週末のこの日も息子のサッカー観戦に行って来た。
今回の試合は接戦で双方ともに実力が拮抗して
実に見ごたえのある内容だった。
選手一人一人が役割を理解し、チームに貢献する意欲が感じられ、自分の持つ最高のスキルを発揮しようとしている姿が頼もしい。
そんなチーム全体の空気の中で良子も得点に絡むチャンスを作り出すことができて満足している様子。
そんな試合の様子を興奮しながら運転中の私に話してくれた彼のリクエストに応えて、近所のバーガーショップで共にランチを取ることにした。
ニューポートヒルの中心街に位置しているこのショップは、息子が属しているニューポート・サッカーチームのスポンサーでもあると言う。
それで店内にはチームの写真が至る所に飾られているわけだ。
私は気がつかなかったけれど、息子曰くバーガーが選手対象の割引価格となったらしい。
スポンサーとしてはチームのユニフォームや用具等の購入維持に貢献してくれているとの事。
米国ではこのように地域に根ざしたスポーツチームが成立している。
そのコミュニティーにあるビジネスがスポンサーとして貢献して地域ぐるみで応援していこうと言う仕組みが至る所に見出されている。
その大型版が都市がスポンサーとなってプロサッカーチームを育てていこうと言う仕組みなのでしょう。
その仕組みを日本にも移植してプロリーグを構築しようとの最初の試みがJリーグでした。
一般企業がスポンサーとなる伝統は日本にあっても、地域コミュニティーがその役割を担うと言うことにだいぶ戸惑いがあったようです。
欧米では少年チームからしてその仕組みが既に確立されています。
サンフランシスコのダウンタウンからオークランド空港まではいつものようにベイブリッジを渡る。
この日もしっかと晴れ渡った青い空にブリッチの白い橋脚が映えている。
ダウンタウンの向こう側に見える入り江の海には、白い雲が海面数十メートル上空を覆っていてこれも見応えがある。
ついカメラを取り出してパチリとしてしまった。
良い子のみなさんは運転中にそのような真似はしないようにしよう!
写真からはその様子がよくわからないのが残念。
Barclayは大学の街であり、学生たちが多く街に繰り出している。
よってその界隈にある飲食店やバーバーなどのサーヴィスは学生価格となっており大変安い。
もう一つ有名なのは、かつてここがベトナム反戦運動のヒッピーたちが活躍した聖地である事。
その当時のようなコテコテのヒッピー群衆を目にすることはなくなったものの、
その当時を偲ばせるものが随所に見える。
来週やってくるハロウィンはそういった意味でこの街と親和性が強い。
メイン通りに見える並ぶショウ・ウインドウにもハロウィンを歓迎するアイテムが溢れている。
2日ほど前、娘の高校での発砲計画予定日の水曜日となりました。
この日は警察官が構内にも多く配置され、警戒体制がとられているとの連絡が入りました。
授業は通常通りのものが予定されていたのですが、
学校としては急遽変更して生徒全員を急遽下校させたようです。
何か異常が見つかったのかもしれないし、
生徒たちの気持ちを配慮してのことかもしれません。
銃が誰でも自由に買える社会では、誰もが簡単に凶悪犯と成り得てしまう。
近いうちに空港並みの金属探知機を校門に用意せねばならなくなるのでは??
