人々は、神様を信じて、信仰による行動によって、神様の栄光のストーリーを世に残したのです。
ですから、ポイントは、私が何をした、何を得た、何を達成したかよりも、私の人生の中に、神がどう働かれたのか、が注目点となります。

★リスクTaking a risk
私達は、神を信じる時には、リスクが伴います。それは、み言葉が、彼に信頼するものは失望させられることはない。とあるにも関わらず、失望を恐れることです。すなわち、神に裏切られるのではないか、という気持ちを乗り越えなければならないことです。
ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.

私たちの、世界には、さまざまな出来事や環境があり、それらを通して、この世に神がいないのではないか。と神を疑るようになる。また将来を恐れる。恐れと、疑いは、信仰の反対。否定的なことを信じることです。しかし、恐れは、神様の世界にはありません。全き愛は、恐れを締め出すPerfect love cast out fear。なぜなら、恐れには刑罰がともなう。とあります。私たちは、罰せらることがないのですから、There is no condemnation in Christ!!! キリストにあっては罪に定められるとはない。恐れる必要はないのです。また、神様の完全な愛の中にいて、ものごとを信じて行っているのなら、恐れる必要はないのです。神様は、愛です。しかし、私たちをゆすぶるような試練がやってきます。その時、自分がどなたを信じているか挑戦されているのです。
信じるものに必ず報いてくださる方を私たちは、信じているのです。このお方を信じて、信頼して、辛いことがあっても、神様は必ず、おられ、わたしたちを助けてくださると信じましょう。

◎ある献身者の証し:アメリカに留学に行くためのお金が無かった。しかし、アメリカに行くのは神の御心であると信じていた。口座には二万円。それを全部、聖会にお金が無くて行けないという、神学生の友達に上げた。彼は、祈り続けていた。結局、兄の結婚資金を泣く泣く借りて旅立とうとした、が、しかし、出発当日、アメリカでの生活費が全部与えられた。Because he believed God.

☆このV7-38 節までは、聖書にでてくる、さまざまな人たちの証しが書かれています。彼らも、神様を信じて、いろいろな試練に合い、また打ち勝ち、神様の栄光のストーリーを残して死んで行った。
信仰によって捧げたアベル、信仰によって、箱舟を建て、今まで雨も降ったこともないのに、箱舟を作ったノア。信仰によって捧げた自分の考えではなく、神様の御心にしたがって、行動した人々。アブラハム、イサク、ヤコブ。信仰によって、この世の富を捨て、苦しむことを選んだモーセ。拷問を受けた人たち。
彼らは、信仰によって、自分の恐れ、自分を信じることよりも、神を信じることに専念していきました。神を信じて、人に馬鹿にされることも、人に裁かれることも、拒絶されることもいとわずに、ただ、神に言われたことを信じ、神とともに歩みました。

●また、まだ見ぬものを目指して歩く事にもどりますね。
そうです。見えないまま、歩むということは、リスクが伴い、例えそうでなくても、例え絶望が先にあったとしても、状況や環境が私を左右するのではない、私の心を支配するのではない、私は、神に従い続けて行く、という覚悟が必要なのです。
全てを捨てて、神に向かう事、これが、信仰者の在り方なのです。

★イエス様にあっては失望はない
ヘブル11:39,40
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。And all these, having obtained a good testimony through faith, did not receive the promise, 40 God having provided something better for us, that they should not be made perfect apart from us.

この人たちは、約束のものは得なかったとあります。それは、なんでしょうか。イエス・キリストです。救いです。また、キリストが私たちのうちに住まわれるということです。
新約の私たちにとっては、キリストありきで、信仰がはじめられたのです。聖書でいくらでもイエス様のすばらしさを目の当たりにできます。旧約に比べれば信じやすいのです。
しかも、全てはもう、キリストによって完成され、私たちは、天の御国に入るのみとなっています。

ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 looking unto Jesus, the author and finisher of our faith, who for the joy that was set before Him endured the cross, despising the shame, and has sat down at the right hand of the throne of God.
私達にとって、信仰とは、イエス・キリストを見据えて生きることです。また、自分の悟りに頼らないで、イエス様に従っていくことです。

今、いろいろな人生のチャレンジ、ステージにみなさんいると思います。ある人は、目に目えないことを信じること。ある人にとっては、信仰によって行動すること。行動し続けること。またある人は、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様を目を離さないこと。忍耐をもって走り続けること。
かもしれません。

神様は、必ず、信仰に応えて、賞賛にあたいする、良い証しを、私たちの人生、生き様を通して世に表してくださいます。イエス様から目を離さないように



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