《雅羅・/・ 襍囈〝年越し〟風習 ❖ ’24-14 ❖》

東京上野の国立博物館の正月飾り(小正月まで飾っている)。
護国院「大黒天」境内の手水舎にあった繭玉飾り。
一般には見掛ない風情(首都圏)。


久し振りの里地・里山。
森を横断している国道246号線。すぐ脇には厚木飛行場がある。

森の半鐘蔓の種子がひとつ、ひっそりと魅せてくれた。
伝統的行事は、継続して欲しいと思った一瞬だった。
《 未見の正月飾り;一月十四日の散歩 !!》
 陰暦で、一月一五日を小正月・十五日正月等と云われ伝わっている。
その前日を年越し(お晦日?)と祝い、「十四日年越し」と呼んだ。
元日から七日までを大正月、十五日を小正月と正月の終わりを意味する。
昔はこの小正月までが松の内であり、門松を飾っていたのだが、
江戸時代の徳川幕府の命により1月7日までが大正月と決めてしまった。
6日の夕方に門松やしめ縄を取り払う事で、「6日年越し」と言った由。
だが、この大正月慣習は関東地方以外では広まらなかったようだ。
今でも関西地方では、小正月まで門松を飾る所が多々あるようだ(未見)。
また、小正月は大正月とは違い、豊作祈願など農業に関する行事が多い。
正月の終わりとして6日又は、14日の夕方をもって門松を外す。
この事象を「松納(まつおさめ)」と表現されている。
「松上がり」「松倒し」「松送り」「松直し」「お松払い」等とも言われる。
1月15日の小正月の前日にあたる14日は年越しの日とされ祝っていた。
年越しと云えば大晦日だが、1月6日、1月14日なども大晦日行事があった。
「6日年越し」「十四日年越し」と呼ばれ伝わっている。
とはいえ今では、小正月の習慣がすたれ、十四日年越しの習慣も消えた状況だ。
元々、一月十四日は団子小正月(陰暦正月十五日)の前日十四日を年越しの日として祝った。
餅花を作り祝ったり、団子や前年の初穂を農神に供えたりする。特に農村で行われた行事でもあった。
小正月は旧暦の正月、1年の最初の満月にあたる1月15日とされていた。
太陽暦が用いられるようになり、行事も習慣も変化してしてしまった。
又、小正月は女正月とも言われ、地域によっては女性の骨休みの日とも云われる。
暮れから正月に掛けて多忙に扮した主婦を慰労、ねぎらう意味があるとか。
更には、農作物の豊作を願う行事ともされてきた。
お餅をまゆの形に作った「まゆ玉」を神棚にお供えしたり、
竹柳の枝先を稲の穂たれに例え門前や家の中に吊るすという風習もある。
農作物の豊作を願う行事でもあるのが小正月の特徴か。
*       *       *
先年末から年始、私ごとでもせわしく過ごした。更には災害等、絶句の日々。
私的には一段落し、14日の午前、近間の里地を散歩した。
“シモバシラ”が見られるかも、と楽しみにしていたが見れなかった。
散歩中にハンショウズルの綿帽子がヒトツだけ眼を楽しませてくれた。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月14日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝洋蘭〟正月花 ❖ ’24-13 ❖》

アングレカム・セスキペダレ ラン科(Orchidaceae)
学名:Angraecum sesquipedale
別名:ダーウィンノラン(ダーウインの蘭)
英名: Darwin’s orchid, Christmas orchid, Angraecum
原産地: マダガスカル
(以上の画像は、借り物)
《  神秘的な植物  》
アングレカム・セスキペダレの花言葉は、「祈り、いつまでもあなたと一緒」。
ダーウインの蘭は、受粉の事をダーウインが研究し名が付いた由。
又、ホシガタノハナ(星型の花)とも呼ばれるは、當に花が星の様に見える事に寄る。
アングレカムとは、マレー語で着生ランを意味する「angurek」。
進化論を提唱したイギリスの生物学者チャールズ・ダーウィン(1809~1882)。
アングレカム・セスキペダレの長い距(花の一部分が長く後ろに伸びたもの)に着目し、
距の奥の蜜腺までとどく長い口吻を持った蛾が存在すると推察していた。
それに関しては大いに論争が勃っていたのだがダーウィン死後、
1903年にダーウィンの予測に該当する蛾(キサントパンスズメガ)が発見され、
ダーウィン説が実証された。開花時期が11月~2月で日本では正月に相応しい。
アフリカ大陸の南東、インド洋の西部に浮かぶマダガスカル島原産のラン科アングレカム属の植物。
アングレカム属の仲間は200種ほどあり、熱帯アフリカからマダガスカル島などに広く分布する。
樹木や岩に根を張る着生種と地面に根を下ろす地生種があり、
茎の高さも10cmほどから1mを超えるものまで様々。
セスキペダレは大型の着生ランで、
直径15cmほどの白花は夜になると芳香を放ってスズメガを誘う。
温室栽培では12月~翌年2月頃に花が咲く。
セスキペダレは単軸生長する単子葉植物である。
この属では大型になるもので、茎は長く立ち上がり、草丈1メートルに達することがある。
葉は厚みがあり、少し灰色味のある濃緑色で、先端が丸みを帯びて割れている。
葉長は通常20-40cm、葉幅は 6-7cm。根は濃い灰色で太く、茎から出ている。
根は少なく、樹木の樹皮にしっかりと着生する。染色体数は 2n=42。
原産地では6月から11月に伸びてくる茎の先に、光沢がある六芒星形の花ができる。
ヨーロッパでは、開花期は12月から1月にかけてである。
花の形と時期がヨーロッパでの通称の由来になっている。
"Comet orchid"(星型の蘭)は花の形から来ており、
"Christmas orchid"(クリスマスの蘭)は開花時期に由来している。
花は緑色のまま咲き始め、次第に白くなり、最終的に薄緑色になる。
花の緑色の濃さは株によって異なっている。
花の特徴は長い緑の距を持つことであり、距の長さは20-35cmにおよぶ。
距の奥には少量の花蜜があり、フルクトース・スクロース・グルコース・ラフィノースが含まれている。
花は夜間のみに非常に強い芳香を放つ。通常、株あたり1花から4花を同時につける。
学名の種小名はラテン語で「1フィート二分の一」を意味し、長い距を指している。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 「令和陸年(皇紀2684年)1月13日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝備忘録 '24-2〟❖ ’24-12 ❖》

パラミツ(波羅蜜・菠蘿蜜) クワ科(Moraceae)
学名:Artocarpus heterophyllus Lam.
別名:ジャックフルーツ
(この頁、全て画像は、借り物)

棒状に見えるのは、花。
花は小さな花が密集して棍棒状の花序となる。
多肉質で一見すると果実の様に見える。
花は小さな単性花、
雄花が集まった雄花序と雌花が集まった雌花序が同じ木に付く。
パラミツの果実。
輪切りにして1/4に割った果実。
種の周囲に果肉があり、他の果肉との間に仮種皮がある。
《 未見の植物、’24・・其の二、パラミツ !!》
パラミツ(ハラミツ、)は、英語のジャックフルーツの方が知られているか。
果樹として栽培している国も多い。原産はインドからバングラデシュ辺り。
和名は漢語由来の波羅蜜であるが、パラミツの木を長実パンの木とも呼ぶ。
常緑の高木で、葉は成木では長楕円形だが、幼木では大きな切れ込みがある。
雌雄同株で、雄花のみをつける雄花序は枝の先につき、
雌花のみをつける雌花序は、幹に直接つく(幹生花)。
幹や太い枝に連なってぶら下がる果実は長さ70cm、幅40cm、重さ50kgにも達する。
世界最大の果実で形は、歪んだ球形や楕円形が多いが、ときに円柱形となるのもある。
果実の表面には数mmのいぼ状の突起があり、熟すと全体が黄色になる。
強烈な甘い匂いを放つ。果実は、集合果で、花序形成する組織が合着して果実となる。
繊維状にほぐれる淡黄色から黄色の果肉や仮種皮を食用にする。
種子は2cm程のやや長円形。熟した果肉や仮種皮は甘く、生で食用にされる。
樹脂分を含み、みずみずしさには乏しいが、弾力や粘りのある食感がある。
未熟な果実は野菜として、タイ料理、ベトナム料理等で煮物、炒め物などに使われる。
種子は焼くか茹でて食用にされる。熟す前の果肉は、デザートではなく総菜として使われる。
その他、シロップ煮缶詰、チップス、乾燥果実として使われている。葉と根は薬用になる。
パラミツの木材は建材、家具、仏像、印鑑の他、ガムランなどの楽器にも使われている。
更には、仏僧の法衣などの黄色の染料おしても使われている。
 
