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ヨンサントウ改正、大幅な見直しが行われた、四国島内のダイヤ

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ヨンサントウ改正、大幅な見直し...
国鉄の部内誌、 交通技術の昭和43年9月号の記事を見ていますと、四国に関しては、急行列車の行き違いを主要駅と複線区間で行えるように列車の配列を考えたと書かれています。
以下、本文から引用させていただこうと思います。
四国連絡網の整備
 ここらで四国連絡に目をむけてみよう。四国の列車ダイヤは、ネットダイヤを組んでフリーケンシーを主体とした輸送計画がなされているが、連絡船~宇野~山陽線と、多岐にわたる連絡はスムーズに行かない。そこで今回は白紙改正の効果を生かすべく、次のような順序でダイヤ作成を行なった。
 まず、四国線内のダイヤの形として、急行列車同士の行き違いが、主要駅と複線区間でできるように列車配列を考え、また、停車訳を養理して精密なネットダイヤを組み、これに合わせて、連絡船の運航を定め、宇野~山腸線の時刻も決定するなと優先的に列車設定を行なって、質的な向上をはかった。
 列車増発としては、山陽線で特急1往復、急行2往復、四国管内で急行2往復であるが。さきに説明したように根本的な改正によって、時分のバランス、接続の改善によって非常に便利なダイヤとなったばかりでなく、到達時分も大阪~松山間で平均30分の短縮となった。

とあります、実際に、宇高連絡線のダイヤを参照したいと思います。
昭和43年9月、ダイヤ改正直前のダイヤ昭和43年9月、ダイヤ改正直前のダイヤ

そして、こちらが昭和43年10月の、改正後のダイヤになります。
昭和43年10月の、改正後のダイヤ昭和43年10月の、改正後のダイヤ

急行列車 うわじま1号と足摺1号の時刻が入れ替わると共に、連絡船の運行時間が五分短くなっています。
昭和42年9月の時刻表では、急行あしずり1号は、5:17でしたが、4:55と25分速くなっていますが、到着は改正前が佐賀着、11:01だったのが、10:04と30分所要時間が短くなっています。
同じく、5:05発だった、急行うわじま1号は、うわじま2号に変更、(うわじま1号は、改正前の急行「いよ1号」を改称)出発時刻も、4:55と10分速くなったものの宇和島到着が10:42と改正前の11:07と比べると、15分短縮されています。
さらに、宇高連絡線との接続時間が劇的に短くなり、ヨンサントウ改正前は、高松駅での連絡時間が、30分ないし40分だったのが、平均7分になっています。
漠然と眺めていると気づかないものですが、改めてこうして時刻表を見ていますと、個々に変更されたダイヤがあることに気づかされます。
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ヨンサントウ改正、強化された、関西対九州のダイヤ

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昭和43年9月の時刻表から 昭和43年9月の時刻表から
今回から、しばらくはヨンサントウこぼれ話として、何回かに分けてアップしたいと思います。

一回目は、九州特急と新幹線を取り上げてみたいと思います。
東海道新幹線の成功は、いまだ新幹線が開通していなかった東京~九州の旅行者のスタイルを変えました。
特に前年に運転を開始した、月光と新幹線を使えば、前日の19:45に月光に乗車すれば、翌朝の9:10には東京に到着が可能になったわけです。

この列車の設定には、当初はかなり危惧したらしいのですが、実際には連日好評であったと言うことで、国鉄では、「あさかぜ」を増発することになります。
この増発された「あさかぜ」は、博多駅を14:50とかなり早い時間に出発する列車でしたが、東京に7:30に到着できるダイヤで、広島~東京間のビジネス利用を想定し手設定されていました。
これにより、広島からのビジネス客は、月光以外に、もう一つ19:00台に出発する寝台列車で乗り換えすることなく、東京まで行けるチャンスができたわけです。
さらに、この改正では、1時間ヘッドで寝台特急を設定し、時間帯には、最高4本の急行列車を挿入して、対九州の利便性は大いに強化されました。
飛行機が一般的でなかった時代ですから、寝ている間に移動できる寝台列車は非常に魅力的と言えました。

また、開業以来好調な新幹線も20分ヘッドとなり、3-3ダイヤが構築されました。【それまでは、2-2ダイヤ】これにより、対九州のダイヤは大幅に強化されたのです。【実際には、昭和42年のダイヤ改正で3-3パターンは出来上がっていたのですが、ヨンサントウでは、その時間帯が朝夕のみからほぼ全ての時間帯に拡大されました。(2018/11/4 追記)
【それまでは、2-2ダイヤ】

