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ぼくしのめがね

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試練の中での戦い

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今日は、カイト君を含む三人の誕... 今日は、カイト君を含む三人の誕生日祝い。。。ケーキがすんごく気になる子供たち。。。 キャンドルに火をつけたら、今度... キャンドルに火をつけたら、今度は、消そうと群がり。。。 ハッピーバースディを歌ったら、... ハッピーバースディを歌ったら、素早く、子供たちだけで消してしまった。早いこと!!! もう一度、マイケルさんのために... もう一度、マイケルさんのために火をつけました。(笑)
油断ならないです。ちびっ子たち
2018年11月25日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


1コリント10:12-14
12 ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。13 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。14 ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。

今日は、自分の外側からくる戦いについて、特に自分の選択によらず降りかかる試練、困難につて話したいと思います。二週間前に話した通り、それらは、私たちの環境circumstance & environment による困難です。家族の必要、病気、事故、災難、介護、自然災害、等々

パウロは、コリントの教会に、イスラエル人たちの歴史から話し、長い歩みの中に困難に会うこともある、しかし、その困難によって先人たちの失敗のように失墜しないで、神が与えてくれる脱出の道を通って乗り越えようと、励ましています。また、このみ言葉の前後に偶像礼拝に落ちらないように。。と忠告しています。
私たちも、長い人生の中で、困難の無い人はいません。また、いつ困難が自分の身に降りかかるか私たちには分からないのです。

★ 倒れそうな時 When you fall

立っているものは、倒れないように、とパウロは書いていますが、私たちは、倒れていない時に誰によって支えられているか忘れてしまうのです。私は、いつも困難と闘っていた時ほど神様と近く歩み、み言葉に近く歩んだものだと短い人生の中でも思い返すのです。また、つらい時ほど、希望と夢を持っているものです。これを克服したら、私は、こんな風にしようと夢をもつのです。しかし、すでに到達している人は、なかなか希望を持つことができません。

先日、日本の歌手(つんくさん)がのどのがんにかかり、声帯を取ったドキュメンタリーを見ました。とても感動しました。彼は、歌手にとってなくてはならない声帯を失うような病気でさえも、悔やんでいません。むしろ、これが無ければ今の自分ではなかったと、感謝しているのです。そして、感謝することが一番人間にとって大切なことだと話していました。人は、感謝する時に、自分よりはるかに大きな存在、私たちで言えば造り主と繋がれるのだと思います。感謝すると脳にオキシトーシンがでる。ハグしたときにも出る。
今週は感謝祭でしたね。私たちも、自分の身に起こることの愚痴ばかりではなく、感謝を数えられたらどんなに強く生きれるのかと思います。聖書に、感謝せよ、と何回もでてきますね。全てのことについて感謝しなさい。(テサロニケ)と。

★ 人の知らないような試練ではない You are not alone

災難に会う時,私たちは行き詰ります。たくさんの「なぜ、どうして」が出てきます。人の人生が楽に見えて、自分だけ苦しんでいるような気持になります。しかし、パウロは、あなたの試練は、あなただけに降りかかったものではない、とノーマライズしています。
これって、とても大切なことだと思います。自分だけが、こんな目にあっているとすると、私たちは次にどんな思いを持つでしょうか。自分は、選ばれてない、神に見放された、神に愛されていないという疑いを受け入れてしまいます。それは、敵の嘘です。誰かが通った道であると、知れば、私たちは勇気と慰めを受けるのです。

今、あなたが苦しみの中を通っているなら、励まされてください。同じ道を通って、乗り越えた人がいるのです。自分がどれだけ孤独か、見放されているかではなく、日々の進歩と希望に感謝しましょう。

