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ぼくしのめがね

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キリストの誠実さによって

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パウロは獄中から書いた手紙に、... パウロは獄中から書いた手紙に、喜びましょうとたくさん書いています。不思議でしょ?


2020年8月9日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


コロナ禍がいつ収束し、そして、コロナ前の生活に戻れるのか分からないと言う、今もう、四か月、五カ月と続いている状態で、精神的にも追い詰められている方が多いのではないでしょうか。日本は、ワシントン州よりもずっと自由があるようですが、こちらは、まだまだ、ビジネスも停滞していますし、様々な不便を感じています。シェルターでも、精神的な悪影響がでています、そういう私も最近鬱っぽいなーと感じている次第です。
適度な運動や、制限内でのリクリエーション、気分転換はとても大切です、そして、信仰面でもいろいろと試されるのではないでしょうか。人と自由に会えないので、励まされる機会もへっているのも事実です。今日は、パウロの言葉から信仰について学びたいと思います。

ピリピPhilippians 4:11-13
11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
Not that I speak in regard to need, for I have learned in whatever state I am, to be content: 12 I know how to be abased, and I know how to [e]abound. Everywhere and in all things I have learned both to be full and to be hungry, both to abound and to suffer need. 13 I can do all things through Christ who strengthens me.

★ピリピ書 Letter to Philippians
この書はパウロがローマでとらえられ牢屋に入れられていた時にピリピという町の信徒たちにあてて書いた手紙です。この教会のできたいきさつなどは使徒の働きに書かれています。パウロは、イエス様を伝えるためにあらゆる苦難にあいました。何度も死ぬほどの目にもあいました。そんなパウロが、異教の地で信仰を守っている聖徒たちに手紙を送りました。パウロは、ピリピの人たちから救援物資を受け取ってその感謝も伝えています。よくぞ、パウロの苦しみと心を共にしてくれた、と。あまりある霊的な祝福を祈りながら。苦しい時の折にかなったこくりもの、助けは、たわしたちに孤独ではない事を知らせ、神の御手が守っていることを確信させます。私たちもそうなりたいものです。ピリピ書は喜びの書ともいわれています。喜ぶことが勧められています。パウロは困難の中で喜びの書を書いているのです。

◎パウロは、ピリピの人たちがパウロのことを思って贈り物をローマに送ってくれたことの感謝を表す中でこう云います。
★私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。V11 for I have learned to be content whatever the circumstances.
パウロは、食べ物やお金がない状態であり、牢屋に入っている状態でるが、満たされている。というのです。幸福だ。というのです。そして、パウロは、私はその秘訣を習得したというのです。パウロは、様々なことを経験する中でそれを学んだというのです。

◎12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。12 I know what it is to be in need, and I know what it is to have plenty. I have learned the secret of being content in any and every situation, whether well fed or hungry, whether living in plenty or in want.
豊かさにおいても、貧しい時にも、ミニストリーが成功している時でも、捕らえられているときでも、どんな時でも満ち足りる秘訣を学んだというのです。
私たちは、境遇に左右されるものです。私たちはまた、富んでいるときには高慢になりけちになり、貧しい時には卑屈になって自分を低く見るものです。しかし、私たちの身分は私たちの境遇に左右される必要がないことを今日覚えていただきたいと思います。
なぜなら、パウロは、どんな状況の中でも、満たされることができる。というからです。
ただし、それをあなたが習うなら、です。パウロもそれを学ばなければなりませんでした。
今日、あなたが行きずまっていると感じるなら、チャンスです、あなたも満ち足りる秘訣を習うことができます。

◎13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。13 I can do all this through him who gives me strength.
パウロの秘訣は、イエス・キリストです。ピリピ書にはIn Christ キリストにあって。という言葉がよく出てきます。キリストにあって、キリストの中にいれば強められる。どんなことでもできる。というのです。
どんな状況にいても、どんな境遇にいても、その境遇があなたのアイデンティティを変えることはできない、あなたの心を操作することはできないのです。
キリストにあって、あなたは、神の王子王女とされたからです。キリストにあって、あなたの国籍は天にあるからです。キリストにあって、あなたは誰の奴隷でもないからです。キリストにあってあなたは自由だからです。神の子だからです。

★信じることがキリストとの関係の原点 To Believe is connection with Christ

ギリシャ語で、信じるは、ピステオー…pist-yoo'-o; from G4102; to have faith (in, upon, or with respect to, a person or thing), i.e. credit; by implication, to entrust (especially one's spiritual well-being to Christ):—believe(-r), commit (to trust), put in trust with.
それは、
それは、誠実であるイエス様を信じる、信頼すること。faithfulness これは、誰に対してか、ということがいつも問われます。あなたを信じていますよ、という時には、必ず、私たちが忠誠を誓ってお従いしているキリストにあって信じるという意味が込められているのです。
私達信仰の土台はイエス・キリストにあります。自分に起因しない。自分のおかげで信じれるのではなく、キリストがしてくださったことにより、信じれるし、キリストは裏切らないので信じれる。

私達が、自分の境遇や、持ち物の足りなさ、などに焦点を置くなら、自分の荷が重すぎて、全てか不可能に感じてきます。しかし、キリストに焦点を置くなら、全てが可能となります。
自分から神に目を移し、信仰の目を移す時に、全てが変わります。

へブルHebrews 11:1
信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see.
へプルHebrews 11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
And without faith it is impossible to please God, because anyone who comes to him must believe that he exists and that he rewards those who earnestly seek him.