20分ヘッドとなり、3-3ダイヤが構築
その反面、ヨンサントウ改正までは、東京から直通で走っていた急行列車が1本に減少、それまでは、10:30発の、西海【長崎・佐世保】は、鹿児島行き「桜島」となりましたが、これは臨時列車で毎日運転する列車ではありませんでした、改正前に11:10【桜島】のダイヤは、そのまま、霧島・高千穂となりいずれも西鹿児島行き【高千穂が日豊本線経由】、霧島は鹿児島本線経由でした、余談ですが、後に、この霧島は、桜島を名乗ることとなり、最後の東京発客車急行として新幹線博多開業前まで残ることになります。
10:30発の、西海【長崎・佐世保】は、鹿児島行き「桜島」となりました昭和43年9月のダイヤ、東京発の定期急行が3本走っている。

ヨンサントウの改正では、東京~九州間の輸送力が大幅に強化され、特に大阪では、夕方から寝台列車がそれこそ、18:19 :発の西海1号・べっぷ2号を筆頭に、18:28:始発の「あかつき1号」西鹿児島・長崎行き、季節列車の「桜島」、「雲仙1号」、18:58:始発の「べっぷ3号」大分行き、19:13着 19発の東京始発の:・高千穂が到着、19:28 :始発の「彗星」宮崎行き、その7分後には季節列車の「月光1号」博多行き、19;48には、急行「西海2号」佐世保行きが大阪から出発、更に20:06 :駅から急行「日南」宮崎行き、季節列車「ことぶき」(新婚さん専用列車)、20:28:始発、明星と言った具合で、翌2:39のあさかぜ2号まで、延々と寝台列車が西下していったのです。
大阪駅は憂国から深夜までは、寝台列車のゴールデンタイムだった
寝台列車ファンにしてみれば、羨ましい限りかもしれませんが、当時は高速バスもなく、飛行機も一般的でなかった時代にあっては、こうした長距離の列車は必要不可欠のものでした。
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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】第五話 詳細解説(荷物輸送)

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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサ...
荷物輸送の改善

ヨンサントウの改正は、スピードアップ【電車の最高速度を110 km/h→120 km/h、客車も95 km/h→110 km/hに引き上げ、気動車も100 km/h→110 km/hに引き上げ、いずれも最高速度】の華やかな部分ばかりが目に行きますが、荷物輸送も地味ですが改善されていきました。
それは、荷物輸送にパレット方式を採用したことでした。
もっとも、国鉄の荷物輸送の多くは、最後まで直積みと呼ばれる、直接荷物を車両内に積み上げていくもので、割れやすいもの等は十分なこん包した上で、特別扱いしてもらうと言った処置が必要でした。
その辺は郵便局も似たようなものでした。苦笑
もっとも、郵便局の場合はkgまででしたので、大きな荷物というのはほとんどなかったです。
さて、話が脱線しそうになりますので、話題を戻しましょう。

ヨンサントウに向けて、荷物輸送での大きな改善点は、以下の三点

1)急行荷物列車誕生
東海道区間など主要線区に、速達性と拠点間輸送に活用するため、新たに設定するもので以下の路線に設定されました。

(東海道・山陽・鹿児島本線)

  1.  急荷第三一列車  汐留・熊本間

  2.  急荷第三三列車  汐留・京都間

  3.  急荷第三二列車  熊本・汐留間

  4.  急荷第三四列車  東小倉・汐留間


(東北線)

急荷第三三列車  隅田川・青森間

(東北・奥羽線)
急荷第二〇三五列車 隅旧川・新庄間


こうした列車が設定された背景には、一般荷物の多くがトラックに蚕食され、新聞輸送や郵便輸送のもが残る状況となっており、コストを抑える方式として、締切便の扱いとともに、パレット方式の導入などが導入されました。
また、急行荷物列車を設定することで、長距離の拠点間輸送の所要時間を短縮することで競争力を高める狙いもありました。
他にも、ブルートレインの荷物室や、設定された、急行荷物列車を活用して、中継駅までの集約輸送を強化することで、競争力を高めたとされています。
特に九州ブルトレ便等は、かなり競争力は高かったものと推測されます。
新聞輸送の多くもブルトレに載せられて輸送されていたのも懐かしい話です。
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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】第四話 詳細解説(東海道新幹線他)