★ 試練のなかでの戦い Battle in the trial

私たちに降りかかる困難のことを聖書は、試練と言っています。何かに試されてるということで、また、神は克服できない試練を私たちに与えないと、先ほど読んだ箇所にもありますから、神が私たちを苦しめているのかと思うかもしれません。しかし、二週間前にも、話した通り、全ての創造の御業の上には神がいらっしゃいますし、野の花やすずめさえ養い、私たちの髪の数も知っていらっしゃる神ですから、全てをご存知です。しかし、私たちに苦しみを喜んで与えるかたではありません。私たちの目に困難と映るもののには、前にも言いました通り、自分の選択または他人の選択、創造の不思議、また神に敵対する者の攻撃の三種類があります。自然界は神に従います、イエス様が嵐を静められたように、しかし、何千年か前に設定した神の創造のからくりによって定期的に起きているものですね。そんな歯車の中で私たちは困難に出会っているのです。誰も、困難を避けることはできないのです。では、困難を避けることが私たちの本当の戦いでないとすれば、何が私たちの戦いの本質なのでしょうか。
試練、ということですから、困難に会う時、私たちは何かが試されるのです。何かがふるいにかけられるのです。

① 意味を知ろうとすることの戦い A battle of knowing the “why”s

 私たちは、どうして? ということにこだわり、答えが知りたいと苦しむのです。どうして、私がこの困難に会うようにされたのだろうか。どうして、どうして。。。と
 ヨブ記では、ひどい困難にあったヨブは、嘆きに嘆き、常に神を呼び求めます、神に質問したいと。直接神に懸け合いたいと。
私たちは、苦しみに対して納得したいという思いが出てくるのです。

② 苦しみと向き合うことの戦い A battle of being in suffering

また、苦しみ自体と向き合うことが非常につらいのです。ある人にとっては、肉体の痛みでしょう。人間関係、疲労、精神的苦痛。。。苦しみというものはいろいろな形がありますが、私たちは、苦しみに会う時に、どのようにしてそれを避けれたか、と苦しみよりも賢くなろうとしてもがくのです。そうすると、もっと辛くなります。心に休息がなくなるからです。

③ コントロール欲と信仰 Need of control vs. faith

私たちは、自分の内のコントロールを自分が取りたい、先を知りたい、危険は避けたい、というコントロール欲と結局は戦うのです。どうして、コントロールしたのでしょうか。それは、自分が弱々しく、脆弱である状態が我慢ならないからです。

これは、本当に難しいことを私が言っていることは、承知しています。しかし、聖書が脱出の道があるというなら、それを信じなければならないのです。

④ 答えは信仰 The answer is faith

V14 偶像礼拝に気をつけなさい。flee from idolatryとある通りに、コントロール欲は偶像礼拝に繋がっていきやすいのです。「これさえ叶えば」という強い思いが、刹那的な欲望現実を求めさせるのです。わたしたは、永遠への思いがなくなってしまっては、信仰がいらなくなります。
困難の中での戦いは、信仰の戦いであり、信仰が試される時であり、見えない神を時間を超えて信じることの戦いとなります。

この信仰は、ダニエルの友達たちがはっきり言ったように、「たとえこの祈りがかなえられても、それでも、私は神を信じる」という信仰です。
答えは、信仰しかない。

★ キリストの愛にとどまることが私たちの勝利 Our victory comes from dwelling in God’s love

1ヨハネ3:8
罪を犯している者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。

1ヨハネ4:14-16
14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。15 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。16 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。


私たちには、私たちのために一人子イエス様を十字架にかけるほどの愛を持つている神がいること、私たちのために命を捨てられたイエスの愛があること、ここにとどまる時に、私たちは勝利できるのです。
問題、戦いは、苦しみを取り去ること自体ではなく、神の愛にとどまれるかどうかということです。
これが、パウロの「試練」についてのメッセージの本質です。試されるが、神の愛から離れないようにということ。



#戦い #礼拝

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久々に映画に

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久々に映画に リーガルシネマに行ったんですが... リーガルシネマに行ったんですが、なんと、シートが広く、なんと、レージーボーイ式に足元がグイーンと伸び、そして、背もたれもリクライニングで、お家でゆっくりしているかのようなイスでしたーー
今週は、久々に時間ができたので、

