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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。 トーランスのニューガーデナホテルが会場になります。

2005年度 9月 10周年記念パーティー

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2005年度 8月 「心理療法からみた個人のパーソナリティーと文化現象 」

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2005年度 8月 「心理療法... 2005年度 8月 「心理療法...
講師 - 平山 栄治氏

九州大学大学院博士課程修了。教育学博士。心理教育相談、スクールカウンセリング、学生相談、精神科臨床、開業臨床を経て、現在、青山学院大学文学部心理学科助教授(2000~2004大学院文学研究科附置心理相談室長)。1999年日本心理臨床学会奨励賞。2004年9月よりUCLA心理学部Visiting Scholar、およびThe Psychoanalytic Center of California(精神分析研究所)Visiting Fellow。主な著書は、『臨床心理面接技法3』(誠信書房)、『ロジャース再考-カウンセリングの原点を探る』(培風館)、『ロジャース学派の現在』(現代のエスプリ、至文堂)、『エンカウンターグループと個人の心理的成長過程』(風間書房)など。

講義内容

心理療法のココロは、対話する心にある。心理療法に関する講演自体も、相互に交流できる経験的な対話に近い場でありたい。関与は、そのとき限りの生きた人間と人間の対話にあり、語り合いにあり、その時間と空間にのみ存在する。ここではいくつかのトピックを選んでまとめる。
 昨年8月のこの日に渡米し、UCLA心理学部と精神分析研究所で研究に携わり、ちょうど1年になる。心理学部の所属研究室にも精神分析研究所にも日本人や日系人は一人もいなかった。
 先日、ある国際学会に参加した折、日本から来た精神分析家たちと夕食をともにした。1年ぶりに接する日本文化に驚愕した。
 米国では、メンタル・ヘルスの重要性について高く認識されている。臨床心理学者や精神分析家の数も、人口比から見ても、日本に比して桁違いに多いし、クライエントの数も多い。(しかし、保険で最初の数十回はカバーされるにしても、料金は決して安くはない。)心理療法を個人的成長への投資と考え、その意義を認識しているのである。
 米国は、世界中から移民を受け入れており、公衆衛生局長官報告書でも、(文化・人種・民族的)多様性は米国の活力原であり、マイノリティーの精神衛生確保が重要だと論じられている。
 米国ではスクール・サイコロジストの歴史は長いが、日本では特に不登校といじめ問題に対処するため、スクール・カウンセラー制度が1995年から文部省(文科省)によって導入され、効果をあげている。しかし、不登校やいじめの増加は、個人の心理的問題として理解し扱うことが可能であるというだけでなく、また、子供の問題というだけでなく、日本社会が抱えている問題を反映している。多様性への不寛容は、日本社会がもつ島国という地理的状況や歴史の延長線上のテーマである。同時に、世界が密接に交流するなかで、「摩擦」という現象を通して、文化交流は不可避である。
 日米文化は、多くの点で対照的であるが、たとえば集団主義と個人主義の葛藤は、当然現代日本文化の問題として、個人の適応・不適応、症状形成と自己実現の形式に大きなインパクトを与えている。
 もちろん人間は生涯にわたって成長可能であるが、三つ子の魂百までもというように、個人のパーソナリティーの根本的部分は幼少期に母子関係・親子関係を通して形成される。そこに深々と文化が伝達されていく。
 昨年、精神分析研究所で乳幼児観察をおこなったが、研究所が事前に準備をしてくれたおかげで、私は幸運にも、日本からの移民家庭を毎週訪問し、乳児をまさに誕生直後から1年間観察することができた。毎週開催される乳幼児観察セミナーでの発表と討論を通して、日米の育児の相違に驚き、かつ、その文化移行に接する中で、育児と母子関係の様式は、日米の文化と人間関係に直結しているだけでなく、症状形成にまで直線的につながっていると実感した。
 文化は、その歴史と伝統を背景にしつつも、必ずしも不変ではなく、葛藤してもいる。変化に抵抗しつつ、変化を求めてもいる。個々の文化は、その文化に特有の症状と心理的葛藤を生むと考えられる。文化は、その社会の適応行動であると同時に、それと遺伝子レベルでの人間性とのきしみでもあり、双方の力動の妥協形成としての症状でもあると考えられるのではないか。ならば、文化を相対化する精神分析や心理療法的視点が必要だろう。(文化精神分析、あるいは文化心理療法は、文化処方というパースペクティブを生み出す可能性があると言うことも可能だろう。)
 個々人の心理的問題や症状は、巨視的に見れば、文化に内在する葛藤のもがきの表現とも考えられる。文化移行は、ある意味では、その過程を個人の内面で高速で実演するものであるとも考えられるだろう。日本文化を相対化する視点は、今後、日本社会が多様性に開かれ、成熟し、発展していく上で、非常に重要な示唆をもたらすに違いない。
(文責、平山)
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2005年度 7月 「 あなたのお金が3倍の価値になる。知られざるセカンドライフ天国、マレーシア 」

