“初秋の植物其ノニ”《襍草・樹 ・/・拈華微笑32》

クサギ(臭木) クマツヅラ科(Lamiaceae/Labiatae)
学名:Clerodendrum trichotomum Thunb.
クサギ(臭木)、名前のごとく葉などを揉むと強烈な臭いがする。薬っぽい臭い・・根・茎・葉皮は、薬用とされるが効能は知らない。花のあとに黒っぽい青紫の実を付ける。周りの赤い花弁のように見えるはガク(宿存萼)。若葉は食用。果実は常山の実と呼び青緑色の染に用いた。
ヤマホトトギス(山杜鵑草) ユリ科(Liliaceae)
学名:Tricyrtis macropoda Miq.
特徴として花披片が強く反曲し、白色に紅紫色の斑点がある。
強く反り返った花被片内側が中凹みとなることも特徴である。



「9/13・・座間谷戸山公園」

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“初秋の植物其の一”《襍感 ・/・拈華微笑31》

ノアズキ(野小豆) マメ科(Fabaceae)
学名:Dunbaria villosa (Thunb.) Makino
別名: ヒメクズ(姫葛)


野生のアズキ、食用のアズキ (小豆・赤小豆、学名;Vigna angularis)とは別種。
つる性で食用にはならない。よく似たヤブツルアズキがアズキの原種と言われる。
葉がクズに似ることから、別名ヒメクズ(姫葛)とも呼ばれている。
ノアズキは林縁・堤防や路傍などの草地に生育する多年生ツル植物。
葉は3枚の小葉、小葉は2~3cmと小さい。細茎だが丈夫である。
葉の表面は、殆ど毛がないが、裏面脈上に短毛、裏面全体に赤褐色の腺点がある。
顎にも赤褐色の腺点がある。
ノアズキ名は、属が異なるアズキの花とよく似ている点による。
又、ヒメクズの異名は、小型のクズといったイメージか。
クズは日中の日射が強いときには葉を上にもたげて葉の裏面を日光に向けて光を反射させる。
同様にノアズキも光が強すぎる場合には葉を立てて対応する。
ノアズキとヤブツルアズキは夏の終わりの頃から初秋にかけて開花する。
野小豆、藪蔓小豆共に蔓性で、花だけでは見分けるのが難しい。
見分け方は、野小豆の葉は、菱型っぽいが、藪蔓小豆の葉は、一部の葉が三裂している。
豆果も野小豆は扁平だが、藪蔓小豆のそれは無毛で小豆状の豆を付ける。
ヤブツルアズキを改良したアズキは2000年程前に中国から伝わったとされる。
美しい赤色が古くから魔除けに用いられ、転じておめでたい赤飯等に使われた。
平安時代の 「本草和名」 には阿加阿岐(アカアツキ)、江戸時代には阿豆岐(アズキ)と書かれた。


「9/13・・座間谷戸山公園」


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“里山の初秋”《襍感 ・/・拈華微笑30》

ツルニンジン(蔓人参) キキョウ科(Campanulaceae)
学名:Codonopsis lanceolata (Sieb. & Zucc.) Trautv
別名: ジイソブ(爺蕎)
根が朝鮮人参に似、つる性の植物であるので付いた名前。
ジイは老爺、ソブは方言のそばかすのこと。
ツルニンジンの実。花がなくなると何の実かわからない。
若いとき以外は、ふつう無毛。独特な臭いがする。
茎はつる性、長さ2m以上にもなり、葉を傷つけると白色の乳液を出す。
枝先の葉間から、鐘形で白緑色の花を1つずつぶら下げる。
花冠の内側に紫褐色の斑点がある。これらが、特徴である。
若葉は天ぷらに、根は煮物などとして食する。

イネ(稲) イネ科(Poaceae/Gramineae)
Oryza sativa
野草の中でイネ科の植物は非常に多い。
稲の花は、意外と知られていない。
花といっても風で花粉を運ぶ風媒花なので、花びらが無い。
夏の暑い時期に花を咲かせる。

久しぶりに隣接市の里山に、、この里山で摩耶蘭を数年前に見かけた。
が、探せど探せど今回は径が出た痕跡もない。場所を間違えているのか。
盗掘されてしまったのだろうか、消えてしまったか???
諦め散策してると、ツルニンジンとであった。

