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ぼくしのめがね

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レント自分を吟味するLent -- Examine yourself

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礼拝後、季節外れのせいかやすか... 礼拝後、季節外れのせいかやすかったパンプキンパイを切りました。同級生のこの二人は、まるで本当の兄弟姉妹のようです。。。 大きい子たちは、ゲーム、はいは... 大きい子たちは、ゲーム、はいはいよちよちさんたちは、ブロックで遊ぶか、青年のお兄さんに肩車を何回もしてもらって遊んでいました。いつも、二、三時間礼拝後遊んでいますーー
2019年3月10日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ音声は、


先週はアッシュウェンズディがあり、頭に灰で十字架を書いた人をたくさん見ました。レントが始まりました。レントは、キリストの苦しみと十字架そして、復活のイースターを前に、自らを省みて振り返り、罪に気が付いたり、悔い改めたりするという時期です。

〇コリント人たちの傾向

賜物を誇る。高慢さがあった。罪を継続的に犯して何の後悔もない人たちがいた。それどころか、痛いところを突かれると、逆にパウロの使途職の正当性を疑ってきた。またパウロの説教の能力も疑った。という文脈。

この背景に心をとめておいてください。コリントの人たちは、自分の罪をパウロに指摘されたことが耐えられなかった。ですから、その恥を攻撃に変えた。自分の恥を自分のものとして認識できない場合は、往々にしてこのような行動にでます。私たちも多かれ少なかれあります。自分の恥をどう隠すか、責任転嫁するかが自動的に人がすることですね。アダムとエバのように。。。。

Ⅱコリント13:3-5

こう言うのは、あなたがたはキリストが私によって語っておられるという証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対して弱くはなく、あなたがたの間にあって強い方です。
4 確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。5 あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか—あなたがたがそれに不適格であれば別です。

〇レント、省みることの意味

身を慎み、過ごす時期ですが、その目的は、自分の十字架の重さを知ることです。そして、キリストの十字架の尊さを知り、キリストのくびきの軽さに感動することです。

①  イザヤIsaiah 51:1
義を追い求める者、主を尋ね求める者よ。わたしに聞け。あなたがたの切り出された岩、掘り出された穴を見よ。“Listen to Me, you who follow after righteousness, You who seek the Lord: Look to the rock from which you were hewn, And to the hole of the pit from which you were dug.
惰性や習慣ではなく、神に新しく出会い、神の義を求めるもの、神を求めるものは、自分の出てきた所、どこから救われたのかを見なさいと言われます。

②  黙示Rev. 2:4
しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。Nevertheless I have this against you, that you have left your first love.
次の節では、だから「悔い改めなさい」と書いてあります。私たちは、悔い改める時に、いつでも初めのあの愛に帰ることができるのです。

私のインターン先には、いつも新しい入居者が来、また外部からチャペルのために証しをしに来てくれます。絶えず、初めの愛を思い出させてくれます。自分の証しを話す時、誰かの証しを聞くときにとっても励まされます。それは、イエス様の愛が心からまた湧き上がってくるからです。
神の愛がはじめにあったから、私たちはそれを信じた。。信じることで救われたのです。
暗闇の中、どうしようもなかった時、助けがなかった時、助けが見いだせた時、イエス様が分かったとき、イエス様の十字架の意味が分かったとき、何回思い出しても、私に新しく元気を与えてくれます。

〇省みれない理由 

①  恥…自分の過去を振り返れない時、そこには、恥の問題があります。もうあれは終わったことだから。過去のことを思い出して嫌な気持ちを再体験したくない。暗い気持ちになりたくない。何て思う方も多いです。私も、クリスチャン生活が浅い時はそうでした。けれども、何回もその思い出に空気を入れるのです。恥は、自分から自分の感情をも隠そうとし、癒しを遅らせるのです。何回も訪れて、何回もイエス様がここに来てくださったということを確認するところに癒しがあり、恥の思いが小さくなります。恥の思いが小さくなれば、自分から、また人から隠れなくてもよくなり、また、それも証しとなるのです。時々、本当につらかった思いや、自分の黒歴史について全く証しできない方もいますが、もしかしたら、恥にふたをしてしまっているのかも知れませんね。

 ② 宗教
過去を振り返り、自分を省みれない理由の一つに宗教の霊があります。または、み言葉の未熟な適用と言ってもいいかもしれません。聖書では、後ろのものを振り切って前を向いて、何て言葉もあり、私はもうイエス様の十字架と一緒に死んだのだから、ポジティブしかない、なんて思ったり、または、イエス様はどんな罪だって赦してくれる、だから、今日の罪も赦されるから向き合わなくてもいい。というような間違った適用もすることがあるでしょう。

これは、教会も聖書の真理の提供の仕方、いや、弟子訓練として人と人として向き合う中でしっかり教えないといけないのだと思います。日曜礼拝で聞くだけでは間違って聞いてしまうこともありますから。やはり、一対一の弟子訓練が大切です。
宗教は、早く良くなった。自分は乗り越えた。を強調させるかも知れません。が、しかし、それは本当でしょうか。私たちは、日々罪に対して弱いものです。また、同じ過ちを繰り返し、同じ恐れに縛られ、同じ恥をもつものです。

〇キリストの弱さとは

謙遜さ。キリストには能力も権力も知恵もすべてに勝てるものがあった。が、しかし、あえて弱さをとった。そこにこそ、神の愛が現わされたのです。キリストは、弱いから強いのです。世界で一番強いのはイエス様の弱さです。

〇あなたの弱さ

 ① 肉の弱さ、精神の弱さ、過去のトラウマ、心の傷、過ち、罪に対する脆弱性
   ---- いつ気づくか、人との関わりの中で。コリントの人たちは注意されて気がつくチャンスをもらいましたね。
   ----- 聖書の言葉を通して。聖書は、従った見たときに、自分の弱さを実感させられます。けれども、それと同時に神の力を経験させてもらえます。

②  弱さの力
   キリストの愛は、雄弁eloquenceさや能力を通して伝わるのではなく、むしろ弱さを通して伝わる。このコリント人たちがまさについていることですが、この世の霊に私たちは気を付けましょう。この世は、見た目が強いほど良いと思われるのです。ですから、私のように、言葉が遅い、もじもじしていると、馬鹿に思われたり、能力がない、知性がないと思われるのです。
しかし、神の福音や、神の愛というものは、能力や雄弁さを通しては伝わらないことを覚えていてください。
弱さは、世の人の心をつかんだり、効率よく人を集めないかも知れません、しかし、不思議な方法で神の愛が伝わるのです。これは、人の業ではなく神の業だからです。私たちの側ですることがあったら、祈りと愛することです。

ですから、パウロは、誇るなら弱さを大いに誇りましょうと言っているのです。

例えば、私の母教会の牧師は、議論には勝たない方が良いと私に教えました。私は、若いクリスチャンのころ、どんなノンクリスチャンからの質問にも立ち向かえるように、たまに意地悪なことを言う方もいますから、何とかリサーチして備えて、相手を納得させようとしていました。しかし、ある日、先生は、勝たない方がええというのです。。。。その時はよく理解できませんでしたが、いろいろと自分で経験をしてみて分かるようになりました。
議論に勝つことよりも、愛する時に、神の愛が伝わる。私が強くて弁がたったとしても、相手には愛が伝わっていないことが後でよく分かるようになりました。痛い経験もしました。失敗もたくさんしました。しかし、私が振り返る時に、私が弱い時にこそ、神様が勝利されたのです。弱いまま、至らないままで、一生懸命に愛そうとし、相手に寄り添おうとするときに、愛が伝わったのです。

〇キリストの弱さとあなたの弱さが一つになる時、力がある。

みなさん、ですから、弱いことは、悪いことではないのです。ただ、神の前にも人の前にも自分の弱さを隠したり、過剰に肉の鎧で守る必要はないのです。

〇信仰によって …信仰に立っているかどうか。。。

私たちが、どんなところから、どんな性質から救われてきたかを思いめぐらし、感謝し、常に証しを持ち、キリストの救いと愛に感謝する時、私たちの信仰がまた強められるのです。
神の愛に包まれて守られるのです。いつも、神の愛に感動し、その愛を信じるのです。

信仰によってのみ、私はキリストと一つです。

この作業は、キリストと一つになる、繋がることでもある。ここから、聖霊の実が出てくる。ここから、キリストの香りがする。あなたの中に、キリストが強くなればなるほど、香る。キリストが強くなるということは、あなたがますます弱くなるということ。
この土の器に私たちは宝を入れているのです。

