中学登校初日、娘は屈託なとも私はひどく緊張していた
自転車での約15分での通学
子供の中学校体験学習に関して
この日には町役場に町長を表敬訪問。
気さくな渡邊町長は私たちに1時間ほどの時間を割いてくださり、
ケネディ大統領狙撃犯の秘話までお話くださった。
明美が日本語を殆ど解さないことが分かると
英語に切り替えてお話くださった。
町長のお孫さんのJ君は
息子と同クラスの最大の友人でもある。
その後、教育長を訪問。
大江町ではこの年初めての企画として
11人の中学生を公費海外留学させる。
滞在先はモンタナ州。
飛行機の乗り継ぎのためシアトルにも立ち寄るらしい。
日系人の歴史や現在の日本との結びつき
マリナーズ観戦や観光と言った観点からも
断然、シアトルに滞在された方が魅力あるものになることをアピール。
どうぞ大江町の皆さん、
来年はシアトルにおいで下さい!
我が家での裏庭で歓迎BBQにお招きです^_^
私の生家のある横浜市戸塚区へ。
年々宅地化が進んで
帰国の度に変貌する町の様子に驚いてきた。
ところが。今回の驚きは人の変貌にあり。
先ず、長女が大きく背丈が伸びたと
一様に驚く家族たち。
昨年はおばあちゃんとほぼ同じ身長だった長女であったが
今回背比べをして見ると、
悠におばあちゃんを追い越し
おじいちゃんまで抜いてしまっている。
このところ食欲がないというおじいちゃんが
痩せてしまったのにも驚いた。
この後、この3つの座席シートをベットにお休みタイム
雲間から見えるのがオリンポス山
日本のW杯第3戦がこの日の午後に始まった。
自宅に
シアトルレイン選手の奈穂さんとトレーナーのさんとが来てくださり、
共に応援したがなでしこジャパンのようにはいかない^_^
その後、空港まで家内に送ってもらう。
長女との二人だけのしばらくの日本訪問である。
昨年から就航開始したシアトル・羽田間の直行便。
昨年もその前の成田行きの際も、いつもこの時期は満席だったと記憶しているが
今回は空席が目立つ。
チケットが通常よりも7-8割ほど高くなったためだろうか。
これ幸いとばかりに
3人がけの中央列を一人独占させてもらう。
腰痛の気配を感じ始めた身体には
これから横になって休めるのはありがたいこと。
シアトルの女子プロサッカーチーム、レイン
Wカップ日本の第3戦。
残念な結果となってしまった。
それも人生そのものであるし
サッカーであろう。
自宅に
シアトルレイン選手の奈穂さんとトレーナーさんとが来てくださり、
共に応援したが
なでしこジャパンのようにはいかない^_^
この街では、
5年生が終わると小学校を卒業する。
その卒業式もいたって簡易でカジュアル。
生徒らはもちろん普段着だし
入退場の時はあったものの
送辞や答辞の類は一切なく
校長の言葉だけが鳴り響く。
メインの出し物といえば何と言っても
卒業生一人ひとりの今と昔の写真がスライドショーされたこと。
その100名となる各人とイベントでのグループ写真を
パワポでまとめ上げる仕事を家内が受け持った。
この日までは毎晩徹夜のようにその仕事に励んでいた。
卒業証書を手渡されていたけれど
長男の中学校へ進むという気構えはホトホト怪しげに見えて仕方ない。
いやはや、そんな「気構え」云々を論じること自体が
この国では意味をなさないようだ。
卒業の打ち上げとばかりに
その日も裏庭で長男と1対1のサッカー対決。
中学校の長女の終業式。
「式」というには語弊がある。
日本のように神妙に校長先生の訓示を伺い 、
各クラスに帰ったあと、担任から通知表を受け取って
そのあと桜餅を食べて、、、、
こうした日本の習慣が懐かしい。
この国では
エンターテイナーにふんした教師が先ず壇上に立って
「どーしたことか。
予定の司会者が見つからないんだ。」
そんな見え透いた寸劇をしては
会場内に笑を誘う。
それで渋滞に巻き込まれた事になっている
司会者達8名ほどにバトンタッチしたあとは、
タレントショウが始まる。
完全なエンターテイメント( ^ω^ )
長女のバンドはトップバッターで登場。
このバンド練習を毎週友人宅で繰り返し、
昨夜は泊まり込んでの猛練習であったようだ。
楽しまなければ進級もできない、
そんな雰囲気のシアトルガールズ中学生白書であった。
イスラエル内務相は、テルアビブのスーパーなどの安息日(土曜日)の営業を禁じることを決定した。「安息日には休むべきというイスラエル国家の方向性に準じたもので、特別なものではない」と同相は述べているが、この決定は大きな波紋を呼んでいる。
ホサナキリスト教会・聖書広場からの抜粋です。
聖書本文とメッセージノートはこちらから:
http://wdx.hosannamin.org/whatsnew/view/4455177
「主人から全財産を任される僕」
マタイ24章45~51節
~マタイ福音書連続講解説教77~
大艱難時代前に教会は携挙されることを先週確認しました。
1.そのとき信者は復活の体を与えられ
2.空中に引き上げられて主イエスと会い、天に凱旋する
① 二人の僕のたとえ話
ここから携挙に対する信者としての心構えを学ぼう。
1) 「忠実な思慮深いしもべ」(45~47)
1.主人に仕事を依頼され、きちんとそれをこなしている
2.主人が帰ってきたとき(携挙)もその忠実さを維持
3.主人は全財産を彼に任せる
4.主人の帰りとその言葉とを信じた僕=信者
2) 「悪いしもべ」(48~51)
1.仕事を放り出して遊んでいる
2.主人は思いがけないときに帰ってくる
3.厳しい断罪と報いとが待っている
4.主人の帰りもその言葉も信ぜず、主人への愛もなし=不信者
ここで大切なことは、「忠実な思慮深いしもべ」とは誰で、
「悪いしもべ」とは誰を意味しているのか、という点でありましょう。
それはしばしば
「まじめに教会の働きに参与・貢献している信者」
VS
「信じてはいても、伝道や教会への協力の少ない人」
というように区別・理解されてきたように思われる。
本当にそのわけ方で良いのであろうか?
聖書を理解するときには、
その用語が聖書の他の箇所でどのように通常用いられているかに
留意せねばならない。
「悪い」という形容詞は常に神に逆らう不信者に付けられているもので、
信者に形容された例はない。
これらは、不信者と信者との対比である。
② メシアの裁きの御座
「人の子の前に立つ」(ルカ21:36)とは、
携挙の後に天に引き上げられた信者が
イエス様の前に立って裁きを受けることを教えたものである。
その裁きのその特徴とは、
1.目に見えない教会=信者が裁きの対象
2.信仰の働きに応じた裁きが下される
3罪に定める裁きではなく、報酬を決定する評価である
4.信者が罪に定められることはない~ローマ8:1
その裁きの基準については、
1コリント3:10~15に詳しく教えられている。
1)「土台(イエス様)の上にどのような建物を建てたか」で計られる
A.土台とは主イエスである
B.信者となった後の、救いをいただいた上での信仰の働きが問われる
2)裁きで問われること
A.金、銀、宝石で家を建てたのか?
B.木、草、わらで家を建てたのか?
建設の大きさ(量)ではなく、建材(質)が問われている
3) 裁きの手段:火
A建材なら、さらに清められ精錬させられる
B建材なら、燃えてなくなり灰となる
4) 裁きの結果
A建築家はその働きに応じた報酬を受ける
B建築家には報酬はない
ただし、救いが取り消されることではない
Will be saved (v.15)
結論 さばき合わないことついて
私たち信者を罪に定める裁きはすでに終了・完了した。
それは主イエスの十字架の上ですでに終わっている。
信仰生活をどのように忠実に全うしたかの裁きについては将来に属することである。
また、どれだけの良い働きを現在しているかの評価については、
「量」を査定基準とした人間的な評価は
必ずしも永遠的なものではないことを教えられる。
教会成長論の中で
「礼拝出席人数」
「年間受洗者数」
などを目標に掲げて数的増量が注目されるが、
メシアの裁きの御座においては、
その働きの質が問われることを銘記したい。
クレープ店の店先で、音楽を楽しむ人たち。
感覚としてシアトルよりも50%ほどゆっくりと
時計が回っている感じにさせられます。
再びベーリンハムへ。
長女にクレープを
その隣の店で長男にはバーガーを
夕食に買うために立ち寄った。
チェーン店には出せない
ホームメイドだから出来る
こだわりの味と
くつろいだ雰囲気があった。
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