大東亜戦争後70年以上経過しているのに未だにその影響下から抜け出せないでいる東アジアに位置している祖国の日本。
1000年たっても隣国のその恨みは消えることがないそうです。
そして私たち日本人もどれだけひどいことをアジア諸国の方々にしてきたのかを学校教育で教えられて来ました。
A新聞をはじめいわゆる自虐史観を私たちに植え付ける報道機関も健在してます。
それは国民の大多数がそのような報道や情報をすんなりと受け入れてしまう素地があるからといえます。
戦後GHQよるWAR FALT INFORMATIONのせいだとか,
その理由を多くあげることもできるでしょう。
最近あるところからの情報番組で深く納得する理由を得ました。
我々日本人が自虐史観から抜け出せない最大理由は、
初めて負けた戦争であったからと言うもの。
太古から国のピンチに陥ったことが数度ありますが、その都度切り抜けてきた私たち。
先の大戦では完膚なきまでに叩きのめされた。
その時に降伏するとはどういうことか。
敵の占領を受け入れるとはどういうことか。
そこから復興するとはどういうことか。
確固たるものがわからなかったんです。
GHQのするまま委ねるほかなかったのです。
この点ドイツは近隣諸国との戦いで勝ち負けを繰り返し負け方にも慣れていた。
やばいことをすべてナチスのせいにした上で新たな国民国家を再建することは容易かったのです。
冒頭で戦後70年以上も経ったと書きましたがまだ70数年しか経っていない。
私たちが負け方を咀嚼して立ち上がるにはまだ年月が必要のようで
ホサナキリスト教会。
本日の日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
使徒の働き 13:42-52
"二人が会堂を出るとき、人々は、次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだ。
会堂の集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちがパウロとバルナバについて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みにとどまるように説得した。
次の安息日には、ほぼ町中の人々が、主のことばを聞くために集まって来た。
しかし、この群衆を見たユダヤ人たちはねたみに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった。
そこで、パウロとバルナバは大胆に語った。「神のことばは、まずあなたがたに語られなければなりませんでした。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者にしています。ですから、見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。
主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主のことばを賛美した。そして、永遠のいのちにあずかるように定められていた人たちはみな、信仰に入った。
こうして主のことばは、この地方全体に広まった。
ところが、ユダヤ人たちは、神を敬う貴婦人たちや町のおもだった人たちを扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、二人をその地方から追い出した。
二人は彼らに対して足のちりを払い落として、イコニオンに行った。
弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。"
⑴神の言葉の開陳
教理でなく歴史物語(ストーリー)としての紹介 16ー25節
主イエスの死、埋葬、復活、昇天に見る預言成就 26ー37節
私への適用 38ー41節 〜罪が赦され義とされるのがこの方による。裁きから逃れよ
⑵神の言葉への渇き
①次週の安息日にも神の言葉を話してくれるようにと求めた(42)
②神の言葉が人を新生され、救いに導かせた(42.44.46.48.49)
そこにはまた父なる神の先行的な恩寵と御心があった(48)
⑶神の言葉の拡大と拒絶
①伝道が御心に従って進展していくと必ず2方向の結果が生じる
② 異邦人世界への拡大(49)と反抗するユダヤ人(50)
(結論)
神は今でも神の言葉/聖書を通じて私たちに語られる。
真理に渇く者に対してみ言葉が開かれ、生き働いて私たちを救いに導くのである。
その御言葉を携え人々に紹介する者の幸い(52)
"こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。"
テサロニケ人への手紙 第一 2章13節
先日の2月2日シアトル発祥の地とされるパイオニアスクエアでユニークなレストランがオープンしました。
イタリアンレストランでありながらのノースウエストの風味を内装にもお料理も取り入れたユニークなレストラン•BISATO。
レストラン界のアカデミー賞と言われている賞を獲得した有名シェフ Scott Carsberg を擁して高橋進さんが満を持しての開業です。
進さん、家族で必ず寄らせていただきます!