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2005年度 7月 「 あなた... 2005年度 7月 「 あなた...
講師 - 川口 輝明 氏

1976年、東京外国語大学アラビア語科卒。76年から82年末までイラクのバグダッド、83年はじめから90年末までサウジアラビア、91年はじめから99年10月までマレーシアのクアラルンプール、そして99年11月から現在まで、Sumitomo Electric U.S.A Inc.のVice President & COOとしてサウスベイで勤務、海外生活は通算で約30年に及ぶ。若いときから「終の棲家」候補地を奥様と訪ね歩いてきた。その数、マレーシアのほか、コスタリカ、フィンランド、ポルトガル、ドイツ、イタリア、ギリシャ、オーストラリア、タイ、カナダ、フロリダなどなど多数。

講義内容

1-なぜマレーシア、特にクアラルンプールが、セカンドライフに適しているか?
「マレーシア・マイ・セカンド・ホームプログラム」という外国人引退者のためのプログラムがあること。このプログラムはオーストラリアのプログラムと違って、普通の人でも簡単に手が届くこと。

クアラルンプール(KL)は洗練された都会で、清潔で快適な生活環境。気候が温暖。交通機関が整備されて移動が楽。マレーシア人の性格が穏やかで友好的。日本人の地位が高い。英語が通じる。日本との距離は飛行機で約6時間。時差は1時間でそれほど遠くない。

2-マレーシアの生活環境
気温はホノルルの7-9月とほぼ同じ。年中雨が降るが、朝晩は過ごしやすい。地震、台風などの天変地異はない。物価と生活費はアメリカの3分の1。生活費は夫婦2人で月1500米ドルあれば、実質的4500米ドル相当の生活ができる。つまり、年金で豊かな生活ができる物価水準。住宅(KL地区のコンドミニアム)は、中級中古物件が45-90千米ドル、高級物件は90-200千米ドルで購入できる。過剰供給状態なので、特殊な例外を除いて、投資には向かない。また、1年単位の賃借コンドや短期滞在用サービスフラットもある。中級コンドの家賃(家具付)は月600から1000ドルくらい。
食事は、中華料理、マレー料理、インド料理が中心。日本料理店もKL地区で50軒以上ある。そのほか、韓国料理、イタリア料理、ファーストフードなども多数ある。屋台での食事は1.2米ドル・品くらい。贅沢しても6-10米ドル(アルコール別)という水準。
日系金融機関では東京三菱銀行が営業権あり。そのほか欧米系(CITI、HSBなど)銀行もある。またMay Bankなど地元銀行もしっかりしている。外国人は、マレーシアリンギ(RM)でも外貨でも口座持てる。RMの定期預金金利は約4%・年。


3-マレーシアの生活の質
メイドがいる生活が可能(週3回の通いで約100米ドル・月)。75万円で高級ゴルフ会員権が買える。Monthly Feeは30米ドルくらい。様々な、芸術文化活動を安い金額で楽しめる。習い事は一回3米ドル(グループレッスン)。車社会でありながら、公共交通機関も整備されている。買い物天国。日系デパート・スーパー(伊勢丹、JUSCOなど)も充実。マレーシア国内、近隣諸国にリゾート多数あり。タイ、ベトナム、インドネシア、シンガポールは飛行機で2時間以内の距離。インターネット、携帯電話、衛星放送(NHK)も整備されている。
  
4-マレーシアの社会と人間
治安は東南アジアの中できわめて安全。不安要素は不法外国人労働者(特にインドネシア人)。テロの心配はほとんどない。麻薬は死刑。政治的にも安定している。過去の政権交代はすべて平和裏に行われた。 マレーシア人(特にマレー人)は温和な性格。争い事を好まない。KL在住の日本人は約1万人。永住組は少ない。コミュニティーはこじんまりしており、まとまりがよい。
  
