米国人宣教師の回顧録
Apr
15
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。
卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。
そこで1人で伝道されていらっしゃったのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。
私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。
本の題名によると、「人生は80歳から始まる」。
確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力に満ちておられた先生でした。
私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。
今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出した背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福でした。
まるで宝物を探し当てたような感覚を持ちながらページをめくっています。
皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを今後紹介して行きます。
まず最初の第一回目は、ドロシー先生の誕生ストーリーからです。
第1章
宣教師の養成遺産
それは実に膨大な時間、問題、訓練を要するプロセスです。
私の場合、43年間かかりました。
私には実に素晴らしい遺産があったことも覚えねばならないでしょう。私の先祖はフランスのユグノーまで遡ります。
それは信仰ゆえに迫害を受けた人々で、農場、財産、富を背後に棄てて国から逃れてきた人たちでした。自由を求めて定かでない旅を始めたのです。
ある人たちはオランダを経由し、他の人たちはイギリスを経由してアメリカまで渡ったのでした。
農場での誕生と幼少時代
私は1915年11月11日にアイオワ州にて誕生しました。
二人の兄弟に挟まれるサンドウイッチの具のように真ん中でした。
家族全体から「お姉ちゃん」というように呼ばれたものですから、自分の名前の持つ高貴な意味については長く無知のままでした。
ずっと後になって次のような意味があることを知りました。
「ドロシー」
それは、人気ある名前の意味で「神の賜物」
起源ーギリシア語
強調点ー「この女性は決してあなたを引き下げない」
「彼女の行く手には挑戦が待っている」
「彼女には想像力がある」
「彼女は成熟した配慮ある行動をする」
これら上記の意味には私の実際からして手が届きそうになく、単純に「お姉ちゃん」が最もふさわしいものだったでしょう。
私の二人の兄弟と私は農場で誕生したのです。私たちにはご自慢の動物園や木の枝に結ばれたブランコ、それに忍耐深い子馬がいました。
その子馬は人嫌いなのですが私たちは別格で、三人一緒に乗っては滑り台のようにして遊んだものです。それに乗って尻尾へ滑り落ちるのですが、何ら抵抗しませんでした。
ある時、私はそれに乗ったまま眠り落ちてしまったこともあります。子馬はそれに気づくと、上手に完璧でゆっくりとした早さでしか動こうとはしません。お陰で私はそのまま午後の昼寝を楽しめました。
また私たちには専用の特別牛乳配送装置がありました。直接ミルクの供給源を「モミモミ」して自分たちのカップに注ぐのです。
電話は地方新聞の役割を果たしていました。
1本の電話線に多数の人がつないでいるものですからご近所さんの愚痴などこぼさないように気をつけねばなりません。緊急時には皆が協力して電話を切りその人に優先権を与えたものです。
私の子供の頃はテレビはまだ無く、漫画本さえ見たことありません。従兄弟で集まる時にはそれはそれは楽しかったですよ。自分たちで即興の笑い話や劇を作ってしまうですから。
(つづく)