二、三年ぶりに映画に行きました。

時間ができたときに行くので、何を観るかは、今やっている中からエリックが選びました。

お話は、あるカップルが里親になるというお話し。

アメリカでは、ドラッグやアル中などで、子供たちを自分で育てられない親たちがたくさんいます。

この映画は、コメディなんですが、私は、ずっと泣いていました。

今、カウンセラーとしてインターンをしている施設には、このような人たちが一生懸命生きているからです。共感しまくりです。。。。

里親になる立場とは逆ですが、

親が中毒患者だった人たちはたくさんいます。

なかなか、里親を信頼できない、トラウマで悪夢にうなされる、注意散漫になるとか、暴れてしまう、かんしゃくがおさまらないとか。。。。

中毒患者の子供たちは、大きなトラウマを抱えています。

心が痛みます。。

この映画は、コメディで、ユーモアと涙と感動が混じったとてもいい映画でした。

また、これを観て、このような子供たちがいること、中毒患者がいることなどにみなさんの興味が向けられたらいいなと思います。

あー。。。泣きすぎて、頭が痛い。。。。

休みなのに、真剣に映画見すぎました。汗
#ブログ #映画

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自分自身との戦い

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月曜日にアートを中学生たちとし... 月曜日にアートを中学生たちとしました。
自分の心の中心に何があるかーというお題です。
2018年11月18日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


今日は、先週話した三つの内の一つ、自分という戦場につて話したいと思います。今日は、みなさんが何かを見つけて自由になる日となることを祈ります。創世記にはたくさんの教えが込められています。もう一度読んでみましょう。今日は、最初の人が罪を犯した後から。

創世記3:9-13
9 神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」10 彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」
11 すると、仰せになった。「あなたが裸であるのを、だれがあなたに教えたのか。あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から食べたのか。」12 人は言った。「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」13 そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

この後、神様は、罪の結果である呪いについて話されます。

①自分の責任は何か
この箇所は有名な箇所です。そして、私たちはみな責任転嫁をすることを知っています。小さな子供だって、嘘をつくときに、「わたししてないよ。お兄ちゃんがした。」とか、言いますよね。大人になったら、私たちは、それをしないものだと思っていますが、実は結構しているんですよねー。

〇 投影Projection

  先週も少し話しましたが、私たちには感情、感覚があります。そして、それが心地の良いものでなければ、私たちは、自分の内側から外に出すことによって、自分の居心地の悪さを解決しようとします。我が家では、私が忙しくて、家事に手が回らないので、散らかった家を見て、すごくイライラします。自分が時間がないこと、散らかっていることが嫌なんです。すると、何が起こるかというと、エリックが悪いことになります。エリックが散らかすから、片づけないからという風に、イライラの対象を自分の外側に置くことによって、自分の内側が守られるようにするのです。
これは、自己防御システムです。
このようなことは、人は四六時中しているのです。
一つ、ポイントは、私たちは不快な気持ち、居心地の悪さをどう処理するのか? ということです。

〇決断、選択の法則

ここで、はじめに話した選択の法則が出てきます。私たちは、みな自分で何かに同意し、信念を持ち、そして自分で決めて行動しているのです。自分で選択しながら毎日生きているのです。良く、誰それさんが私にそうするように仕向けたとか、傷つけられたとか、言いますが。本当のところは、自分がその感情を持つことを自分で決めているのです、また人は誰も強いられて物事ができないのです。やる以上、自分で決めているのです。

〇自分の責任、感情を自分のものと認める時に成長する

では、あなたの本当の感情、責任とは何でしょうか。アダムとエバの場合を見てみましょう。
「神様が、食べてはならない実をたべたのか」と聞かれました。すると、アダムは、「はい、食べてしまいました。ごめんなさい」とは言わず、「あなたがくれたあの女が私に食べるようにさせた」と言ったのです。アダムは、恥がものすごく強いようですね。第一、エバがそうさせたといい、しかも、そのエバは神様が送ったというのです、最終的には神が悪い。と言って、自分の恥にさいなまれている居心地の悪さを神のせいだと言っているのです。神を責めることで、自分が責められないようにしているのです。人を裁くことによって自分が裁かれないようにしているのです。これは、面白い構図です。
マタイの福音書7:1〜2には、. 「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ」“Do not judge, or you too will be judged. 2 For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you. とあります。裁きを自分からのぞくように、自分の力ですることが、どうも人間の罪の副産物のようです。
ここで何がおこっているでしょうか。自分の感情、居心地の悪さ、を自分のものとして認めないということです。また、裁きは必ず自分に帰ってくるという霊的な法則でする
実際、しようと思えば、アダムもエバも、神様の前に、自分の恥をさらけ出して、ごめんなさい。と、言えば言えたはずですよね。自分の内側を潔く認めること、その責任を自分にあると認めることが、勝利の第一ステップです。