毎日のレディエーションのための病院のアポイントメント表
本日86歳になるMさんを訪問。
あまりにもガンの進行が進んで体力の弱っている彼女は当初私の訪問を辞退された。
人に会うのと体力を消耗して体が持たないという。
そのため教会にも行けなくなり、友人の訪問も控えてもらっているとの事。
しかし再度電話が鳴りやはり私には会ってくれるという。
5分〜10分でと申し出たが、結局は15分〜20分ほどの面会時間となった。
彼女の病状や近況を伺って後、聖書の御言葉を紹介し共に祈りの時を持つ。
「私たちの国籍は天にある」
日本から結婚と同時に移住した米国での60余年。
3人の子供さん方は立派に成長し結婚。
7名の子供たちは皆大学を終えて素晴らしい家族に恵まれて来られたMさん。
これまで主イエス様に支えられてきた恵みを確認し、そしてさらに天においては主イエス様と共に過ごす希望を確認しました。
互いに手を取り合いながらの祈りが終わったとき、私たちは主にあって1つの希望を共有できた安堵の思いに満たされました。
すでに治療不能となったがんの進行です。
その腫瘍から出血しないための放射線治療に毎日5週間病院へ通わねばならないのです。
食欲もなく流動食を食べていらっしゃるためか3ヶ月前にお会いした時よりもげっそりと細くなられたMさん。
それでも変わらない明るさで賑やかにお話しされるスピリットは主イエス様からの贈り物でしょう。
サンフランシスコにある日本人街を歩いていてふと露天に並べられているワゴンに目がとまりました。
そこには100冊ほどの古本がセールで並んでいる。
足を止めたのは「1冊1ドル」と言う破格の値札に釣られたため。
司馬遼太郎以外にも龍馬を描いた歴史小説家がいたとは知りませんでした。
全巻揃っていない歯抜けだけど1ドルで1冊分が楽しめるならいいや!と思って衝動買い。
SNSで数時間過ごすよりも単行本読んだほうが楽しめる場合が多いはず。
米国西海岸にお住まいのみなさん、
皆既月食でさらにブラッドムーンと言う赤く月が染まるが天体ショーを見ることができます。
こうしてる場合じゃありません。
早く外に出て空を見上げてください。
ホサナキリスト教会日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
「神に対する富」
ルカの福音書 12章13~21節
"群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」
すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」
そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」"
富んだ農夫の誤った人生観とは何であったか。
⑴能力(賜物)の源泉を誤解
賢さや有能さ成功は自分自身によるものと勘違いした(18)。
市場原理による価格変動、コスコパフォーマンス、原価償却に対する利益率の確保などを素早く計算し正しい判断ができたと自認。
その才能をも与えたお方がいらっしゃることを計算していなかった。
「豊作であった」ー天候の良し悪しや賜物の相違はすべて神が決められたこと。
⑵時間の観念に対しての誤解
①平均寿命から割り出した人生設計しか持っていない(19a)。
今日1日今年数年先の時間は自己の快楽のために自由に使えるものと考えていた。
②「今夜お前の命が要求される」(20) 直訳
私たちには生かされた命を持っており許された時間しか与えられていない。
⑶富の観念に対しての誤解
①富こそが人の人生を豊かにするものと考えていた(19b)。
「お金があれば何でも買える」と言った芸能人がいたが、一見するならそのような価値観で世間は動いてるようである。
② 財産の豊かさは保証にならない(15)。
富自体を否定しているものではなく富を用いて楽しむことのできる命(生き方)は、その命を造られた方との関係の中に存在する。
(結論)
この世に生きているつかの間の間、私たちには多くの良きものが与えられている。
そしてゆだねられた裁量のゆえに自由に使えて、自分のものであると錯覚している。
時間、才能、健康、財産、仕事など。
これらを永遠のために用いるときにこの世においてもまた楽しむことができる。
友人のガンホーさんがリリースしたラーメン吉(Yoshi)。
この数年間、シアトルやポートランドでは多くのラーメンショップが雨後のタケノコのように開店している。
客層も日本人や東洋人ばかりではなく白人黒人の方々もいらっしゃる。
我が子達もラーメンも大好き。
この日はガーリック風味のこってりスープをいただきました。
日本のある教会から届けられた週報と教会/教団機関紙。
そこには新年の抱負と希望に溢れる1月号と先月のクリスマス特別号のダブルプレッシング。
今一度神ご自身が人の形をとられて受肉されたと言う神秘と事実に思いを馳せる。
「キリストはあなたの心を、生き方そのものをご自分の宿とされ、共に生きてくださるのです」
なんとも重たいメッセージであり、金銀に勝る価値であることか。
全世界の王様を所有しているとは、どういうことであろう?
このメッセージを語ってくださった牧師の人となりを存じ上げているので
その方の口調で聞こえてくるし、ダイレクトに心に響く。
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account