プラハ ヴァーツラフ広場で革命を想う
May
14
もうひとつ、『プラハ』に来たからには行かなくてはならないのが『ヴァーツラフ広場』だ。プラハ旧市街地区にあって最大の広さを持つこの広場は「プラハのシャンゼリゼ」とも呼ばれる700mに渡る大通りである。南に向かって軽い上り坂になっていて、どん尽きには「国民博物館」があり、その手前に「聖ヴァーツラフ」の像が建つ。
この広場を世界的に有名にしたのが、「プラハの春」そして「ビロード革命」だ。
1968年、ブレジネフは、ワルシャワ条約軍によるチェコスロバキア侵攻を行う。翌69年にソ連の戦車が、この広場を占拠した時、聖ヴァーツラフの像の前でカレル大学生ヤン・パラフは抗議の焼身自殺をした。翌年チェコ共産党の改革派ドゥブチェクの失脚で「プラハの春」は終焉を迎える。そこから、この国は長い冬の時代に入った。
広場には現在、「ヤン・パラフのメモリアル」と呼ばれる地に横たえられた(埋められた)十字架のモニュメントが残る。
それから20年。1989年11月24日(私の30歳の誕生日に)チェコスロバキア共産党は解体し、この広場で「市民フォーラム」代表のハヴェルが革命の勝利宣言を行った。学生運動主体の無血革命の為に「しなやかな革命」の意で「ビロード革命」と呼ばれる。
「ビロード革命」の際に市民たちの拠り所となり民主化運動の象徴となったのが、マルタ・クビショヴァが歌った「ヘイ・ジュード」である。(チェコ語の歌詞は原曲とは異なる)
共産党の弾圧で歌手生活を辞めていたマルタが、自由を勝ち得た民主を前に、この広場で集まった大観衆に「ヘイ・ジュード」を歌う姿は、チェコ国民にとって自由への賛歌として深く心に刻まれている。
ロンドン五輪の開会式でポールが数あるナンバーから「ヘイ・ジュード」を歌ったのは、こういう背景からだと個人的には勝手に思っている。
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