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ぼくしのめがね

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Cabo 旅行

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マリーナ お天気がすごかった... マリーナ
お天気がすごかった
赤ちゃんカクティスが出て来てて... 赤ちゃんカクティスが出て来てて、かわいいー 夕焼け 夕焼け セルフィは苦手 セルフィは苦手 何も祝いことが無いので、去年祝... 何も祝いことが無いので、去年祝い損ねた結婚記念日を祝うことにしました。苦笑 ホテルのお庭は、きれいに整備さ... ホテルのお庭は、きれいに整備されてます。
南国のこの庭が素敵です。
窓からの風景。これは。。。朝か... 窓からの風景。これは。。。朝かな。 もうすぐ帰るよー 最後にぱちり... もうすぐ帰るよー
最後にぱちり
よくのんびりさせてもらった部屋... よくのんびりさせてもらった部屋からの眺め。

バケーションをいただいて、カーボに行きました。

気候は、シアトルの真夏の感じで、朝晩は涼しく、日中の日差しは強くという感じ。
今回の旅の第一ゴールは、海の水で泳いでみるということです。
前に来た時は8月とか9月で波が荒く、難しかったので。
今回は、水が冷たいですが、挑戦して、少しだけですが、泳げました。
すごい達成感です。

コロナの影響で、今ようやく開き始めた町ですから、
今までやっていたレストランなどもつぶれているところもありました。
新しいレストランもできていました。

もう一つのゴールは、食料品を余らないようにぴったし買うこと。
これは、大成功。

エリックのゴールはもっていったメキシコペソをきっちり使うと言うことで、
多分数セントだけ残してきれいに使ったと思います。
ストリートタコスを買ったり、バスにのったりするのに小銭を使いました。

週末から、ワシントン大学の学生たちがスプリングブレイクで遊びにきて、ホテルがごったがえし。
まるでカレッジドームのようになり、おまけにみんな酔っ払いなのでうるさくて、
夜どおしの騒ぎで、眠れないバケーションでした。
みなさんも、この時期に旅行の時はご注意ください。

それ以外は、人生を振り返ったり、夫婦で有意義な時を過ごすことが出来ました。
本もたくさん読みましたし。たくさん歩きました。

送り出して休ませてくれたみなさん、本当にありがとうございました。
#バケーション

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受難週の始まり~ホサナ~ “Hosanna” In the beginning of passion week

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今週は、過ぎ越しの祭、すなわち... 今週は、過ぎ越しの祭、すなわちイースターの一週間前で、しゅろの日曜日といいます。英語では、パームサンディです。なぜそういうのかは、下記ご参照ください。
2021年3月28日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


ヨハネJohn 12:12-16
12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」14 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。15 「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」16 初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。

ヨハネ黙示録Rev. 7:9-10
9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

★聖書の預言としるしはレイヤーになっている
先の二つのみ言葉は両方似ていますね。しゅろの枝とイエス様をお迎えするところ。黙示録では、イエス様の再臨と天での礼拝が記されています。
聖書のメッセージは不思議なものです。時間を超えて、時代を超えて人種を超えて伝わります。聖書内で暗示されているストーリー、預言なども時間を何層にして成就されています。ですから、今日のこの話も、あなたの今の人生に当てはめ事が出来るのです。これが預言と生きいてる神の霊の働きです。

★過ぎ越しの祭の六日前の出来事
イエス様は、ラザロをよみがえらせ、またマリアに油を注がれ埋葬の用意をされた上で、エルサレムに向かいます。過ぎ越しのためでした。過ぎ越しの祭は、出エジプトの出来事から来ており、パロが全ての初子を殺すと命じましたが、家のかもいに動物の血を塗った者たちは助かりました。血による贖い、血によって人の命が救われる、奴隷の生活から解放された、ということを覚える、救いと贖いの祭です。まさに、イエス様は、ご自分を人類の救いのための血、生け贄としてその場所、エルサレムに入られたのです。
イエス様はどんな気持ちでエルサレムに入城されたのでしょうか。これからやってくる苦しみや裏切りを知りながら、人々に王として迎えられ盛大に歓迎された。
イエス様はボランティアリーに、自ら苦しむことを選ばれた上で、過ぎ越しのために町にやってきたのでした。

★大歓迎をする群衆
イエス様は、エルサレムに大歓迎されながら入っていきました。
◎しゅろの枝
しゅろの木の枝をもって、他の福音書では自分たちの上着を脱いでそれを道に引いてイエス様が通られる花道を作っています。
しゅろの枝は、勝利の象徴とされていました。圧倒的な勝利者であるイエス様を迎え、祝うのにふさわしかったのです。
◎上着
マタイに書かれている上着を敷いたのは、イエス様に対する服従、submission を表しています。
◎ホサナと叫んだ
「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と、聖書を引用して叫んでいます。
ホサナとは、
救ってください。という意味ですが、民は、どんな救いを願っていたのかは分かりません。政治的な意味が願った人が多かったのと思います。ローマから救ってくださいと。しかし、聖書に預言されているように、人々は、ホサナ、主のみなによって来られる方にと叫んでいます。
◎ロバの子
またイエス様はロバの子の背にのって入られました。普段は歩いて旅をして来たイエス様が、ここではわざわざロバの子を調達して乗られました。これも、旧約聖書ゼカリヤ書に書かれている預言の言葉の一部でした。
ゼカリヤZechariah 9:9
シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。

イエス様は、世界最大の暗闇との霊的戦い、人類を罪の奴隷と束縛から解放するという大事業のために、馬でなく、ロバにのってこられました。馬は、戦いの象徴ですが、ロバは平和の象徴であり、柔和さの象徴です。イエス様は、この戦に平和と柔和を持ち込まれたのです。
これも預言の通りのことが起きました。

★欠けだられの人間性のために
大変皮肉なことですが、このように、受難週の初めに盛大に、「私たちを救ってください!」と叫んだ群衆は、金曜日には、「バラバを釈放しろ!イエスを十字架につけろ!」と叫ぶようになったのです。また、イエス様の友人であった弟子たちも裏切ります。銀貨で売られ、イエス様の弟子であることを否定されます。
私達は、これを見る時に、人というのは本当に欠けだらけだと思うのです。また、その姿に自分を見ざるを得ません。私も、欠けの多い人間です。また、私達が日ごろの周りを見渡しても、ニュースを見ても、人というものは欠けが多いと思わざるを得ません。
しかし、そんな、私達罪人、broken な人々のようにイエス様はなられました。

イエス様はご自身がbroken な方になられました。肉体的にも一人で歩けないほどに痛めつけられ、肉は酷いむち打ちではがれ、心はずたずたに傷つけられました。また、最後のたのみであり、使命をいただいた父なる神にも顔を背けられるという霊的な”欠け”brokenness も受けられました。

それは、私たちの救いのためでした。私達が真の意味でこの永遠の欠け、brokenness から解放されるためでした。肉体的にも、精神的にも、霊的にも。
もう一度いいます、それは、肉体、精神、霊を含みます。
私達には、肉体のむつかしさ、精神のむつかしさ、霊のむつかしさを乗り越えられる、奇跡的な救いが必要です。欠けの無い人は一人もいません。

この、昔から預言されていたイエス様によってのみ、私達は解放されるのです。ですから、私達は、今日もホサナ、ホサナ、救ってくださいっと神に叫ぶのです。

★ホサナ
後に来られるイエスを待ち望んでいますか。イエス様はもう一度この地に来られると聖書で何度も預言されています。私達に見える形で。Jesus’ second coming. 私たちは、救いを得た今も、完全な永遠に入るまで、イエス様にまみえるまで、ホサナと主に叫ぶのです。

黙示録Revelation1:7
見よ。彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。

★預言としるし
今日は、預言の言葉が複数出てきましたね。
預言とは神の言葉であり、神の言葉がそれを預かった人から語られたものです。
この箇所で、複数の過去に語られた言葉が、そのように起きていることを見ることが出来ます。これが、私達へのしるしです。神様から来ているということです。預言は今でも語られていますが、過去に語られたものも、このようにして今私たちがしるしとして認めることが出来ます。今の時代のわたしたは、このようにしるしを見るように召されているのかも知れませんね。
聖書を心に蓄え、また最近語られた預言にも心をとめ、周りで何が起きているのか祈り深く観察し、しるしを見つけていく。
というのも、イエス様が来られる日が近いからです。

