Search Bloguru posts

加藤雄一のブログ

https://en.bloguru.com/katoyuichi

freespace

あなたの魅力や強みを輝かせるお手伝いをしています

「普通」が最も優秀だという言い聞かせ

thread
「普通」が最も優秀だという言い...
「普通」
 
「常識」
 
「風習」
 
「あたりまえ」
 
 
 
それは言い換えると、
 
「今まで通り」のこと
 
【しきたり】とか
 
【お決まりのこと】
 
なんだと思ってる。
 

それが『普通』。
 
誰も疑問に思わず、形式を守ることに慣れていた。  
 
疑問に思わないわけではないが、疑問を持つことの必要がなくなっているのかもしれない。
 

例に漏れず、自分もまたルールを守る
 
「優秀な一員」
 
としてその場にいた。
 
 
 

あるときふと
 
 
「この時間、ほんとうに意味あるのかな」と感じた。  
 

数字や状況は共有されるが、議論は生まれない。
 
表面をなぞるような確認だけで、何ひとつ動きがない。  
 

それを淡々とこなすだけ。  
 
(感じた違和感は、言っちゃダメなのか?)
 

空気を乱したくない
 
嫌われたくない
 
1人にされたくない。
 
 
そんな気持ちが、声を押しとどめていたように思う。
 
 
  
ある日、ちょっとしたミスで、正しい共有事項が抜けていた。  
 

咄嗟に
 
「今日は違う形で共有させてもらえませんか」と、口を出た。  
 

するとある人が
 
 
「いいよ。どうぞ」
 
 
と応じてくれた。
 
 
そこから、実際に動いた内容の背景や、学び、次回につなげたい問いを共有したところ
 
コミュニティの空気が一変した。
 
 

そこからは、ただ共有すればよいのではなく、
 
「どんな価値が生まれるか」
 
「何に気づいたか」
 
「どんなことなら一緒にできるか」
 
を言葉にすることを意識した。  
 

同時に、他のメンバーにも“問い”を向けた。  
 

最初は戸惑っていたが、少しずつ「納得できるストーリー」が語られるようになった。  
 

「当たり前」に飲まれず『到達したいゴール』に目を向ける姿勢がコミュニティに伝播しているのを実感した。
 
  
 
「普通だからやる」
 
は、思考停止の合図かもしれない。
 
「それってあたりまえだよね」
 
って言われたら
 
「知らんがな」
 
ってつぶやけ(笑)
 
 

誰もが続けている“慣習”にも、少し違和感を持ってみる。
 
  
すると
 
 
そこに眠っていた価値や可能性が立ち上がる。  
 
 
熱を帯びた思いがそこにあるんだ。
 

疑問を持つことは、否定ではなく“問いかけ”であり、変化のはじまり。
 
 
自分の中にある
 
「これって本当に必要?」
 
という小さな声に、耳を澄ませてあげたいな。

People Who Wowed This Post

自分のポテンシャル

thread
自分のポテンシャル
何か目立った実績があるわけでもなく、何なら評価はたぶん普通以下で、自分は「ごくごくごくごく普通の人間」だと思っている。  
 

囲まれている人たちが活躍している人たちばかりなので「自分には特別な才能なんてない」と、心のどこかで線を引いている。
 
 
 
努力しても周りのように輝けない。  
 

自分の「強み」や「魅力」がわからず、何を伸ばせばいいのかも見えなかった。  
 

評価される人には、もとから才能がある。
 
そうに決まっている。
 
そう思い込むことで、自分の可能性にフタをしていた。
 

あるとき、いつも通りの何気ない無意識の行動に、仲間が言ってくれたひと言が心に刺さった。  
 

「それ、もっとみんなに見せた方がいいよ。あなたのその視点、すごく深いんだから」  
 
「角度が独特」
 
 

その言葉に、初めて「こんなことも価値になるのか」と感じた。  
 

人の「ポテンシャル」とは自分では気づかないけれど、誰かにとって光り輝いて見えたりしていて、それを伝えてもらうことで力強さが増していくものだと、そこではじめて実感した。
 
 
  
自分の思考や行動を、短くてもいいので日々記録してみる。
 
 
 
その中にある共通点や“無意識にやっていたこと”を洗い出し、言語化してみる。
 
「気配りができる」
 
「構造化するのが得意」
 
「気づいたことをそっと伝えるのが自然にできる」  

そういった経験に基づいた自然にできる行動を言葉にしてみた時、はじめて自分の輪郭が見えたような気がした。
 
 
 
