昨夜、3月以来に他府県の仲間と飲んで喰った。 いつも「松阪牛を焼く」ことが目的で鈴鹿に遠征して来てくれるレース仲間。彼らと共に過ごす時間が本当に楽しくてしあわせっすよ。 生まれてこのかた、学生時代は言うに及ばず同年代の友人が異常に少ない時間を過ごしてきた。どちらかと言えば敵の方が多かった。 ・・・と書くと、凄く淋しい人生を歩んできたように誤解されるかも知れないが、他世代や海外の友人とは濃密であったし、そもそも一人で過ごす時間に何の不満も無かったし、むしろやりたい事をやってきて充実していた。 そこだけは強調しておきたい。 唯一不足があったとすれば、同じような興味について同じような感性で、他者と語り合ってこれなかった事くらいっすよ。 ただ、まるで空白の数十年を取り戻すかのように、ここ20年くらいのあいだにそういった友人関係が構築できるようになってきた。 よく「会社を辞めたら本当の友人が分かる」なんて言われているが、まさにそうで、組織や肩書があるから話しかけてくれていた人は当然離れていくし、人間としてお付き合いできる人同士なら、例え時間が空いても距離があっても、どんな仕事していても、変わらず接してくれる。 そういう仲間が人生後半戦に至って確実に増えた(もともと少なかったのだから増加するのは自然か?)のは、まんざら悪い人生でもない。 昨日アホ話で盛り上がったあと、しみじみと感じた。 確かにメシは美味かった。 それは「メシが美味かった」んじゃなく「一緒に喰う時間が貴重だった」から美味かったんだ。例え喰ったメシの味がマズかったとしても、笑い話にしかならないだろうよ。 食事も、旅も、・・・いや。 自分が使う時間そのものを、誰と過ごすのか? 単純にそれだけが唯一絶対に優先されるべき課題なんだな。