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ヨンサントウ改正で大量に投入さ... ヨンサントウ改正で大量に投入された583系寝台電車
引き続き、ヨンサントウの概要を見ていこうと思います。
JTBでは、ヨンサントウの電子書籍をダウンロードサービスしているらしいですね。
さて、新幹線から順に、ダイヤ改正の特徴を見ていこうと思います。
 東海道新幹線
 現在、1時間当たり「ひかり」3本、「こだま」3本のいわゆる20分ヘッド時間帯は下り延べ約2時間、上り1時間であるが、これを下り9時間、上り8時間に拡大する。
と書かれています。
実際に、昭和42年10月のダイヤ改正の時刻表を参照しますと、20分ヘッドは、朝8時に新大阪に向かう他は、30分に1本となっています。
この改正により、新幹線のダイヤは平常期、波動期平日、週末で異なる形となるが東京口の列車本数はシーズンでは、平日73往復(現行63往復)、土曜81往復(65往復)、休日82往復となる。とされています。

現在の東海道新幹線ダイヤが、8時台で「のぞみ」9本、「ひかり」2本、「こだま」2本、計13本と考えますと、隔世の感がありますね。
在来線を見ますと、下記のように書かれています。
東海道・山陽・九州線
 ア 東京~九州に関しては、
需要の多い夜行特急を東京・博多間に1往復増発して6往復とし、直通旅客の少ない定期急行3往復を1往復に集約する。
なお、この改正で、「特急あさかぜ」が増発され2往復体制になります。
特に、最初に20系化された、あさかぜ号は、「あさかぜ (下り)1号・(上り)2号」となり、1等個室寝台【全室】1両、1等個室寝台+半室車、1両、開放式1等寝台3両、1等座席車1両、食堂車、2等寝台車5両+2等座席車2両を?ぐ堂々とした編成と、さくら・はやぶさと共通編成とした、「あさかぜ (下り)2号・(上り)1号」の2往復となりました。
特に、1等寝台車を5両+1等座席車1両を含む6両もの優等車を連結する「あさかぜ」は、「殿様あさかぜ」とファンの間では語られるなど、別格扱いでした。
さらに、この改正では、「急行3往復を1往復に集約する」と書かれています
急行、雲仙・西海を廃止、霧島を、高千穂に連結して1本の列車に集約されました、後年。高千穂・桜島という列車が走っていましたが、ヨンサントウの改正では、桜島は、臨時列車扱いでした。
なお、急行雲仙・西海も高千穂、霧島もいずれも、東京を10:30から12:00の間に東京を出発する昼行列車で、山陽区間で夜行列車となり、翌朝目的に到達する列車であり、新幹線への転移がどれ程進むか読めませんでしたので、あえて東海道区間に残した長距離列車でしたが、新幹線への転移が順調に進み、利用者が減少していましたので、集約したとされています。
最後まで残ったのは、急行高千穂・桜島で、食堂車も寝台車もない輸送力列車でしたがEF58が昼間堂々と旧型客車を従えて下っていく様は何ともミスマッチな感じがありました。
 イ 名古屋-九州 名古屋・博多間については、夜行特急(電車)を一往復増発し、昼行とあわせ二往復とする。
ということで、前年誕生した、581系の改良型583系により名古屋発博多行きの金星が増発されます。
なお、特急「金星」は昼間間合いを利用して、「しらさぎ」として、金沢まで1往復しています。
 ウ 大阪~九州 新幹線と完全に接続した夜行特急4往復(客車2、電車2)を増発し、6往復にする。
とありますが。このとき、「明星」と「あかつき」「彗星」がそれぞれ新幹線を受ける形で接続する寝台特急として運転を開始します。
明星も、あかつきも、彗星も、元々東海道線で運転されていた夜行列車であり、再び寝台列車の愛称として復活したのでした。
急行も、大阪(新大阪)・博多間、新大阪・大分間に各1往復増発する。と書かれています。
他には、
 エ 九州線 日豊線回りの博多・西鹿児島間特急(気動車)を増発する。
 オ 東京~名古屋・大阪 東海道線の昼行急行二往復を廃止し、東京・名古屋(大垣)間急行4往復のうち、二往復を東京・静岡間列車とし、これにかえて普通列車を増発する。この結果、「こだま」との接続も改善されます。 
カ 大阪~四国 新幹線・山陽線・四国線を主要線区の輸送改善
完全な接続ダイヤとするため、新大阪・宇野間に特急を一往復増発して三往復、急行は季節1往復増発で10往復とする。四国線はこれをうけて高松・高知問い。高松~徳島間に各急行1往復を増発する。
 3 東北・常磐線
 東北線全線の複線、電化の完成に併せて大幅な改善を行う。
 ア 上野~青森 特急は現行昼行1往復、夜行2往復を昼行2往復(電車)、夜行3往復(客車1電車2)にする。電車特急には、この方面で初めて「月光形」の寝台電車を投入する。
 イ 上野~仙台 軌道強化によるスピードアップのほか、電車特急を三往復増発し5往復とする。急行は4往復となる。
概要は続くのですが、次回の機会にさせていただこうと思います。

