足の半月板を痛めて2週間・・・・装具をつけるのも嫌になってきた。
今日は6年前の公演のビデオを見て悶絶。
あー・・踊りたい。
踊りたい、踊りたい、踊りたい・・・。
足を早く治さなきゃ。
2週間後の手術が上手く行きますように。
落ち込んだり悲しくなったりする時に、何がその原因となってしまうのか考えてみた。
まずは単純にそのときの気持ちを羅列してみる。
いつも他の人と比べられてしまって、自分の方が低く見られていること。
同じことをやっていても、他の人のほうが注目されて、寂しい思いをすること。
自分は他の人のレベルに達してない、とばかりに、対応に差をつけられてしまうこと。
自分を見に来てくれたのだと喜んでいたら、ただの偶然だったと陰で言われてたこと。
うーん、書いてみるとスッキリするけど、私は人の目を気にしすぎだね。
誰のために生きてるのか?って感じだ。
好きなことがあるなら、それでいいじゃないか。
認めてもらえないことと、認めてもらえることの差がどれだけあると言うのだ。
まずは、自分で自分を認めてあげよう。
自分の気持ちを癒せるのは、結局自分しかいないんだと肝に銘じなければいけない。
私は、決して誰かに左右されて生きるのでは無いのだ。
誰しも、歳を取りたくて取る訳じゃない。
ずっと若いままでいられたらどんなにいいだろう。
時は・・・時として残酷だ。
悲しみや苦しみは時間と共に薄らぐ。
しかし、その時間の経過が奪うものもあるのだ。
若いうちには判らなかった・・・。
根性だけでは体力はコントロールできない。
寝不足の疲れは一日じゃ消えない。
ハードな動きをは長く続けることが出来ない。
今日、生徒さんの一人がついていけなくて脱落
した。
今までそんなことがなかったから、本人はかなりショックだったみたいだ。
歳を取るというのは、いろんな面で脆くなる。
今まで出来たことが出来なくなると、それだけで気落ちして、心も弱くなってしまう。
気持ちがあれば何でもできる、というのが若い世代の幻想だと判るのは、自分がその年代になってからなんだろうな。
いずれは来る「老い」とどう向き合うか・・・。
だからこそ、今が大事。
動けるうちに、せめて悔いの無いよう挑戦し続けなくては。
どんなにあがくことになっても、安易にあきらめたりはしないようにしよう。
先日息子からもらったプレゼントのフェイスバンクです!
面白いけど、なんだか不気味・・(爆)
今日は私のウン十ウン回目の誕生日(笑)。
家族で記念に夕飯を食べに行った。
離れて暮らす息子からは、昨日プレゼントが届き、開けてみたら不気味な貯金箱が入っていた。
お金を食べる貯金箱だとか。
娘からは今日レッスン用のキャスターつきバッグをもらい、ダンナからは香水。
普段はぶっきらぼうでも、こんな時はみんな優しいね。
歳を取るのも悪くない・・・・重ねてきた家族の歴史を振り返る、そんな誕生日も良いものだと知った。
あわよくば…人は誰でもそんな欲を起こす。
他の人のやってることが羨ましい…あわよくば自分だって、とそんな気持ちにもなる。
自分だってきっと上手くできるさ、もしかしたらあの人より向いてるかもしれない…。
いざやってみる。
あれ?思ったより大変だ。
こんなはずじゃなかった。
あ、でもいいの、いいの、こんな大変なこと、自分のやることじゃないもん。
…結局、責任も無しに逃げてしまうのだ。
興味本位で判った気になっちゃダメだ。もっと掘り下げる気概を持たないと。
恥をかき、泥をなめるような経験なくして、目指すモノの真髄は得られない。
忌むべきは、恥をかきたくないと、取り繕う心。
本当に恥ずかしい思いをしなければ、人間変われるもんじゃない。
今、群馬県では全国都市緑化ぐんまフェアが開催されている。
前橋にはメイン会場があり、チューリップの花が切られたことでニュースにもなった。
写真は、その前橋会場の八重咲きのチューリップ。
この花を見て、木蓮さんに逢いたい、と言ってくれた人がいた。
チューリップなのに、何故に木蓮?(笑)
でも、ただ嬉しかった・・・・・・。
自分には、今いったい何が出来るんだろうか、と考えた。
ここのとこ、堂々巡りの考えばかりで、本業すら疎かになりがちだ。
これでいいはずもなく、またこれでは私らしくない。
らしくないのは、自分でも良く判ってるけどね・・。
実は、あることを聞いて感激に胸が詰まっている。
それに比べて、自分は何て至らないのかと。
私のために、努力してくれた人がいた。
私はその人に対して恥ずかしい気持ちだ。
その気持ちに報いるため、私には何が出来るのか。
一つのことに心を占められるのではなくて、もっと大きな気持ちで前を向かなくちゃ。
今のこの気持ちは、そのための試練なんだろう。
夢を持って突き進む、そのことがその人への感謝を表すことなのだと。
本当にただただその人には感謝しかない。
感謝しながらも、泣けてしまう自分がいる。
グッとこらえて、言葉を呑み、涙を隠す。
心を強く持ち、日々臨んでいくしかない。
人間、誰でも何がしかの悩みや困難を抱え、リスクの無い人なんていないだろう。
私ももちろんリスクを背負っている。
負けそうな時もあるけど、それでも耐え、忍び、何とか踏み止まる毎日だ。
まったくリスクが無かったら、悩むことも無いので安楽。
でもこのリスクがあるからこそ、人は成長できるのかもしれない。
リスクを背負って入ればこそ、他の人の痛みも判る。
いろいろとリスクを背負うことで、責任感にも目覚め、自分がどうあるべきかも認識できる。
リスクを背負うことは、決してマイナスなんかじゃなく、人生にとってはプラスなんだと信じて日々を生きていきたい。
上手くバランスを取りながら、背負ったリスクに真摯に向き合うことが大切なのかも。
それには自分の選択にもかかっている。
負ったリスクの責任は、全て自分にあると考え、人生と向き合って生きたいと思うのだ。
どんなにリスクが大きかろうと、周りの人への感謝の気持ちを忘れずにいるならば、きっと正しい方向へ導かれるに違いない。
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