●今の時を見極めながら、しるしを探し、ホサナと主に叫び続け、とりなして行きましょう。

#しゅろの日曜日 #礼拝

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バケーション

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バケーション


まとまった休みを取って、自分たちの余暇を過ごしたのは、かれこれ。。。。二年半ぶりかな。

前にゆっくりしたのは2019年。

去年は始まったとたん、すぐにコロナ禍で、日本にも里帰りもできませんでした。
この先、いつになるか分からない、ということで、

教会からも、シェルターからも、一回ゆっくりしてきたら?
精神衛生上よくないよって、すすめられ、
休暇をとることになりました。

どこか、暖かい気候のところに行こうかなー。。。。

何もせず、毎日ゆっくり過ごす。。。
夢のようです。

それまで
ばたばたといろんな仕事をかたずけて。。。
タックスリターンも。。。とかとか。。。

皆さんは、定期的にバケーションとられてますか?
タイミングが大切ですよね。
家族のこともあるし、仕事の区切りもあるでしょうしね。

思い切って、行けそうな時に、まとまった時間とれるといいんですが。。

ゆっくりしていろんなことをリセットしたいと思います。
また、
去年たくさん辛いことのあったエリックとゆっくり時間すごしてみますね。

みなさんも、お身体と精神をおだいじに。。。

また、行って来たら、今回は写真をちゃんと撮ろうと思ってますので。。。
ご期待ください。

#セルフケア #バケーション

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主のために道を備えるPrepare the Way

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主のために道を備えるPrepa...

2021年3月14日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


リバイバルのためにお祈りしていた。
今、教会のトラジションの時。コロナ禍から出てくる。またコロナ中二いろんなことが振るわれた。新しく主を求めている人もたくさんいる。真の信仰とは、真の繋がりとは、と人々は考え、求めている。
これは、主が必ず現れる、教会に主の霊が注がれるというしるし、予兆ではないでしょうか。
さて、ここで、問題となるのは、私たちにその準備ができているのか? ということです。
主と、主の御働きをお迎えするために聖書は何と言っているでしょうか。

まず文字通り主の道を備えに来たバプテスマのヨハネを見てみましょう
★バプテスマのヨハネのメッセージJohn the Baptist’s message

マルコMark1:1-4 
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。the beginning of the gospel of Jesus Christ, the Son of God. 2 As it is written in the Prophets: “Behold, I send My messenger before Your face, Who will prepare Your way before You.” 3 “The voice of one crying in the wilderness: ‘Prepare the way of the Lord; Make His paths straight.’”  John came baptizing in the wilderness and preaching a baptism of repentance for the remission of sins.

〇悔い改めRepent 
メタノイアMetanoia ギリシャ語 a change of mind, as it appears to one who repents, of a purpose he has formed or of something he has done  考えが変わること。悔い改めた人は、その人の行動の目的が変わるので、行動の変化が見れる。
罪から180度方向転換し、反対方向に歩み始めること。

カルロス・アナコンディア南米のリバイバルも悔い改めから
ハイチのリバイバルも悔い改めから

★ヨナJonah
◎主に従う葛藤を通して従順を学んだ

最終的に遣わされてメッセージをし、国の 王さえ悔い改めた
結果リバイバルが起きた

ヨナJonah3:5-6
そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。6 このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。
The Ninevites believed God. A fast was proclaimed, and all of them, from the greatest to the least, put on sackcloth.6 When Jonah’s warning reached the king of Nineveh, he rose from his throne, took off his royal robes, covered himself with sackcloth and sat down in the dust.

V10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らを下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。
When God saw what they did and how they turned from their evil ways, he relented and did not bring on them the destruction he had threatened.