5-マレーシアの医療と保険  
医療制度はイギリス式で、レベルは東南アジアではシンガポールに次いで高い。日本語対応可能な病院・クリニックはKL地区に5ヶ所ある。医療費は、高級私立病院での診察費が初診・保険なしで60米ドル、市中のクリニックでの診療費が保険なし、薬込みで18米ドル程度。医療・傷害保険は欧米系(AIAなど)、日系保険会社、マレーシア独自の保険(Takaful)がある。そのほか、海外旅行者傷害保険の利用者も多い。
  
6- 「マレーシア・マイ・セカンドホーム・プログラム(MMSHP)」
マレーシア政府が推し進める、主として50歳以上の外国人を対象にした、引退者用のプログラム。夫婦の場合、マレーシア国内銀行に15万RM以上の5年定期預金をするか、または 日本での収入が1ヶ月 1万RM以上あることを証明すると、5年間の滞在ビザがもらえる(更新可能)。MMSHP資格者が受けられる恩典は、
 -1戸 15万RM以上の住宅を2軒まで購入可能。
 - 車1台無関税輸入ができる
 -年金は無税、それ以外の不労所得(金利、配当、家賃収入など)も所得税免除。 ?
 -メイド(使用人)を1名入国させるビザを発給する。

7-マレーシアを絡ませた様々なセカンドライフの考え方
「ベース(米国あるいは日本)+セカンドホーム(マレーシア)」、「べース(マレーシア)+セカンドホーム(日本あるいは米国)」、「移住型(マレーシア)」などのバリエーションが考えられるが、まずは視察と体験が重要。SBMSでは、来年マレーシア視察旅行(1週間~10日間)を企画したい。



マレーシアでのセカンドライフとセカンド・ホームプログラムの情報をもっと知りたいという方は、マレーシアKL日本人会のホームページと、実際にKLでセカンドライフを満喫されている阪本さんというかたの情報満載のホームページをご覧ください。
以上
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2005年度 6月「揺れる皇室と憲法改正のからみ」

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2005年度 6月「揺れる皇室...
講師 - 橋本明氏

1933年生まれ。’52年学習院大学政経学部政治学科卒業。
同年(社)共同通信社に入社。
社会部記者、ジュネーブ支局長、ロサンゼルス支局長、国際局次長、㈱共同通信社役員待遇を経て退職後、プリウ゛ェ・グループ社主となるとともに他に十数社の顧問などを引き受けている。また学習院初等科入学当時より天皇陛下のご学友として交遊を深め、現在も親しいご関係にある。著書「パパ、スリッパどうぞ」「二人のユーゴ」「チトー」「オリンピック革命」「平成の天皇」「昭和抱擁」などがある。その他文藝春秋社など多くの雑誌に女帝論など天皇家にまつわる論文を執筆している。講師は元首相橋本龍太郎の従兄。

講義内容

(講師のご意向により録音も禁じられたため、講義録も詳細には触れないことにします)

概要
橋本氏は、天皇陛下ご自身が語られた天皇の理想像「国民の心の中に潜在化し、国民が必要なときに顕在化できればよい」というお言葉を紹介し、皇室のあり方と現状との乖離について語り、また一般の報道では知りえない情報に基づき深い考察を加えつつ、日本にはなぜ天皇制が必要かを説いた。

女帝論
橋本氏は1993年にはすでに「妃となり男子を産まなければならないという重圧と、その期待を一人の女性にかけるのは大変なことであり、国体としても危うい」との考えから、女帝を認めるべきとの論評を発表している。
平民から嫁がれた美智子様は皇族の古いしきたりで苦しまれた一方で、男子、男子、女子と理想的な子宝に恵まれたことが「ちから」となり皇室での存在感を増すことができた。 雅子様の重圧は計り知れない。
国会でも現在論じられているが、男女に関わらず第一子が天皇継承権を持つとか、何らかの形で認められるだろう。

帝王学
皇太子は天皇からじかに帝王学を学ぶべきであり、現状ではそれが不足している。もっと東宮職が皇太子と天皇とのコミュニケーションを密にするサポート機能を果たすべきである。

皇太子の発言
「雅子の人格を否定するような・・・」という皇太子の一連の発言は前述のように天皇との意思の疎通が欠けている現われであり、皇太子・皇太子妃ともども内にこもってしまっているのではないかと危惧している。信頼して心を開ける人のサポートが必要。

秋篠宮の発言
秋篠宮は上記皇太子発言の前である03年の誕生日コメントで「陛下を支えるのにはコミュニケーションが大切・・・」と述べていたが国民は注目せず。これが意思疎通断絶の一つのサインではあった。

秋篠宮ご夫妻にすぐに子供ができて陛下ご夫妻との団欒があった。なかなか子ができなかった皇太子ご夫妻への気遣いが反って陛下ご夫妻との距離を遠ざけることになったのではないか。

皇室外交
皇族個人の資質でやるものではなく、日本のコンセンサスとしてなすべきものである。

天皇制度
戦後、日本の国体護持のために日本人の象徴として天皇制を残した。天皇制度があるから日本はバランスが取れていると信じている。そこが他国と違うところ。

皇族の戸籍
皇族の戸籍は一般国民の戸籍とは別に、皇統譜という皇族の戸籍に登録されている。皇室に関する事柄は、皇室典範として明治時代までは憲法と同列にあったが、現在は憲法の下位法として存在する。

この他にも種々述べられましたが、冒頭の理由で割愛します。

(作成者: 出井) 
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2005年度 5月 「ロサンゼルス市港湾局見学会」

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2005年度 5月 「ロサンゼ...
講師 - 森本政司氏

日本通運(総合物流)、アトラス(伊藤忠の運輸部)、ハパックロイド(西ドイツの船社)、鈴与アメリカ(乙仲)を経て、1984年に港湾局に入り、現在にいたる。

講義内容

【今月のセミナーは、ロサンゼルス港湾局を訪問させていただき、講師の森本氏から現地でお話を伺いました。その後ボートに乗船させていただき、実際にロサンゼルス港の見学もさせていただきました。】

ロサンゼルス港湾局は1907年に設立され、公的資金に頼らずに独立採算制で運営している。また開発に必要な資金はすべて公債の発行で調達しており、赤字になっていない。このような米国型の港湾経営には、日本が参考にするべき点が多いだろう。

ロサンゼルス港湾局では、「12%の投資リターンが見込めない開発プロジェクトは実施しない」など、経営判断の基準が明確になっている。一方で日本の港湾局では、採算や経営基準が不明確のまま開発が行われてしまうので、赤字経営に陥りやすい。

港湾局でCEO、CFOなどのイグゼキュティブ・レベルを採用する際には、広く世界から最適な人材を探すという人事努力がなされる。数年にわたる契約ベースの雇用となり、日本のように天下りや持ち回りによって、イグゼキュティブのポジションが埋められることはない。

本日使用しているこの会議室では、当港湾局のボード・ミーティングも行われるので、テーブルと座席もそのように設置されている。一番前の席が、LA市長に選出されたコミッショナー(5名)が座る席である。そしてコミッショナー席に向かい合う形で配置された席は、港湾局のCEO、CFO、そしてロサンゼルス市当局の弁護士など、イグゼキュティブ・レベルのメンバー6名ほどが座る席である。残りの席は、港湾局職員やミーティングの議題に関与する関係者などが座る席である。

ボード・ミーティングは、公正な形式に則って開催され、市民に対して意見を述べる権利が与えられている。ただし会議の効率を図るため、一人の意見陳述の時間は3分以内に制限されている。会議の進行状態は、すべて公式な録音記録に収められる。またコミッショナーは議決権を持つ重要な立場にあるため、仕事場以外の場所でコミッショナー同士が会うことは禁止されている。

ロサンゼルス港のもともとの土地はカリフォルニア州のTideland で、港湾局はこのTideland を州法の下に開発し、船舶会社や業者に賃貸して、賃貸料や施設使用料などとして徴収し収入源としている。賃貸契約の内容は、契約先や使用目的によって様々であり、可能な限り臨機応変に対応している。

現在 IT 導入が一番進んでいるコンテナー ターミナルは、商船三井の運営するTRAPAC社のターミナルである。何年か前に失業を恐れた港湾の労働者が、IT導入に反対していたが、船荷取扱量はずっと増加傾向にあり、労働者過剰の心配は出ていない。また昨年秋頃にロサンゼルス港で船荷が滞ったことがあったが、もともとの原因は米国内の鉄道会社のボトルネック現象にあり、港が根源だったわけではない。