自生地で本物を見たい。迫力は、すごいだろう!!
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月12日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝新春の小豆〟❖ ’24-11 ❖》

伝統的な正月・お供え飾りを身近では見かけなくなった。
部屋の形も洋風になり和風の床の間も余り見ない。
だが画像のような飾りは、新年にふさわしい。
金槌で叩き砕くのだが、手拭いでくるみ叩いた。
この砕く作業は、子供の担当だった。
関東人は、お汁粉を頂く家が多いと思う。
我が家は、お汁粉の余りで羊羹を作った。
子供のおやつだった。
《 伝統的、おせち料理に続く餅料理 !!》
正月のお供え鏡餅をお汁粉やぜんざい、お雑煮等に入れ食べるのを「鏡開き」と言う。
一般的には、毎年1月11日に頂く料理。慣習というか、神事というか???
新年の恵みを与える神様「年神様」を家に迎えるのが“お正月”。
鏡餅は、古来より年神様に供える神聖な食べ物で、迎えた年神様の居場所でもある。
丸い形は歴代の天皇が継承する「三種の神器」の一つである青銅の円形の鏡に由来し、
縁起の良いもの。2段重ねるのは、福徳が重なり円満に暮らせる意味がある由。
鏡開きとは、年神様が家に滞在する「松の内」が明けてお見送りをした後、
鏡餅を下ろして食べる行事。元々は武家社会で行われていた。
鎧や兜の前に供えた餅を食べる「具足開き」が、一般の家庭にも広まった。
神様の力が宿った鏡餅を食べることで、一家の円満と健康を祈る。
それと、お正月に硬いものを食べて長寿を祝う「歯固め」の意味もあった由。
宮中行事の「歯固めの儀」は、大根や瓜、押鮎など硬い物を食し健康を祈った。
鏡開きは武家から始まった行事ゆえ、縁起悪い「切る」とか「割る」を嫌った。
そんなことから言葉・表現で、縁起の良い「開く」になったと伝わっている。
更には、包丁など刃物で切るのも嫌われ、手で割ったり、木槌で叩いたりした。
伝統的な鏡餅の場合、乾燥して硬くなり、木槌や金槌で叩いてもびくともしない。
一晩ほど水に浸して柔らかくした。昨今は、プラスチック型に餅を流し込んで作ったり、
真空パックで個包装されたのが多いのだが、扱いやすくなった。だが美的には??
年神様の「魂」が宿った鏡餅を食べることで、力を得られるのだから、パックは?
縁起的に汁粉で用いる小豆は、古くからその赤色が“魔除け”になると考えられて来た。
赤飯やぼた餅、お萩等、祝い事等に小豆を用いるのは、邪気払いや無病息災の意味もあるらしい。
 
甘党の僕には、お汁粉が何よりだ。田舎しることなる粒入りがいい。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月11日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝春待ち蕾〟❖ ’24-10 ❖》

公園近くの沈丁花の葉が、萎んでいる!?!
ジンチョウゲ(沈丁花・蕾) ジンチョウゲ科(Thymelaeaceae)
学名:Daphne odora Thunb
別名:チンチョウゲ
《 春を思わせる低木の蕾、ジンチョウゲ !!》

今日は 、十日戎・十日恵比須(とおか えびす)、正月10日の行事。
初戎(初恵比寿)・戎祭のこと。戎神の縁日、関東よりも関西で盛んの様だ。
大阪府の今宮戎神社とか兵庫の西宮神社の祭礼が有名だが、実際に拜した事ない。
恵比須さんって、言葉の響きは微笑ましい。お酉さん雰囲気が似てる感を持つ。
雑然たる日々だが、駅からの道すがらに他所様の植木を見るのが楽しみ。
木々達は粛々と春への準備。沈丁花の蕾が早くも膨らんでいる姿を見かけた。
沈丁花は、蕾から開花まで結構長い時間をもつ。懸命に新陳代謝してるって感じだ。
沈丁花は、香りが香木の沈香に似て、花の形が丁字に似ているに由来するとか。
歩きながら、名前つながりで「ハマジンチョウ」を思いだした。
沖縄県の天然記念物である「ハマジンチョウ」の大群落、可愛い花を見たことがあった。
ハマジンチョウは、海岸線のすぐ近く、満潮には汐がとどくような所に生育していた。
大学生の頃。当時は、未だ日本返還される前、沖縄行きにはパスポートが必要だった。
なんとも懐かしい思い出。再度見てみたい花・光景である。
 
「令和陸年(皇紀2684年)1月10日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝備忘録 '24-1〟❖ ’24-9 ❖》

アラゲサンショウソウ (荒毛山椒草)  イラクサ科(Urticaceae)
学名:Pellionia brevifolia Benth. 
(画像は、借り物)
《 未見の植物、’24其の一、アラゲサンショウソウ !!》
サンショウソウ (荒毛山椒草);
茎高10~30㎝の多年草。茎は緑褐色で、細かい毛が生える。
葉は互生し、葉はゆがんだ倒卵形、長さ1~3㎝。
葉縁に鈍い鋸歯があり、先はとがらない。雌雄異株。
花は散形花序につき、雄花序には長柄があり、雌花序は短柄。
雄花は直径約3㎜、紫褐色の花被片が4又は5個、雄蕊も4又は5個。
2個の葯室の先がくっつき、白色の花弁のように見えて目立つ。
雌花序は黄緑色、幅3~5㎜の球形。雌花は長さ約2㎜(角状突起を含め)。
花被片は5個、2個の角状突起が痩果より長い(最も長いもの2~11㎜)。
毛のように見え、3個の角状突起は短い。花期は4~7月。
果実は長さ約1㎜、表面に突起があり、種子は1個入る。種子は長さ約0.8㎜。
アラゲサンショウソウ は、鹿児島県、宮崎県に自生。葉に斑があり茎に粗毛が密生する。
粗い毛が出るのは、アラゲサンショウソウとヒュウガサンショウソウ。
又,毛の様子でヒュウガサンショウソウは屈毛,アラゲサンショウソウは開出する。
而してヒュウガサンショウソウは葉の表面に光沢があるがアラゲサンショウソウは光沢が弱い。
他に葉の表面に斑を持つ種にはナガバサンショウソウがあるが,葉の先が細くとがる。
2014年の富山県中央植物園研究所報告ではサンショウソウはオオサンショウソウと区別できず、
アラゲサンショウソウではなく、オオサンショウソウの異名とするのが適切とされた。
日本在来種; 絶滅危惧Ⅱ類 (VU) に指定されている。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月9日、記」

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《雅羅・/・ 襍囈〝壱月捌日〟❖ ’24-8 ❖》

大和市スポーツセンター’24 大和市成人式。
(画像は、借り物)
《成人の日(壱月捌日)!!》
一月八日、旧字体で記すと“壱月捌日”となる。
今年は、1月8日が成人の日である。
大人なった事を自覚し、自ら生き抜く自覚を持つべく成人を祝う。
2000(平成12)年より1月第2月曜日(ハッピーマンデー法制定)、
各地で新成人を祝うイベントが行われていた。
又、1989(昭和64)年1月7日の朝の昭和天皇の崩御を受けて、
7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、
翌8日から新しい元号が用いられた。政令により定められた初の元号。
日本最初の元号「大化」以来247番目。
*      *      *
コロナ禍も収まり、今年は清々しい若者の姿をあちこちで見かけた。
出先から戻る電車の車中で、明るい声と成人者と分かる振袖姿の女性達。
和服姿を見ると、此処は、日本って痛感した。
年頭にあった事象を吹き飛ばす程に明るかった。
同時に、一日も早く普段通りの生活が戻ってくるように希する。

あらためて、お見舞い申し上げます。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月8日、記」
 
 
 
 
 




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《雅羅・/・ 襍囈〝正月7日〟❖ ’24-7 ❖》

年頭の七草粥。農事従事者に感謝。。合掌!!
《 人日の節供(七草の節供・七草の節句)!!》
一月七日(正月七日)は、別の古称では人日の節供と呼んでいる。
江戸時代、公式の祝日(式日)であった五節供の一つであった。
人日の節供の日に七草粥(七種粥)を食し風習があった由。
一年の無病息災を祈ることで、七草の節供とも呼ばれていた。
今では、正月行事を「松の内」と呼びその終わりが一月七日。
人日の節供に食する七草粥が正月行事の締め括る行事となる。
人日とは、古代中国の荊楚歳時記(けいそ さいじき)によると、
正月一日から「鶏、狗、猪、羊、牛、馬」の順に家畜占いをしていた由。
其々の豊耗(出来不出来)を占い最後に人についての占いをした。
その最後の日、正月七日を「人日」と呼ぶようになった。
荊楚歳時記の正月七日条に「七種の菜をもって羮(あつもの)を作る」とある。
現代日本の七草粥の慣習が、6世紀の中国に遡るが、日本独自の風習になった。
七草とは、「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ」。
春の七草を現在の様に粥にして食べる様になったのは室町時代以降に由。
江戸時代、幕府が人日の節供を五節供の一つとし、七草粥を食した。
現鎌倉市にいると、鎌倉時代の事も気になり調べてみると、
鎌倉時代にも七草を食べていたが、粥ではなく羮(あつもの。汁)だった。
正月の七日(人日の節供)、七草の節供とその日の朝にいただく七草粥。
一年の無病息災を願って「七草粥」を食べる。故事由来は、伝えたい孫たちに。
正月のお節料理に疲れた胃をやすめるために七草粥を食べる。
だが、旧暦時代であれば正月七日に七草を摘むことは可能だろうが、
新暦の正月では野原で七草を摘むのは無理。園芸日本の真骨頂。
*      *      *
今年は、年頭から慌ただしい事象が!!
七日を持ってしても余震が続いている由。
被災地を思うと、七草粥は頂くに気が引けた。
願わくば、後遺症が最低限におさまって欲しい。
異国の友からの返信に終始する日々。
有り難い。阪神・北日本、と大震災に被災した仲間たち。
出来ることを対処したい。応援は、有り難い。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月7日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝垣根の柿色〟樹  ❖ ’24-6 ❖》

タチバナモドキ(橘擬き) バラ科(Rosaceae)
学名:Pyracantha angustifolia (Franch.) C.K.Schneid.
別名:ホソバノトキワサンザシ 


タチバナモドキ(橘擬き)の葉。


《 垣根のような庭木の実“柿に見える”!!》
遠目に赤い花かと見え、沢山の実を付けた木にピラカンサがある。
ピラカンサは、トキワサンザシ、ヒマラヤトキワサンザシ、タチバナモドキの総称。
最もよく見られる赤い実はトキワサンザシで、ヒマラヤトキワサンザシは更に赤い。
対して朱色から橙色の実を付けるものは「タチバナモドキ」と呼ばれている。
 タチバナモドキは、ホソバトキワサンザシとも云われ、葉が細い。
中国原産で、明治期渡来した。5~6月に白い小さな(5-8mm)の花を一杯に付ける。
が、秋から冬の実の方がずっとよく目立つ(房上に沢山かたまってついているので)。
拡大して見るとまるで柿の様だ。橙黄色の実は、ひとつ直径8mm程度で小さく可愛い。
樹の高さは3m以下。トゲがあり密に生えるので、垣根に用いられている。
葉は長さ5〜6cmの狭長楕円形〜狭倒卵形。葉裏に灰白色の毛が密生するのが特徴。
橘擬きを日本へ導入したのは福羽逸人(ふくばはやと)、明治の農学・造園・園芸学者。
 フランス・ドイツに留学し、宮内省の宮廷園芸技師として長いこと従事していた。
東京新宿御苑の造園や東京の道路を並木にして沢山のプラタナスやユリノキを育てた。
更にイチゴ、キュウリ、ナスなどの促成栽培方法の開発や普及、品種改良にも尽力した。
西洋での温室を応用し、ガラス障子の片屋根式フレームを考案してもいる。
馬糞や落ち葉たい肥などを内部に置くことで、自然の熱源とした(今流のエコ農業)。
福羽逸人は、今日の温室やハウス栽培・農法(施設園芸)を開発した、施設園芸の祖。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月6日、記」

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《雅羅・/・ 襍画〝里山の白〟植物  ❖ ’24-5 ❖》

識別できない水仙!?!
ヒガンバナ科(Amaryllidaceae)

フサザキズイセン(房咲き水仙) 
学名:Narcissus tazetta L. var. tazetta.
 
