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ぼくしのめがね

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世の光、地の塩 You are the light of the world, the salt of the earth.

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ランチタイムの様子。森本さんに... ランチタイムの様子。森本さんには、みんなで食べる最後のランチでした。 いつもの通り、帰った人もいるけ... いつもの通り、帰った人もいるけど、記念撮影。みんなで、思い出を書いたり、メッセージを書いたアルバムを送りました。日本でも、たくさんの人の祝福となってくださいね。
2019年2月24日日曜日礼拝ショートメッセージ音声は、

マタイ5:11-16
11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。
13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。
16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

迫害されるとき喜びなさい、というイエス様のお言葉だった。これから、日本に行く森本さんですが、アメリカにいるのと随分違うことを感じると思います。また私たちも帰国して家族と会えば、随分文化的な違いも感じると思います。
個人の信仰よりも、みんなと同じことをするのが正しいとされるのが日本の文化です。また、日本人の罪の捉え方は、みんながしていたら罪ではないという感覚があります。日本人は倫理観が高い民族で、昔から嘘をつくこと、また人のものを盗むことは悪いということを認識していました。が、コミュニティのみんながしていたら、いいかーと思うのです。赤信号みんなで渡れば怖くない、みたいな。また、旅の恥はかき捨て、というように、自分のコミュニティを離れたら、罪の意識が下がるという傾向もあります。
そのような文化の中で、クリスチャンというマイノリティとしてコミュニティの中に入っていくのです。

その文脈の中で、イエス様は、あなたは世の光です、地の塩です。とおっしゃいました。そして、光を隠さないように、塩気をなくさないように。。。と。

★ あなたは、すでに世の光であり、地の塩である。

★ 光
世の光---- イエス様の事。ヨハネ1:9すべての人を照すまことの光。
イエス様を信じる私たちもまた、世の光だというのです。あなたと、イエス様は、一つなのです。

◎明かり燭台の上に、マスの下には置かない
 クリスチャンの生き方の選択、意志、Intentionality をしっかり持つようにということ。あなたは、世の光であると自覚し、世を照らすのだ、という自覚が必要。

◎この世は暗い海を航海するようなものです、灯台の光が無ければ、事故にあってしまうし、位置が分からない。光は、私たちに安心をもたらします。あなたも、誰かの人生の道しるべとなるように召されました。

★塩

◎大変貴重なものであった。当時は、お金、金や銀の代わりにも流通するくらい、貴重なものでした。あなたは、すでに、貴重な存在であることを忘れないで

◎日本でも漬物を食べますが、ハムやソーセージも塩漬けにします。腐ることから守るからです。あなたが、その町、職場にいるから、その腐敗を防いでいるのです。

◎味付けをする。ハーモニーさんも塩コショウだけで、とても美味しいスープを作られますね。ああ、塩だけでいいんだなーと前回のポットラックで思ったものです。
あんこだって、砂糖をたくさん使いますが、美味しいあんこを作るには、塩加減です。
あなたは、地の塩、この世に美味しい味をつける役目をしています。ですから、塩気をなくしては、役に立たないよというのです。
塩気とは何でしょうか。それは、キリストの似姿です。

★クライストライクネス
私たちは、キリストと向き合い、キリストについて行くときに、キリストの光を受けてそれを反射しながら輝くのです。また、キリストについて行くことで、塩気を保つことができるのです。

これから、日本に旅立つ森本さんのために祈りましょう。

#マタイ #礼拝

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あなたを強める三つの養い ―エリヤを通して学ぶー

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ツイッターかなー。こんな写真を... ツイッターかなー。こんな写真を見つけました。なんだか、人間みたいな表情ですねー。教会のちびっこたちも時々こんな顔になりますよ。
2019年2月3日日曜日バイリンガル礼拝


聖書箇所1列王記19:1-18

1列王記19章1-4
1 アハブは、エリヤがしたすべての事と、預言者たちを剣で皆殺しにしたこととを残らずイゼベルに告げた。
2 すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もしも私が、あすの今ごろまでに、あなたのいのちをあの人たちのひとりのいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」
3 彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うために立ち去った。ユダのベエル・シェバに来たとき、若い者をそこに残し、4 自分は荒野へ一日の道のりを入って行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」