ただ、ヨンサントウのダイヤで注目すべき点は、前年開発した581系【増備は改良型の583系】電車を東北線などに投入したことでした。
新幹線が当時はありませんでしたので、夜行列車の需要は盛んで、その後昭和45年にはコンプレッサやMGを床下に搭載して機械室スペースを寝台区画に充てた、クハネ583が集中的に東北地域に投入され、それまで東北本線で使われていた、クハネ581は南福岡・向日町に転出することになったのは、熱心なファンの方であれば御存じでしょう。

続きます
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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】第三話 第3次長期計画の中間成果としての改正

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最近のダイヤ改正比較 国鉄線 ... 最近のダイヤ改正比較
国鉄線 昭和43年10月号から引用
国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサ...
ヨンサントウのダイヤ改正について、もう少し続けたいと思います。

ヨンサントウの改正は、サンロクトウの改正以来の大改正であり、昭和40年から改正に向けての準備は始まったと言われています。
第3次長期計画の一環として計画されたこの、ダイヤ改正は、スクラップアンドビルドを意識したものでした。
特に、ローカル線に関しては厳しい目が向けられ、ローカル線の廃止に至らないまでも利用者の少ない路線では、本数を減らすなどの間引きを行いました。
 記録によりますと、全国112線区で、昼間帯を中心に運転キロで18,050 kmを削減したとされています。
 その反面、通勤輸送等には、大型の投資が行われ、線路の増設や車両基地の改良、ホーム延伸等が行われた他、地方幹線の複線化や電化などの輸送力増強並びに、近代化が推進されていきました。
他に、特徴的な点を列挙して見たいと思います。

  1. 季節列車の増発【従来の不定期列車の名称を季節列車と改めて、列車本数を増加】

    現行147本から305本と倍増

  2. 愛称の整理と。呼称の統一。
    従前、「第一○○」や「○○号」という愛称の使い方がありましたが、これを「○○号」に統一するとともに、愛称を統合することに なりました。

    これは、全優等列車をマルスに収用するための意味合いもあり、ダイヤ改正に合わせて、従来のや、マルス101【30,000席】、102【10万席】とは別に、マルス103【200,000席】が増備され「特急あさかぜ」一人個室などの、一部寝台車を除き、国鉄の運転する列車の95パーセントまでをカバーすることとなりました。

  3. 設備改善が全国で行われ、複線化や電化が実施されたほか、特急列車の120 km/h運転に備え、軌道強化が行われました。

    電化は、函館本線 小樽~旭川。東北本線(盛岡~青森)、奥羽本線(福島~山形)、仙山線(作並~山形)両毛線(小山~前橋)、中央西線(瑞浪~中津川)間が電化されました。

    120 km/h運転に対応するため、軌道強化も実施され、東北本線(上野~青森)、高崎・上越・信越線(大宮~新潟)北陸本線(米原~金沢。山陽本線(神戸~下関)。鹿児島本線(門司~博多)で実施されました。

    なお、軌道強化工事は、直線区間では、木枕木→PC枕木、に変更するほか、道床の厚みを20 cm→25 cmに変更するなどを実施するほか、タイプレートと呼ばれる補強板を木枕木とレールの間に挟むといったもので、現在と比べますと、貧弱なものではありました。

  4. 貨車は二軸貨車の、二段リンク対応が行われ、65 km/h以下の貨車は、北海道と九州に封じ込める処置が行われ、一般の貨車は75 km/h以上の速度となりました。

    これにより、山陽線では、夜行急行の運転速度が約40分も短縮されました。


さらに、車両に関しても総額700億円の投資が行われ、新形式としてキハ181系気動車が14両新製され、「特急しなの」に導入されたほか、昭和42年に試作されたEF90の量産型としてEF66が15両増備。他にも蒸気機関車の置き換え用に、DD51が45両、入換用にDE10が134両増備されるなど、積極的な車両増備が行われました。

ただし、前述のとおり、ローカル線での列車削減などもあり、列車全体の増発キロでは、サンロクトウ改正の規模を若干下回るものとなりました。
下記にその比較を載せたいと思います。
昭和36年改正 旅客列車 83,892 km 貨物列車 31,461 km
昭和43年改正 旅客列車 60,200 km 貨物列車 31,300 km
ただし、昭和43年では、旅客列車のうち、新幹線。16,800 km、を含めた数字であり、財らせんだけでは、増発キロは43,300 kmとなります。

続きます
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国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】第二話 概要編