 シロバナスイセン(ペーパーホワイト) 
 学名: Narcissus papyraceus =Narcissu tazettae subsp. papyraceus
 
《 里山に見る白い花“冬を感じさせる華” だが!!》
フサザキズイセン(房咲き水仙)≧≦ シロバナスイセン(ペーパーホワイト) 
日本に帰化したニホンズイセンと呼ばれスイセンの原種にあたる。
交配親の特徴を持つ品種、香り良い水仙で地植え栽培される寒咲き種。
一般的にスイセンといえば、このフサザキスイセンを指す水仙の代表種。
暖地の海岸近くに野生化している。
イギリス王立園芸協会の分類ではタゼッタ水仙と称している。
学名の tazetta は「小さいコーヒー茶碗」を意味する。
フサザキスイセンは、茎先に白い花を房状に付け、
副花冠は小さな杯状でここも白い。
根際から生える葉は平らな線形で、時計回りにねじれる。
樹々が、紅葉・黄葉し始める事に、咲き始める可愛い花であるが。
 
※ フサザキスイセン Narcissus tazetta subsp. tazetta;
西アジア、東ヨーロッパ、北アフリカ原産。
球根は卵形、直径4~6㎝、幅 3~5㎝、外皮は淡褐色~暗褐色。
葉は4個つき、長さ25~35㎝、幅8~15(20)㎜、粉白色を帯びる。
花序は散形花序、花が5~15個つき、長さ25~35㎝。
苞は淡褐色、長さ4~6㎝、紙質。花は強い芳香がある。
花被は幅2~4㎝。花被の筒部は長さ1.5~2㎝。基部は次第に細くなる。
花被片の分かれた部分は平開又は反り返り、
白色~クリーム色、線状卵形~倒披針形、長さ1~2㎝、幅0.5~1㎝、先は鋭形。
副花冠は黄色、杯形、深さ3~5㎜、幅5~10㎜、先は円鋸歯又はしわくちゃになる。
雄しべ6個、3個は短く、花被の筒部の中にあり、
長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。
花柄は不等長、長さ8㎝以下。種子ができる。2n=22(x=11)。
 シロバナスイセン(ペーパーホワイト)
 Narcissus papyraceus =Narcissu tazettae subsp. papyraceus;
ヨーロッパ南部等原産、アメリカなどで野生化している。
球根は卵形、長さ4~6㎝、幅3~5㎝、外皮は暗褐色。
葉 は4個付き、扁平、骨があり、長さ20~35(45)㎝、幅6~15(20)㎜、粉白を帯びる。
花序は散形花序、花を 5~15(20個つけ、長さ25~35㎝。
苞(spathe)は淡褐色、長さ4~6㎝、紙質。
花は強い芳香があり、花被は幅3~5㎝、花被の筒部は長さ1.5~2㎝、
基部で次第に細くなる。
花被片の分かれた部分は平開又は反り返り、白色、狭卵形~倒披針形、
長さ1~2.5㎝、幅0.8~1㎝、先は鋭形。
副花冠は白色、杯形、深さ2~4㎜、幅5~8㎝、先は円鋸歯~しわくちゃになる。
雄しべ6個、3個は短く、花被の筒部の中にあり、
長い3個と花柱は副花冠の口の中に突き出る。
花柄は不等長、長さ6㎝以下。2n=22。
多くの初期の文献ではフサザキスイセンと同種としていたため、
混同されていることがある。※
 
正月・元日にぽつんとさいてる水仙、少し離れた所で魅せてくれた。
この花が、フサザキスイセンか、又は、シロバナスイセン(ペーパーホワイト)か、
正直、識別できなかった。今年の課題ができた。
 
 「令和陸年(皇紀2684年)1月5日、記」
 
 

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