黄色人種への人種差別が白人社会の中で当然視されていた第二次大戦の時代、ドイツやイタリアに原子爆弾を落とすことをためらっていたアメリカは日本にはそれほど躊躇なく、二発の原子爆弾を落としました。
ウラン型とプルトニウム型、両方の威力を比較したかったのが二発目を落とした理由だとも言われます。
今は想像もできないことかもしれませんが、日本人を含むアジア人がわれわれとは異なる、劣っている人種であるという概念が欧米文化の根底に流れていたのは間違いのないことです。
第二次大戦で日本軍と戦った元兵士の方(米国人)から直接その当時の感覚をお聞きしたことがありますし、文献を探せばたくさん出てきます。
同じ頃に日本人が近隣のアジア人に対して持っていた差別の感情よりもずっと大きいものだったのではないかと思われます。
(「科学的に生物として劣等である」と考えていたのですから。)
第二次世界大戦のときの強制収容所への日本人だけの収容でも明らかですよね、同じ敵国でありながら、ドイツ人やイタリア人に対してそういう仕打ちはありませんでした。
勤勉さですでに西海岸に資産を築き始めていた日本人だけが、「我々より劣っているアジア人のくせに生意気だ。」とばかり資産を奪われたわけです。
表向きは誰にもチャンスのある公平な社会のはずだったアメリカが、実際には「(白人なら)」というかっこ付きで受け入れられていたのがあの時代でした。
(アジア人の前にはアイルランド人が差別されたりしていましたし、アフリカ系黒色人種に対するそれは1960年代まで続きました。))
しかし実際に、20世紀初頭までの欧米文化とアジア文化の間には大きな開きがあり、軍事力なども、まったくかなわないものでした。
そのために虐げられていたアジアの人もまた、白色人種にはかなわないのだと思ってあきらめているところがありました。
人種が違うからしょうがない、あちらの方が優れているのだ、と。
そんな中で、第二次大戦で黄色人種の軍事力と科学力が欧米の白人分化に引けを取らないことを世界中に知らしめてしまったのが日本です。
・・・すでに1904年の日露戦争でロシアという軍事大国に日本は勝っていましたが、それは偶然の勝利に近いと欧米も日本も考えていました。
でも、第二次世界大戦の前から日本軍がアジアで展開した軍事行動は異なります。
欧米に引けを取らない軍事力で一気に東南アジアに侵攻して、植民地の支配国の欧米政府を植民地から掃討してしまったのです。
入れ替わりで日本が領主国としてそこを支配したものの、そのことで、アジアの人も、「アジア人の日本人ができるんだから別に白人が優れているわけではなかったのだ。われわれだってやればできるはずだ。」と感じました。
それが、独立の心に目覚めるきっかけの一つとなったのは間違いないことだと思われます。
日本が敗戦した後に再びアジアを植民地として取り戻そうとしたヨーロッパの列強の思惑がうまくいかなかったのはそういうカルチャーショックが大きかったと言われます。
アジアは独立へ向けて動き出してしまい、ヨーロッパはもはやその流れを押しとどめることはできなかった。
日本ただ一国のがんばりによって、世界の中での民族感・概念が大きく変わってしまったのですね。
そして冒頭の話に戻りますが、日本は唯一の原子爆弾を軍事的に利用された被爆国として、その影響の激しさ、残酷さ、非人道性を世界中に知らしめることになりました。
望んだことではありませんが、日本が、放射能の危険性について世界中にそれを知らしめたのです。
何が書きたくてこんなことを書いたかというと、そんな日本が、また世界中の人々の概念を大きく変えようとしている時代が今、来ているということを書きたかったのです。
そう、再び、原子力との関わり方に対する概念の塗り替えです。
長たらしいので次の記事へ(笑)。
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