<データで見るロサンゼルス港湾局>      (配布された同港湾局の資料より)
港湾面積
地上4,200エーカー、海上3,300エーカー
主要ターミナル数
27ターミナル
入港船舶数 (2004年度)
2,813隻
年間船荷取扱量(2004年)
米国で1位、世界で8位(7.3Mil. TEUs)
輸入品目トップ3 (2004年)
家具、衣類、電化製品
輸出品目トップ3 (2004年)
古紙、綿を含む生地、人工樹脂
貿易国トップ3 (2004年)
中国、日本、台湾
港湾局のウェブサイト・アドレス
www.portoflosanegles.org


(作成者: セミナー副委員長 矢部) 
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2005年度 4月 「 高峰譲吉が日米に掛けた夢の橋を追う 」

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2005年度 4月 「 高峰譲...
講師 - 飯沼信子氏

静岡県沼津出身。日本ベンクラブ会員。日本エッセイクラブ会員。国際(英国)女性伝記作家協会会員。裏千家支部元幹事長。現在、講演歴として内外のロータリー、ライオンズクラブを始め、NHK,民放などのメディアにも米国在住を強みとするユニークな伝記作家として登壇することが多くなっている。

また、作家としての本領は1987以来続く羅府新報「木曜随想」欄の常連として筆力を顕し、既に著書「野口英雄とその妻」を始め、上梓した他の六冊の伝記小説はいずれも圧巻である。

飯沼信子氏WEBサイト

講義内容

総括
幕末に生まれ明治時代に育った高峰譲吉は、アメリカに渡り科学者として、またビジネスマンとして数々の業績を残す。ウィスキーの醸造、胃腸薬タカ・ジアスアスターゼの開発、アドレナリン製法の発明など数々の業績を残し、ノーベル賞級の業績であったと伝えられる。同時期にアメリカで活躍した野口英世と比べ、科学者として遙かに大きな業績を残している。
科学者として業績を残しただけでなく、数々の特許を取得し、 その収益は膨大なものとなりビジネスマンとしても大成功した。
また、ニューヨークで日本倶楽部を設立。米国における日本人の地位向上に尽力した。

高峰譲吉の主な業績
・ウィスキーの醸造
高峰式日本酒醸造法を、ウィスキーの製造に応用した。従来、ウィスキーの醸造には大量の大麦が必用で、わずかな麦の「ふすま」で製造することが可能となり、大幅なコストダウンを可能とした。生産初日に火災があり、反対派の放火の噂もあったが、当時の状況を見る限り、スパークによる事故と思われる。
・タカ・ジアスターゼの開発
「ふすま」を使った麹かび に、大量のジアスターゼが含まれることを発見。タカ・ジアスターゼと名付け、胃腸薬として製品化した。パーク・ディービス社により全世界販売されることとなったが、日本での販売権は除外することを条件とした。日本が化学工業が立ち後れていることを痛感しており、その一助とするためである。
タカ・ジアスターゼ は三共製薬から 販売され、高峰譲吉は同社の初代社長に就任している。 タカ・ジアスターゼ は、数々の改良を経て、 現在でも同社から販売されている。
・アドレナリンの製法の発明
副腎ホルモンの純粋培養に成功し、特に外科手術での救命率が飛躍的に高まった。ノーベル賞級の発見と言われ、この特許による高峰譲吉の収益は膨大なものとなった。

妻のキャロライン
高峰譲吉が、1884年ニューオリンズでの万国博覧会で、日本の事務官の一人として渡米。そこで、キャロラインと出会い、婚約。結婚後日本での暮らしが始まるが、ウィスキー製造の件により渡米。以後、譲吉を支え続ける。
譲吉の没後は、若い再婚相手とアリゾナで全く異なる生活を送る。

高峰ファミリーのその後
長男ジョウは、40歳で不慮の死を遂げる。次男エーベンは、ビジネス上の失敗が多く高峰財閥にかげりが見え始める。現在、高峰姓を名乗る直系のファミリーは、ロス在住の譲吉三世のみ。