  
ポテンシャルは見えない才能ではなく、
 
「無意識に繰り返している自分らしさ」

それに気づくには、まず自分の日常に目を向けること。
 
特別である必要はない。
 
ただ「これ、なんか自然にできてるな」という行動こそ、誰かにとっての価値になりうるのだと思う。  
 

そして、自分自身が「それでいい」と認めた瞬間、ポテンシャルは“力”を発揮していくのだと、そんな気がしている。

People Who Wowed This Post

「つまらない」は余白

thread
「つまらない」は余白
何だかとても停滞している気分。
 
 
いや、間違いなく停滞しているんだ。 
 

自分自身も惰性で過ごしているはわかっている。
 
 
「またいつもの繰り返しか~…」と心の中でため息をついている自分がいるのも、わかっている。
 
 

「何も面白くない」
 
「刺激がない」
 
「やっている意味が感じられない」  

そんな感情に支配されると、集中力も発言の意欲も、取り掛かりのテンションさえも下がり続ける。  

本当は、何かが嫌なのではなく「自分が何も生み出していないこと」に退屈していたんだと思う。
 
 
ある日、資料の隅に書かれた誰かの手描きのイラストに、ふと笑ってしまった。  
 
 
素人にしてはうまい。
 
ボクの10000倍はうまい。
 
話しも面白い。
 
 
そうやって誰かが何かをやっているのを見て

「自分も何かを仕掛けてみようかな」
 
 
思ったその瞬間、目の前の退屈をどうやって埋めてやろうか、退屈がまっさらなまだ埋まっていないでかいキャンバスに思えた。
 
 
思いつく工夫を少しだけ日々に加えてみる。
  

初めは気づかれなくても、やがて笑い声や「こういうのいいね」が聞こえるようになった。  
 

さらに、個人的に「自分なりの工夫ポイント」を1日ひとつ、手帳に書き留めるようにした。  
 

すると、どんなことに対しても「工夫の入り口」が見えてくるようになった。
 
 
  
「つまらない」とは、物事の問題ではなく、「関わり方の余白」のことかもしれない。
 

与えられたままの状態に飽きたのなら、自分で「引っかかり」をつくって、「とっかかり」を楽しんでみる。  
 
 

遊び心や問いかけ、誰かを観察したことから得たの気づきなど「面白くする力」は、外にはなく自分の中にあることを実感する。  
 
 

そしてその視点は、一度持つと日常のすべてに、どこか遊び場があるような感覚にもなれるような、そんな気がする。

People Who Wowed This Post

言わない優しさ

thread
言わない優しさ
言わなかったことが、時に優しさだったりするのかなと。
 
それは言うべきことを言わないのではなく、言う必要があることや言うべきタイミングを考えているかということ。
 
 
  
張りつめていた空気感があったある日、自分だけが気づいていた些細なミスがあった。
 
 
結果に大きな影響は及ぼすものではないのはわかっていたが、犯人探しになりそうな予感も。
 
 
周囲は気づいておらず、正直に言えば誰かを責める形になりそうな感じもしなくもない。
 
 
黙っていれば、空気はそのまま保たれる。
 
言うべきか、言わざるべきか
 
心が揺れる。
 
 
 
少し落ち着かない。
 
 
  
「正直であるべき」
 
「本音で言うのが正義」
 
 
 
そんな思いに駆られる一方で、今まで必死に取り組んできた誰かの努力をムダにしてしまうのではないかという葛藤もあった。
 
 
 
事実を伝えることが「正解」とは限らない。
 
言わなかったことが、のちに裏目に出て信頼を失うかもしれない。
 
 
どちらの沈黙も、どんな言葉選びをするのも、重たかった。
 
 

その後、ポジションが上のものが気づき、「誰かが気づいてたなら、言ってくれたら助かったのにな」とボソッとつぶやく。
 
 
その言葉に責める色は全くなかったが、自分の心に少しだけチクッと刺さる感覚が。
 
 
でも同時に感じたことも。
 
 
「言葉にしなかったのは恐れからではなく、誰かの尊厳を守るためだったんだ」
 
誰かに恥をかかせないようにという、自分の小さい静かな覚悟があったようにも思えた。
 
 
  
それからは、「言わない」ことも意識して“選択のひとつ”として扱うようになった。  
 
 

言葉を飲み込んだ理由をちゃんと自覚する。  
 
 

相手を守るための沈黙か、自分を守るための回避か。  

もし前者なら、胸を張って沈黙したい。
 
 
後者なら、まずはひとまず謝ろうかな(笑)
 