こんな暑い日はこんなお店に飛び込みます。
野菜や果物からそのままジュースを作ってくれるんです。
シアトルからSacramentoに来ると、バカンスのような気持ちになります。
日中の気温が89度にも上がっています。
雲もなくて真っ青な空が広がっています。
空気は乾き、真夏のようです。
1日中曇に閉ざされた雨の多いシアトルから来たものにとっては
監獄から釈放された囚人のような気持ち。
ここでセロトニンをたくさん脳内にしまいこんでシアトルまで持っていこーとっ。
長女の通う高校の校長からこのようなメールが入った。
ある生徒がガンを学校に隠し持っていてそれが発見された。
幸い誰にも怪我もなく事故には至らなかったが、警察が入って捜査が今も続けているらしい。
容疑者の生徒の親しい友人からは、さらに驚くべき証言があったそうだ。
今週の水曜日が発砲予定なので、その日には学校には来るな、と言ったと言う。
米国の学校での発砲事件はニュースでのことばかりとしていたのですが、
こんな身近なところで未遂事件が起こるだなんて驚きを通り越して恐ろしさを感じます。
容疑者の生徒は既に学校から追放され、厳重な取り締まりを受けているそうです。
長女は先週2回も交通事故に巻き込まれ、まだ精神的に立ち直ってないのに物騒な事が続くものです。
どうか学校での生徒達の安全、全米すべての学校での凶悪事件からの守りをお祈りください。
この日も息子のサッカー観戦に出かけてきました。
会場で彼を下ろし、私はコーヒーショップでくつろいでいるとけたたましい携帯音が鳴る。
息子からの連絡でスパイクシューズが見つからないと言う。
ほんまか⁉️
試合をしに来たのに試合のためのスパイクシューズを忘れてくるなんて、もう!
仕方なく家に取りに行かなくてはならない。
試合開始まであと20分。
家までの往復時間もおよそ20分。
ここで慌ててはならないと自らに言い聞かせ、
落ち着きながら祈りつつ運転する。
ちょうど開始時間に着いたのに、もうすでに試合が始まっている。
息子を含め数人がベンチ温めている。
彼がやってきて私の手からスパイクシューズを受け取ると一言。
「なんでこんなに時間かかるんだ」
だとさ( ̄∇ ̄)
この日は歯医者の拷問台の上に横になる事約5時間。
朝の7時半から始まった拷問は、最奥歯を抜歯するためのもの。
神経がインフェクション起こした上にかぶせ物の内側にも怪しい影がレントゲン写真に写っている。
「抜歯の後、ルートキャネル施術なら2600ドル、インプラントなら5500ドルほどかかります。どちらにしましょうか?」
アシスタントが天気の話でもするように気安く聞いて来るが、
そのノリに合わせて簡単に答えることができなかった。
しばらく脳内で呻吟してから「ルートキャネルにして下さい」と返答。
ドクターがその施術を開始して半分ほどのプロセスを経た後で閃いてくれた。
「新しい歯を入れても、下顎で噛み合わせる歯は元より無いよ。
だから新しい歯は必要無かったね。 途中までの施術費用は請求しないから」
あー、助かった〜。
精神的な拷問からは解放された瞬間だった。
ついにシアトルにも秋がやってきました。
日経スーパーマーケットに並ぶ松茸。
早速これを買い、うどんの具にして子供たちのランチに。
高価なものと言う日本での経験値が無かった分、子供たちにとって特別な食材では無いのです。
それでうどんのヌードルと一緒に平気で残されてしまうと、私にはもったいない!
箸で残りの松茸をすくい取ってはいただいています。
(後日談)
2日後に同じ売り場に来たとき、松茸の値段が倍ほどに跳ね上がっていたのはなぜ??