②自分のパターンを知る

人は、それぞれ、恥に向き合うパターンを持つています。真逆に見えるケースでも、実は、同じ根っこなんです。根っこは、自分の恥を自分のものとして認めたくないということです。
例えば、いじめっこ、いじめられっ子がいるとします。いじめっこは、自分の内側の恥を自分のもととして認めたくない、しかし、その恥が自分の外に見たい、だから、いじめる。いじめる人の上に恥をかかせることで自己逃避する。また、いじめられる方も、いじめてくる人の上に恥を見て、自己逃避する。自分の人生の悪は全てその人の責任であり、自分の責任を完全に放棄する。共依存もそうですね。自分が人にコントロールされていると言った生きた方が、その人にとっては楽なのです。自分の人生を自分のものとして認め、責任を持たなくていいからです。
いろいろなパターンがあると思います。が、全ては、自分の問題を自分のものと認めないことにあります。

③自分をコントロールしているものを知る

解放と勝利の鍵は、縛られているものを知ることです。自分の責任転嫁をしている部分、また居心地の悪い感情とは何でしょうか。アダムとエバの責任転嫁が、神との和解を遠ざけ、呪いに縛られたように、私たちは、自分の責任を自分のものとして認識することを放棄する時に、違うものに支配されることに同意しているのです。
「私は、一度伝道したけど、友だちに拒絶されたから、もう二度としない。」ということがありますが、これは、ずっとあなたをを縛るものとなります。伝道ができなくなるのです。できるようになっても、できる能力があっても、できる神様からの助けがあっても、躊躇して、寄り付かなくなるのです。友達に拒絶されたという何とも言えない、感情、恥ずかしさ、自分が退けられた、嫌われるかもしれない恐れ、これをどうして処理したらいいか分からないので、伝道には二度とかかわらない。とするのです。
私たちのうちに、私たちの行動に限界を与えてるものはありませんか。人間関係に限界をもたらしている関係はありませんか。
誰と、難しいでしょうか。どんな人が難しいでしょうか。

④神を選ぶことを決断する

ロマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

私たちは、悔い改めによって心を一新することができます。悔い改めによって、私たちは、神様を選ぶことができます。悔い改めによって、神様との関係を取り戻すことができます。
それは、アダムとエバの信仰が及ばなかったところですが、今や、イエス・キリストによって明らかにされていることです。

ヨハネ3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。


There is no condemnation in Christ. Rom 8 キリストにあって、もう二度と罪に責められることはありません。
イエス様は、私たちの罪を赦すために来てくださいました。
今、心にかかっているひと、自分の行動、自分を守る行動、自分がいらいらしていることの原因と自分が思っていること、自分自身、またアダムのように、神様がそうしたんだという神様を責める気持ち、全てを神様に持って行って、自分のありのままの感情を神様に知っていただきましょう。
必ず、私たちの心が一新され、あなたは自由になります。







#戦い #礼拝

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あなたの戦いを知る

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礼拝後、子供たちは日本語のお勉... 礼拝後、子供たちは日本語のお勉強や算数をしています。えらいですねー 結構難しい問題をしていますよ。... 結構難しい問題をしていますよ。偉いなー
2018年11月11日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


今日は、ベテランズデーです。国のために仕えた方々に敬意を表す日です。ベテランズデーにちなんで、戦いについて話したいと思います。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず 、if you know your enemy and know yourself、in a hundred battles you will never be defeated; know your enemyということわざの通り、私たちが敵を把握し、自分を知るならば戦いに勝てるというのです。この言葉は、クリスチャンならばまさに当てはまる言葉であると思います。