日本倶楽部の設立
1907年、日本倶楽部をニューヨークに設立。日本人排斥の気運が高まる中、ニューヨークの日本人のよりどころとして大きな役割を果たした。日本倶楽部での高峰譲吉と野口英世が一枚の写真に写っている写真も残っている。

以上
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2005年度 3月 「Japan's Back」

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2005年度 3月 「Japa...
講師 - 土屋敬三氏

73年 立教大学経済学部卒業後、JETROに入る
76年より2年間、マレーシアのマラヤ大学留学
83年 スリランカ・コロンボ事務所長
91年 JETRO労働組合委員長
95年 JETROサンフランシスコ次長
98年 対日投資課長、03年投資交流部次長を経て、
    03年10月にロサンゼルス所長 として赴任、現在に至る

『米国浮かぶ船上デパート』、コスコクラブ、ギャップなどの米国企業の対日進出支援、日本の47都道府県の英語版『投資環境ガイドブック』の刊行、『対日投資ワンストップセンター』の設立など、数々のプロジェクトを手がける。月刊エコノミストや経済産業ジャーナルにも執筆。

講義内容

経歴紹介
立教大学で理論経済学、貿易論を学び73年に卒業後、JETRO入会。76年にマレーシアのマラヤ大学に留学。1日7-8時間マレー語漬けの生活が1年続いたら、ある日突然先生の言うことがすべて理解できた。楽しい時代だった。

日米関係とJETROの機能の転機
50年代から70年代後半までは輸出振興政策一辺倒。70年代後半に日米貿易摩擦がおこり、米政府より日本の市場開放要求が強まり、79年に通産省の貿易政策は、輸出促進から輸入促進に方向転換。当時の米商務長官訪日デレゲーションに協力して、「新さくら丸」に米国製品をつんで日本中を巡回PRしたりもした。当時一番日本人に人気があった米国製品は、「オレンジ」と「牛肉」だった。
政策転換は、別の言い方をすると輸出のための輸入振興を進める政策ともいえる。一人勝ちが許されない時代となった。

円高を乗り越えバブル経済に
戦後ずっと1ドル360円が続いて輸出振興ができたが、為替自由化で200円、150円と円高が進んだ。そのつど、これ以上の円高では日本は死ぬ、と騒いだが結果はハードシップを超える研究と努力がみのり、製造業や流通業を中心に、80年代半ばまで、どんどん日本は強くなっていった。ところが80年後半に不必要な投資をした日本はバブル経済に突入して、90年はじめにそれがはじけた。

バブルを繰り返さない3つのポイント

政策は国際ビジネスをベースにしたグローバルなものであること。それを国民に知らしめること。
コーポレート・ガバナンスの強化(企業のむやみな投資の防止、株主重視、利益の擁護)
ベンチャー支援(税制、ファイナンス)の強化

「Japan Is Back」キャンペーン
03年ごろから日本経済回復の兆し。市場環境も改善されてきた。投資対象市場として日本の魅力をPRするため、JETROは、04年10月にBiltmore Hotelで「Japan Is Back」という題目でセミナー実施。目標の500名を大きく超えて、638名の参加者があった。

バブルの後遺症としてみられた「90年代の3つの過剰」

失業
設備
不良債権
バブル崩壊後、日本経済はデフレスパイラルに落ち込み、企業化心理の冷え込み、縮小、がんじがらめの状態に陥った。これをどう克服するかが、95年以降の日本政府の最大の課題だった。


96年以降の規制緩和・改革の成果
  1-3つの金融ビッグバン
  外貨決済の自由化、ノンバンクの金融参入、株式手数料の自由化
  2-会計ビッグバン
会計基準のグローバル化。連結会計、減損会計、税効果会計の導入。
   企業の情報開示、透明化の促進。
  3-企業関係法制(商法など)の改正

外資には追い風だった「想像以上に痛みを伴った」日本の構造改革
規制緩和・改革で、日本に投資をする外資は、企業価値を下げることなく売却でき、債権譲渡も可能になった。また、Cash Mergerが06年より可能になる。対日投資額は97年6700億円から04年上期だけで2.3兆円に拡大。内外比率(対日投資:対外投資)が1対10だったのが、04年上期に初めて1:1になった。ルップルウッドによる新生銀行買収にみられる産業の淘汰と外資によるリストラクチャリング。建設、小売、ホテルなどあらゆる分野における対日投資と日本企業同士によるM&Aが促進された。