ツルニンジンの後ろは、稲田で実った穂がたれて収穫間近って感じ。
よく訪れる里山の殆どに稲田がある。都会人の体験学習の場でもあるようだ。


「9/13・・座間谷戸山公園」


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“三男の還暦祝い??”《襍感 ・/・拈華微笑29》


今や我が家の「主」的存在の三男(猫)の誕生日が来た!
生活リズムは彼を中心に、対処させられて。。
誕生日を前に綺麗にするためシャワーを浴びて!!
おまけに還暦祝いって帽子を被させられて。。。
人間歳からするととうに還暦は過ぎているようだが。
同居家族の身勝手で、今年お祝いをした。
記念写真をベランダで撮ろうとしたが、すねてカメラ目線が合わない。
もともと、カメラを向けるとそっぽを向くのだが。。。
いつものことだが、何かをさせられた後は、ごちそうが待ってる!?!
分かっているのか? じぃ~~~と耐えていた。



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“庭の花暦2015年9月”《襍草・木 ・/・拈華微笑28》

ミニバラ
タイワンホトトギス


先週は、東北地方で水害がおこってしまった。
溜息しかでない。お見舞い申し上げます。
震災復興に追われている知人達周辺には今回は、被害がなかったが。。。
昨今の出来事は、よそうだにしないことばかり天地万物が変化しているのか?

昨日、首都圏にちょっと大きな地震が襲ってきたが被害は、少なかったようだ。
早朝の事で庭に出てみると花々が微笑んでいる。
数年前、鉢植えであったミニバラを花壇に地植えしてみた。
遠目に花だけ見るとロサ・ムルチフローラ(ノイバラ・ノバラ)に見える。
このミニバラ、1995年に「タキイ種苗」が作出したものか??
母の記録に出てくる“フェアリー・ウィング:Fairy Wing”だろう。
温室にあったものを家族が庭に置き変えたので花名がわからない!?!
何とも日本的な花形でさっぱりとした風合い。
花壇も年々放置状態、すぐ脇にここ2~3年前から台湾ホトトギスが乱舞。
芝地と花壇の境に顔を見せるようになった。雑草と呼ばれる花々も顔を見せる。
このまま放置するとどんな庭になるのだろう、たのしみでもある。

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“2015夏・其の二”《襍囈 ・/・叛逆のろれつ・終戦~今》

この1ヶ月余り「戦後」に思いふける時間が持てた。
心のなかで「大和魂」とか「和み」とか、、日本人の民族性をも思って見た。
今、国会で議論している「安保法案」だが、国会審議なのか・??と驚く程に低次元だ。
抗議集会や色々な場で、リベラルを標榜する人々の言動に呆れる。
「表現の自由」は、それこそ「憲法」で護られている。
だが聞き及ぶ「表現」には、呆れる以上に「言葉の暴力」を感じる。
8月30日、国会議事堂前での安保法案抗議集会で山口二郎法政大教授は、
安倍晋三首相を「お前は人間じゃない」と暴力的暴言を吐いた由。
反安保法運動で宮崎駿氏(映画監督)は、安倍首相のことを「愚劣」と罵倒した。
前日本学術会議会長の広渡清吾氏は、7月末に安倍首相を評して「バカか嘘つきか」と。
学生団体「SEALDs(シールズ)」の中心メンバーの奥田愛基氏は、更に過激だ。
連合主催の国会前安保集会で安倍首相を「バカか、お前は」と罵声を浴びせた。
同様に各種の反対運動(体制側の施策に対して)の場でも暴言・言葉の暴力を見聞きする。
かつての60年安保、70年安保闘争時にデモ等で飛び交った言葉よりも酷いと感じる。
教養ある指導者・文化人だろうに。理性と節度を失い、単なる「怨念的表現??」に下落している。
これ等が「平和運動」での表現・言論か!?!
いとも平然と吐き捨てる人達に、「平和」を語る資格なんてないだろう、と言いたい。
更には、上記の発言に対し批判が聞こえてこないのはなぜだ???
日本の代表的新聞にこうした表現への批評が見られない、無視している。
戦後70年、リベラル派と称される指導者は、進歩とは程遠い、下落の一途、が現況のようだ。
言葉の暴力、基本的人権感覚が麻痺してしまったか??
到底容認出来ない表現を見過ごしてはならない。冷静な論理の応酬はできないものか??