今日の箇所は、預言者エリヤがバアルの神とバアルの預言者たちと直接対決し、大勝利をした直後のできごとでした。聖書を読んで新しい方のために。。。 エリヤは、450人のバアルの預言者たちを相手に、二頭の雄牛を用意し、互いの神に祈り神自身にいけにえに火を付けてもらおうというものだった。エリヤは、自分のいけにえに水をまき火がつきにくいようにまでしました。そして、バアルの預言者たちは、祭壇の周りを踊りまわったり、身体を傷つけたりして祈りましたが、彼らの祭壇には何もおきませんでした。一方エリヤの方のいけにえには、真の神によって火が付きました。民はみな真の神をあがめました。

このような大勝利の後、アハブ王の妻イゼベルによる殺害予告をされるのです。そして、あのように勇敢に何者をも恐れず、真の神に信頼していたエリヤは、恐れて逃げるのです。
エリヤは、立派に大事業を終えたばかりでした。皆さん、私たちは、今日このお話を通して学びたいと思います。
私たちは、アンドロイドでも機械でもなく、大いなる真の神を信じているとはいえ、生身の人間なのです。大きなプロジェクトを終えた後はどっとつかれるのです。まして、神の霊によって用いられ、霊的な働きをした後は、なおさら、どっと疲れがでるものです。私も、日曜日の夜は、どっと疲れて夕食をつくる気にならないものです。皆さん方も、神様を信じている神の勇士たちです。神様にあって事業を成した後、また継続的に長く神様のために働くには、どのように養われ、回復していったらいいのでしょうか。聖書に従って、三つの点についてみて生きたいと思います。

★人間のエナジーゲージ

 1テサロニケ5:23
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
Now may the God of peace Himself sanctify you completely; and may your whole spirit, soul, and body be preserved blameless at the coming of our Lord Jesus Christ.

車のガソリンタンクのゲージのようなものを想像して下さい。私たちには、肉体、心/感情、霊の三つのゲージを持っているとしましょう。全てがFull に傾いていなければ、人間という存在は、壊れてしまうのです。走り続けることは出来ません。

① 肉体の養い Nurture Your body

1列王記19章5-8
5 彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい」と言った。
6 彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入ったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。7 それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから」と言った。
8 そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。

 ★休息と滋養は、私たちの元気の源

エリヤがイザベルを恐れて逃げたとき、神様は、エリヤを責めませんでした。どうして信仰が無いのかとも言われませんでした。逃げるなとも言われませんでした。神は、天使を送って、エリヤに食事をさせました。そして、エリヤはまた眠り、また起き、天使に食べさせてもらいました。エリヤを選んで用いた神様は、エリヤのことを誰よりもよくご存知でした。エリヤが心身ともに疲れきっていたことを知っていました。また、その余裕のなさから、イザベルを恐れたことも分かっていました。そして、まだエリヤのする仕事があることも知っていました。それゆえ、彼の肉体をまず休ませ、食べさせたのです。そういえば、エリヤは、バアルの神との直接対決のとき、寝ずの対決だったのではないでしょうか。バアルの預言者たちは、夜通し踊り身体を傷つけながら大声で祈っていましたし、それをエリヤは見ていました。
Also, body keeps score
私たちも、体が資本です。体がなければ、私たちは、神のために働くことはできません。いくら、強い心を持っていても、体がなければ、その表現のしようがありません。聖書は、「私たちの身体は、聖霊の宮」であると言っています。
もし体、精神が疲れがちであれば、食生活と睡眠を振り返ってみてはいかがでしょうか。また、体が疲れているとき、判断力が鈍っているのかもしれません。元気なときにはしないような決断や、発言をしてしまうものです。
旅はまだ遠い…神は私たちが0%の時でも私たちのために先を見てちゃんと養ってくださる。まさに、新約が言っているように着る物食べる物のことをなぜ心配するのか? 野に咲く花を見よ、鳥たちを見よ、働かないのに神に食べさせてもらい、あんなにきれいに着飾らせてもらっていると。。。。