6時間のフライト、3時間の時差を超えてシアトルの空港に着いたのが夜10時ごろ。
その翌日は息子のサッカー試合観戦のためシアトル北にあるボセルまで行ってきました。
ここの高校の運動場も人工芝。
とは言え緑色を見るとなんだかとても落ち着きます。
先週はコンクリートジャングルに囲まれていましたので、
こうして広い空間を目にしているだけで癒されるようです。
ニューヨークに来るようになってかれこれ16年ほどになりますが、今回初めて米国の聖地とも言えるところにやって来ました。
自由の女神像です。
そこに行くためにウォール街をさらに南へ行き、マンハッタンの切っ先からボートに乗ること20分ほど。
もちろんその島に上陸しその女神像の台座のあたりまで行けるのですが、今回時間の関係で下船を見送りました。
かつて大西洋を渡ったヨーロッパからの移民は皆、この女神像に迎えられて米国に入国します。
女神像の隣にある入国管理局の建物がある島に上陸して移民審査。
そこでパスするとさらに船に乗ってマンハッタンに上陸が許されると言うルートになっていました。
今やその入国管理局建物は当時を忍ばせる博物館になっているのですが、そこも上陸を見送りました。
これからJFK空港まで行かねばならず、そこまで伸びているメトロ地下鉄Aの進行状況がつかめません。
かつてそのAを利用した時、週末の変更スケジュールできりきり舞いさせられた上に搭乗に間に合わなかったのがトラウマとなっているんです。
あの時はニューヨークで急遽一泊した上に翌日はフェニックスまで迂回して帰る羽目になってしまったんです。
本日のトランプタワーは閑散としていました。
しばらく前まではこの辺はプラカードを持ったプロテストたちに取り囲まれ、それを遠巻きにする警官たちでごった返し、一大観光地にもなっていたのです。
マンハッタンには見事な大聖堂があちこちに点在しています。
中には既に閉鎖され、使われてない聖堂もあります。
19丁目にあるこの聖堂にはおどろきましたよ〜。
「サイクル ミニスター」とか何とか言うショップ名で、フィットネスクラブに変身していました。
かつての聖堂内には数多くの固定式自転車が設置されており、そこにBGMをガンガンかけながら20分ほどの運転時間で回転するビジネス。
同敷地内には、コーヒーショップも併設されていました。
ニューヨークのマンハッタンではユダヤ人を多く目にします。
外見でユダヤ人と直ぐに分かるのは、正統派と呼ばれる人たちです。
彼らはキッパーと呼ばれる丸い帽子をかぶり、もみあげを長くしています。
上下の黒い服に身を包み、上着の裾からは房のようなものをつけています。
もちろんそのような正統派ばかりがユダヤ人なのでありません。
Tシャツとジーンズを着た通常の米国人と変わらないユダヤ人もいらっしゃるので。彼らは世俗派と呼ばれています。
電車の中で大学生位と思える正統派ユダヤ人を目にしました。
そのうちの1人は熱心に本を読んでいたので近づいて観察しました。
それはタルムードと呼ばれているユダヤ教の教典でした。
ページ中央の枠内に書かれている言葉は旧約聖書本文です。
その枠を取り囲むようにして書かれている言葉がその旧約聖書を解説したものでミシュナーと呼ばれているものです。
ラビになる人は、旧約聖書本文を全て暗唱するのだそうです。
その様子を見ていて、受験勉強にいそしんでいる日本の受験生を思い浮かべました。
マンハッタンにある日本レストラン。
やはり夕食はお勧めのコンビネーションメニューをオーダー。
前菜に味噌汁、メインにはロール寿司ととてりやきビーフ。
デザートは何かなぁ、アイスクリームかゼリーが定番なんだけど、と思っていると、、、
あれれ、
とっても以外なものが出てきました。
ドラえもんの大好物。
(^。^)
これからニューヨークに出かけます。
シアトルの空港の出発ロビーはデルタではSゲート。
デルタで日本行きの場合と同じターミナルです。
かつて日本行きの時に利用していた日本食ショップが復活していて、ロール寿司やうどんなど出してくれるらしい。
でもその調理している現場を見ると、なんだかなぁ、、と意気消沈してしまいましたぁ〜。
そこでシアトル名物のクラムチャウダーをいただくことに。
これにはハズレがありません( ◠‿◠ )
先ほどBellevue Collageで開催された太鼓フェスティバルに行ってきました。
いやーよかったですよー。すごい音量とその迫力。
5-700名ほど収容のシアター席なのですが、太鼓の音量で空気全体が震え、両足に振動が伝わってきます。
ドラマーは日本人ばかりでなく地元の米国人でほとんどが占めています。
