-
posted 2019-11-15 20:47
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 その第44回目は、付録としてドロシー先生による献辞の言葉。そしてフィンキーさんとシェルホン先生によるお勧めの言葉です。 これで最後の投稿となりました。 もし主が許されるなら、これらの文章が全て製本されて記念誌として出...
-
posted 2019-11-14 16:30
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 その第43回目は、ついに最終章となりました。米国の家族を次々と天に送られ、その血縁者ばかりでなく信仰につながる家族との再会を待ち望んで筆を置いていらっしゃいます ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆...
-
posted 2019-11-13 00:46
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 その第42回目は、ドロシー先生の健康管理をしてくださるドクターたちとの出会いです。そうは言っても誰も老いから逃れることはできません。病や怪我で倒れるに従い、引退へのステップを踏んで行かれます。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆...
-
posted 2019-11-12 00:26
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 その第41回目は、ドロシー先生の入院経験を記しました。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 第四部 さまざまな事がら 伊勢神宮のあおりを受けて 20年に一度、伊勢神宮からの特別な...
-
posted 2019-11-11 15:59
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 その第40回目は、追憶場面の第二回目です。教会に与えられたハンドベルは米国の関係者からの捧げ物によるものでした。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ Gladys Bates さ...
-
posted 2019-11-09 00:19
つれづれなるままに
by
高橋京太
しばらく中断していましたが、日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 その第39回目は、回想録の最終章に入り、思い出深い方々を追憶している場面です。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 第五部 追憶 牧野克己さん 日本は...
-
posted 2019-09-12 22:45
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。 卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。 そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした...
-
posted 2019-09-03 22:25
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。 卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。 そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした...
-
posted 2019-08-28 21:49
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。 卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。 そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした...
-
posted 2019-08-12 22:27
つれづれなるままに
by
高橋京太
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。 私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。 卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大紀町にある錦キリスト教会でした。 そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした...