骨折と入院経験
Nov
12
日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。
その第41回目は、ドロシー先生の入院経験を記しました。
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第四部
さまざまな事がら
伊勢神宮のあおりを受けて
20年に一度、伊勢神宮からの特別な大木が、地元の神社へすげ替えのためにやってくる行事があります。その神木である大木をお迎えするのですが、錦では連日イベントの目白押しで
となりました。ダンスやパレードなどです。さらにそのための組織作りが町内会で始められました。
教会が置かれている町内会でも参集の知らせが届けられ、私もその集いに参加せざるを得なかったのです。
そこで私は、
「分担金があるならば喜んでお支払いしますし、祭りのための助けが必要ならば時と場合に応じて喜んで協力しますが、いまや教会の働きが大変忙しく私のほとんどの時間を費やさねばならない」ことをお話ししました。
その町内会長さんの娘さんは、かつて聖書クラスに出席されていました。
そこでそのお父様は、私がこの宗教のお祭りには何の義務も負わなくて良いことにしよう、とグループの皆さんにお話ししてくださったのでした。
水に浸かった花飾り
そんなことがあった直後にもかかわらず、祭りのための花飾りを作るようにと依頼されたことには全く驚くばかりです。係りの方がやって来られ、私にあてがわれた材料と隣に住んでいらっしゃる若いクリスチャンの女性を残して帰って行かれました。言いつけられたであろうその女性は、何度も私にお詫びしながらも、私にその材料と作り方とを伝えてくれました。
私たち二人とも、こんなことには全く関わりたくはないのです。もし私がきっぱりその作業を断ったとしたら、クリスチャンの彼女が私の分まで受け持たねばならない、と言われるのです。
「互いの重荷を負い合いなさい」との聖書のお言葉を実践するのが、こんなにも困難なことであったとは!
私はほとんど一晩中かけて、しかも泣きながら、祈りつつ、そのあてがわれた紙製の花飾りを作り上げて翌朝早く届けに行きました。
その花が飾られたロープは町全体に渡りつながれてありましたが、主は祭りの始まる直前に豪雨を降らせてその全てを台無しにされてしまわれたのでした。
礼拝に人々が溢れたこと
その祭りは、日曜から月曜にかけて行われました。
ある方がその日は誰も教会に来はしないので、日曜礼拝をキャンセルしたらどうでしょうか、と提案してくれました。「いいえ、私たちは決してキャンセルはしません」と私はお答えしました。
かつて私は一人で礼拝を守ったことがあります。再びそうすれば良いだけのことです。
その頃川崎教会のある若い男性は大阪出張中でして、時に長い週末を利用して錦の働きを手伝いにお出でになることがありました。
彼が連絡をして来て、その日においで下さるとの事ですから、私たち二人だけで礼拝をすることになるでしょう。しかし驚いたことに、近くからも遠くからも思いがけないゲストの方々がおいでになられました。彼らはこの町の祭りのためにやってこられた方々でしたが、教会にもお出でになられ、とにかく会堂が収容できる限界まで新来会者で溢れたのでした。
確かに主の道は私たちのそれよりも高く、そしてときには私たちを驚かせることを喜んでいらっしゃるかのようです。
町内会に住む一人の住民として、私はかつて葬式の行列に加わるようにと求められたこともありました。その時、主は私に真に逃れの道を備えてくださいました。
その時はちょうど日曜日でして、すでに子供さん達が日曜学校に多く集まっていたのです。
当時私は日曜学校とそれに続く日曜礼拝の全面的な責任を負っていたものですから、それが格好の理由となって、以後求められる事も無くなりました。
このことはクリスチャンが、私どもの周囲の方々のために悲しんだり、その苦しみを無視したりして良いと言うことでは決してありません。死者のために香を焚いたり、その霊に祈ったりする方法以外に、愛ある関心を示す方法があるはずです。
骨折と入院経験
すべての女性は、長期間入院したことを得意になって話すのが好きなのを皆さんは知っていらっしゃることでしょう。ただし、これは女性だけに限ったことでありせんよ。
有名なナザレンの伝道者であるブッド・ロビンソンと言う人が「私の入院体験」と言う本を上梓しています。私はそこまでをここでしようとは思っていません。
40年以上前に私が初めて日本に到着して直後、私の到着を待っていたあるご婦人に会うため、ある病院を訪れました。彼女自身は慰められたようなのですが、実は私の心はだいぶ掻き乱されたのです。その病院の様子を見てのことです。そして日本では決して入院だけはしたくない、と心底思いました。
しかしその後、私が数カ所を同時に骨折してひどいことになった頃までには、この国の入院環境はだいぶ改善されて来た様です。