「うおんたな」 と呼ばれる明石・魚の棚商店街は、約400年前に明石城の築城とともに誕生したと伝えられる。
宮本武蔵の城下町の町割りの設計により造られたと言われる古い歴史を持つ市場。
全長350mのアーケードに明石特産の海の幸や練り製品、
海産物の乾物などを扱う商店を中心に約110店の店舗が建ち並んでいます。
明石ダイ、明石ダコをはじめ、イワシのシラス(チリメン)、イカナゴ、アナゴ、カレイなどの魚が水揚げされる。
明石市周辺では水産加工業も盛んに行われ、チリメン、イカナゴの釘煮、ノリなどが明石の名産になっています。
★商店の多くは午後4時を回ると一部の店舗を覗いて閉店します。
子午線でも有名な明石・・・ 明石市内には日時計がたくさんあります。
その中のひとつ、明石公園内の鎧カブトがアクセントの日時計があります。
『兜と槍を模った日時計』
明石公園の中央にあるこの日時計は、その中でも特に大きなものです。
明石公園(明石城)の入口には大洋漁業創業者の 「中部幾次郎翁」 の銅像があります。
中部翁は1866(慶応2)年に明石に生まれ、地方の一個人商店だった 「林兼商店」 を日本有数の会社に育て上げ、
その後、明石中学(現県立明石高校)の建設にあたり多額の寄付をするなど明石市の発展に尽くしたそうです。
大洋漁業というと 「下関」 というイメージがあったが、実は明石にも縁が深かったということですね。
【大洋漁業のマルハの 「は」 の由来は?】
創業者の中部家が明石郡林村の出身であることから、屋号が「林屋」となり、
途中の代から林家兼松と名乗り、屋号を 「林兼」 とした。
この当時から屋号の略称として 「は」 の字を用いており、
林兼商店となった後も丸枠の中に 「は」 の字を入れた商標を用いていたことに由来する。
また、航海中 『荒波(は)を丸く収める』 という意味も掛けられていた。
★下関で横浜ベイスターズが試合をすることはあるが、明石でのプロ野球というと阪神戦ばかりで、
ベイスターズの主催試合が行われたという記憶は無いようです。
(ビジターでなら1998、99年にオープン戦が行われたことはある)
2月上旬から3月上旬ごろまで、約6000本の梅の香りに境内一円が埋め尽くされる。
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