- ヨナの場合は、まず主への従順を探られた上、メッセンジャーの自分がまず悔い改めに導かれました。そして、その後、メッセージを聞いた人々が悔い改めました。ニネべの人たちの罪は本当にひどくて、ヨナが無理だと思うほどでしたが、リバイバルが起きたのです。

★サマリヤの女 Samaritan’s Woman
サマリヤはイスラエルの人々が主に対して罪を犯して、異邦人の風習に従って歩んだので、神の目から見て霊的に大変混乱しているという背景がある。言わばいくつもの異なる神々を一つ所で拝んでいるような感じ。日本にも似ているのかもしれません。またユダヤ人とは犬猿の仲ですから、福音が届きにくいし文化的にも神のまっすぐなメッセージが届きにくい土壌でした。

◎イエス様に出会った -- 町中に出来事を話して回った--リバイバル

ヨハネJohn 4:39-41
さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
Many of the Samaritans from that town believed in him because of the woman’s testimony, “He told me everything I ever did.” 40 So when the Samaritans came to him, they urged him to stay with them, and he stayed two days. 41 And because of his words many more became believers.

一人の女がイエス様に出会い、今までしてきたことから立ち返り、イエス様を心に受け入れ、自分の人生が変えられたことを話したことで、霊的に難しかった場所にリバイバルが来ました!

★聖霊降臨時at the Pentecost
新約の大リバイバルと言えば、やはりペンテコステです。この始まりは、イエス様の言葉に従って、みなが一つの場所に集まって祈っていたときに起こりました。
共に集まるということと、約束があるうえでさらに祈ると言うことが肝です。
◎ともに集るなかでハーモニー調和が無ければ祈りは続きません。おのずと、人々と集まり中で悔い改め、神の前に共に謙遜になったことでしょう。
リバイバル 一日で3000人が主に立ちかえった

使徒Acts2:1-2
五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るゆな響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。v38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
When the day of Pentecost came, they were all together in one place. 2 Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting.

v41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
Those who accepted his message were baptized, and about three thousand were added to their number that day.

そして、また悔い改めが勧められています。

さて、今日あげた中で、リバイバルへの特徴があります。
それは、必ず、悔い改めがまず必要であること。
個人的な悔い改め、に続いて団体としての悔い改め。
その体験をありのままに話すことが用いられること。土地の難しさに関係が無いこと。

悔い改めとはあなたの考えが変えられることです。
Rom12:2 心の一新Renewing your mind
私達は日々いろいろなマインドセットにはまっています。
神の新しい働きを流すために、私たちは常に世的な、人間的な、また自分の癖から解放されいてくように祈っていきましょう。

神様は来られます。神様は何かをされます。ともに祈っていきましょう。
#悔い改め #礼拝

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HIIT 再開

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HIIT 再開

こんにちは。今日は健康関係。

コロナ禍で、一年いつも行ってるジムが閉鎖してしまい。。。
すっかりなまった体です。ずいぶん体重も増えました、が、
怖くて測ってません。

ジムには去年の秋にあいているジムに入会して
マスク着用で少人数予約制で、行ってます。

マスクでは運動しずらいです。。

いつも行っていたオレンジシオリーは、HIITトレーニング、つまり
ハイ インテンシティ インターバル トレーニングです。

オレンジシオリーがビデオをユーチューブに上げてくれてるので
それを見ながらジムで一人オレンジシオリーしてみました。


すごい筋肉痛です。
でも、ちゃんとストレッチのガイドもあって、安全。

運動したあともすがすがしいです。

HIITは短い時間で、体脂肪をよく燃やし、筋肉量を増やすやり方です。

私は、インターミッティンファースティングと合わせてやろうと思います。
16時間何も食べない時間を一日のうちに作るというやつです。

この食事法もHIITも寝てる間の成長ホルモンを増やし筋肉量が増える形になります。

まあ、この年でも、ぼちぼち続けられるかな。
実は、70代でもここまで変われたというこの方に感化されました。
彼女ができたなら私もできるっっっっ


みなさんも、健康にお気をつけて、
コロナでなまった心と体をよみがえらせて行きましょう♪
#セルフケア

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キリスト者の標準

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キリスト者の標準
2021年3月7日日曜日バイリンガル礼拝 子供のお話は、マックスルケードの「君はすばらしい」より。


今週、バイブルスタディでも、シェルターでも同じテーマが出てきたので、神様がかたっていらっしゃると思いました。

★良いクリスチャン? Who is a good Christian?