そして、必要なら別の形でケアを届ける。
 
 
対話だけではなく、行動で示すことができるような方法を必死に考えた。
 
 
  
言いたいことを言うのは勇気と誠実さが伴う気がする。
 
 
そして言わないこともまた、深い思慮と優しさがそこにあるように思う。
 
 

ただしひとつだけ
 
 
 
沈黙が意味を持つには、自分の中にある「それをなぜ言わないのか」への明確な答えが必要だとも思う。  
 

その選択が、誰かを守り、関係を育て、そして自分の誠実さを育てることにつながる。  
 

言葉にしないことで伝わる信頼も、時には必要で、たしかにあるのだとわたしは思う。

People Who Wowed This Post

言ってみよう

thread
言ってみよう
あのときあの場面で言えなかった言葉が、ずっと心に残っていた。
 
 
 
言っていたらどうだったろう。
 
  

あの日の会話の中で、少し違和感があった。
 
けれど、場の空気を乱したくなくて何も言わずに終えた。
 
周囲が賛同していたこともあって、「まあ、別に言わなくても大丈夫か」と自分を納得させようとした。
 
 

数日後、感じていた通りに、あの日話していたことがうまく進まず、やはり感じた違和感は正しかったと感じた。  
 
 

それと同時に、自分が黙っていたことへの後悔がじわじわと心に刺さった。
 
「もし、あのとき言っていたらどうなっていたんだろうな」と考えるほど、自分の沈黙に責任を感じてしまった。
 
 
そんなことも一度や二度ではない。
 
 
とまた別の日、少し大事な場面で、誰かが緊張しながらも自分の意見を伝えていた。
 
「大した意見じゃないんですけど…」と前置きしていたけれど、その言葉にそこにいた他のメンバーは頷き、議論が深まっていったのを見て思った。
 
 
やはり、言葉は出してみないと、誰にも届かないんだ。
 
 
 
それからは、「正しいかどうか」よりも、「感じたことを丁寧に表現する」ことを意識するようにした。  
 

批判ではなく提案として、素直に「私はこう感じています」と伝えるようにした。  
 

最初は勇気がいったけれど、言葉にしたことが誰かの気づきにつながったとき、「言ってよかった」と心から思えた。
 
 
時にはひどい脇汗がともなう(笑)
 
 

言いたいことを言うのは、勇気じゃなくて誠実さなのかもしれない。
 
 
自分の中にある違和感や気づきは、自分しか感じられないもの。  

それを言葉にして初めて、世界に共有できる。  
 
伝わって初めて広がる世界がそこにある。

たとえすぐには理解されなくても、「伝えた」という事実は、自分自身への信頼にもつながっていくはず。
 
 
誰をも傷つけるつもりはなくても、傷ついてしまう人がいるかもしれない。
 
ただ自分にはそんな意図はなく、一緒に目指す方向への大切なメッセージになるとしたら、それは伝えるべきことなのかもしれない。
 
 
言いたいことは気持ちを込めて誠実に伝える。
 
そうやって自分とも、相手とも、関係を積み上げていきたいな。

People Who Wowed This Post

心の回復術♪

thread
心の回復術♪
何だかんだで、毎日頑張ってるんですよ。
 
本当に頑張っていない人なんて、ほんのひと握り。
 
くらいはいるとは思う(笑)
 
ただ、私とつながっている皆さんは、毎日とことん考え抜いて、果てるまで頑張っている方ばかりかと。
 
まずはゆっくり、心の回復に努めたいね。
 
 
 
誰にも話す機会はありませんが、私がやっていて、そんな心持ちでかかわらせていただいて、そして誰でもできる心の回復術を書き置いとくので、良かったらどうぞ^^
 
〇まずは自分を責めないことから始める。

   落ち込むのは、弱いからじゃないんですよね。
 
感じる力があるからなんだと思っています。
 
だからこそ、今の自分を否定せず、「そう感じている自分」をまるごと認めることが第一歩。
 
感じていることに、良いも悪いもないんですから。
 
 
〇小さな安心を重ねることを意識してみる。
 

   たとえば、お気に入りのアイテムでひと時を過ごすとか、好きな味を楽しむとか、心がほっとする香りを嗅ぐとか。
 
そういう「安心のスイッチ」を見つけて、日常の中にちょっとずつ増やしていくのもいいかもしれません。
 
そんな時に大事にしたいのが、自分は「視覚優位」なのか「嗅覚優位」なのか「感覚優位」なのか、自分が強烈に感じられる優位な感覚を覚えておくのはおすすめ。
 
誰かに勧められたけど何かハマらない、って方は、自分の「安心スイッチ」が見つけられていないだけなのかもね。
 
 
〇話すことは、あなた自身への優しさだからね

   無理に明るくしようとしなくていい。
 
でも、信頼できる人と同じ時間を過ごす中で気持ちを言葉にすると、自分の中に余白が生まれるのを感じられるはず。
 
そんな時間を大切に、自分を労わってあげてね^^

People Who Wowed This Post

やる気は風、継続は火種

thread
やる気は風、継続は火種
「やる気のあるうちに一気に仕上げよう」  

そう言い聞かせて始めた習慣が、三日坊主で終わることが、何度も何度も、もう数え切れないだけあった。  

朝活、筋トレ、読書……もう思い出せないほどに。
 
 
どれも“やる気があるとき”は順調だった。
 
忙しさや疲れで一度抜けると、再開する気力が湧かなくなっていた。  
 

「どうして継続できないんだろう」  

自分は意志が弱いのか?
 
情熱が足りないのか?  
 

そう自問するほどに、ますます何を始めるにも自信がなくなっていった。  
 

やる気がないときばかりではなく、段々と普段の自分にさえ、嫌気すら感じていた。  
 

あるとき、習慣のプロがこんなことを言っていた。  
 

「やる気は“始めるきっかけ”にはなるけれど、続けるには向いていない」
 

その言葉に妙に納得した。
 
確かに、やる気は波のように浮き沈みする。  
 

でも本当に続けている人は、やる気に関係なく“やる”を選んでいるということ。  
 
  
「やる気があるからやる」から
 
「やる時間だからやる」へ。  

習慣に“感情”を絡めるのをやめ、スケジュールに“予約”として組み込むことを始めてみた。  
 

それがたとえ3分でもいい。
 
できなかった日があっても、“止めないこと”だけは守ろうと思った。  

さらに 

結果ではなく「続けたこと」を自分で小さく認めてみる  。

誘惑を減らすためにスマホを別部屋に置く。
  
「やり終えた瞬間の自分」をイメージして始めてみる。
 
 
などなど、やりやすくする工夫を重ねてみた。  
 

やる気は風。でも、継続は火種。
 
  
風を待っていたら、いつまでも進めない。  

でも小さな火を守りながら動きつづければ、やがて大きな炎になるような気がする。  
 

たぶんコツは、「やる気がなくても“できる構造”をつくること」。
 
 
気分任せにしない仕組みが、きっと自分の意思をやさしく支えてくれるんだと思う。  

People Who Wowed This Post

今日を彩る

thread
今日を彩る
「新しい今日がまたはじまる」
 
朝の空気にまだほんの少しだけ夜が残っているような感じがして、朝日が見えた瞬間から、世界がゆっくり動き出す音が聞こえてくるような感じがする。  
 
 
 
もしかしたら
 
 
昨日の悩みを引きずっているかもしれない。  

寝不足かもしれないし、不安な予定が待っているかもしれない。  
 
 
それでも、今日という新しい日を迎えられたこと。  

それ自体を喜んでみる。
 
何故?
 
新しい自分になれるチャンスがやってきた。
 
自分も新しくなってみたらいい。
 
よし、今日からNew typeだ(笑)
 
 
全部に全力じゃなくていい。  

誰かの期待に完璧に応えようとしなくていい。  
 
朝の空気を思い切り深呼吸して、自分のリズムを思い出してみよう。
 

昨日より少しでも自分らしくいられる瞬間があったとしたら、もうそれだけで充分。  
 
つまづいたっていい。
 
へこたれたっていい。
 
ペースが遅くたっていい。  
 
誰かと比べなくてもいい。
 

「これが今の私よ」
 
そう言えるその強さが、今日の自分をいつも以上に美しくしてくれるはず。  
 
今の自分で精一杯今日を楽しもう😊

People Who Wowed This Post

弱みを克服するよりも強みを活かすことの価値

thread
弱みを克服するよりも強みを活か...
もしも自分の足りないところばかり見ている今の私が、できることに目を向けたら。
 
どうなりそう?
 
 
 
「もっと計画性があれば…」
 
「なんで私はすぐ迷うんだろう…」  
 
「いつも失敗ばっか」

自分の「苦手」ばかりに目がいって、気持ちは乗らないのにひたすらに克服しようと努力する毎日。  
 

でも、いつも苦しさが残ったまま。
 
 
「頑張ってるのに、自信がつかない」と悩み続けて、はや〇年。
 
 
 
もう悩みの大大大大ベテランよ(笑)
 
 

本やセミナーで「課題を克服する方法」を学んでも、成果は感じにくかった。  
 
いや、全く感じていない。

努力しても「人並み」になれるまでいったいどれだけかかるのか、それ以上にはなれない感覚。  
 

苦手をゼロにしようとするほど、どこか自分の心も身体も削っていくような気がしていた。
 
 

あるとき、すで悩みを突き抜けた仲間にこう言われた。  

「それ、本当に“伸ばすべきポイント”なの? むしろあなたの強みって、もっと別にあるでしょ」
 

その言葉をきっかけに振り返ってみたら、自分が自然と人にやっていたことが、ぼんやりとおぼろげに浮かんできた。
 
そう、お米〇〇みたいなひと言(笑)

・誰かが迷っているときに、ゆっくりと一緒に言語化して整理できる 

・落ち込んでいる人に心を寄せ続ける  

・チームで困っている時、誰よりも早く空気の変化に気づく  

…それは、もちろん誰にも評価されてはいない、「当たり前すぎて見過ごしていた力」だった。
 
 
 
そこからは“強み”を中心に仕事や人間関係を見直してみた。  
 

苦手なことは「最低限できるように」整えつつ、得意なことには時間とエネルギーを注いでみた。  
 

すると
 
驚くほど成果が出ているような反応を受け取ることができる!
 
それは自分だけの感覚かもしれないけど、心が躍るには十分な感覚だった。
 
「できないことを補うより、できることで輝く方が、自分も人も幸せになれそうね」
 

そう実感できた瞬間だった。
 

欠点ばかりを見て、自分を修正し続ける生き方は、いつか「自分らしさ」まで磨り減らしてしまう。
 
たぶんソレはもうすでにたくさんの人が実感していること。
 
 
ただ、強みはすでに「在る」ものだ。
 
 
磨けば伸びるし、活かせば誰かの幸せにつながるかもしれない。  

だから、自分にこう言って励ましてあげてほしい。  

「苦手に埋もれずに、得意な光をもっと広げなさーい」
 
って(笑)

それが、人生をしなやかに、強く、美しくする、自分を彩る選択になるはずだ!

People Who Wowed This Post

強みは「見つける」ものではなく「信じる」もの

thread
強みは「見つける」ものではなく...
自分を認めることって、とても難しい。
 
 

まわりから
 
「それって、君の強みよね」
 
と言われても、どこかピンとこなかった。  

「こんなの当たり前でしょ」って思ってしまって、素直に受け取れなかった。  
 

それよりも
 
「足りないこと」
 
の方が気になって、いつも自分にダメ出ししかしていなかったような。
 
 

強みを探しては
 
「んー…でも自信がない」
 
「これって、特別じゃない」
 
と否定してしまう。  

他人のすごさばかりが目に入って、自分の良さには超絶鈍感だった。  
 

本当は、もっと堂々と自分のことを認めたいのに、たぶんそれは怖かったんだと思う。
 

自分が何気なくやったことに対して、誰かがこう言ったことがあった。  

「それ、私にはできないから本当にすごいことよね」

その言葉を聞いてハッとした。
 
エッ?と思った。
 
「当たり前にできること」を強みって思ってもいいんだ。
 
それはきっと、誰かにとっては価値のある才能なのかもしれないと、少しだけ胸が温かくなった。
 
 
 

そこではじめたのが、「強み」っぽいことをメモ帳に記していくことだった。  
 
 
 
気になる言葉。
 
何となく心地好いワード。
 
聞くと心が反応する。
 

1日1つは、自分ができたこと、誰かに喜ばれたこと、小さな達成を記録する。  
 
1つどころでおさまらない(笑)
 
胸に残る言葉でドンドン埋まっていたのよ。
 
 

さらに、その行動の裏にある「資質」を思うままに言葉にしてみた。  

たとえば

「相手の話を丁寧に聞いた」
→共感力・傾聴力  

「アイデアを整理して伝えた」
→構造化・伝達力  
 
そうすることで、「できごと」が「能力」として自分の中に定着していくような感覚になった。
 
そうなんだ。
 
強みは名詞ではなく、動詞として発揮されていて、それは誰かのために使われてはじめて自分の力として実感できる、そんな気持ちになることができた。
 


「なんとなく得意かも」
 
「周りからよく褒められる」
 
と感じたことは、立派な才能の芽なんだ。  

まずは、自分自身が信じてあげること。それが何よりも大切な第一歩になる。
 
そしてそれは、遠慮なく使うべき、自分とそれによって助かる誰かのための力なんだと思う。

People Who Wowed This Post

  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account
Happy
Sad
Surprise