《襍憾・/・古往今来番外》言葉を失う。

シャボン玉!?!

9月8日は十五夜。
今月の表紙と思って画像を作っていた。


今年の夏は、全国各地で大災害があり、亡くなられた方も・・・。
謹んで哀悼の意を表したい。被災された方々、お見舞い申し上げます。

この8月は、個人的だが天星された友・知人を幾人も見送った。
各地を訪れ感慨に胸苦しめられ辛い1ヶ月間だった。

気持ちを新たにして、ブログに向かっていると・・・。
親しい友から電話が入った。
【「豪太郎」が、不慮の死で・・・!10月5日にお別れ会を!?!】
長男の悪友の兄が・・・!言葉を失う。


*  *  *
8月の後半、昔を思ってか、高山植物を思い出していた。
今、こうしていられるのは・・・山での事故があったから・・・と。
ヒマラヤを目指し、偵察登山で見たマチャプチャーレ(山名)に感激し・翌年の本番に向かって。
その本番の年の初夏、黒部の丸山東壁で事故を引き起こした。
脊髄等を痛めて、登攀を諦めたは、断腸の思いだった。だが・・・それ故、今がある。
登攀仲間・友、沢山の仲間、ほとんどの仲間は山で天星してしまった。
山でだ。。。
僕にしても高校を卒業した時、お祝い山行、春の穂高奥又白で雪崩に遭遇。
4年後、ヨーロッパへと。。。だがその実は、悲惨な結果だった。
22歳の夏、アルプスの壁を・・と出かけた・・・。
快適さを誇る“Aiguille du Midi South-East Pillar(Rebuffa)”
7ピッチ程度の短い登攀、天気予報も装備も慎重に対処せず登攀開始。
核心の3ピッチ目を終わった所で天候急変、2日間ツエルトを被ったままで!!
よくぞ生きていたものだ、と今にして思う(その時のパートナーは、谷川岳で2年後、亡くなった)。
結果、3日目の晴れた朝、ヘリに救助されて。そのまま病院へ直行。
危うく3本の足指を切断するところだった。運良く五体満足で退院出来た。
そして、3年後の上記事故で登攀をやめた。
だが10数年後に子供達とモンブラン・マッターホルンを登ることができた。

傷心の思いを抱えて退院したのが、1968年9月1日であった。
そんな思い出の日に・・・。
我が子年代の親しき子が、、、3人目だ。天星なんて、なんとも忍びない。

*  *  *
長男が、小学校で初めて得た友達「雷太(名前)」。
奴の長兄「豪太郎」、中々の心意気ある子だった。
長兄の彼は、感覚がおじいちゃんに似ていると聞いていた。
テレビの創成期番組で「日真名氏飛び出す」というのがあった。
その日真名氏を演じていた方(久松保夫さん)の孫だ。
久松保夫さんの名前・顔は存じ上げていたが、お会いしたことはなかった。。。
久松さんの奥様(我々は、オバアチャマと言っていた)も往年の名ダンサー。
今は無いが、東京数寄屋橋に「日劇」と云う大きなホールがあった。
オバアチャマは、そこのトップダンサーだった由。
娘(紅)さんは、保護者友達。以来、家族ぐるみでお付き合いしてる唯一の家族。
「豪太郎」君とは、この春、彼のお子さんともども会っていた。
不慮の事故、とは申せ、只々、ご冥福を祈るばかりだ。
いたたまれないって、今の我が心境。。。辛い。


9月1日誌「友よりの知らせ」
#ブログ

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zakkshさんの心の痛みには到底触れられませんが、別れの寂しさ・悲しさはよくわかります。
定めある人生、これもまた致し方ない運命ですね。
Posted at 2014-09-02 06:05

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コメントありがとう、ファルコンさん。

頭のなかでは、「太く・短かった人生」と彼等を偲ぶのですが、生かされている我が身を思うとあまりにも非力。。。右往左往で時間だけが過ぎていく、、、。この上は、粛々と対処あるのみ。ファルコンさんのバイタリティー、見習いたい。
Posted at 2014-09-02 10:17

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亡くなられた方の無念さ
残された方たちの悲しみを考えたら胸が詰まります。

zakkahさん 元気出してくださいね!
Posted at 2014-09-02 15:05

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コメント有難う存じます、天使さん。

天候不順等で、年長者の方々が「生」を閉じられたは、仕方ない・・・順繰りか、と、、、、。
こうべをたれて来ました。
ですが、我が子世代の若者の逝去は、言語を絶します。慰めの言葉が出てきません。
静かに見守ってあげるしかないですね。

お気遣いありがとうぞんじました。
できることを精一杯続けたくぞんじますm(._.)m。
Posted at 2014-09-02 20:31

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