さて、みなさん、良いクリスチャンってどんなクリスチャンだと思いますか?
少し一緒に考えてみましょう。
よくお祈りをする。霊的である。伝道熱心。チャリティ熱心。良いことをする。善行。人を助ける。聖書の言葉をよく知っている。
あんな人でもクリスチャンなんですか? と言われないようにする。
例えば私のシェルターなら、中毒から解放されている。自制がある。日々、自己鍛錬をしている。などなど。。。。たくさん出てくると思います。

なんとなく、ざっと挙げたこの項目の中でも、やはり、何かを頑張ってしている感が否めませんね。

さて、キリスト教ってそういう教えだったのでしょうか。

★私達のもがき Our battle

私達がすぐにぶち当たるのは、「できない」です。そして、真剣に取り組めば取り組むほどに、不可能が立ちはだかります。まるでパウロが例にしてあげている、結婚関係のようです。

例) ダイエット
最近、リズさんがエリックに進めてくれたヌームが効果を発しているようで、それは、単純な食べちゃだめっ、いや食べたい、の心の葛藤を軽減することによって、考えを通して痩せていくプログラムだそうです。なるほど、いいやり方です。とにかく、私たちは、肉に戦いを挑んだら負けるのです。。。

この負けるしかない状態に勝つためにはこれしかないと、パウロは例を出して話します。

ロマRomans 7:2
2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。For the woman who has a husband is bound by the law to her husband as long as he lives. But if the husband dies, she is released from the law of her husband.

悪い夫がいて、どうしても別れたいがそれは許されていない。そうすれば、そこから解放されるのには、どちらかが死ぬしかない、ということ。

ロマRomans 7:5-6
5 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。6 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。For when we were in the flesh, the sinful passions which were aroused by the law were at work in our members to bear fruit to death. 6 But now we have been delivered from the law, having died to what we were held by, so that we should serve in the newness of the Spirit and not in the oldness of the letter.

私達が、肉にあるなら、必ず罪に従わなければならないというような重力が働き、それの反対をしようとすることにとても摩擦と労力を要します。
しかし、その肉が死んだなら、私たちは、同時に私達をおいつめる、「ねばならない」の律法の力からも解放されるのです。

★もがきを体験している人は幸いです。Blessed to be in a battle

ロマRomans 7:24
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。O wretched man that I am! Who will deliver me from this body of death?
(善をしたいけどできない自分、もがいても励んでも、自分の肉の性質を一掃できない)

私達は、「できない」から解放されるには、これに到達する必要があります。どんな人も、どんな境遇の人も、ドラック中毒者も何も中毒が無い人でも、みんなここに行く必要があります。

★命を産み出す死 Death produces life

死ななきゃ治らない。死ななきゃ解放がない。そこで、イエス様の十字架の死が初めてあなたに意味を持つようになるのです。この、繰り返すもがき苦しみはあの十字架で死んだ。と言うことを受け取るのです。そして、罪に引っ張る罪が宿る肉が死んだので、今度は、霊が生きるのです。この霊に従うなら、律法の要求は満たされるのです。

ロマRomans 8:1-4
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus, who[a] do not walk according to the flesh, but according to the Spirit. 2 For the law of the Spirit of life in Christ Jesus has made me free from the law of sin and death. 3 For what the law could not do in that it was weak through the flesh, God did by sending His own Son in the likeness of sinful flesh, on account of sin: He condemned sin in the flesh, 4 that the righteous requirement of the law might be fulfilled in us who do not walk according to the flesh but according to the Spirit.


★私たちの目指すところ。Our Goal

ロマRomans 8:14-17  
14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。14 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God, 17 and if children, then heirs—heirs of God and joint heirs with Christ, if indeed we suffer with Him, that we may also be glorified together. 