★ある伝道者のエピソード
私の恩師の一人の若い働き人時代のお話しです。
その日は給料日、家ではお腹を空かせた子供たちと妻が待っていました。
しかし、帰り道に、その伝道者は貧しい人に出会いました。そして、その人に給料を全部上げてしまったのです。
家に帰ると、給料日を楽しみにしている家族が待っていました。
しかし、事情を話すと、妻は咎めることも慌てることもなかったそうです。
妻は、子供たちもみんな食卓に集めて、聖書を開いて生ける神の言葉をいただいたそうです。
その日は、心が満たされたと、教会設立の記念の書でよんだことがあります。

その教会は、大きくなり、そして安定していて、いつも恵まれています。

どんな境遇の中でも、キリストを中心とし、キリストから目を離さない。という、信仰の故に、不思議な満たしが続いているのです。

私達も、境遇や足りなさに目を向けるのでなく、イエス様に目を向けて行きましょう。キリストは、誠実なお方ですから、またご自分を死にまで至らしめて私たちをケアしてくださる方ですから、信じる者を必ず満たして下さいます。

へブルHebrews12:2
信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
looking unto Jesus, the [a]author and [b]finisher of our faith, who for the joy that was set before Him endured the cross, despising the shame, and has sat down at the right hand of the throne of God.

#信仰 #礼拝

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御国探しSeeking Kingdom of God

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美しい真珠。 美しい真珠。

2020年8月2日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


マタイMatt.13: 44~46
天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。45 また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。46 すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。
“The kingdom of heaven is like treasure hidden in a field. When a man found it, he hid it again, and then in his joy went and sold all he had and bought that field.
45 “Again, the kingdom of heaven is like a merchant looking for fine pearls. 46 When he found one of great value, he went away and sold everything he had and bought it.

今日のお話しは、御国についてです。今日読んだたとえは、両方とも高価な特別な宝を探すということが書かれています。
子供のころ、宝探しゲームしませんでしたか?運動会でも借りもの競争があったり、お楽しみ会でも、宝探しゲームがあったり、80年代では、徳川家の秘宝探しみたいなテレビ番組もあったり。宝を探す、ということに、なかなかロマンを感じわくわくするものです。

★天の御国はKingdom of Heaven is like…
神の御臨在されるところであり、神の支配のあるところであり、神の御心がなるところであります。究極的には私たちは永遠の命をいただき天国に行きますが、地上でも神の信じる者は天の御国に属することができます。それは、キリストにより、神の御支配を受け入れ、御心を行うことによってです。

★天の御国は探すものであり、探されるものである It is to seek, and to be sought
逆の言い方をすれば、天の御国は見つけるものであり、見つけられるものである。

探すという行為をしないと、見つけられない。待っているばかりでは、見つけられない。見つけるからには探さないといけない。

〇探しなさい、そうすれば見つかりますPromised journey
マタイMatt. 7:7-8
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。8 だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
“Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you. 8 For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened.


〇土の中の宝A treasure in the field
ユダヤの法律では、見つけたものの物となった。ですから、土地を所有すれば宝も自分のものとなる。昔、ユダヤでは、土の中に、価値のあるものを貯めたようです。ですから、タラントの話しでも、土の中に埋めた人がいたわけです。

この畑の宝の話しは、毎日労働している中で見つかった。土地を隅々まで、忠実に耕す中で見つかったのだ。
イエス様の福音書に書かれてない言葉に、「石を持ち上げなさい、そうすればあなたはわたしを見出すだろう。気を割りなさい、わたしはそこにいるだろう。」という言葉があるそうです。イエス様は、教会や聖書の中だけにいるのではなく、日常の生活の中で必ず感じることのできる方であり、日常の労働の中に必ず現れてくださる方です。

今日、私達が救われて欲しい方の中に、教会に来たくない人がいるかも知れません。
そんな方の日常の中に神様が現れ、語り掛けてくださるように、とお祈りしましょう。

〇一番良い真珠 The best pearl
真珠とは、今の世の中でもそうですが、当時でも格別美しいものとされ、高価で貴重な物でした。真珠の輝きは、本当に、人々を魅了します。。。いくらでも眺めていられる美しさですね。
天の御国は、真珠を探す商人のようだとありますね。これだ、という最高の価値のある真珠を神様は見つけに探しにでかけるのです。
見つけられたあなたには、神が最高の価値を見出して下っているのです。あなたには価値があるというのです。