②  たましいの養い Nurturing Soul

1列王記19章9-10
9 彼はそこにあるほら穴に入り、そこで一夜を過ごした。すると、彼への主のことばがあった。主は、「エリヤよ。ここで何をしているのか」と仰せられた。
10 エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らはいのちを取ろうとねらっています。」

★心の傷を吐露するエリヤ これが彼の隠れた問題であり、彼を徹底的に疲れさせ恐れさせた原因であった。

エリヤは、「何をしているのか?」と、神に話しかけられ、言いました。「私は熱心に神に仕えてきた」「イスラエルの民は、預言者を剣で殺し、私だけが残りました。今は、私まで殺されそうです。」と、苦々しさいっぱいです。エリヤは、大勝利を取ったのではなかったでしょうか。確かに、イスラエルの民は、真の神をないがしろにし、預言者を殺し、祭壇を壊したかも知れません。しかし、かの大対決で、真の神の勝利により、民は、主をあがめたのではなかったのでしょうか??

エリヤには、トラウマ、心の傷がありました。自分の友達預言者たちがどんどん殺され、自分の一所懸命の働きが本当にしんどく感じ、孤独感を持っていたのです。神様がかえりみてくれるかどうか分からないほど、孤独感に苛まれていたのです。エリヤはトラウマから回復する間もなく次々と神の働きに携わったて疲れてしまったのです。

これが、エリヤのうつ状態の隠れた原因です。
私たちは、心で信じているとおりに自分の人生を持って行きます。エリヤは、この思いを引きずっていたために、逃げ出し、引っ込み、もう自分なんていっそのこと殺して欲しいと言いだします。あんなに大成功を収めた人が、です。エリヤは、神様に対して、苦々しい気持ちがあったのです。「どうして?」と言う思い。「この仕事は大変すぎる」と言う思い。神が付いていれば、百人力以上であるにもかかわらず、孤独感、自分で全てを背負わなければいけない気持ちになりました。これは、神様に対しての裁きを持っている人が陥り易い姿です。

●感情の癒しは、共感、エンパシーで癒される。聞いてもらった。分かってもらった。が大事。神は、あえてエリヤに心のうちを話させました。私たちのたましいの癒しは、ここから来ます。人に話すのでもない、神に知ってもらうときに、私たちのたましいは、満足を得、そして、神からの癒しを受け取ることが出来ます。

今日皆さんにお勧めします。辛いとき、しんどいとき、後ろ向きになるとき、あなたのたましいに癒しが必要です。養いが必要です。ぜひ、神様に心のうちを全部、感情を含めて注ぎだしてください。神は、必ず癒しをもたらしてくださいます。

③ 霊の養い Nurturing Spirit

1列王記19章11-13, 18
11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。12 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。
13 エリヤはこれを聞くと、すぐに外套で顔をおおい、外に出て、ほら穴の入口に立った。すると、声が聞こえてこう言った。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」

18 しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかかめず、バアルに口づけしなかった者である。」

★霊を養うには Nurturing your spirit
神の声を慕い求めること、神の声を聞くこと、神の約束を受け取ること

もう一つ、神様のあって私たちに必要な養いというのは、霊の養いです。霊の養いについては、あまり語られてこなかったのかもしれません。けれども、これが一番大切なことです。どんなに有能になっても、物事が上手にできるようになっても、霊的に養われ、満足していなければ、人は迷ってしまうのです。私たちの霊を養うには、ただ一つ、神の声を聞くことです。
11 主は仰せられた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。

●今まで、力ある神の業をしていたエリヤは、この力強い、地震、風、岩々を砕く激しさの中にも、火の中にも、主を探しましたが、見つかりませんでした。
エリヤは、力と動の源である主を、静けさの中に見出すことを学んだのです。
エリヤは、かすかな小さい声を聞くことになります。
その声は、耳をすまさないと聞こえません。
耳をすますことを私たちが知るならば、私たちは怖いもの知らずです。