8年前、立石ご夫妻が始められたこの太鼓の学校は今や300名の生徒を要するほどになり地元の人に愛されています。
日本の伝統文化がこのように地域に溶け込み米国人にシェアをされてるのを見て、日本人としての誇りを感じざるを得ませんでした。
そればかりでなく人種・民族を超えて私たちには共有出来る感性や連帯性があることを確認できる時となりました。
立石さんご夫妻はじめ出演者の皆様、ご苦労様でした。
今後もご活躍をお祈りします。
大陸から日本に渡った渡来人の中で日本の政治文化に決定的な影響与えた一族に秦氏がいる。
なんでも機織りを伝えたのも秦氏だったそうで、その「機織り」の当て字は本来「秦」から来ているのだと言う。
秦氏は景教と言う東回りのキリスト教を信じていた一派で、中央アジアに住んでいた民族。
彼らがシルクロードを通り中国朝鮮を伝わって日本に来たとされています。
その途上、文字のない民族には独自の文字を開発し与えてきたともされているらしい。
イロハの文字やそのアルファベットの歌を作ったのも彼らであるとされ、そこにキリスト教の影響が残っていると学びました。
イロハの最後尾の文字を繋ぐと「とかなくてしす」=「咎無くて死す」となり、それは神の子イエスを意味していることになる。
また「イエス」の文字がイロハのアルファベット一覧に隠されているともされる。
この写真の黒板に記された右上角、左上角、左下角にある3つの文字を繋ぐと「イエス」となります。
本棚を整理していたら思わぬものを発掘しました。
子供たちの753の写真です。
長女が7歳、長男が5歳の時のもの。
私の横浜にいる両親のたっての願いと言うことで、一時帰国していたその日、写真館に駆けつけることに。
それはレイモンド学園と言うクリスチャンスクールに子供たちもお邪魔させてもらっていて、その帰りしなのことだったと記憶しています。
その日家内までも写真に収まるとはつゆ知らされず、突然にも化粧させられたり着物を着せられたりで本人としてはドギマギでした。
今から9年前のことになりますが、時を刻むって事は人が変わると言う事ですね。
私自身は何も成長せずどんくさい中にいますが、子供の成長はケタ外れで驚かされます。
写真館の帰りに東戸塚のショッピングモールで両親達とうどんやそばを会食。
さてさて今週末のランチには私も彼らにうどんを用意してあげるつもりです。
今年7月、105歳の天寿を全うされた日野原重明さん。
言わずと知れた日本を代表するクリスチャン・ドクターです。
その死の直前まで約1ヵ月間にわたり取材した様子をNHKで放映されていました。
千件以上の死を看取ってきたドクターであり熱い信仰持っておられる日野原さんが、死は怖いですか、と単刀直入に尋ねられたときのその返答に私は驚きました。
曰く、
「怖いね。聞くと嫌になるね」
「おろおろすること以外で何もできない自分を感じてね」
そんなおろおろする本当の自分との出会いを評価する点にも驚かされました。
「人間は病むことによって本当の人間が現れてくるんだなと」
「自分との出会いがあって初めて自分が分かる」
姿勢を保つことができずお顔を手で支えながら力を振り絞るようにして話される一言一言はまさに黄金の言葉のように聞こえます。
「苦しみがあって初めて私の苦労の多い旅が報われるのではないか」
そのように言われる究極の境地には悟り達した哲人のような響きがあります。
さらに、
「辛さ以上に喜びはその中にあることを私は考えるべきだと今更深く感じ取る」
最後は残される私どもにKeep on Going ー前進せよと励ましてくださいました。
いつか死ぬからこそ、今を精一杯生きることが必要なのです。
大切なのは、自暴自棄になったり、くよくよ思い悩んだりせずに、
与えられたその日、その場に精一杯取り組むこと。
過去を思い悩まず、
明日のことを思い煩わず、
今に全力投球するべきなのです。
生きるということは、
寿命という器の中に、
精一杯生きた一瞬一瞬の時間をを詰め込んでいくことです。
その時間の質を決めるのは、あなた自身です。
一瞬一瞬の時間を、もっと意識して、もっと大事にして、
精一杯生きていきましょう。
一生は、今この一瞬の積み重ねの時間です。
いのちも時間も目には見えないけれど、
時間を使うことでいのちが形になります。
自分のいのちである自分の時間を有意義に使う。
そして、是非、
いのちの時間を自分のためだけでなく、
人のためにも使ってください。
日野原 重明
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account