★Doing vs Being

私達は、肉と格闘することを選ぶことで、今ある道に打ち勝つのではありません。むしろ、肉は死んだと認めるのです。
そして、Doing を追求するのではなく、Being を追求する時に、あなたは解放の中を歩み、そして、霊に従うことができるのです。
これは、キリスト者の標準であり、あらゆる課題のマスターキーです。解放の鍵です。

そして、何度も通るドアです。私達は肉を持っている存在ですから、絶えずそちらに引っ張られます。そのたびに、ああ、私はDoing に引っ張られている。私は誰だったか。。。そう、神の子供、Being に戻る時に解放が来ます。

Doing にこだわっている時は、一所懸命伝道しようとしても、空回りして、どんなにみ言葉を引用して説明しても、キリストのメッセージが相手に伝わらない。しかし、Being にとどまり、子であることを楽しみ感謝し、力や自分の能力にこだわらないならば、相手の方から、キリストについて教えて欲しいと聞かれるようになる。。。

みなさん、世の中はDoing の法則で満ちているんです。しかし、クリスチャンにはBeing の世界がある。休みがある。子としての安堵がある。そこに、世は魅力を感じるのです。

今週、神の子であることに休みを得ましょう。また、もがいている人は、感謝です。主の十字架の意味にいて黙想して行きましょう。

#ロマ書 #礼拝

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キリストとの同一化の力 Identification with Christ

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キリストとの同一化の力 Ide...
2021年2月28日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


今週、神様に語られてることは、キリストのうちに自分を見出すことの力です。やはりシェルターなどで色んな人と出会うことは日々目が開かれることです。本当に人は人からたくさんの神の恵みを受けることですね。
さて、
救い、聖化、成長、癒し、試練の中での慰めと原動力という、キリスト者の重要な方向転換、または状況変化に加速をつけるのは、キリストとの同一化であります。すなわち自分をキリストのうちに見出し、それを認めることです。

★イエスの受肉
全てはキリストの受肉から始まります。キリストの受肉を抜きに語れません。関連聖句を見てみましょう。

ピリピPhilippians 2:6-8
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。
Who, being in very nature God, did not consider equality with God something to be used to his own advantage; 7 rather, he made himself nothing by taking the very nature of a servant, being made in human likeness. 8 And being found in appearance as a man, he humbled himself by becoming obedient to death— even death on a cross!

最近、Disabled God という本を読んでいるのですが、障害をどのように神学的に理解していくかということですが、このものの見方は全ての人に力を与えます。
ここに書かれてあるように、キリストは、神です。神で有られるのに、神の有り方を捨てられました。すなわち、全能、全知、遍在、である方が、非常に限りのある肉体に生まれられたのです。全能の神にしたら人間というのは、何もできないに等しいのです。
その何もできないような姿で、その同じ姿の人間たちに仕えるられたのです。
イエス様の生き方は、人間界の文化にあり、それを理解し寄り添いながら、天の文化やり方に合わせて生きておられました。
キリストは、いつも天、いつも父を見据え、そして聖霊様に共に働かれました。
「私は父の業を行っている」ヨハネ14とイエス様は言われた。
また、イエス様はいつも寂しいところに行かれてみ父に祈っていた。

イエス様は、まず、私達と一体化、同一化することから、そのお働きを始められました。そして、彼の奉仕の中心は、父と繋がることと、父の業を行うことでした。

私達には、色々な「不可能」があります。
しかし、まず、全能な方が不可能で満ちた人間の身体に生きられたことを思い出しましょう。あなたは一人ではありません。

★救いSalvation -- 私たちの基本、希望 Our Foundation and hope
まず、キリストが私たちと同一化してくださったことで、今度は私たちがイエス様に同一化することで恵みを受けるようになりました。

ガラテヤGalatians 2:20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me. The life I now live in the body, I live by faith in the Son of God, who loved me and gave himself for me.