神様を慕い求めましょう。あなたがその目と耳でとらまえるまで。主は、探すものに見つけられます。愛する者を愛されます。

そして、彼はまた心のうちの傷を口にします。私たちは、たましいのレベルの傷とまた更に深い霊的な傷を取り扱われる必要があります。彼にとって、この傷の癒しは、完成します。
主は、また、彼を責めることもなく、とがめることもなく、諭すこともなく、彼の心のうちを聞き、彼を受け入れておられます。

そして、神は、なすべきことを語られ、約束をエリヤにされます。
バアルにひざをかがめない7000人を取ってあると。なんという励ましでしょうか。エリヤは、孤独などではないのです。

みなさん、神の声に耳を傾けましょう。それがあなたの霊を養う方法です。また約束をもらうまで、ひつこく神様に耳を傾け続けようではありませんか。私たちが神の約束を受け取るなら、これ以上強いことはありません。
主は、一度も、エリヤを見捨てたことがなかったのではないでしょうか。しかし、エリヤの側で、勝手に孤独に感じ、もう見捨てられた、死ぬしかないと思ったのではないでしようか。
主によって強められましょう。

体、たましい、霊全てにおいて。この三つの分野がいつも健康で、主によって養われている人は、強いのです。


★ゲージのバランスチェック  調整
  朝起きて、何があなたを引っ張っているでしょうか。
  体でしょぅか。 ああ、頭が痛い。足が痛い。だから今日はあれが出来ない、これが出来ない。。。。  体があなたを引っ張って一日を始めます。
  心/ 感情? ああ、今日も上司に会いたくない。仕事いやだなぁ。。。起きるなり、いやな人の顔が浮かぶ。  感情があなたを引っ張り、一日を支配します。
 霊? 朝起きて、ハレルヤ! 神様に感謝感謝。賛美の歌が湧き上がる。何が起きても揺るがない一日になります。
一日が人生に発展します。私たちは、何に引っ張られて生きているのでしようか。
理想的なのは、霊、心/感情そして体の順番です。   大きくの人は、心・感情が一番、次に体、そして霊が最後に来ています。このバランスでは、エリヤのように疲れきり、死んでしまいたくなってしまうのです。。。
#1列王記 #礼拝

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主と一つに Becoming One with the Lord

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礼拝後雪が降りだして、子供たち... 礼拝後雪が降りだして、子供たちは外にーーーーー 寒くて積もった雪はしばらくのこ... 寒くて積もった雪はしばらくのこりました。エリックがシアトルセンターをお散歩中。
2019年2月10日日曜日バイリンガル礼拝


みなさん、こんにちは。最近、よく考えさせられていることがあります。それは、「一つになること」です。聖書を読んでいると、いかにこのコンセプトが多いことか、と思います。また、私たちの日々の生活でも、特に結婚生活では、いかに一つになるかが重要になってきます。まぁ、エリックとも良くも悪くも一つになってきて、「あらー、長いこと一緒にいたんだなー」なんて、冗談を言うこともあります。結婚は、イエス様と教会の型でもあります。私たちは、どのようにイエス様と一つになっているでしょうか。

★信仰によって By Faith

咀嚼して一つとなる。By chewing and digesting

ヨハネ6:55-56
わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。For my flesh is real food and my blood is real drink. 56 Whoever eats my flesh and drinks my blood remains in me, and I in them.

イエス様は、この六章の文脈の中でご自分をいのちのパンであるとおっしゃいました。肉と血は、イエス様の十字架の上で裂かれた肉、流された血のことです。聖餐式を思い出してください。これをいただいて、文字通り自分の身体の中にいれるなら、イエス様の内にとどまり、イエス様も私の中にとどまるようになるというのです。この私たちを永遠に生かす、いのちのパンは、信仰によって食べるのです。そして咀嚼し、自分の身体のための栄養とし、そして、今度は私たちの血となり肉となるのです。私たちとイエス様はこのようにして一体となるのです。

★とどまることによって By Remaining

ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine; you are the branches. If you remain in me and I in you, you will bear much fruit; apart from me you can do nothing.

ブドウの木は、つるです。リンゴの木のように枝と幹に分かれてません。リンゴの木のようだと、私たちは太い部分がイエス様で細いところが私かなー何て思うのですが、ブドウはつるですから、どこからどこまでがイエス様で、どこからどこまでが私か、見分けがつかないのです。それほど一体化しているのです。

とどまる= キリストの中に宿る、住む

キリストの内に住み、キリストが私のうちに住んでいるなら、私たちは多くの実を結ぶというのです。私たちはみな、実りの多い人生、有意義な人生、意味のある人生、また周りの人を祝福する人生を送りたいと願っているのではないでしょうか。私たちは、キリストを離れては、そんなことはできないのです。

★みことばにとどまる=愛にとどまる Remaining in word = Remaining in Love

ヨハネ15:7-10
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。If you remain in me and my words remain in you, ask whatever you wish, and it will be done for you. 8 This is to my Father’s glory, that you bear much fruit, showing yourselves to be my disciples. 9 “As the Father has loved me, so have I loved you. Now remain in my love. 10 If you keep my commands, you will remain in my love, just as I have kept my Father’s commands and remain in his love.

私たちは、み言葉、戒めを守るとなると、ちょっと緊張するかも知れません。しかし、こう考えてみてください。あなたと神様は愛の関係の中にいます。互いに愛し合い、尊敬しあっているのです。神様が嫌うことをしたいと思うでしょうか? 私と夫の関係の中でも、わざわざ夫の嫌がることを私は選んですることはありません。うっかりはあるかも知れませんが。。。愛にとどまっていれば、私たちは、自然にみ言葉に従いたくなるのです。神の戒めを守りたくなるものなのです。
愛というものは、決断が伴います。とどまることは、あなたの決断を要します。何となく、ではなく、自分の意志によって愛するのです。

★主よ主よではなく、御心を行うもの

マタイ7:21
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。“Not everyone who says to me, ‘Lord, Lord,’ will enter the kingdom of heaven, but only the one who does the will of my Father who is in heaven.

私がまだクリスチャンではない時に、クリスチャンでどんな人だろうとよくよく注目していました。特徴は、とても優しい、そして、芯が強い。揺るがない。そして、強い新年を持っている。上品。という特徴を見ていました。また、自分がクリスチャンになりたての頃、よく家族から、そうでないことでつつかれたものです。。。また、自分がまだ若い信仰の時には、まだまだイエス様の深い愛についてもあまり咀嚼できてなかったです。咀嚼して、完全に自分の体験として、自分の血となり肉とはなっていませんでした。頭の中の知識でした。

★行いの無い信仰は死んだ信仰 No deed, No faith

ヤコブ2:14-17
14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは死んだものです。14 What good is it, my brothers and sisters, if someone claims to have faith but has no deeds? Can such faith save them? 15 Suppose a brother or a sister is without clothes and daily food. 16 If one of you says to them, “Go in peace; keep warm and well fed,” but does nothing about their physical needs, what good is it? 17 In the same way, faith by itself, if it is not accompanied by action, is dead.

ヤコブ書は、ごもっともなことが書かれています。信じていたら、行動が伴うはずだというのです。確かに、口では「私はクリスチャンなのよ、教会に行きましょう」とか言っていても、未信者であっても、それはクリスチャンらしくないというような行動をしていたら、どうでしょうか。。。その人の信仰は無いに等しいと、未信者でも判断できるのです。

★実=行い Fruit = Deed

私たちが、主と一つになるには、咀嚼が大切です。咀嚼の方法の一つに無くてはならないのは、「行い」です。私たちが神と愛の関係にあり、神の言葉、教えをいただいて、自分の一部になるならば、行動が変わるのです。それでこそ、キリストとあなたが一体化しているということなのです。だからこそ、パウロは、信者のことを小さいなキリストと呼んだのです。行いは、私たちの信仰の実です。