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ヨンサントウ改正では、複線化と... ヨンサントウ改正では、複線化と電化完成による、東北本線の所要時間短縮は大きく、東京~青森間は1時間54分も短縮されました。
ヨンサントウ、この言葉は、鉄道ファンでなくとも聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。
国鉄が、昭和43年10月に実施したダイヤ改正であり、昭和40年からスタートしました。第三次長期計画の前半部分の成果を取り入れて計画されたものであり、国鉄としても画期的なダイヤ改正と言えました。
サンロクロトウと呼ばれた、昭和36年のダイヤ改正と比べますと。増発列車キロはやや少なかったようです。
ただし、高速道路などの開通により、国鉄の優位性は少しずつ奪われつつあったことからヨンサントウ改正は下記の点が重点的に整備されました。

  1. 1無煙化【電化や気動車化の推進】、全国的な高速列車網の増発などを行ったことが大きな特徴で

  2. 2 列車愛称の統一、準急列車の廃止も併せて行われました。

  3. 3旅客輸送量のローカル線で列車の運行を廃止するなどのスクラップビルドを進めることとなりました。


特に、ローカル線の廃止については、後ほど詳しくお話します。諮問委員会の勧告に基づき、積極的に効率の悪いローカル線を廃止すべく、取組を行うのですが、地方自治体の反対が大きく、83線が候補になりましたが、実際に廃止までこぎ着けたのは、わずか11線 (116.0 km) でした。
廃止対象になった路線の地方自治体では、「納付金は要りませんから、とにかく線路を残してください」といった陳情もあったそうです。
当時は、今以上に鉄道に対する愛着が強かったわけで、「線路がつながっている安心感」というのは、地方では、非常に大きな安心感であったと言われています。

特に、ヨンサントウ改正の大きな特徴は、積極的な複線化や、高速運転(120 km/h)開始などは、高速自動車道に対する国鉄の対抗策であり、積極的な投資を行うことで引き続き陸上における優位を保つための方策でした。
その反面。蒸気機関車の大幅な廃止が行われるなど、質的な改善も進められました。

その辺りの事情を、国鉄の部内誌、国鉄線昭和43年10月号の、「昭和43年10月時刻改正の概要」から引用させていただこうと思います。
第三次長期計画前半の投資の効果を発揮して行う43・10ダイヤ改正は。今後の旅客営業の帰すうを決するともいえる重要な意義をもっている。旅行需要の構造的な変化や、バス、自家用車の進出に直面して、国鉄旅客営業のむかうべき方向か模索されてきたが、43・10からは、あらたな物的基盤の整備のうえに「新時代の旅客営業」がその緒につこうとしている。

として、今までのように、国鉄が陸上輸送では独占状態でないことを十分に認識した上での一歩を踏み出したと言えます。
引き続き、概要について、国鉄線昭和43年10月号から、再び引用したいと思います。

1 改正の骨子
 ア 幹線の輸送力増強
 43・10には全国の幹線で、複線化18線区約500キロ(三次計画前半では1,350km)、電化7線区約580km(三次計画前半では157km)。線路強化8線区317 kmが完成する。この成果を活用し、今後も旅客輸送需要が伸長することが予測される東京~大阪等の太平洋ベルト地帯の管理中枢都市と地方主要都市間、あるいは地方の中心都市相互間を結ぶ幹線に、列車を大幅に増発する。
 さらに、この増強される輸送力をスピードアップに生かしながら「有効時間帯」に設定し都市間の到達時分を大幅に短縮、日帰り行動圏を拡大する。

と書かれており、上記の図を見ていただくと分かりますが、だいたい5時間内で主要都市に東京から到達できるとして、東京~青森間の1時間54分を最高に、東京~山形間の54分、東京~盛岡間45分などの大幅短縮が見られます。
これは、東北本線の電化と複線化の完成が大きく、東北地域の発展に東北本線の近代化は大きく貢献したと言えます。

さらに、波動輸送と呼ばれる季節需要に合わせて、季節列車や週末列車を重点的に整備していくのですが、その辺は明日以降に改めて書かせていただきます。

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  国鉄の白紙ダイヤ大改正 ヨンサントウ【昭和43年10月ダイヤ改正】

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寝台列車や優等列車など数多くの... 寝台列車や優等列車など数多くの列車が設定された
ヨンサントウと言う言葉を聞かれた方も多いと思います、昭和43年10月1日に実施された全国白紙ダイヤ改正、国鉄は伝統的に10月1日にダイヤ改正を行うことが多かったのですが、鉄道記念日を意識してのことでしょうか。
大規模な改正は、昭和36年10月の白紙ダイヤ改正、昭和39年の新幹線開業に続く大きな改正と言えましょうか。