(その後、プロジェクターを使って、日本が投資対象として魅力的な市場である「10のメリット」について簡単に説明。)

経済の回復は大都市圏では進んだが、地方都市ではまだまだ遅れている。その間隙をぬって、中国の投資家が地方の優良中小企業を狙い撃ちで買収している。中国の狙いは設備(技術)と人(エンジニア)のお持ち帰りで、これを問題視する人たちもいるが、外資の対日投資促進のためには、多少の副産物が出てもしかたがないという考えが、今のところ主流を占めている。

空洞化したあとの新産業は何か?JETROは、企業化が育つ海外での事例の紹介を目標としている。

少子高齢化社会について
少子高齢化社会は必ずしも問題ではない。労働生産性を向上させれば、人口が減っても、一人当たりの可処分所得は増える。生産性向上のために、女性(主婦)の雇用促進、外国人労働者の受け入れ、体が不自由な人たちが快適に買い物ができるような環境整備をめざす。外国の企業文化から学ぶことは多い。

以上
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2005年度 2月 「 サルでもわかるリスクマネージメント 」

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2005年度 2月 「 サルで...
講師 - 諸橋義弘 氏

2004年はイラク戦争、異常気象、大地震、スマトラ沖大津波など
大災害が続いた1年でした。
  今年は、穏やかな年となることを願わざるを得ませんが、現在そのような事故や災害から会社や身を守る手段として、リスクマネージメントの必要性が叫ばれています。しかし、一口にリスクマネージメントと言っても、何をどのようにすることがリスクマネージメントなのか良く分からない面があります。
  そこで、今回はリスクマネージメントの専門家であり、会員でもある
諸橋義弘さんに「サルでも分かるリスクマネージメント」と題して、リスクマネージメントって何なのか、会社経営者にとって、リスクマネージメントという手法を経営にどう生かせばよいのか説いてもらいます。

〔 諸橋義弘 氏プロフィール〕
  日米の保険会社およびブローカー業界で40年間活動。人身事故
査定管理を経て、日本最初の保険金詐欺調査専門職となる。その後
保険ブローカーとなり、現在に至る。専門は、企業の損害保険プランニングおよびリスクマネージメント・サービス。
  現在、Trisure Insurance Serviceを設立し、保険ブローカーおよび
リスクマネージメントコンサルティングの他、Frenkel & Coと提携して、
中規模企業の保険サービスの充実を図っている。1995年に?Associate in Risk Management(ARM)の称号を取得。

講義内容

近年、事故や災害その他の事件が発生すると、危機管理が十分でなかったという批判が
大きく取り上げられるようになった。危機管理とはリスクマネージメントの日本語訳だが、
企業の経営には次のようないろんなリスクがつきまとう。

自然災害: 地震、噴火、津波、風害 など
人的要因: 火災、爆発、汚染、横領、詐欺、暴動、キーパーソンの死亡 など
経済的要因: 消費者の嗜好の変化、通貨変動、不景気、株価下落、技術変化 など
政治的要因: 戦争、課税強化、規制基準厳格化、輸出入禁止 など

リスクマネージメントとは、具体的には 上記のような①突発的な出来事を想定し、その経済的損失を最小限化することであり、②そのための予防処置、事後対策、組織化、指導および処理方法を確立しておくことである。

従って、経営者は常に防災意識と当事者意識が必要であり、具体的対策は現場担当者、外部コンサルタントなどその方面の専門家に検討させることが肝要である。

リスク・マネージメントの具体的方法とは、次のようなステップを言う

Ⅰ.リスクの発見と分析
Ⅱ.リスクへの対応策の検討
Ⅲ.最適と思われる手段の選択
Ⅳ.選択した手段の実行と監視
Ⅵ.その結果の評価と見直し

リスクへの対応策としては次の方法がある。

リスク・コントロール(事故などの予防、軽減するための方法)
                      《例》

事故などの原因の削減: 危険品などを置かない。呑んだら乗らない
予防対策:安全器具購入、不燃物構造の建物にする  
損害の軽減化:スプリンクラーの設置   
リスクの分割化:防火壁   
契約によるリスクの移転:危険作業のアウトソーシング
卑近な例でいうと、呑み会に1.酒癖の悪い人を呼ばない 1.あまり飲まさない 3.酒癖の悪い人の苦手なひとを呼ぶ 4.相性の悪い人を隣同士にしない 5.飲酒後、タクシーを呼ぶ、など