先週は、あなた自身について知ることについて、またそこに戦いがあることを話しました。では、あなたの敵とは誰なんでしょうか。今、あなたが戦っているのはなんでしょうか。

① 自分自身 Yourself
弱さ、エゴ、自分の考えの中、頭の中に戦いがある、negative self-talk, 人間関係、Soul tie, vows自分に起因する戦い。この分野は、ボンデージブレイキング、解放の祈り等のミニストリーでずいぶん改善される。
   
ロマ12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

〇 神の御心がわかれば、こんな生きやすいことはありません。しかし、私たちは、自分の考えの中で戦いがあって、頭の中がスッキリしません。
Soul-tie になっている人の言葉が気になったり、人に言われたことが気になったり、あるいは、自分が信じている自分像と神様が言われる自分像が一致していなくて、迷うことが多いのです。

2コリント10: 4 -6
私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。5 私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、6 また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。
 
〇 聖書は、そんな私たちのややこしい頭の考えさえも、キリストの十字架に持つて行って癒されることができるというのです。


② 環境circumstance & environment
  家族の必要、介護、自然災害、等々
  自分の内側から来ていない戦いがあります。

この分野は、自分に課せられた義務であったり、突然の事故であったりします。体の障害なども本当の意味での試練と言ってもいいと思います。イエス様は、身体の障害について、神の栄光が現れるためだ(ヨハネ9:1-41)、と言われています。自然界でも、起るように何千に一件、または何万に一件という障害というのは出てきます。それも、神様の創造のいろいろなかみ合わせ仕組みの中で起きてくることです。私たちは、苦しみを感じるときに、その苦しみの答えを見出したい、あるいは、それを抱えているのが難しいので、自分の外に投影したくなります。そして、神が悪いことにしたり、誰かほかもののせいにしたくなります。私たちが、それを自分の一部として受け入れ、向き合うならば、神の栄光になるのです。

- 家族について Family
ルツ記、イエス様が十字架で母のことを頼むと託したり
例えば、介護などは、人間の身体の死に向かう法則に逆らえない。みな、介護が必要になる。病気や障害などもあるだろう。
これを解釈するに、私たち人間は、神が罰しているとか神の怒りだとか呪いであるとか、私たちの抱えきれないネガティブな気持ちを神のご性質に投影させる性質がある。本当に神がそうしているのでしょうか?

- 自然界 Nature

ローマ8: 19 -21
被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。20 それは、被造物が虚無に服したのが自分の意思ではなく、服従させた方によるのであって、望みがあるからです。21 被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられます。

ヨブ38: 4
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。“Where were you when I laid the earth’s foundation? Tell me, if you understand.

聖書は、この世の自然界のあらゆる災害などは、究極的に人間の堕落と関係あるというようにロマ書にあります。自然界の本当の回復は、神の子供たちの回復によるのだと。また、聖書は、自然界のすべてのことは、あらかじめ、神が法則を定め、その定め通りに動いている。その歯車の通りに動いているのであって、それが、嵐になったり、地震になったりする。全世界の歯車の一部でものごとが起きている。ですから、神の裁きであるということも完全には当てはまらないケースるもある。ここで、大切なのは、神は神を愛するものには、全て働かせてを益としてくださる神を選んで行くという、戦いになります。we know that in all things God works for the good of those who love him.

③ 神の敵 God’s enemy
血肉によらない。真に霊的な戦い。この戦いができるチームが必要。如何せん、私たちの多くは、一番、二番の戦いで精一杯になってしまうのです。また、一番、二番のように表面的に見える霊の戦いもあります。私たちに霊の戦いの勇士たちが必要です。一番、二番を通らないと、三番を洞察できない。

ヨハネ10:10
10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

エペソ6:10-13
10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。 

◎あなたの戦いはどのカテゴリーでしょうか。What is your current battle?
何に対して今、戦いを感じていますか
人は、苦しみに会う時、戦いを感じる時に、全てを神のせいにしたり、全てを悪魔のせいにしたりします。私は、苦しむために生まれてきたんだ。とか、こんな不幸なことが起きたのは、神の御心なのだとか。あるいは、全部サタンのせいだ、だから、悪霊追い出しを毎日する。とか。両方、間違っています。