今週、少し考えてみましょう。私は、私の信じていることを行動に表せているか。吟味してみましょう。また、神の愛にとどまること、神のみ言葉にとどまること、たくさん食べて、自分の一部となることができますように。。。聞いたみ言葉を行動に移すことが成長の鍵です。


#ブドウの木 #一つになる #礼拝

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主を待ち望む Wait on the Lord

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主を待ち望む Wait on ... 木曜日の聖書の学びのひと時。。... 木曜日の聖書の学びのひと時。。。。
毎週、神様に心ふれられています。。
2019年2月17日日曜日礼拝音声は、


イザヤ40:28〜31
28主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。29疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、30若い男もつまずき倒れる。31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

★イザヤ書の背景
バビロン捕囚、長い間解放されないので、希望を失い、疲れ果ててしまった様子。バビロン捕囚はそもそもソロモンが入れた外国人の女たちの神々が始まりであり、偶像礼拝がそもそもの問題でした。国が分裂することになり、またそれぞれの国は、バビロンとアッシリアに取られてしまうのです。結局、バビロンでは、70年も過ごすことになるのです。これは、孫の世代まで続いたということです。三代、四代。。。何か罪の呪いは三代、四代、しかし、祝福は千代に至る、を思いだいますね。

私たちも神を信じていても自分には手におえないと思う大きな試練が来ることがある。また長く苦しんで脱出の道がなかなか見いだせずに苦しいこともある。とてつもなく遠い道のりに感じる。
また、人はなかなか良い結果が見れないと、心身ともに疲れ果ててしまう。日本の伝道では、特に因習深い地域では、10年やって人がやっとこさ一人救われるというようなケースも少なくない。伝道者たちは疲れ果てるのです。
皆さんも、そのような経験はないでしょうか。

★主を待ち望むもの

●主
28主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。29疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、30若い男もつまずき倒れる。29 He
- 主は永遠の神、すなわち時を選ばない、時を超えて働くことのできる神。全てを無から有に造られた方。疲れることのない方。知恵のある方。この方が、疲れたものに、倒れたものに力を与えることができるのだと言います。

●待ち望む Wait on the Lord

◎待つことと、希望 to wait and to hope
Wait 待つは、原語でカバァqavah
意味は、つなぐ、to bind ロープで、しっかり結ぶことで強くなる、待つ、期待する、希望を持つという意味です。

◎希望は神にかかっている--- 神と繋がってる
新しく力を得Renew
素早く、スムーズに通る、出てくる、捨て去る、全身する、成長する、終えるという意味があります。

◎ 神を信頼して、神にしっかり繋がっているならば、将来に希望をもって待つことができる。神と繋がっているなら、ある時に、劇的に力が与えられ前進させてもらえる。
という意味になります。イメージは、ロープで繋がっている。何もないところからばっと芽がでてくるような。

●神にあって希望を持つ時に

①自分の願いの中に答えがある
  イスラエルの民は、「自由になりたい」という願いだったでしょう。願いは聖なる場所。神が私たちの心に与えるものであり、完成させるのは神である。ピリピ2:13 for it is God who works in you to will and to act in order to fulfill his good purpose.

私のブレイクスルーのきっかけは、私の小さな祈りだった。「神様、幸せになりたい。」その祈りがきかれて、アメリカに来た。来て間もなく、一番初めのチャペルで、私に手を置いて祈った友達が、異言でずっと「Shiawase, shiawase」と言っていた。びっくりした。彼女は日本語が話せないのです。神は、私の祈りを確かに聞いて下さって、ここまで導いて下さったと確信する瞬間でした。

②神との関係

  自分が神にケアをされる存在であることをまず受け入れる。あなたは神にとって何ですか。どんな存在ですか? それがはっきり自分ものになる時に、全ては変わる。私の場合、「私は神の娘です」だった。守られて当然の存在。
  神にその能力があることを信じる。