これは、第三次長期計画に基づく成果として実施されたものでした。
元々昭和36年度を初年度とする、第二次5か年計画が資金不足などで、昭和39年に中止となり、新たな計画として実施されたのが第三次長期計画でした。
第1次5か年計画が、老朽資産の取り替えが中心となり、戦後疲弊した設備の更新に力を入れられたのに対して、第2次5か年計画は、新幹線建設や車両増強などによる輸送力増強がメインでした。
そして、昭和41年から始まった長期計画は、国鉄として鉄道というネットワークを異界生かした商品を開発するかと言うことに主眼が置かれていたと言います。
第三次長期計画計画前の国鉄としての営業の在り方が、国鉄向け部内誌、国鉄線【昭和40年9月号】に載っていますので、引用してみたいと思います。

体質改善をはかるため、第三次長期計画が発足することとなったのは御承知のとおりです。したがって第三次計画の中では従来の「運ぶ」営業から一歩進んでどのような商品を作り、これをどのように売るかという点、すなわち、輸送だけでなく、販売、商品計画なども含めて、はっきりした「営業目標」をたてることが何より必要と考えられます。すなわち、どのような商売をするかをまずきめ、それに向かってすべての営業活動をまとめてゆくことです。

今までがどちらかと言えば、追いかける形の投資でしたが、第三次計画は言わば攻めの経営のための投資と言えましょう。
石田総裁は、部内誌、国有鉄道 昭和43年10月号の「投資効果を上げる」インタビュー記事の中で、下記のように答えています。
少し長いですが、引用したいと思います。
新ダイヤはこれまでになく企業性を盛り込んだダイヤというのか一般の評価のようですが……。
石田 国鉄は公共企業体であるけれども、経営管理の面では企業性を発揮していかなければならない。企業性を発揮するということを世間の人は、最近の国鉄は営利に汲々(きゅうきゅう)として……などという。しかし、私は営利心はけっこうだと思う。むしろ、まだまだ足らん。それによって能率をあげることが公共の利益にも通じるのだと思う。例えば、特急・急行などの優等列車をふやしてローカル列車を減らしたということを言っているが、ローカル列車でも需要の多いところは、むしろふやしているんです。また、ローカル線でも通勤輸送の面では配慮しています。結局、優等列車をふやすということは、輸送構造の変化などもあって優等列車に対する需要が多くなっているからです。要するに需要の多いところに輸送力をふやし、少ないところは減らす。その結果投資効果が上がるということで、けっして営利のために需要を無視するということではない。国鉄がきびしい独立採算制のもとで課せられた輸送使命を果たして行くためには、至極当然のことで、投資効果を最大限に発揮しようという新ダイヤは、国鉄として大きな前進だと思う。


と述べています、三井物産出身の石田総裁らしい発言であるといえますが、この時期は多少投資してもまだまだ利用者が増えることで、ばんかいは可能と国鉄自身も思っていましたし、並行して不採算のローカル線にあっては廃止を進めることでいわゆるリストラを行っていけると考えていたわけです。
そこで、もうかるところ、需要のあるところには、集中的に資本を投下することで利便性を高めて、投資効果を最大限にする経済原則にのっとった改正であったといえます。

と述べています、三井物産出身の石田総裁らしい発言であるといえますが、この時期は多少投資してもまだまだ利用者が増えることで、ばんかいは可能と国鉄自身も思っていましたし、並行して不採算のローカル線にあっては廃止を進めることでいわゆるリストラを行っていけると考えていたわけです。
そこで、もうかるところ、需要のあるところには、集中的に資本を投下することで利便性を高めて、投資効果を最大限にする経済原則にのっとった改正であったといえます。

次回から、改めてヨンサントウの概要を見ていきたいと思います。
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昭和43年、民間からの提言 国民のための輸送公社構想

