★お祈りとはWhat is prayer?
今日の箇所によると、祈りは、おねだりでも業でもない。私達の必要を神様が知らないので、お知らせするものでもない。また、人に見せるために、自分をよく見せるためにするものでもない。神はすでに私たちの必要を知っておられるのだ。そのうえで祈る必要があるのは、なぜでしょうか。
★祈りのひな型 The Given Prayer Template
ルカLuke11:1
さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
One day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, “Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples.”
祈る時は、このように祈りなさいと言われ弟子たちに教えた祈りが主の祈りです。イエス様は、先の記述のように、同じことをお経のようにただ繰り返すのではないと言っているので、主の祈りを何回も繰り返するのが完璧な祈りではありません。イエス様は、このように祈りなさいと、祈りの型、テンプレートをくれたのです。テンプレートはそのままでは、どこにも提出できないし文書としては使えませんよね。そこから広げて行くのです。空手の型も、さんざん練習しますが、型ができてないと、実際の試合で使い物になりませんね。“In contrast with ostentatious prayer or thoughtless prayer, Jesus gives his disciples a model. But it is only a model: ‘This is how [not what] you should pray.'” (Carson)
イエス様は、この祈りの型を通して、弟子たちに、神との親しい関係、敬虔と従順、信頼と依存を教えられたのです。
Jesus then gave His disciples a model for prayer, prayer marked by close relationship, reverence, submission, and trust and dependence.
★主の祈りから学んでみましょう。What is in The Lord’s Prayer?
1. 天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。Our Father in heaven, hallowed be your name,
天の父よーーとイエス様は始めます。私たちすべての源である、父なる神との関係を表します。礼拝…主をあがめることからイエス様は始められます。
全てを治めている神である、父をあがめる。父の導きを認め、従う姿勢。
2. 御国が来ますように、地上に御心がなされるようにThy Kingdom come, Thy will be done on earth
…父の御心を積極的に受け入れ、招き入れ、そして、その通りにする。この地が天のようになるように、働くことに同意する。
御心がなるためには、
イエス・キリストの十字架の贖いが無ければならなかった。このような、従順と働きがあってこその御国である。
神を知らない人々のご利益信仰とは違い、天的な目的があり、その目的に祈る自分が預かっていることを認めながら祈るのである。
3. 日ごとの糧 Daily bread
イエス様は、神でありながら地上で肉の身体をとって生きられた。朽ち行く体に住むことは如何に糧に頼らなければいけないかという脆弱性を理解していた。
私達の身体は、日々食べ物を与えられなければ生きて行けない存在である。日ごとの糧は、私たちの最も必要不可欠な祈りであります。Fundamental need for our daily life starting even in mother’s womb. The form of daily bread changes as ages advances. お母さんのお乳は、ただ栄養を受け取るだけでなく、信頼や愛や、慰め、安心など、人間関係のもとになるものを含んでいますね。
それを、天の父に求めることは、私たちの霊的な成長spiritual development に必要不可欠です。
〇妬む … 人はなぜ、人と比べるのか、それは、人より劣ってるという恐れと恥が、神の愛にまさっている時に人と比べます。そして、妬みは、自分より優れている、有利であると思うその人と敵対するから妬んだりする。
その人と、一つになっていないからである。。憐れみの心、他人を理解する関心に欠ける。
またまた、ダライ・ラマとデスマン・トゥトゥの本から。。
“Often envy comes because we are too focused on material possessions and not on our true inner values. When we focus on experience or knowledge, there is much less envy. But most important is to develop a sense of concern for others' well-being.
物質的な所有件にとらわれると、真の内面の価値を失う。体験することや、知ることに集中するなら、妬むことはなくなる。他人の最善を願う気持ちを養うことが重要である。
〇喜びは受け取る額からは来ない。人より多く持つことではない。
喜びは、物質的な満たしからは来ない。内面から来る。内面の価値観から来る。そして、それが幸福感をもたらす。
〇利己主義
A self-centered attitude is the source of the problem. 人への思いやりを失い利己的になるなら妬みを持つようになる。
〇地上での学び
’This being on earth is a time for us to learn to be good, to learn to be more loving, to learn to be more compassionate. And you learn, not theoretically….You learn when something happens that tests you.”
私達は地上で愛すること、善を行うこと、憐れみの心を持つことを学ぶのです。概念ではなく、日常の出来事の中で学んで行くのです。
憐れみ、思いやりが私たちの考えを変える
Ultimately our greatest joy is when we seek to do good for others.
〇今しかできないことがある。
天国に行ってしまえば、もう働くことがなくなります。労苦することがなくなります。
報酬が多い少ない、持ってるものが多い少ない、知名度が高い低い、If you feel you supposed to receive more, then, you have lost track. 自分がもっと受け取らなければならない。。。。と感じるなら。。。焦点がずれているかも。
神の国は、地上での報酬ではない。。。。
Our Father in heaven,
hallowed be your Name;
your kingdom come;
your Will be done on earth as in hearven.
Give us today our daily bread.
Forgive us our sins as we forgive those who sin against us.
Lead us not into temptation;
but deliver us from evil.
For the kingdom, the power, and the glory are yours
now and forever.
Amen
★神の手にある時 When you are in God’s hand
「天の下には何事にも定まった時がある。」これは、伝道者の書一章にある,空の空、日の下ではの、日の下とは意味が違います。天の下とは、明らかに、神の御支配の下という意味であります。神の御支配にあるのですから、全てに神の詳細なご配慮と意図が込められているというのです。
この箇所を読む時に、私の心はすこし慰められた気がしました。若くして命を亡くした二人には、どんなに体が苦しかったろうと思うのです。カイト君たちのお父さんは入院していたし、ケニーさんも水曜日は休もうかと思ってたけど来たと言っていたから、身体がしんどかったのでしょう。それを思うと辛かったのです。胸が痛くなった時怖かったろうとか。。。思うと。
しかし、神の手にある、神の支配の下には全ての時に意味があるのです。
★人は楽しみと喜びのために生きているLiving for happiness and Joy?
続けて、その後にこのように書かれてあります。
V12-13 私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。13 また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。I know that there is nothing better for people than to be happy and to do good while they live. 13 That each of them may eat and drink, and find satisfaction in all their toil—this is the gift of God.
栄華を極め、贅沢なものはいくらでも手に入る、全てをやりつくしたソロモンがこう語ります。人は、喜びと楽しみを見出すことしか良いことがない。そして、苦労の中に幸せを見出すことが神からの贈り物であると。
今、The book of Joy – Dalai Lama and Desmond Tutu の本を読んでいます。二人の霊界の巨匠ですが、彼らは幸せとか喜びは、それ自体が目的でない。それを目的にしている人は多いけど、そうじゃない。It said “Happiness is not a goal; it is a by-product . ” 喜びや楽しみは副産物だと言います。
生きている限り、痛みは避けられないが、苦しみからは解放されえる。とダライ・ラマは言う。
★あなたの人生の目的は?What is your purpose?
ローマRomans 8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose.
★天国では隠されているものがなく神と顔を合わせるThere are no more hidden mystery in Heaven
黙示録Revelations 21:3-4
そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、4 彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」And I heard a loud voice from the throne saying, “Look! God’s dwelling place is now among the people, and he will dwell with them. They will be his people, and God himself will be with them and be their God. 4 ‘He will wipe every tear from their eyes. There will be no more death’[b] or mourning or crying or pain, for the old order of things has passed away.”
伝道者のテーマは、人生における価値の探求 / 不死の確かな希望がなければ地上の生活はむなしい、であり、伝道者の書を読み解く鍵は、「永遠」です。
◎「喜び」と永遠との関連性 Relation between Joy and Eternity
ヘブルHebrews 12:2
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。looking to Jesus, the founder and perfecter of our faith, who for the joy that was set before him endured the cross, despising the shame, and is seated at the right hand of the throne of God.
ロマRomans 12:1,2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.
★ボーンアゲイン Born Again
〇生きた供え物となったあなた You as living sacrifice
キリストを信じて私たちは、新しく生まれます。キリストが私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったゆえに、信じる私たちは死から解放され、永遠の命に預かります。永遠の命に授かった私たちは。生きていて、神に受け入れられる、生きた供え物、すなわち、生きていること自体が、神に捧げられる礼拝となりました。
★何度でも方向転換できる Life can be turnaround multiple times
ローマRomans 12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.
◎ この世と調子を合わせてはいけません Do not be conformed to this world
この意味は、現代的な文化的なことをしてはいけないということではありません。テレビを持つなとも、車を持つなということでもないです。to conform one's self (i.e. one's mind and character) to another's pattern.
この世の考え方、性質、心の問題ですね、心の中が感化されないようにと注意をしています。
In the fourth watch of the night: This was somewhere between 3 a.m. and 6 a.m.
そんな中、人影が見えました。弟子たちは、幽霊だと思って恐れました。
これが、先ほど言ったように、彼らがいかに、自分の力に頼り、自己過信し、高慢であったかを示しているのではないでしょうか。
恐れは信仰の反対。ですが、信仰と同じ力を持つています。
自分の力によりたのんでいると、恐れが伴います。というのは。自分の力には限界があるからです。
すると、声が聞こえました。
V27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ、恐れることはない」と言われた。But Jesus immediately said to them: “Take courage! It is I. Don’t be afraid.”
そして、ペテロは波を見て、恐れた瞬間に沈み始めました。
V30,31「主よ、助けてください」と言った。31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」, “Lord, save me!”31 Immediately Jesus reached out his hand and caught him. “You of little faith,” he said, “why did you doubt?”