扨、さて70年前の日本;
1945年8月15日正午、昭和天皇の玉音放送(終戦の詔勅)を以って「戦い」を閉じた。
だが、戦艦ミズーリの甲板上で降伏文書への調印が行われたのは9月2日。
1945年7月26日に出されたポツダム宣言は、「条件付き降伏要求」だ。
ドイツ・日本に対して「無条件降伏」にこだわったルーズベルト大統領、
日本側は「国体護持」(天皇を中心とした日本古来の国家体制)を主張していた。
当時の日本政府は、降伏後の国体護持が保障されなければ「本土決戦やむなし」と。
その上、新聞紙面は「一億総玉砕」などと民衆を煽った様にも見える。
一方の米国ルーズベルト大統領は、「親中憎日」で日本の希望を切り捨てている。
原爆実験や「ダウンフォール作戦」(毒ガス攻撃等での本土上陸殲滅作戦)をも計画。
だが、ルーズベルトは、4月12日に脳卒中で急死した。
後任のトルーマンは、紆余曲折的、最後には日本に「条件付き降伏」を提示した。
日米開戦時の駐日米国大使ジョセフ・グルー等「三人委員会」の提言で、
ポツダム宣言には「天皇の地位保障」が書かれるはずであった。。。!?!
だが、対日強硬派のジェームズ・バーンズ国務長官が反対しポツダム宣言が遅れた。
「天皇の地位保障」が最初から表記されていれば日本は7月中に宣言を受諾していたか!?!
原爆投下もなかったか・・・・?と思うと複雑な感慨を持つ。

ポツダム宣言受諾を強固に反対していた日本人、
本土決戦を主張し続けた阿南惟幾陸軍大臣は8月15日早朝、切腹した。
阿南惟幾陸軍大臣の戦争継続主張は、青年将校や不満分子を抑える手段であったか。
最後は、祖国の未来を思い独り壮絶な散り方、身の処し方で「責任」をとったのだろう。
人物像等を慮るとである。どこか、伝統的「和の思想と武士道精神」を思ってしまうのだ。

武力・・・力による軍国主義には大いに抵抗があり、絶対反対だが。
先日、国会周辺で「安全保障政策・・安保法制」問題を「集団的自衛権」問題に置き換えた!!
戦争反対・・??大集会があったが、問題をすり替えたパフォーマンスだった気がする。
「立憲主義」権力を縛るのが憲法であることは一目瞭然。
一内閣が勝手に憲法解釈を変えていいなんて書かれていない。
第9章 改正
第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、
国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、
その過半数の賛成を必要とする。
第10章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、
人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、
現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、
その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
第2項 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

戦後70年間を以って、安全保障問題、条約を含めて徐々に変化(国際情勢の変化も含めて)し承認されてきた。
憲法解釈問題で今、問われるべきは、憲法第98条第2項の条約に対する日本の対応である。
自衛隊の存在は、国民に承認・認知されているだろう(結果論であっても)。
現自衛隊の武器的内容は、一体何であるのか。
戦争反対と、抽象的反論を唱えるリベラリストは、自衛隊の存在から否定するなら論理的に筋は通る。
かつての、過去の経緯を踏まえ、喉元すぎれば熱さを忘れる、そんな感じで政治は動いてる。
現自衛隊やその装備は、「戦力」である。これを使えない?? 「画に書いた餅」であるのか??
「安全保障関連法案」の審議を「憲法違反の戦争法案」と焦点をずらしている。
これでは、国民に実態を説明できない。なぜなら質問に対して答弁するのが政府の立場であるから。
サンフランシスコ講和条約や新旧の日米安保条約では、
日本に国連憲章上の個別的自衛権と集団的自衛権があると明記している。
「戦後70年の時間的量」は、重たい。周辺環境の激変に対応しなくては。。。
「抑止力」を真摯に検討すべきだ。
上記したことだが、憲法第9条2項の明文と真正面から対立するはずの自衛隊が、
今では合憲性と法的安定性を獲得しているではないか。
集団的自衛権反対の護憲陣営も含めて大多数の日本人が自衛隊の存在を法的に承認していまいか。
「解釈改憲」とは、憲法の普遍性に創造的発展性も含むと言えまいか。