このイースターまでのレントの時期に、自分を見直すこと、神の愛に浸ること、キリストの十字架の意味をかみしめることをお勧めします。

#2コリント #イースター #レント #礼拝

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ハンナの祈り

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新しく加わる方もいれば、帰国さ... 新しく加わる方もいれば、帰国されるかたも。。。。そのたびに寂しいものです。空港のスタバにて、お見送りで最後のコーヒーを楽しみました。 エリックも、かいがいしく荷物を... エリックも、かいがいしく荷物を運んだりチェックインのお手伝いをして。。。。。セキュリティへ。。。日本でも、神様と一緒に。。。。幸せでいてくれよって親心。。。
2019年3月3日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


有名な宣教師、ハドソン・テーラーのことばに、「祈りによってのみ人を動かすことを学べ」とあります。私は、この言葉を聖書学校の寮の壁に張り、聖書に挟み、祈ることを学びました。今日は、祈りで人生が変わり、またこの人の祈りで国が変わった人のお話しから学びたいと思います。

★聖書の歴史的背景は、イスラエルが神を王とする神政政治theocracyから人を王とする君主制monarchyに移行する前でした。ここに出てくる最後の士師である、サムエルは、当時のイスラエルには無くてはならない、神の預言者でした。イスラエルの初代国王サウルに油を注ぎ、またそのサウルから王位を外し、ダビデを選び。。。という重要な役割をにないました。この歴史的重要人物、サムエルは、ある一人の女性の苦悩と、祈りの中から生まれたのでした。

★ハンナの試練と行き詰まり

1サムエル1:2-6
2 エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。3 この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピネハスがいた。4 その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。5 しかしハンナには特別の受け分を与えていた。主は彼女の胎を閉じておられたが、彼がハンナを愛していたからである。6 彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。

ハンナは不妊を患っていました。彼女は第一夫人ですから、彼女に子供ができないので2人目の妻をもらったのでしょう。日本でも、昔子供が生まれないと離婚の原因になりましたから、当時、大変彼女は後ろめたい気持ちをもちながら生きていたはずです。
彼女は、夫に愛されていのですが、それがまたベニンナの意地悪の原因となります。
お祭りの時には、子供たちの分もいけにえのわけまえを頭数で渡しますが、エルカナは子供のいない愛するハンナに気を使って、普通よりもたくさん上げました。

★神でなければ満たせない場所

V7-8 7 毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。8 それで夫エルカナは彼女に言った。「ハンナ。なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか。」

落ち込んで泣いているハンナに対して、夫エルカナは、私はあなたを愛している。私の愛では十分ではないのか?
私たち、試練に合う時に、また心の中に穴が開いているような気がする時、行き詰まる時、人のあたたかさ、愛する者たちの親切は確かに心に響きますし、慰められます。
しかし、ハンナにとっては、それだけでは十分ではありませんでした。孤独を感じていました。夫がどんなに愛してくれても、愛する夫に子供を産むことができない。ということ、また自分の身体が子供を宿すことができないという、女性ならではの苦しみ。自分は欠陥品なのか。。。という思い。呪われているのだろうかという思い。自分のコントロールの範囲を出た苦しみ。誰にも理解されない、という行き詰まりの中にいました。

私たちの心には、神にしか解決できないものがあります。神にしか埋められない場所があり、神にしか慰めることのできない場所があります。

★ハンナの二重の決断と捧げもの

ハンナは、この心の穴を神様に解決していただくために、宮に行きました。これで解決しなければ、と自分の全存在をかけての祈りでした。いわば、神に自分の人生をかけて、今日神に解決していただかなければ、という気持ちで出向いたのでした。

◎注ぎだす

15 ハンナは答えて言った。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。
感情を注ぎだした 精神的な全てを神の前に出し尽くしていた、自発的な捧げものとして。
私たちの感情は、私たちの願いを中心にして反応している。怒り、苛立ち、悲しみ、喜び、全て願いに結びついている。しかし、ハンナはどうしても願いと喜びの部分の結びつきが薄かった。いくら夫に大切にされても、喜びが無かった。私たちの感情は神様からのメッセンジャーです。

〇注ぎだすこと…
注ぎのささげ物に用いられる表現。精神的なささげ物。イエス様も十字架でご自分を捧げられるときに、心を注ぎだしてゲッセマネで祈られた。そこには、主よ願わくば、この杯を私から取り除いてください、と祈ったほどに、苦しみの祈りでした。ですが、そんな思いも、従いたくない思いも全てを注ぎだして祈りました。ですから、十字架の上で流された血潮に意味があった。イエス様の流された血も、注ぎだされたものであった。精神的な捧げものであった。