リスク・ファイナンシング(リスクに対する資金的な手配)
リスクの保有

その都度、現金払い
非積み立て準備金
積み立て準備金
ローン
キャプティブ保険(自家保険)
リスク移転

保険の購入
契約による他社からの支払い保証
以上のように、企業存続を危うくする事態を想定して、事故が起きないように予防処置を
講じ、万一発生した場合、その損害を軽微に留め、その損害を補填する手段を考えて
おくことが経営者の務めである。

但し、これらの手法の活用については、企業目的、組織形態などによって多岐に分かれる。例えば新聞社はコストの如何に拘わらず新聞を発行することを目的としたプランを作成
すべきであり、食品会社は安全性に関することを目的としたプランを作ることである。

適切なリスク・マネージメント・プログラムを実施している企業は、事故の軽減だけでなく、
保険料も安くなる。労災保険などは良い例で、保険料の軽減だけでなく、社員の勤労意欲を増し、また労使間の問題も少なくなる。
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2004年度 12月 - 日系アメリカ人に学ぶビジネス観-社会学的考察

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2004年度 12月 - 日系...
講師 山本剛郎氏
講師紹介と略歴
カリフォルニア州では、19世紀末に日本人移民が農業労働者として入植、その中には、自ら農業経営に乗り出し、大きな成功を収めた例がある。その中で、安孫子久太郎(あびこ・きゅうたろう)の主導による農業コミュニティー「ヤマト・コロニー」「クレッシー・コロニー」「コーテス・コロニー」は、1906年から1919年にかけて北カリフォルニアに作られ、現在でも形を変えて、そのコミュニティーは存続している。日系アメリカ人の生き方、事業の進め方、子供(次世代)との関わり方から、現代の日本人が学ぶものは、何か。2004年4月からロサンゼルスで、調査をしている関西学院大学社会学部教授の山本剛郎氏が、社会学とは何かを説明し、安孫子久太郎の足跡、コーテス・コロニーの現状および最近入手した資料などを報告・紹介する。


〔山本剛郎氏プロフィール〕
  関西学院大学社会学部教授。担当分野は、人間社会で生じるもろもろのできごとを、村落や都市との関連で考察・分析する地域社会学。京都大学文学部(地理学)、大阪大学大学院を卒業。大阪大学文学部助手、天理大学教養部講師を経て、関西学院大学社会学部へ。おもな著作に、『都市コミュニティーとエスニシティ』(ミネルヴァ書房)、『阪神・淡路大震災の社会学』(昭和堂)、『地域生活の社会学』(関学出版会)。1985年5月から1986年9月、UCLA社会学科客員研究員としてロサンゼルスに滞在し、日系アメリカ人コミュニティーの成立と展開過程を研究。2004年4月から2005年3月まで、UCLAアジア系アメリカ人スタディー・センターの客員研究員としてロサンゼルスに滞在中。今回は、日系アメリカ人コミュニティーを、農業の観点から、その変動を調査している。


講義内容
社会学とは何か
 明治になって、Society ということばが日本に入ってきて、「会社」「社交」「社会」という訳語が候補になり、その中から「社会」に決まった。明治以前の日本では、Societyに相当することばは、「世間」であった。人間関係は、何かしてあげた
いな、と思うことから始まる。期待しあうことから、関係が生まれる。そして、役割が生じて、組織が生まれる。人間の組織は、「家族」という集団から、「制度」へと、組織が大きくなるにつれて、発展していく。

社会学と日本人移民史
 カリフォルニア州では、19世紀末に日本人移民が農業労働者として入植、その中には自ら農業経営に乗り出し、大きな成功を収めた例がある。その中で、安孫子久太郎(あびこ・きゅうたろう)の主導による農業コミュニティー「ヤマト・コロニー」
「クレッシー・コロニー」「コーテス・コロニー」は、1906年から1919年にかけて北カリフォルニアに作られ、現在でも、形を変えて、そのコミュニティーは存在している。わたし(山本)は2004年4月からカリフォルニアに来て、現存するこうしたコミュニティーで生きるひとたちのインタビューをしている。今日は、わたしの研究経過を報告する。

事業家、安孫子久太郎
 新潟県出身。生まれてすