旅の終わりに
May
15
11日間、ブタペストからプラハまで充実した旅だったと思う。振り返ってみれば、今回訪れた旅路は、この順番で回るのが正解だった。もし、同じ旅程を逆にたどっていたら、同じような感動を味わえたか、は疑問だ。
街のサイズは『プラハ』が最も大きい。最初に『プラハ』を基準としてしまったら、段々と「小ぶりになっていく街」を訪れることになるからだ。勿論、ブダペストは大きな街なのだが、大聖堂のサイズや街並みの深さを考えれば『プラハ』で締めるのが良いと思う。この地域らしく音楽で表現すれば、今回の行程は「クレッシェンド」になっていた。途中の「ブラチスラバ」や「チェスキークルムロフ」もアクセントが効いていて良かった。
絶対的な日程で言えば『ブダペスト』は一日足りなかった。もう、一日この街に留まれれば、欧州一と言われる『オペラ座』や『ドナウ川のナイトクルーズ』などを体験できたし、『聖イシュトバーン大聖堂』の内部も勿論見れた。
また、『クトナーホラ』まで行って「セドレツ地区」を飛ばすのは消化不良の思いを残した。「バラトン湖北線」は、ハンガリー国鉄に乗る貴重な体験ではあったが景色はイマイチ。「ヘィヴィーズの温泉湖」か「タポルッツァの洞窟湖探検」の方が面白そう。
『プラハ』はおよそ1週間居ても、それなりの楽しみ方が出来る街だと思うが、やhり、もう一日有れば「マラーストラナ」をもっと深く楽しめただろうし、トラム22番線での「観光」も出来た。
『ブダペスト』の手掘り地下鉄は別として、基本は「街を楽しめるトラム」での移動がオススメだ。NYの地下鉄に代表される「危険」というイメージは全く無く、普通に庶民と観光客の足として機能している。特に『プラハ』では、「深夜便」と呼ばれる路線に夜中は運行経路が変わる、と言う実に合理的な仕組みを持っており、24時間フルに街を活性化させている。
もちろん、駆け足の観光客としては、とても狭い範囲をグルグル見ているだけなのだ。例えて言えば、「東京、新橋、銀座」か「アキバ゙、アメ横、広小路」である。だが、それもまた「旅」ではあり、街を知る事でもある。
今回訪れた多くの歴史的施設は、どれも美しく、そして多くのリノベーションが進行していた。西欧諸国を含め世界中から多くの観光客が、この地域に押し寄せている。「ピクニック事件」から25年が経過し、既に主要な建造物の修復は終わっている。ライトアップも美しい。「観光地」として道標の整備やホテル飲食店商店の国際化も進み、小さな個人商店でもハンディCATでカード決済ができる。恐らく、今後10年で更に環境整備は進むのだろう。今回、「チェコに行く」というと珍しがられたが、早々に日本人観光客にとって特別な地域ではなくなるエリアだと思う。
反面、事前に調べたネット情報から「料金」は大体2割程度高くなっていて、インフレ率は相当なものと推測された。次に訪れるときには「ウ ズラテーホ ティグラ」のビールは一杯幾らだろうか?
そう、『プラハ』は「また訪れたい街」だ。私のとって「オーランド」「イスタンブール」に続き、またひとつ「再訪」を期す街が加わった。その機会があるなら、次回は是非X'masシーズンに雪の『プラハ』を見たいと願う。
そう思い返す事が出来るだけでも、生涯の思い出に残る良い旅だった。
If you are a bloguru member, please login.
Login
If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account