《時節感慨・・呟記・・冬、黄色い自然!?!”》 昨今、季節を想わせる景観に乏しくなった。 でも里山を散歩してると、ヤッパリ冬到来って感じる。 樹々は、正直。黙示て語らず、今を生きる。 週末、感じた事に「拉致被害者」の今は??? 悲しいに尽きる。余りにも悲惨すぎる。 時の流れ、年末が寒々しい。 、
《時節感慨・・呟記・・初冬、鳥の「食」、赤い実!?!”》 ガマズミ(鎌酸実、莢迷、蒲染); 花に関しては、以前に細かく記したのでそちらを参照して頂きたい。 ガマズミ(鎌酸実、莢迷)の花は ムシカリ(虫狩・スイカズラ科)とかなり大きさが異なるが、 赤い実になったら区別が難しいほど良く似ている。 秋には ムシカリやヤブデマリの実と同じように真っ赤に実る。 鳥たちの餌になるが、食してみると紅くなりたての頃は酸味が強い果汁である。 初冬の頃には、甘くなり食べられるが、果肉は薄く種子が大きい。 昔から天然の着色料に用いた。山里では果実酒にする(きれいな深紅色)。 秋も深まると、実より遅れて葉も赤くなる。 又、タマバエの一種による虫こぶにもなる。正常実の2~3倍の大きさの球形になる。 色は淡緑色から淡紅色を帯び、表面には白色の短毛が密生する。 例年、11月には実(種子)が姿を表すが、今年はなぜか遅れ気味に実が付いた。 一寸離れたところでは、“鳥撮”集団が、「カワセミ」を狙って三脚を立てていた。 邪魔しない様に遠回りして林の中をいくと池近くで可愛い「エナガ(多分)」に出会った。 「2018/12/09大和市・泉の森」
《時節感慨・・呟記・・“引地川に鮎が遡上した?!?”》 神奈川県の、“厚木飛行場”脇、泉の森を源泉とする引地川。 洪積台地を浸食して谷底平野を形成しながら南流、湘南鵠沼海岸に注ぐ全長21.3kmの川。 この所サボっているが、今の居から自転車で引地川に沿って走り、海岸線を東へ。 途中、稲村ヶ崎によって一路三浦半島へ、一周して鎌倉・和賀江島近くで休憩^^)。 (三浦半島は、魚貝類の宝庫、ランチを楽しみに出かけるのだ!!) そこから片瀬江ノ島を通って、境川サイクリングロードを北上して帰宅。 凡そ100km程の1日ポタリング、よくはしっていた。 引地川と境川、湘南砂丘地帯を通っていることから大水の度に河道がつけ変わっていた。 江戸時代の絵図には境川下流部に引地川が合流しているものも見られる。 今年の夏、泉の森を管理している市の職員が、泉の森の池で「あゆ(鮎)」を目撃、観察していた。 画像のように生息観察、拝見するに驚きである。境川では、目撃情報を聞いていない。 引地川は、それほどに清流になったのか!! 来年から楽しみが増えた。
《時節感慨・・呟記・・初冬、地表に佇む小さな華!?!”》 ヒメオドリコソウ(姫踊り子草); 花の形が,笠をかぶった踊り子!?!の姿を思わせることから名前が付いた。 関東一縁から長野県に多く見られ、明治中頃に渡来した帰化植物で径高20cm前後。 道端や畑などに見えるが市街地付近にも多い。肥沃な場所ではよく群生している。 葉が茎の先端になるほど紫色っぽくなり、花期には赤紫色を帯びるのが特徴で葉は対生する。 三角状卵形、脈が深く有柄な葉形。鋸歯はやや不規則で丸みあり葉裏は軟毛でやや白く腺点がある。 茎は四角形で、下向きの白毛が生える。茎の上部の葉脇に長さ約1cmの淡紅紫色の唇形花をつける。 雄蕊4個。花粉は、橙色。萼は5裂、裂片の先がとがり脈が隆起し、脈の一部が紫褐色になる。 仏の座より花が小さく、頭頂部にはあまりつかない。上部の葉のわきに花をみせる。 よく似ている姿で葉の鋸歯が深く切れ込むものにモミジバヒメオドリコソウがある。 (別名キレハヒメオドリコソウ/Lamium hybridum) 仏の座やもみじ葉姫踊り子草は、夏や秋にも花をつけることがある。がヒメオドリコソウは稀。 仲間のオドリコソウは緑の葉だけでであることと、花も背丈もずっと大きくロゼットの姿で冬を越す。 白花のは、シロバナヒメオドリコソウと呼ばれる。よく似たホトケノザの花は、細長く上に立つ。 ヒメオドリコソウの花期は、普通3~5月だがここ周辺では1月に咲く。所が今年は早くも咲いた。 * * * * *
《時節感慨・・呟記・・昔がよみがえる“建築文化・・和洋合一!?!”》 ここ数ヶ月の間に昭和を代表する保養地・温泉地・別荘地の一つ“熱海”を2度も訪れた。 子供の頃に親に連れられ行った、懐かしい場所でもある。 今では、観光客で賑わう保存建築文化財でもある「起雲閣」に昔、宿泊したことがあった。 1919(大正8)年に実業家,政治家であった内田信也が実母の静養場に建てた別荘。 伝統的和風建築だが、随所に斬新な技術が見られる。 母屋的建屋(座敷の床の間や付書院まわり欄間等)は、細部に凝っているが簡素な造りである。 しかし、座敷の三方を取り囲む畳廊下と庭園の風情は、今日では見れない贅沢な空間に映った(今現在)。 畳廊下の窓ガラスは、当時、職人の手造りの「大正ガラス」、手造りゆえの微妙なゆがみが、懐かしい。 又、座敷と同じ高さに揃えた畳廊下で囲む造り(入側造、いりかわづくり)、車椅子生活を思っての事か。 家族を思い図っている事が見て取れる。母屋の二階座敷「大鳳」に「太宰 治」も逗留したと伝わっている。 起雲閣の表門は、1919(大正8)年に創建され、薬医門(やくいもん)とよばれる造りである。 二本の本柱と二本の控柱で女梁(肘木)と男梁(腕木)を受け「切妻」「入母屋」の屋根を架けている。 現在は、屋根に瓦を載せているが、古い写真では檜皮葺(ひわたぶき)で軒を押さえている。 大正期から昭和期にかけての門・土塀、母屋(座敷や玄関)、土蔵、別棟の洋館、 そして庭園のすべてが揃い邸宅の屋敷構えとして現存する事例は数少なく、貴重な文化的・歴史的遺産である。 洋館「玉姫」(たまひめ)は、二代目の持ち主「根津嘉一郎」により、1932(昭和7)年に完成した。 正面中央に暖炉があるヨーロッパのデザインを基本にして「折上格天上」(おりあげごうてんじょう)等、 日本の神社仏閣に見られる建築様式や中国風の彫刻、シルクロードで見られる唐草模様の彫刻で飾られている。 洋館「玉渓」(ぎょくけい)は中世英国の「チューダー様式」に「名栗仕上げ」を取り入れ山荘風の造り。 だが、暖炉の覆いにはサンスクリット語の飾り、入口の天井には茶室様な竹が用いられ、独特の雰囲気空間。 暖炉脇の太い円柱は、古社寺の柱、江戸時代の帆船の帆柱とも云われ日本建築の「床の間」と「床柱」感覚か? 「玉姫の間」に併設されたサンルームや、ローマ風浴室等、目を見張るものばかりだ。 訪れた日は、撮影機材を持参していなくて、後日再訪して仔細を記録したい(自己流視点で)。 起雲閣の庭園は、池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)とよばれ、眺望・散策を楽しむためのもの。 「起雲閣」とは、旅館時代の名称。外観は和風だが、室内は洋を取り入れ斬新、調和さは、見事という他ない。 昭和を彩った文人に愛された宿。僕にとって谷崎潤一郎、志賀直哉を思い起こせる夢想の場所である。 熱海散策から帰宅した後、「旧日向別邸」の拝観が年内を以って数年間お休みになる、という情報をもらった。 子供時分に起雲閣に逗留した折り、海岸を散歩して「旧日向別邸」を訪ねた記憶がある。 懐かしく拝観できないか、と思った。今は、「旧日向別邸」熱海市が管理しており、土日、予約のみに由。 「旧日向別邸」は、ドイツ人建築家(旧東ドイツ)ブルーノ・タウトが日本に残した設計建築物である。 