話は前後するが、ラジオ番組で戦争を実体験した女性の話を聴いた。
1945年8月9日未明、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、
満洲や樺太、千島列島への侵略を始めた。1週間もせずに日本政府はポツダム宣言を受諾した。
満洲に駐留する日本軍も武装解除された。
その後、満洲では中国人やソ連兵による暴動や略奪が相次ぎ、命を奪われた日本人も少なくない。
武装解除のせいで日本軍が日本人居留民を守れなくなったからである。
そんな中でソ連軍将校に強姦されそうになったという体験談であった。
その女性は今の憲法9条を信奉し、反戦平和運動を行っている由。
国のために命をささげる覚悟だったが、国とは一晩で無くなるものかとむなしく感じたそうだ。
平穏な日本人居留地の治安が崩壊し、「国が無くなった」と表現したのか。。。
ソ連兵などの暴動や略奪の原因は、敗戦による日本軍の武装解除であった。
強い軍隊がいなければ、国は国民を守れないという現実を実体験したのではないか。
憲法9条を信奉するのは良いとして国の自衛権を強化する安全保障関連法案に反対する??
学徒動員兵の遺書を集めた『きけ わだつみのこえ』が反戦平和運動に転向したきっかけと話すが、
あの遺書等はGHQ(連合国軍総司令部)の意向を受けたプロパガンダ作品との指摘もある。
GHQのWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)の洗脳が今も続いてる!?!
「自分自身の頭でよく考えるべきだ」と、その方は呼びかけていたが、僕にはしっくり来ない話だった。
この話を聴いたあと、最近のブログルスレッドの中でも色々な記述を拝した。
あるスレッドの中に、
「1960年の大規模なデモ(安保闘争)を、思い出した。
安倍総理の祖父 <岸 信介首相の安保条約改定~東京大学学生・樺 美智子さんが圧死> ・・
<改定後>・・混乱の責任を取り<岸首相>は退陣した。
現在の混乱中で<安倍首相>は自らの進退を考えているのでしょうか??
多分 <無能の単細胞>ですから・・残念ながら無理でしょう。」
以上の文面を拜すると、今の国内・個々人の生活環境が如何に安定しているかが分かるってものだ。

「戦後」と言う表現で、貴重な実体験をご紹介くださった方のブログが、心に大きく響く。
ブログルのMt.zakiさんのスレッドの中に、是非に見てほしい貴重画像があります。
Mt.zakiさんご親族の実体験談話、是非に記憶にとどめて置きたくてご紹介致します。
余り大々的にマスコミ報道に出てこない北方領土問題ですが、終戦直後の樺太・真岡の史実取材映像です。
Mt.zakiさんブログのここで紹介されています。
一見の価値あり、です。

安全保障政策論議がなされない不可思議さ、日本は、やはり米国によって守られてる、と実感する。
熱く平和が語られ!?!厳しく政府批判がなされている。
そんな中で、日本が選択すべき安全保障政策の具体的な提案や主張が見られないのは、どうしたことか??
安全保障政策の選択を間違えれば、その国の安全は崩れ国民の生命を守ることはできない。
歴史上多くの国が安全保障政策の選択を間違え国民の生命を犠牲にし、不毛な戦争を招いてきた現実がある。
かつて日本は、安全保障政策の選択を間違えて平和を破壊し膨大な数の国民の生命を奪った。
アジア太平洋地域に破滅的な惨状をももたらしてしまった。
安全保障政策とは、かくも重要であり、真摯に検討しなければいけないのに、語られないのは、何故???
今の日本では、国際安全保障研究が何故か活発になされていないようだ。
専門家も少ないと感じる。西欧の国際安全保障研究を見習うべきだ。
国際安全保障論研究を西欧で垣間見たことがある。
1993年頃(冷戦終まもない頃)、西欧社会で平和や安全を維持する施策が検討されていた。
ユーゴスラビアの内戦に於いてスレブレニッツァで8000人余り
(ユーゴスラビア紛争全体では20万人も)が虐殺され、ルワンダでは90万人もが虐殺された。

