先に結論を述べる。 「お客様は神様ではない」 「お客様が店を選ぶ自由があるように、店にもお客様を選ぶ自由がある」 閑話休題。 何があったかを、時系列で記してみる。 ①50~60代男性が一人で入店。 ②「イラッシャイマセ」と声を掛けるが、目も合わさずにトイレへ直行 ③再び現れ、こちらの声掛け問いかけに頷くだけで、店内を無言で散策される ④商品を多数陳列しているような店舗形態ならともかく、対面でコミュニケーションしながらのサービスだから、何を聞いても応えてくれないので、こっちも困る ⑤おもむろに店舗案内を持って出店 大型の店舗などならいざ知らず、1対1しか存在しない狭い個人店で、雲鼓だけして帰って行かれた。 いや、誤解が無いようにしたい。 大前提として「要らないなら買わなくて良い。頼まなくて良い。」 でもせめて、目を合せて会釈や返事、トイレ貸して下さいとか借りましたとか。 フン別つく大人なんだから、何かコミュニケーション有っても良いんじゃないかな? 誰だって緊急事態は有り得るから、間髪入れずにトイレ入りたいときは有ると思う。 でも、自分の家じゃない訳で、ましてや店舗で過ごされる方のための設備を使うのだから、まだ過ごされる方になってない以上、何か一言あっても良いんじゃないの? 見えない場所ならともかく、目の前ガッツリ横断してアプローチしてるんだから。 その点、アメリカなんかに居ると・・・ ほかの州は分からないけど、ワシントン州に居ると、とにかく普通に皆さんの社交性が高い。「やぁ!」「こんにちは」 それは日本の美容室のような一方通行のコミュニケーションではなく、あくまでも社交。 ああ、人間だな・・と思う。 こういう社交性は京都の料理屋なんかへ行って、最も必要とされること。 「お金を払うから客」というスタンスは最も嫌われる。 他県の方に京都はイケズ・・なんて小馬鹿にされるけど、これはお客様をもてなしたいが故の弊害。 自分が客として大切にされたいなら、自分も店を大切にしなきゃいけない。 そして良い店は良いお客様が育て、またその逆も然り。 今ではなかなかお目に掛かれないけど、一見さんお断りのシステムも同じ。 紹介者の信用のうえでの予約だから店も安心できるし、客には紹介者の信用を落とさない立ち居振る舞いが求められる。そこには常に相手への敬意がある。 どこでどういうふうに人間関係が繋がっているか分からないから。 そうやって、信用をすこしずつ育てて行く。 だから本当に大切な店は、本当に大切な人にしか教えない。 こういうやりとりは、近年メンドクサイと敬遠される。そんな努力は不要、と。 そういう人は行かなければ良いだけのこと。 でも一度、店との信頼関係が築けると「なんて快適なんだろう」と気が付く。 デフレスパイラルで、何でもかんでも値段だけで判断されがちだけど、大切な「何か」が日本から急速に失われつつあるように思う。 たったシンプルな一言で良いと思うんだよ「こんにちは」「有難う」 よく、外国旅行で「はい・いいえ」「挨拶」「有難う」これだけ言えれば過ごせる、という極論があるけど、これは自分自身がまるでそのタイプなので、強くそう思う。 ちなみに、無言で雲鼓だけして出て行ったあの人は、客ですらない。 塩を撒いておくことにしおう。