◎一番から三番、一つ一つ向き合い、勝利を経験するなら、洞察と権威が増していきます。なぜなら、それだけ、キリストを個人的に知るようになり、キリストのご性質を理解するようになるからです。

◎今の戦いから逃げないで、勝利していきましょう。
鍵は、イエス・キリストです。私の弱さに、キリストはどんな答えをくださるのか、家族の介護や世話に向き合う時、私はキリストの何を学ぶのか、霊の戦いをする時に、キリストの力がどんなに強いかを知るようになることです。

◎次の三週間、この三つのカテゴリーを掘り下げていきたいと思います。そして、ますますキリストと私たちが一つになり、キリストをよく知ることができる助けになりますように。

ピリピPhilippians 3:8
8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。


#戦い #礼拝

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自分を知る戦い A Battle of Knowing Yourself

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十月のお誕生日祝い 十月のお誕生日祝い いつもケーキを作ってくれるるり... いつもケーキを作ってくれるるりこさん、今月はおめでとうございますー♪
2018年11月4日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ 音声は


創世記3章の続き。。。創世記三章にはまだまだ霊の戦いのメッセージが含まれています。
恥、罪、サタンの罠の構造について触れますが、自分を知るということに戦いがあることと、自分を真の意味で知ることの勝利についてお話しします。

創世記Gen. 3:1-6
1 さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。「あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない、と神は、ほんとうに言われたのですか。」2 女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3 しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と仰せになりました。」4 そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。5 あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」6 そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

★ 同意の力 Power of Agreement

以前にも話しましたが、同意の中に力が働きます。私とエリックも結婚の誓いをして同意の上で、家族としての人生が成り立っています。その同意によって、経済的にも精神的にも、将来も、いい時も悪い時も、全てが二人三脚になります。神との同意、約束の中に生きる時、エデンの二人には祝福がありました。しかし、サタンが横から来て、「本当に神はそう言ったのか?」「あなたはこの実があなたを神のようにするのを知らないのか?」という惑わしの言葉さらに、「死なない」という嘘を入れてきました。アダムとエバは、行動によって、神よりも、サタンの言うことに同意したことを表しました。同意に力が働きますから、サタンに自分の人生を支配する権利を与えてしまったのです。

★ サタンの策略 Satan’s scheme

同意の力を自分の方に引き寄せるのが、サタンの策略です。
嘘との同意…先週の話しでもありましたが、私たちは信じている通りに行動をするのです。信じるためには何かに同意をしなければいけません。サタンは、あなたの同意を自分に常に向けようとするのです。そうしたら、世話が無いのです。あなたに毎日付きまとわなくても、あなたはずっとサタンの敷いたレールを走るからです。

「悪魔の手紙」というシー・エス・ルイスの本を読んだことがあるでしょうか。日本語でも読めます。サタンがその弟子にどのように人間をだましたらいいかということを指導する手紙です。しかし、読むと身につまされ、いろいろと教えられます。
The Screwtape Letters by C.S. Lewis
Enemy makes us busy/performance/ be religious, spiritual … 忙しくさせ、何かを上手くやることに集中させろ、宗教にこらせ、霊的にさせろ
Make disappointed. がっかりさせろ
Two persons fight each other. Let them say bad things each other. 二人の人がいたら、喧嘩させて、互いに悪口を言わせろ。
Let them Self-talk negatively 自分自身に対して否定的に呟かせろ
Compare themselves to others even in the church. 人と比べさせろ、教会でも
Let them focus on their sins and others’ sins. 自分の罪と他人の罪にこだわらせろ
Let them avoid sincere/vulnerable prayers 心からの弱さからくる祈りを避けさせろ

◎人間関係の法則Law of Relationship
サタンは、ここで何をさせたいのだと思いますか。そうです、神様と顔と顔を合わせて持つ関係から私たちを離したいのです。「関係」から話せば、サタンは私たちを楽勝で破滅に向かわせられるからです。これが、敵の策略であり、罠です。

★ 真理はあなたを自由にする The truth set you free

ヨハネJohn 8:31-32
31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」To the Jews who had believed him, Jesus said, “If you hold to my teaching, you are really my disciples. 32 Then you will know the truth, and the truth will set you free.”

★ あなたにとっての真理とは何か? What is your truth?

◎ 勝利の鍵は自分自身・あなたに関する真理を知ること Key is to know yourself
① キリストにある自分 In Christ

神様との関係にフォーカスすることが私たちを守ります。わたしたは、サタンの罠に引っかからないために、必要なことがあります。それは、神にあって、自分が何者であるかということを知ることです。
あなたは、キリストにあって、新しくされた、今や、神の子供です。神の子供ですから、あなたは、神の国の王子、王女です。また、キリストの身体、キリストの花嫁です。花嫁だけが、花婿イエス様の寝室に入ることができます。一番親しい存在だからです。また、キリストと一つにされている存在です。私の罪は、全てキリストの十字架の業により、赦されました。私の人生はキリストによって買い取られ、キリストに属するものとなりました。これが、私のアイデンティティです。

② 自分の弱さ・恥について知る Your weaknesses and shame

以前、弱さの中にある恵みについて話しましたが、よく、クリスチャンの人で、一番目のアイデンティティだけを唱えて、後は、知らんぷりする人もいます。ある意味で、それは正しいのですが、私たちは、何から自由になったかはっきり知っておかなければ、また罠にはまるのです。違う言い方をすると、裸になることを知らなければ、自分の裸を葉っぱで覆うような信仰生活をしていては、隠れた部分が敵の攻撃の対象となるのです。隠れた部分に、サタンは語り掛けます。「本当に神はそう言ったのか?」「神はあなたに教えなかったのか」と。
自分の弱さの傾向を知ること、自分の恥の持ち方を知ることはとても大切です。

◎隠れるHiding

敵の嘘は、いつも私たちの弱さ・恥を隠すように仕向けてきます。私たちはそれを受け入れやすいのです。エバにとっては、「私には神は教えてくれなかった。」という自分は選ばれる資格がないのだという恥から来ました。エバがすぐさま実を取ったという姿からもうかがえます。
私たちの信じていることが私たちの行動に現れます。
私たちは、自分の弱さ・恥をれば知るほど、強くなり、自由になります。弱さに神の真理を迎え入れるからこそ、私たちは、成長し、サタンの嘘から守られます。

ヨハネJohn 8:31-32
31 そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

あなたの恥は、どこに現れているでしょうか。恥は、顔と顔とを合わせることをおっくうにします。あなたを忙しくさせ、うまくやることに集中させ、自分の罪について悩みすぎ、人の罪が気になりすぎる、人のうわさをする、悪魔の手紙の中にあることは、全部、顔と顔とを合わせる関係を避けさせるものばかりです。

◎どのようにして自分の恥を見つけるか Finding your root of shame

問題があれば、そこから見つけられる。どうして、私はこんな行動をしたのかと考えてみる。どうして、こんな気持ちになったのかと振り返ってみる。振り返り、自分を吟味せずには自分の恥が分かりません。また、他人とのかかわりがなくては自分の恥はわかりません。人間関係のクオリティからも考えられるでしょう。自分の人間関係の築き方からも。。。

★ 裸でいられることが勝利 Stay being naked before the Lord

創世記Gen 3:7 彼らは裸であることを知り、自分たちの裸をいちぢくの葉で覆って隠した。
ここを読んだとき、なんとも言えない悲しみが私の心に来ました。
自分の姿を隠さなければならないとは、なんと悲しいことでしょうか。
あなたはどこにいますか? と神は今日も探しておられます。裸で神の前に出ましょう。自分の裸の姿を、自分の力で隠すのはやめましょう。

◎恥は、見つけられると力を失う。Shame loses its power when it exposed. 恥は、そこに空気が触れると小さくなる。Be vulnerable!

ガラテヤGalatians 3: 27
バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。for all of you who were baptized into Christ have clothed yourselves with Christ.

キリストを着ている、ということを日々確信しながら歩みましょう。
#弱さ #戦い #礼拝

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