日本国憲法前文に、
「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ」
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信じる」等と謳っている。
1990年代の日本国民の多くは、憲法前文にある、
「専制と隷従、圧迫と偏狭を地球から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」に関心などなかった。
1992年に国際平和協力法が成立、日本の国連平和維持活動参加に多くのメディアと野党が反対している。
カンボジア内戦後に平和と安定をもたらす為の国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が活動する中で、
日本政府も協力するために自衛隊を派遣しようとした際も、激しい批判をしている。
当時言われていたのが、「これらによって戦後日本の平和国家としての理念が失われる」という事であった。
戦前の軍国主義に回帰するという主張でもあった。
民意を無視した政府の強行採決が、民主主義を破壊する、と。
自衛隊のカンボジア派遣は、戦争への道へとつながるとも言われていた。
かような批判を以ってデモする人々は、真にカンボジア和平の交渉経緯を分かっていたとは思えない。
日本政府の提案、いかなる役割を担うべきか。具体的な提案は、ほとんどなされていない。
在日米軍と自衛隊によって日本は、平和で安全が確保された状態にある。
実際にスレブレニッツァやルワンダの虐殺で失われた命、コソボやシエラレオネの内戦で殺戮があった現実。。。
実際に起きている虐殺や紛争を止めるための具体的で実現可能な提案をする、国際情勢の現実に精通すべきだ。
抽象的な平和論ばかりで、他国の平和実現に無関心で居られる感覚、自分達だけの安全論、それで良いのか??
安保法制案に反対する人々は、隣国の現実にある戦闘行為や「イスラム国」の問題処理を軽視している。
国際社会での安全保障問題について学ぼうとしないのはいかがなものか??
自分たちが戦争に巻き込まれなければよい、他国民の命がどうあっても自分たちが巻き込まれなければよいのか。
戦争を憎み、平和を希求する点においては、安保法制案反対のデモ参加者と理念的に同じくするが、
平和実現の施策・措置を如何に執るべきか、
更なるは、他国を侵略する行為に対し、自国民生命を守る自衛的措置は当然にある。
個別的であろうが集団的であろうが等しく自衛的措置を講ずるべきであると考える。
国連憲章第7章に基づく軍事的強制措置を執り平和を回復する。日本がそれに協力することは必要だろう。
安保法制に反対する人々は、軍事的な手段を嫌う。
なれば日米同盟を解消、自衛隊を解体・解散することを望んで居るのだろうか???
国連憲章51条で保証されている個別的および集団的自衛権を「悪」とするのか。
而して国連憲章第7章で規定されてる「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動」
つまりは、軍事的強制措置をも拒絶するのか??
紛争が、対話のみで解決可能とでも考えているのか???
今回の安保法制案をめぐる議論は、抽象的な平和論ばかりだ。
具体的な政府案に代わる望ましい安全保障政策具体像が全く見られないのは、情けないことである。
政府案は、たたき台で真摯にかつ慎重に議論し、選択すべきだ。
他国が侵略をされ日本政府に救援を求められてもそれを無視。
国際社会が結束して侵略行為阻止の行動をとる時、其れも無視。
日本国憲法は、自国の安全以外にまったく関心を持たなくて良いなどと書かれていない。
国際社会で侵略行為がなされていてもそれを傍観する!!!エゴイズムとシニシズム。
戦前の日本国民が抱いていた国防観(国に洗脳された!?!)と似てきたと案ずる。
今の野党や反体制的主張者は、民主党政権時の総括、反省を提示したか??全く見えて来ない。
反体制主張者としての安全保障案は、如何なる内容なのか全く見えてこないのは不可思議だ。
8月15日の私的感慨である。
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“2015・夏・其の一”《襍囈 ・/・叛逆のろれつ・戦後70年》

今年もあの痛ましい戦禍を思う日をもった。
「戦争(国家間の)戦災」を実際に被災され語れる人は、少なくなった。
70年の月日に記憶も薄れ、遠い過去になりつつある。
「原爆投下の日に関する世論調査」とされる結果を8月3日にNHKが発表した。
調査対象者1000人のうち7割が広島と長崎への原爆投下の日を正確に回答できなかった、と!?!
大方の一般庶民感覚からしてみると驚く数字ではない。
史実概要を知っていることが大切で、正確な日時は二の次(試験問題ではないのだから!?!)。
今の若い世代、「終戦記念日」と言ってもピンと来ないのでは??
広島の原爆投下「昭和20年8月6日」、長崎の原爆投下「昭和20年8月9日」
其れよりも前の昭和20年3月10日の「東京大空襲」等、過去の史実を語り継ぐ必要性を改めて思う。
昭和20年というより1945年といったほうが、より月日の経過がはっきりとする。
戦後70年の日本の歩み、現在の日本の立ち位置、而して諸外国に日本の立場を堂々と表すべきだ。
今年は、2度に渡り異国の地で日本の立場を世界に発信する、日本国首相の表明が実現した。
「平和」を基軸に戦後復興を実践、「民主主義」を実践してきた、と誇りに思う(結果論であっても)。