③それを信じること

④ただし、一つこの上に忘れてはいけないのは、
自分を顧みること

…自分の至らなさを自分のものとして認識すること。Own your fault. 一番から三番までは、聞きやすい。しかし、これをスルーされがち。私たちは、恵みによって、赦され、神の子としての権利がある。しかし、自分を顧み、自分の過去を認識し、神に赦された罪でさえ、その結果によって苦しむことがある。

(例) 家族に伝道する時に、あなたはこんなわがままな人だと知っている、キリストはどこにいるんだと揶揄される。---- 自分の過去を塗り替えるために、家族の前では本当にキリストに従い、愛することを試される。
人間関係のもつれの結果---- 理解してもらうには、変革した私を見てもらわないといけない。
罪の結果---- どんな罪も赦されます、しかし、自分がその罪を赦されたラッキー! ではなく、その重み、その罪による神の悲しみをよく理解してこそ、恵みの重みが理解できる。日々己の十字架を。。。。と書いてあるが、自分の十字架の重みさえ分からずに、イエス様の苦しみの意味は分からない。ですから、今、苦しみに中にあるなら、試練の中にあるなら、自分の過去を振り返ってみるいい機会です。罪、悪行、行動パターン、言動、苦々しい思い、裁き、憎しみなども清算する機会となります。

◎イスラエルにとってのバビロン

これがそもそもの神のバビロン捕囚の目的でした。人は試練に合わなければ自分の過去を振り返り、自分の失敗に真摯に向き合うことがありません。私たちの罪はイエス様によって悔い改めるならすべて赦されます。しかし、人生が変わるためには、何回も同じことでごめんなさいを言っても変わらないのです。自分の、罪のサイクル、傾向を知って、そこから離れる意思がないと繰りかえすのです。この繰り返すサイクルを断ち切るためにも、イスラエル、ユダの民は捕囚で三代、四代と過ごさなければいけなかったのでしょう。
念押しのように、サイクルを断ち切って行く。完全に偶像礼拝の罪から世代ごときれいになることが神の御心だったのでしょう。
しかし、長い間奴隷生活をしている民には、それを忘れて疲れ果ててしまったのです。

★翼をかって上る Soar on wings

31しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。but those who hope in the Lord will renew their strength. They will soar on wings like eagles; they will run and not grow weary, they will walk and not be faint.

鷹は、大きな翼をもっているという特徴があります。鷹は、上昇気流ascending air currentを利用して翼を広げるだけでやすやすと飛ぶ(Soarする)ことができます。羽の下に押し上げる風を受けて、その風に乗っかっているのです。しかし、小さな翼しか持たない雀はどうでしょうか。ばたばたたくさん翼を羽ばたかせないといけません。また、そんなに高いところをとぷこともしません。鷹は、高く高く、自分の力を休めながら上ることができるのです。

私たちも、神様に繋がっているなら、高く高く、ばたばたもがくことなく上ることができるのです。

●その風とは何でしょうか。聖霊様の力です。聖霊様の風は、謙るところに吹いてきます。聖霊様の風は、悔い改めの中に。信仰の故に、またあなたの願いを実現させるために、新しい創造のために吹いてきます。
翼とはなんでしょうか。それは、神を待ち望むことに他なりません。


#イザヤ書 #礼拝

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インフル

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友達が撮った最近のシアトル。こ... 友達が撮った最近のシアトル。この日くらいから、寒気がしだした。。。。。
みなさん

ご無沙汰していますー

クリスマスから忙しくしていたせいか、

疲れがたまり、二週間前は風邪、

私としたことが、先週はインフルエンザにかかってしまいました。

がくっ

体力消耗しましたーー。久々に三日間も熱に悩まされました。

今週、月曜、火曜日は雪のため、外に出られず、おかげでさらにゆっくり寝ました。

今、回復して、元気です!

身体の大切さ、ありがたさをしみじみ感じています。

身体が資本ですねーー

みなさんも、寒いですから、ご自愛ください。

日本もインフルエンザが流行っているそうですね。。。

お大事に。。。

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