アジア貿易で活躍した日向利兵衛が別邸の離れとして1936年(昭和11年 )に竣工。 ドイツ人建築家、ブルーノ・タウトが日本に残した唯一現存する建築で、重要文化財にも指定。 竹や桐をふんだんに用いた社交室、部屋の一部として階段のある洋室、そして和室の3室から構成され、 桂離宮、伊勢神宮など日本の様式美を意識して設計されている。 日向氏の死後は民間企業の保養所として利用され、今は熱海市の所有となり一般公開されている。 木造二階建ての母屋の設計は、東京銀座の和光、東京上野の東京国立博物館、 愛知県庁などの設計で知られる渡辺仁によるもの。 写真撮影は禁止であったが、昔を思い出せる空間であった。月日の経った事に寄るものだろう!?! 昔、訪れた時は、室内にもっと光が差し込んでいたように思う。諸々の事でへや全体がくすんだのか? へやの隅々まで拝してみると、繊細かつ丁寧な職人技が随所に見られ感慨深く拝観できた。
《時節感慨・・呟記・・“里の紅葉・黄葉!!”》 数週間前に紅葉・黄葉めぐりに出掛けた富士五湖周辺、雄大な景色に圧倒された。 そして又、世界遺産登録の影響が如何に大きいのかを実感、でも一寸。。。!?! 里、我が家周辺にも紅葉・黄葉前線が降りてきた。ことしの色、いまいち深みがない。それでも“綺麗だ”。 “も み じ 葉” 師走・・・もう12月、時間が早く早く過ぎていくような気が・・・!
《時節感慨・・呟記・・“晩秋・・野の野菜花!!”》 ノラボウナ(野良坊菜); のらぼう菜は、アブラナ科アブラナ属で東京都西多摩地方(あきる野市、青梅市等)、 埼玉県飯能市・埼玉県比企郡小川町付近で多く栽培されている野菜。 江戸時代初期には、すでにそれらの各地で栽培されていたと伝えられる。 耐寒性に優れた野菜で、天明の大飢饉(1782年 - 1788年)、 天保の大飢饉(1833年 - 1839年)では人々を飢餓から救ったと記録が残る。 かき菜などの「なばな」と同系統だがのらぼう菜は耐寒性に特に優れている上、 花茎を折ってもまた次の脇芽を何度も出す旺盛な生命力を持った品種でもある。 江戸時代後期の1767年(明和4年)9月、関東郡代が地元の名主に命じて、 のらぼう菜の種子を江戸近郊の12の村々に配布した記録も残っている。 あきる野市の子生神社(こやすじんじゃ)には、この事績を記念して 「野良坊菜之碑」が1977年(昭和52年)に建立された。 秋まき地野菜。畑ののらぼう(中心の最初のトウを収穫した直後の草姿)。 トウ立ちを摘んでおひたしや和え物に。太い茎の部分が最もおいしい由。 寒さの中でよく成長し春彼岸の頃から出るトウ立ちを折り取り収穫する。 柔らかい花茎にはほのかな甘味があり、他の菜花類のような苦味やクセがない。 茎立ち菜、トウ菜などと呼ばれる花茎を食べる野菜は、万葉の昔から各地で見られた。 こののらぼう菜は、他のアブラナ科野菜とは交配できない由。 自分の雄しべの花粉で雌しべが受粉してしまうため、雑種ができにくいとか。 今、危惧されている遺伝子組み換えにも対応しない。花粉汚染にも染まらないってことである。 「のらぼう」が、日本の伝統ナッパのエースとして脚光を浴びる日が来るかもしれない由。 アントシアン色素によって葉軸が薄赤く発色する株と全く発色せず緑色だけの株がある。 交雑しない植物、雑種化したわけでなく、それぞれ育った地域の寒さに適応し変化したのか?? 植物の糖分は寒さの刺激で蓄積され、一般に赤味の増している「のらぼう」のほうが甘味も強い。 しかし、鮮緑色の野菜を好む人も多いから、どちらが良いのかは一概には言えない。 自家採種を繰り返してオリジナルの「のらぼう」を創れるのだそうだ。野菜も面白く楽しい。 以上、色々な記事より抜粋した。普段お目にかからないが、食してみたい。 「2018・11・29大和市ふれあいの森」