旧約聖書では、この注ぎの捧げものは、全焼のいけにえと共に捧げられた。全焼いけにえは、律法で定められた、罪を赦されるために必ず捧げないといけないものでしたが、穀物の捧げもの(仕える)、和解のささげもの(赦された喜びを分かち合う)、注ぎの捧げもの(強い酒やぶどう酒、主を喜ばせる)は、任意でした。自分で捧げたければ、自発的にささげるものでありした。

〇ハンナの祈りは、自分自身を全て神にあけわたして焼くも煮るもお任せしますという態度で、全てを捧げました。そして、自分の心を注ぎだしました。ちょうど、旧約聖書の捧げもののように。。。
今までため込んでいた、発酵したような感情を全てその上に注ぎだしたのです。神は、これを喜ばれたでしょう。精神的な捧げものとなりました。
自分の感情なんて、と皆さん思いませんか。しかし、イエス様のゲッセマネの祈りも、ハンナの祈りもすべての感情を注ぎだしたとき、神は喜んでその祈りをお受け取りになられました。私たちは、感情を注ぎださなければ、神からの良いものを受け取るスペースが心にできません。神様は、それを待っておられるのではないでしょうか。

◎祈りの結果も神様に捧げることに

V10-11 10 ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。11 そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますならば、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」
ハンナは、自分の人生と全人格、そして精神のすべてをかけて神のところにやってきました。そして、全てを捧げ、祈りの結果も全て神様に捧げることに決めたのです。

★変革の原則

V17-18 エリは答えて言った。「安心して行きなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」18 彼女は、「はしためが、あなたのご好意にあずかることができますように」と言った。それからこの女は帰って食事をした。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。

ハンナは、つらかった過去を清算し、自分の願いを注ぎだし、将来をも神に捧げることができました。
ハンナの顔が変わっていた。。。

主に自分が変えられるときには、必ず、自分のすべてを明け渡さなければならない。そして、神にしか満たしてもらえない場所に神様に満ちていただくとき、あなたは完全に変わる。
人間にはできないことだ。

人が救われるときもそうだ。罪を悔い改める時、神から心の癒しを受け取る時もそうだ。

★祈りの確証を得る

V19-20 翌朝早く、彼らは主の前で礼拝をし、ラマにある自分たちの家へ帰って行った。エルカナは自分の妻ハンナを知った。主は彼女を心に留められた。20 日が改まって、ハンナはみごもり、男の子を産んだ。そして「私がこの子を主に願ったから」と言って、その名をサムエルと呼んだ。

希望と確証: へブル11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
これには、献身がいる。自分自身を祈りの結果ごと捧げる。感情を全て明け渡すこと。

全焼のいけにえのとともに注ぎの捧げものがされたように、まず献身、自分の身を全て過去も未来も捧げます、神様にお任せしますという気持ちが一番。そして、心の全ての願いにまつわる感情を神様に知っていただくこと。ここから、真の希望が出てくる。
希望があるなら、大丈夫、それは、もう与えられたと信じることが信仰だと、へブル書に書いてあります。ハンナは、そのようにしたのです。そして、本当に男の子が与えられ、その子が時代を担う大切な役割をするリーダーとなりました。

★ハンナの名前の意味は、「恵み、好意、お気に入り」ハンナは、夫の好意も受け、その苦しみによって、国を変えるサムエルという神のご計画に預かるという好意にも預かったのです。彼女の苦しみも、神が彼女に意地悪をしたくて与えられたのではなく、その深いご計画の中で、彼女を恵むためでありました。ですから、苦しみさえも恵みだったのです。苦しみの中にいるときは、このようなことは、分かりえませんでした。ただ、全ての事を分かるようにしたのは、祈りです。彼女の真剣な祈りが、すべてをつなげたのです。

あなたは、今苦しみの中にありますか、悩みがありますか、それは、神様があなたを恵まれようとしているサインではないでしょうか。神様に体当たりで、自分を捧げ、心を注ぎだして、お祈りしようではありませんか。神様は、きっとあなたの心を人が満たせないところを満たし、あなたを変え、そして、あなたの人生と周りの人の人生に打ち破りを与えることをしてくださいます。
#1サムエル記 #礼拝 #祈り

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