★探すものに課せられるものは It requires you
忍耐-- 時間がかかる。いつ見つかるか分からない。畑の宝みたいに何か突然かも。
痛み—探しているものが分かっている時は、探す中に失敗もあるだろう。ここかと思うところに無かったり。。。
希望・期待—これが無ければ探し続けられない。
注意深さと勤労—こつこつしているところに、また目を見張っているところに、出会いがある。

★デビッド・ワイトの詩 Longing より From “Longing” by David Whyte クリスチャン詩人
Longing is the transfiguration of aloneness. 慕い求めることは、孤独の変貌形である。
------- 慕い求めることは、相互的。人は、一人でいるのは良くない、と言われた神。関係を求めるのは人間にとっとは自然。神は、人の心に永遠の想いを入れられた。神を求めるのは自然なこと。神は、また「あなたはどこにいるのか」と絶えず私たちを求めて探しておられる。
Longing is divine discontent. 慕い求める気持ちは、聖い不幸せである。
-------- 探し求めるという労苦は、本当に辛いものですが、このような神的な、天的な不幸せはない。
Longing has its own secret, future destination, 慕い求める事は、それ自体で聖く、将来のゴールである。
--------- 尊い思いです。神というお方の約束があって、私たちは互いに慕い求めています。神を求めるなら必ず見つかります。それは、求めることには必ず行き着く未来、ゴールがあります。

Whyte, David. Consolations: The Solace, Nourishment and Underlying Meaning of Everyday Words . Many Rivers Press. Kindle Edition.

★喜び Joy
探すものと、探された者の出会いは、とてつもない大きな喜びに包まれます。
見つけたものは、大いに喜ぶ

★喜びは行動に Action based on your joy
持ち物、財産を全てなげうってまで、手に入れる

イエス様は私たちを見つける側でありました。そのイエス様は、文字通り、ご自分の位置も、身体も魂もすべてを私たちのために明け渡され、投げうたれました。
それくらい、私一人の命が、こんな私が美しく価値のあるものであるとみられたのです。

また、私達も、御国の宝、人生を迷い、何かかは分からないが求めている時に、出会ったイエス様。私は、このイエス様に出会って私の人生を全て捧げようと決心したのです。
イエス様は、今日も私たちを招いていらっしゃいます。

〇自分の十字架を取り。。。Jesus said
マタイMatt. 16:24
それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。Then Jesus said to his disciples, “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me.

★御国は、探し、探され、見つけ、見つけられる、素晴らしい神の愛の関係。
今週も、あなたを絶えず求めておられる神の愛に応答していきましょう。


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ノースキャロライナで葬儀式

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何か土地の名物的な美味しいもの... 何か土地の名物的な美味しいものをと、探して。精肉店のバーガーをテイクアウトしてみました。第一日目。 コロナ前は、精肉店はこんな風に... コロナ前は、精肉店はこんな風にイートインできたそうです。 そして、ホールドーナツというお... そして、ホールドーナツというお店。ここの手作りドーナツは、めちゃめちゃ美味しかった。コーヒーも良かった。一番いいのは、タックスが安いこと。。。
ホテルでも何も食べるものが手に入らないので、美味しいものを検索して、食べました。。。



突然、ケニーさんが天に召されて、もう一か月がたちました。
ケニーさんの突然の死から二週間、実家のあるノースキャロライナで葬儀式が持たれました。

エリックだけが行く予定でしたが、急きょ私も行くことになりました。

行ってよかったです。

ご家族とも会えたし、何より、ご家族の中では、ケニーさんが日本に行ってからあえてなかったので、私が日本人ということで、歓迎されました。

教会の方々は、私が日本時代の友達なのかと思ったほどでした。

エリックはスピーチをしました。
前日スピーチのために、いろいろと思い出ばなしをしました。
泣いたり笑ったりしながら。。。

ノースキャロライナは遠かったです。
緑が豊かで、のんびりした感じでした。
なんだか私の田舎にそっくりでした。
ケニーさんの育った教会も、私の母教会のような雰囲気でした。
牧師先生も優しかった。

時差は三時間。飛行機で、七時間くらいかな、私たちは乗り継ぎがたくさんあったから、日本に帰るよりもずいぶん長い間飛行機に乗っていました。

ノースキャロライナもマスクをみなさんつけていて、お店もテイクアウトのみでした。

どうせどこかで買って食べるなら、美味しいものを食べようと、Yelpで調べてレーティングの高いところでテイクアウトしました。

たった三日の旅でしたが、
たくさん思い出話をして、いろんな人に会って、納得するたびでした。
また、初めて、霊のいなくなったケニーさんの身体にも対面しました。

自分の中で、死を受け入れることが出来た旅となりました。
教会にはまだまだケニーさんの死んだことが突然すぎて、受け止めることが出来ない人も多くいます。

不思議なことで、人は、いなくなってから、その人のインパクトに気づいたりするものです。
ケニーさんの人生からたくさん教えられています。

今も心の中でケニーさんは生きています。

そして、天国で再会できるのが楽しみです。
ノースキャロライナ、行ってきたよーって話せる日がいつか来るんですね。天国で。

#ノースキャロライナ

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