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5方面作戦を実施した場合、しな... 5方面作戦を実施した場合、しない場合の比較 出典 wikipedia 5方面作戦
久々に更新させていただこうと思います、昭和42年に世界初の寝台電車が誕生するのですが、この頃の日本は、高度経済成長時代と言われる時代であり、特に昭和40年から始まった、 「いざなぎ景気」と重なる時期でした。
個人の可処分所得が増大して、自動車やクーラーや電子レンジなど現在の生活必需品とも言えるモノが普及しだした時代でした。
この頃は、国鉄は増え続ける旅客輸送、特に通勤通学輸送に翻弄されることとなったのです。
当時計画されたものとして、昭和41年度を初年度とする、通勤5方面作戦や、関西圏における複々線区間の延伸、東北本線の青森までの電化など、先行投資が積極的に行われていました。
これらの建設経費は全て国鉄の予算で行われる【国鉄が予算を確保してもらって、国鉄が実施すると言う形】わけで、直接、税金による補填があったわけではありませんでした。
結局、工事に関して内部留保を使えず、財政投融資などに頼らざる得ないことになった結果、長期債務という形で国鉄にのしかかってくるわけです。
国鉄としては、通勤輸送の緩和と輸送力増強に追われることとなり、その上で過分な社会負担(地方納付金や生活必需品などの等級別割引、通学定期の大幅割引など)による減収も大きく。
このような点を踏まえても、国鉄は過大な負担を強いられていました。
そんな頃、「電力王・電力の鬼」と呼ばれた、松永安左エ門の私設シンクタンクである、産業計画会議が、「国鉄は日本輸送公社に脱皮せよ」と言うタイトルで提言を発表しました。
現在もこのバックナンバーは、インターネット上に公開されているので自由に閲覧することができます。
https://criepi.denken.or.jp/intro/matsunaga/recom_list.html

この提言では、国鉄は現状では、昭和39年以降赤字決算を続けており、破産状態に陥るのは目に見えていますので、早めに手を打つべきであるとしています。
特に提言では、国鉄が明治時代の陸上輸送独占の頃からの発想から抜け出しておらず、トラック輸送の台頭で、近距離区間はトラックの方が有利となっているほか、内航海運もコンテナ船の導入などで以前よりも輸送量は増えています。
こうしたことを考えれば、国鉄はその力を発揮できる分野に特化すべきではないかと言う提言をしています。
国鉄を民営化せよとは言っていない反面、ローカル輸送はバスと近距離貨物輸送トラックに任せて、国鉄は中長距離輸送と通勤輸送など、鉄道の特性を発揮できる分野への集中を求めている他、鉄建公団の廃止、ローカル線建設の中止などを政府に要望しています。
詳しくは、改めて別の項でblogを起こしますのでそちらを御参照ください。

国鉄民営化論は、昭和30年代にあったりしたことは以前から知っていましたが、こうした国鉄公社論は私も実は最近知ったような次第であり、更に深く調べて別の機会にアップしていきます。
なお、次回はヨンサントウについて取り上げたいと思います。
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世界初の寝台電車登場 第3話

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明星も電車寝台特急としてデビュ... 明星も電車寝台特急としてデビュー 東北では、「はくつる」・「ゆう... 東北では、「はくつる」・「ゆうづる」・「はつかり」が、583系でデビュー 乗務員出入り口後ろに機械室があ... 乗務員出入り口後ろに機械室があるクハネ581 機械室を廃止し、定員が増えたク... 機械室を廃止し、定員が増えたクハネ583
583系電車誕生の頃

世界初の寝台電車は、昭和42年12月のダイヤ改正で誕生しますが、この列車が誕生したのは、寝台列車は昼間休み、逆に昼行列車は夜は休むのを避けることがその目的でした。
最初に投入された「月光・みどり」の場合は、博多と大分で検査が出来るように時間を取ってありましたが、配置区の向日町には着替えを取りに戻るような感覚で、寝台車と座席を変換したら出発・・・そんな感じでした。
寝台の走行中に完全な解体はどうだったのか、回想の旅客車を参照しますと、走行中には原則として寝台の解体は完全に行わず、中段を途中まで跳ね上げられるようにバンドを用意したと記録されています。
当時の寝台使用時間は19:00~07:00迄でしたので、2時間て小渡は我慢して貰おうと言うことだったのかもしれません。少し気になります。

さて、余談はこの程度として、昭和43年には、50/60 Hz共用の583系が誕生【制御車は引き続き581】下のはご存じの通りです。

581系と583系として増備されたグループでは若干外観が異なる部分があり、最初に投入された581系では従来の電車のように千鳥形に通風器が配置されていましたが、昭和43年に製造された581系及び583系からは、片側1列に変更され反対側は滑り止めを設けて通路とした点が異なっていました。

583系電車は運用区間が東北地域にも拡大することから50/60 Hz 両用で設計された変圧器が搭載されました。
なお、583系の特徴は、寒冷地対応を強化すると共に、北海道連絡の関係から1等車【グリーン座席車】が追加で投入されました。
サロ583についてはリクライニング式の座席となりナロ20以来のリクライニングシート付座席車となりましたが、寝台車への転換については、構造的に無理がありA寝台車は誕生しませんでした。
A寝台そのものは、JR発足後、西日本がB寝台車を改造してA寝台にした例はあります。