《時節感慨・・呟記・・FUJI NIKON SIGMA!!》 “日本⇔スッゴイ・地道な技術革新(三)!!” ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ 此処の所、わくわくするデジカメの新機種が矢継ぎ早に登場している。全部欲しい、、、!! 一般化してるコンパクトデジカメ、プロ仕様のデジカメにしろ日本の技術力は素晴らしい。 デジカメの発明は、イーストマン・コダックの開発担当者Steve Sassonによってであったが、 市販デジカメの最初は、富士フイルムの「FUJIX(フジックス) DS-1P」であった。 DS-1Pは、PC用2MB-SRAMカードに最大10枚記録、記録保持用にボタン電池を用いていた。 現在の仕様、工夫を思うとパソコンの進化より進化が早い、と思う。 需要と供給の関係だろうが、研究・技術者の向上心は万国共通だろうが日本はすごすぎる。 特殊仕様ではなく一般的使用のデジカメで低価格なものは、日本製が殆どだろう。 日本国内では、各メーカーがしのぎを削って技術向上を図り特徴・個性も顕著、競っている。 そんな中「人気ランキング」なる言葉が気に入らない。売り上げてなんぼの世界だが。。。! できうるものなら共存共栄であって欲しい。日本メーカーに望むところだ、、、! 「個性」って大切。デジカメ界にあっても我が道を邁進してるメーカー、素晴らしい。 画像の表現(色彩感)を追求、ハード・ソフトの両方をこなしてきた「 富士フイルム」。 現在のデジカメ主要製造企業が、フルサイズ(35mmフィルムの大きさ)カメラで競い出した。 大きくポテンシャルも高い、センサーだけ見たら間違えなくAPS-Cより上である。 しかし、そのセンサーの性能を最大限に引き出すには、レンズも含めバランスが問題になる。 そのバランスでフルサイズデジタルカメラが35mm判(36×24mm)というフォーマットサイズより APS-Cサイズ(23.6mm×15.8mm)の撮像素子の方が全体的(レンズ性能も含め)にバランスが良い。 FUJIFILMのX-T3(APS-C)は、かつての映画用フィルムシミュレーション「ETERNA」も搭載してる。 独特の柔らかい写り、深みのある色と階調表現を可能とする「カラークローム・エフェクト」機能、 更には「モノクロ調整」機能、フジフイルムの“色”のこだわり、マニアックさ等々大いなる魅力。 画像の繊細さで中判フォーマット(43.8×32.9mm)を採用、35mmに目を向けない。何とも魅力的。 次に関心を持っているのが、NIKONから登場したフルサイズミラーレスカメラ『Z6』。 今年8月に高画質モデルの「Z7」がお目見えしたが、僕にとってはちょっと手が届かない。 『Z6』は、僕好みの仕様だった。光学ファインダーと遜色のない見やすい電子ビューファインダー。 難しい露出合わせを素早く捉える。柔らかなボケも魅力的だ。Zシステムの新光学設計は、凄いの一言だ。 今ひとつの関心事、シグマが採用しているFoveon X3ダイレクトイメージセンサー。これは、驚異的だ。 このセンサーが生み出す臨場感あふれる画質は、色補間を必要としない垂直方式のカラーキャプチャシステム。 それと光学ローパスフィルターを必要としない原理的特性は、開発の余地はあるが見事だ。 個性が強く扱いに慣れが必用だが、独特の解像感がある。マウント径でライカ・パナソニックと共有する由。 レンズにおいての話だが、各社独自の開発をする由。とっても楽しみだ。 カメラの語源であるラテン語のcameraは、「小さな部屋」を意味している。 カメラの由来「カメラ・オブスクラ」の「オブスクラ」(ラテン語obscura)は「暗い」という意味。 半世紀も前にこの「暗箱カメラ」を使わせてもらったことがあった。 カメラの歴史、現在のデジタルカメラも含めて今、また、関心の虫が湧いてきた。。。!! ビデオカメラで先に普及していたデジタル技術が、カメラに応用されている。 銀塩フィルムカメラからデジタルカメラの時代に移行、更には一眼のコンパクト化を実現。 一眼レフの「レフ」の部分をなくしたミラーレス一眼が、パナソニックから登場して日は浅い。 本体構造が半分程度のコンパクトさ。ミラーレス一眼は、日本メーカーから生まれた新技術。 デジタルカメラとは、デジタル媒体を使用するカメラ。デジカメ技術は、どんどん進化を加速するだろう。 フイルムの代わりに固体撮像素子(イメージセンサー)とメモリーカードなどの電子媒体を使用、 カメラ内部の画像処理プロセッサで撮影した写真を処理し、デジタル画像データとして記録する。 光学式ファインダーを持ち、撮像素子のデータを内蔵した液晶モニター等に表示する機能。 一眼レフ以外では、液晶画面上に撮影中の画像を表示可能でファインダーの代わりとして使用可能、 小ささな機種では光学ファインダーをなくし、完全に液晶画面がファインダーとして使われている。 だが、一眼レフの場合は構造上、特殊な機構を搭載した一部の機種を除き、 基本的にその撮影画像をモニターには表示できない。それ故、ミラーレスは有要だ。 昨年、35mmフルサイズイメージセンサーの約1.7倍となる中判サイズ(43.8x32.9mm)、 「FUJIFILM G フォーマット」イメージセンサー搭載のミラーレス「FUJIFILM GFX 50S」が市販された。 そしてこの度、GFX 50S のレンジファインダースタイルバージョン、GFX 50Rが発売された。 僕自身の感覚では、レンジファインダースタイルと言うより、かつての2眼レフスタイル感覚と重なる。 中判・フルサイズ(35mm)・APS-Cサイズの3種類を臨機応変に使って撮って見たい!! アオリ(ティルト&シフト)機構アダプターも使ってみたい。中判デジカメ本体・レンズも軽量化されている。 昔の三脚(Tiltall TE-01)でも大丈夫!?!重たいHUSKYは不要だ(歳とったものだ!!)。 あるものを活かして撮ってみたい。気分だけは昂揚してるが、テクニックを磨かねば。。。! 老人ボケ解消に向かって・・・東京オリンピック、大阪万博に向かって体力・気力、がんばらねば。 4X5等の本体が使えるアダプターも出てきたが、小遣いでは仲々追いつかない。悩み在る所だ。
《時節感慨・・呟記・・“晩秋・・野の草木!!”》 マルバノキ(丸葉の木); まだ暑い時期から紅葉し始める。葉に模様が入る「斑入りマルバノキ」もある。 マルバノキは株立ち状に育つ。本州中部以西の限られた場所を原産地とするマンサクの仲間。 秋になると写真のようにマンサクに似た(というよりもヒトデに似た)小花を咲かせるものの、 同時期に展開する紅葉に比べれば存在は控えめであり、あまり目立たない。 しかし紅葉・黄葉が楽しい。一本の木に赤、黄色、緑の葉が入り混じる美しい雑木の呈。 「マルバノキ=丸葉の木」、ハート型葉でマンサクよりもハナズオウやカツラの葉に近い。 葉にクリーム色の模様が入る品種もある。花が咲くころに分厚い皮を持った実ができる。 別名のベニマンサクは花の様子と花色により、花は直径1.5センチ程度。二輪が対になって咲く。 自生地は林の中などが多く、耐陰性がある。半日陰程度ならよく育つ。株立ち状に育つ。 落葉低木のマルバノキの花は他の落葉花木と違い、赤く色づいた葉が散り始める頃に咲き始める。 咲き方も変わっていてマンサクのような形の赤い小さな2つの花が背中合わせに咲く。 やがて結実すると、螬果はそのまま枝にぶら下がり、翌年の秋に熟して2つに裂ける。 赤くてマンサクに似た花が咲くことからベニマンサクと呼ばれる。 * * * * * * * 先日の紅葉・黄葉散歩、改めて自然のままの素朴な景観、人間の創造など到底及ばないと感じた。 観光客でごった返す「忍野八海」でも所々、目を見張る光景が、レンズを通して楽しませてくれた。
《時節感慨・・呟記・・“晩秋・・野の草木!!”》 イワシャジン(岩沙参); ミヤマシャジン、ヒメシャジン、ハクサンシャジンの仲間で本州中部の山岳地帯の岩場に自生。 キキョウ科ツリガネニンジン属でツリガネニンジン、ソバナなどもも同属。白花種もある。 分布域は関東地方南西部、中部地方南東部にあり、山岳地帯の渓流沿いの岩場などに自生している。 岩沙参・学名の小種名の「takedae」は登山家であり高山植物研究家である武田久吉博士に因んだもの。 花期になると、茎の上部から花序を出し、長さ1.5~2.5?程度の花を多数咲かせる。 花は細い花柄を持ち花冠が浅く5裂した釣り釣鐘形。細茎に枝垂れて咲く花の風情はなんとも言えない。 基本種の花色は紫だが、白花品種もある。一重咲きの他、二重咲き品種も見られる。 近年、平地での栽培に順応した株が流通しており園芸種も見られる。 冬は地上部を枯らして宿根し、春に再び芽吹く。暖地での栽培は夏越しが難しと言われる。 イワシャジンの漢字「岩沙参」、沙参とは、漢方薬の生薬で根を乾燥させたもの。 岩場に生える沙参(しゃじん)という意味でイワシャジンの名前が付いた。 イワシャジンは地域変異の多い植物で生育する地域によって草姿の違いが見られる。 ホウオウシャジンは、南アルプスの鳳凰三山に分布、茎や葉が細く草丈も低いので繊細な印象がある。 ヤシャジンシャジン山梨県・夜叉神峠付近に分布、イワシャジンとホウオウシャジンの中間タイプ。 ウメガシマシャジン、静岡安部川上流梅ケ島周辺に分布、花がやや短く丸みを帯びている。 ミヤマアキノキリンソウ(深山秋の麒麟草・種子); 平地~山地に見られるアキノキリンソウの高山型。 茎中部の葉は長さ2~14㎝の惰円形~広披針形、葉柄に翼がある。頭花は頂部に固まってつく。 頭花の直径は1.2~1.5㎝。総苞は長さ3.5~6.2㎜、幅4~5㎜。総苞片は4~6列、先が尖る。 周辺花2~9個、舌部は長さ2~5㎜ 、幅0.9~2.8㎜。痩果は長さ2~3㎜。冠毛は長さ3.1~5.2㎜。 草丈が低く、15~(50)75㎝、総苞が幅8~10㎜、総苞片が3列といわれている。 アキノキリンソウは花序が長く、頭花の間に隙間がある。総苞の幅が狭い。 ムラサキシキブ(紫式部); ムラサキシキブは山野に生える落葉低木。九州~沖縄地域には、オオムラサキシキブ、が分布する オオムラサキシキブは、ムラサキシキブの海岸型変種。有花柄の葉がムラサキシキブより大きい。 コバムラサキシキブは有花柄の葉がムラサキシキブより小さい小葉の品種。 ムラサキシキブの木は、園芸種のコムラサキと比べ木高が3~5mにも成長する。 人の背丈より上に花や実を付け、同間隔に実をつけるコムラサキと比べ、実のつき方がまばら。 * * * * * * * 先日の紅葉・黄葉散歩は、久しぶりの息抜きだった。感謝と温故で感慨深いものがあった。 観光客でごった返す「忍野八海」であったが、訪問客が目もやらない所で楚々と魅せる植物。 色々と想像させてくれた。はっきりと特定できない野草名。一見するだけでは見間違えてしまう。 それ以上に、変化する花々、自然の凄さを思える時、一瞬。微妙な変化が見て取れた。 生涯、学習である。微妙な変化だが、その違いを見分けられるようにしっかりと観察だ。