「核軍縮」「原爆使用」等々、過去の「原爆投下」についても国際的に議論が見られる。
世界唯一の原爆被災国としてこの70年余り、核兵器反対を国として発信し続けてきたのも事実だろう。
だが、今年の広島・長崎の平和祈念式典で被爆者団体代表らが政治的発言を表明、全きの場違いである。
審議中の安全保障関連法案に対し;
「(法案は)核廃絶の思いを根底から覆そうとするもので許すことはできない」、と。
非核三原則と言う言葉尻を捉え国内の政治問題を発信、場に乖離する発言に驚愕した。
歴史認識、史実、それらの具象を背に真摯に語り継ぐべきだ。政論の場では断じてない。
原爆投下したのは米国側である。また、現核兵器保有国は、どこか!!
保有国が、新たに保持した(しようとする)国々を批判できるのか??そのほうが問題である。
70年の歳月を以って、原爆投下時の史実も漸く鮮明になってきたのに。
昨今の国会討議を観ていると反対のための反対!?!中身がないに等しい。
更には、枝葉末節的な議論ばかりで、全体・総体が見えず骨格が崩れてきたようにも映る。
国外を見れば、極悪非道の敗戦国・・日本、って叫んでいる隣国人。
戦後の日本の歩み、隣国にいかに対処してきたか、声を大にして諸外国に史実を発信すべきである。
今年の広島・長崎の平和祈念式典の報道を聞いていて、疑問・矛盾が色々と浮かんできた。

安保法制に関し多くの法学者が「違憲」と表明している。
法学者は、政治的行動を好まない。冷静な分析がしにくくなるから。
今云われているのは、現憲法上の狭義解釈論(学問的な)。
学問とは、真理の探究だが、己の知識・論理の構築でもある。
学問的「憲法論」と現行国際条約(政治的部分)との整合性を議論するのが国会での議論だろう。
安全保障関連法案の審議で「憲法違反の戦争法案」と称し焦点とするは、些かおかしくないか。
法案の本質は、諸条約を基に、日本の平和や国民の安全を如何に守るかにあるのではないか。
「戦争抑止法案」といったほうが良いと思える。
厳しさを増す安全保障環境や実効性の高い防衛政策への考察を軽視している。
「違憲」「戦争に巻き込まれる」と???
現実的に「自衛隊」の立ち位置を曖昧にしてきた責任でもある。
法案成立阻止と言う攻防に終始、形骸化的姿勢は本質議論ではなく現況では内容理解はできない。
衆院憲法審査会で参考人質疑で三人の憲法学者が皆、
集団的自衛権限定行使容認する関連法案を「違憲」と断じ「法的安定性を大きく揺るがす」と。
成れば自衛隊って何??、自衛隊そのものが違憲である、と言っているのか、伺ってみたくなる。
憲法審査会は関連法案の審議場所ではない!?!
憲法9条の解釈に関し、昭和34年の砂川事件最高裁判決は、
「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めている。
サンフランシスコ講和条約や新・旧日米安保条約では、
日本に国連憲章上の個別的自衛権と集団的自衛権があると明記している。
その後、政府は昭和47年や56年などに示した見解で、保持できる戦力は必要最小限度で、
集団的自衛権の行使はその範囲を超えるとの判断をとった(当時の安全保障としては、だ)。
周辺環境の激変に応じ、砂川判決の下で新たな解釈をとろうとするのが今回の安保法制ではあるまいか。
違憲と決めつける論理は的外れといえる。
現憲法の成立過程からすると、独立国の安全保障観点としては不備がある。憲法改正が望ましい。

集団的自衛権は、憲法改正した上で行使すべきだが、憲法改正に失敗したら中国が侵攻拡大してくる。
南沙諸島での埋め立てとか空港建設など中国の侵略が日常的に急ピッチで進んでいるではないか。
中国は、「台湾は自国の領土だから台湾の領土は自分のもの」という立場で、尖閣にも同様な主張。
台湾も李登輝総統までは「尖閣は日本の領土」としていた。
現、馬総統は中国よりで、去年も中国に有利な条約を結ぼうとして、台北で学生デモが大規模に起きた。
馬総統は「尖閣は台湾の領土」と活動している。尖閣に押し寄せた漁船は台湾から出航してきた。
馬総統は中国出身で尖閣は台湾の領土と言って憚らない。慰安婦問題でも日本は謝罪しろと繰り返している。
東南アジア各国はいかに経済成長しているとはいえ、中国に対抗できる海上兵力を備えるには何十年もかかる。
安保法案成立は、外交上からもかんがえるべきだ。
自国の論理だけでは済まされない時代背景を真摯に考えるべきである。
戦後70年という、長き時間を以って、日本人は平和ボケ!?!に陥ったか、と危惧する。

僕個人の事、なおかつ躯体の問題だが、若き頃の登攀での怪我をしっかりとケアーしてこなかった。
程々の回復に満足。登攀は諦めたが自転車があるって、結構、過激にサイクリングライフを謳歌。
だが、日常生活に支障がなかった事もあって充分な注意を怠って今日にまで来てしまった。
昨年の春から私的な雑務に紛し、而して被災したある村の復興手伝いをも参加させてもらっていた。
ところが、この7月に入り体調不良に陥った。検査の結果、休養が必要と、ある場所でリハビリを。
最悪、自力歩行ができなくなると・・・脅かされ、懸命にリハビリを。。。!
何とか復調できつつある。
こんな時に、終戦記念日を迎えた。夜の報道を聞くにつけ・・・のんきな事を言っているって!?!
「予防」とか「不測な出来事に対する予防対策」を考えるべき、とこの一ヶ月余り思ってきた。
何事も日頃からの対策・準備を怠ってはいけない。
己の生活、この半世紀余り、戦争を我が身に感じることはない程に「平和な日常生活」過ごしてこられた。
だが、異国の紛争(戦闘行為)現場を実際に見ることはあった。
更には、隣国よりの主権侵害に、なぜ政府は穏便な緩やかな対処をしたのか??
韓国にして40年ほど前に金大中拉致事件を引き起こしている。今では、中国にして尖閣問題。
最もひどいのは、北朝鮮による日本国内での日本人拉致、、、これらは、日本を甘く観ている証だろう。

安倍総理を批判することは良しとしても、戦後(1945年以降)の隣国の所業を世界に問うていない。
戦後、歴代の政権が執ってきた世界に向けての自己主張のなさが、隣国を助長させてきたと思える。
先の民主党政権の所業を思い起こすと、お粗末としか言い様がない。

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“自転車ロードレース”《襍感 ・/・拈華微笑27》

本名: Joaquim Rodríguez Oliver
ホアキン・ロドリーゲス・オリベル
愛称: エル・プリト(El Purito)
生年月日: 1979年5月12日(36歳)
国籍: スペイン
身長 169cm
体重 57kg
5月に開催された“ジーロ・デ・イタリア”世界最高のレース。
7月に開催された“ツール・ド・フランス”世界最大のレース。
どちらも、20日間以上も毎日150km前後を走り、
総合・山岳賞・新人賞等ある超人のレース。
そして、其々の一日レース区間でのステージ優勝。
これは、参戦者の誰しもがねらっているだろう。
中でも山岳ステージは、ファンが熱狂する。
今年のツール・ド・フランスで、自走を見たことある選手のステージ優勝!?!
おこがましい表現だが、とっても嬉しかった。
「激坂男」の異名をとるエル・プリト(愛称)ことホアキン・ロドリーゲス。
36歳という年齢だが、走りに老練さ・周りを見れる冷静さで魅了してくれた。
ベテランはお飾りではない。ティームは、異なれど周りは注視している。
凄い・・・・“ベテラン”がいるからこそレースが盛り上がる。

それにしても、画像のようなところを登るのだ!!!
異次元の世界。
これらのレースにでれることがステイタス。
今年は、5・7月ともに日本人の姿はなかった。

世界3大レースの最後を飾る“ブエルタ・ア・エスパーニャ”が8月に開催される。
「悪夢のようなコース設定」、と云われ最狂のグランツールとも称される。
「山岳地獄」・・見渡すかぎりの茶色い乾いた大地の「乾燥地獄」
そしてジリジリと太陽が照りつけ気温40度以上、路面上では体感温度50度以上の「灼熱地獄」
そんなレースでホアキン・ロドリーゲスは、どんなレース運びを見せてくれるか!!
調子も良さそうだ、ホアキンの優勝を願わずにはいられない。自国の誇りを以って。




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“庭の花暦・作百合!?!”《襍草 ・/・拈華微笑26》

サクユリ(作百合) ユリ科(Liliaceae)
学名:Lilium auratum var.platyphyllum
別名:タメトモユリ
学名:Lilium auratum Lindl. var. platyphyllum Nichols.
今年もサクユリが開花した。昨年と全く同じ日に!!
花もさることながら蕾も大きい(当たり前^^)。
花の大きさ、24cm(直径)も昨年と同じ。
不思議なことに3年続けて7/14に開花。
1本しか径を出さないが、迫力満点だ。
伊豆七島で分化したヤマユリの地方変種と解説書にある。
ヤマユリに似るが、丈も高く、葉も大きい。
ブログルに記載したこともある。
先日、来客された方が「見事なカサブランカ」って申されて!!!