当時の東北線の時刻表【昭和43年10月号が無いので昭和44年5月号の東北本線などの時刻表をアップしておきますので合わせてご参照ください。

581/583系電車は世界初の寝台特急と言うことで、車体デザインも151系のボンネットと異なり独特のデザインが考案されました。
すなわち、貫通扉を有して、列車の分割併合も可能な構造となっていたのでした。
さらに、この電車の特徴としてボンネットを廃止する代わりに、ボンネット内に収納していたMGやコンプレッサーを運転台後部の床上に機械室を設けてそこに収納していました。
東北新幹線開業前の東北本線は在来線の輸送は旺盛で、一時期寝台電車の15両編成かも計画されたこともあり、MG出力を210KVAに設計変更したクハネ583が設計され、従来の機械室を廃止して、コンプレッサーを助士席下に、MGは床下に配置すると共に、機械室分【8席分、6寝台】が増加した車両が誕生し、それまでのクハネ581は関西に転出することとなりました。
結果的にJR西はクハネ581が多く、東北はクハネ583が集中的に集まる結果となりました。
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世界初の寝台電車登場 第2話

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581系 新大阪駅にて 581系 新大阪駅にて 581系側面図 581系側面図
昭和42年10月、世界初の寝台電車が誕生しました。
最初に投入されたのは、大阪~九州間を結ぶ、寝台特急「月光」、昼間は特急「みどり」号として運転されました。

時刻表を参照しますと
昼間は、下り列車は、特急みどり号として、新大阪を9:30に出発大分に19:35着、上り列車は大分を9:30に出発。新大阪に19:47に到着、その後寝台車の準備を行い、23:30に新大阪を出発、博多の翌朝の9:20着、夜には19:45に博多を出発、5:45に新大阪に到着するダイヤでした。

この列車の特徴は、下り特急の「みどり」が新幹線に始発列車を受けて大分に向かうと共に、下り寝台特急の「月光」が新幹線最終の列車を受けて博多に向かう点でした。
特に、東京を20:00に出発すれば、翌朝の9:20に博多に到着できるわけで、直通ブルートレインのあさかぜが、1時間ほど早い19:10に出発しても、博多に到着するのは12:00であり午前中は時間を有効に使えないことになります。

同じく、上り列車は、寝台特急「月光」が新大阪始発の新幹線と接続し、9:10には東京駅に到着でき、「みどり」最終列車が、東京行き最終列車に間に合うようにダイヤが組まれていました。

こうして4日間の行程で、関西地方と九州を二往復することになるのですが非常によく考えられたダイヤだと思います。

さて、ここで581系の特徴ですが、改めて説明することも少ないかと思いますが、新幹線連絡を意識し、かつ夜行列車と言うことで側面の青色を多くした上で貫通型の新しいスタイルが作られました。
将来の分割併合を見越して独特の貫通形がデザインされましたが、この方式はその後のJRの車両にも大きな影響を与えたと思っています。
581系は当初、九州地区に投入されたため、変圧器は60Hz専用とされましたが、その後50/60Hz共用の変圧器が開発されたことから50Hz専用電車は存在しないこととなりました。
ただ、当時はコンプレッシャーなどを小型化できなくて運転台直後に従来であればボンネットに収めていたであろうコンプレッサーや電動発電機を運転台下に機械室を設けて、そこに収納することになりました。

又、旅客設備に目を向けてみますと、寝台列車として更に特急列車にふさわしい、車両と言うことでさらなる検討が加えられ、最終的には実物大モックアップの試作品を関係者のみならず本社幹部自らが検討した結果、従来の形態にとらわれず、いわゆるBロネ(開放式A寝台)の3段化といわれる方式、つまり中央通路の両側に車両の長手方向に3段の寝台を記し、昼間は4人向い合い座席とするタイプとすることが決定されました。

結果的に、従来の2等(B寝台)寝台と比べると、3段による窮屈さはあるものの、下段は1m、中段、上段も70cmの寝台幅を確保することが出来、従来の52cmの車両と比べると大幅何サービスアップと言えました。
反面、従来の3段寝台は、54人の定員を確保していたのに対して、45名と9名も少なくなることから、寝台料金については電車寝台料金を新たに設けて、上段・中段1100円、下段は1300円となりました。従来の客車列車の運賃が上段800円。中段900円、下段1000円と比べると大幅な引き上げでしたが、1等寝台並みに浴衣が標準で準備されるなど、今までの2等(B寝台)寝台とは異なる大幅なサービス向上が行われました。
その後、寝台電車は変圧器を50/60Hz共用に変更した583系に変更されてさらい増備されるのですがこの辺のお話は、次回にさせていただきます。

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