私達の救いは、キリストの十字架と死と葬りと復活にあります。私達が自分の罪の性質を知り、それがもう死ななければ治らないことを認め、その罪がキリストのあの十字架で死んだということを認める事、そして受け取る事、私もキリストとともに死に、復活したということを信じ、私たちは救われました。

★成長 Growth -- 聖化Sanctification
この救いの法則、キリストとともに、十字架、死、葬り、よみがえりを信じること、確認すること、が私たちの聖化のプロセスでもあります。
私達は成長しない時に、二つの傾向にあります。それは、高慢になりすぎるか、出来ないに凝り固まり、自分を責めすぎる、そのどちらかです。しかし、両方は紙一重で結局同じなのです。例えば、高慢になりすぎる。=弱さを隠す。です。弱さを隠すには自分で頑張らなければならない、自分で頑張るなら、古い人が死ぬ必要がない。一方、「出来ない」に凝り固まっている方も、それ以上求めない、自分の弱さに向き合わない、古い人に死なない、信仰がいらないということで、古い性質が死ぬ必要がないのです。
私達が自分の弱さ、繰り返す同じ過ちの性質を認め、向き合い、そして、それを十字架に見る時に、私たちは初めて、純粋に信仰によって立つことができるのです。
そこから、聖霊の働きが、あなたとともにぐんぐん始まります。

キリスト者の成長はキリストと一つになることです。

★ 癒し Healing
イザヤIsaiah 53:3-5
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
He was despised and rejected by mankind, a man of suffering, and familiar with pain.
Like one from whom people hide their faces he was despised, and we held him in low esteem. 4 Surely he took up our pain and bore our suffering, yet we considered him punished by God, stricken by him, and afflicted. 5 But he was pierced for our transgressions, he was crushed for our iniquities; the punishment that brought us peace was on him, and by his wounds we are healed.

V5 私達は、肉体の癒しを必要とする時に、このみ言葉に癒しを見つけます。私たちの痛み、病、身体の不自由をキリストの打たれた傷に見つける時に、そこに認める時に、慰めがき、癒しが来る。解放が来る。

イザヤIsaiah 61:1-3
神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、2 主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現す主の植木と呼ばれよう。

悲しむもの、精神的に苦しむ者たちにも、イエス様のうちに自分を見出すことが出来ます。

★苦しみの中の慰め
私達があらゆる苦しみにある時に、私たちは聖書を開きキリストに出会うことが出来ます。イエス様は苦しみの中どうされたのか。私の苦しみとイエス様の苦しみにどんな関係があるのか、と考え黙想してみましょう。
イエス様は、人にさげすまれたとあります。神であられるのに人にさげすまれたのです。自分が不当な扱いを受ける時、イエス様を思い出しましょう。
イエス様は誤解されていました。誰よりも神の心を分かっているのに、宗教のプロからは異端者扱いでした。
イエス様は、他人の利益のために王として担がれようとしていました。イエス様はその力と求心力のために、政治的に期待されました。政治的にローマからイスラエルを解放してくれるのではないかと。間違ったプロジェクトに担ぎ出されようとしていました。
イエス様は、独身でした。独身者の苦しみ、孤独さというのは本当に辛いものですが、イエス様はそこにおられました。
イエス様には、肉の子供がありませんでした。
イエス様は友達に裏切られました。
イエス様は、両親をおいて神の働きをしなければいけませんでした。
イエス様は、人からレッテル張りをされました。大酒のみのおおぐらい。など。
イエス様は、枕するところがありませんでした。

へブルHebrews 4:15-16
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
For we do not have a high priest who is unable to empathize with our weaknesses, but we have one who has been tempted in every way, just as we are—yet he did not sin. 16 Let us then approach God’s throne of grace with confidence, so that we may receive mercy and find grace to help us in our time of need.

★試練の中の方向性
私達が苦しむとき、私達が試練の中で行き詰まる時、ぜひ思い出してください。
イエス様も、神としての能力をよこにおいて、不自由な人間の姿で過ごされたことを。
そして、イエス様の歩みは、
父なる神様と常に繋がり、常に聞き、常に祈り、そして常に父なる神の御心とともにその使命を全うされたことを。

#同一化 #礼拝

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