このユリを庭で初見したのは、1996年の夏。
以来毎年、母から孫達に遊びに来るよう電話が入った。
たまたま子供についてきた時、「青ヶ島のさくゆり」と聞いてた。
初めて見た時、花弁に黄色い筋をはっきりと確認している。
時が立ち「花弁から黄色い筋が消えている??
これでは、当にカサブランカ!?!ボケ老人気付かなかった。
意図的に何かしたのか、否か、両親に聞くことができない。
植物の変移は、野生種の醍醐味だが、このでかい花。
来客には、カサブランカということにしよう。日本産の^^)。
また一つ神秘的な発見。神秘的と言えば・・・、
同じユリ科のスルガジョウロホトトギス。しっかりと茎を伸ばしていたが、
春先の暑さと、水やりをおこたったか??? 今年は葉を枯れさせてしまった。
かわいそうなことをしてしまった。大いに反省(;_;)
本来なら、庭先で見れる花ではない。
もっと大切に管理、育てなければ申し訳ない。
山懐奥の沢筋に見れるスルガジョウロホトトギスや親種のサガミジョウロホトトギス。
そしてサクユリにしてもいかようの経路での到来か?? 
親に聞いておけばよかった、と後悔しきりである。

「庭の精」


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“一寸前の出来事・叛逆のろれつ”《襍感 ・/・拈華微笑25》

ギンリョウソウの果実(銀竜草)  イチヤクソウ科(Pyrolaceae)
別名:ユウレイソウ
[学名] Monotropastrum humile (D.Don) Hara.
ヤマユリ(山百合) ユリ科(Liliaceae)
学名;Lilium auratum Lindley
日本固有種;本州(近畿地方以北)
ミツバウツギの実(三葉空木) ミツバウツギ科(Staphyleaceae)
学名:Staphylea bumalda
我が居所から近い里山、自転車で10分もかからない距離。
里山の植相の総ては公表されていない。何処にどんな花が見られるか!!
歩き探索して、気になる植物には、小枝等でマークしている。
其れとは別に里山管理事務所が、調査中の名札をつけたりもしている。
中には、散策路から外れ探し当てたもののみが出会えるって場所もある。
そんな場所の一ヶ所を1年を通して定点観察をしてる(個人的に)。
キンラン・ギンラン・マヤランその他10種類以上のクサ・樹が見れる。
そんな所で初めて出会った草本、ギンリョウソウ(銀竜草)らしき茎(果実か?)
イチヤクソウ科(学名:Monotropastrum humile、別名: ユウレイダケ)。
小さな花で今まで見落としていたのだろう!?! 1m四方の中に数個(果実)見えた。
画像が其れだ。落ち葉の中から数センチ姿をのぞかせている。
中に若芽と思える茎もあった。ゆっくりと観察する時間がなくて・・・!
茎の周りに小枝で囲いをたて目標にしてその場を離れた。
1週間あとにじっくりと観察しようと出かけてみると・・・!?!
その林周辺・全体が綺麗に下草刈りされてしまっているではないか。。。!
目的の場所にいってみると綺麗さっぱりと刈り取られていた。
里山管理事務所に連絡してみると、そこは管轄外の場所だとか???
しかし近くに調査中の場所があるではないかと苦言をのたもうたが後の祭り。
来年に期待するが???
人間にとって邪魔な草・樹、多様性の貧化が森を痩せさせている。
植物生態系を無視して人造林化させてはいかんと思うのだ。
自然との共存に乖離する。管理者は、全体を把握できないと申されるが、
せめて里山ボランティア組織に登録している面々には、指導して欲しく感じる。
がっかりしながら今一つの林に行ってみると、茎を大きく湾曲させてヤマユリが!!
挨拶してくれてるように花頭をたれて魅せてくれていた。
近くに三つ葉ウツギの実もこちらに微笑むように・・・一寸、気分が良くなった。

「2015/7/11泉の森」
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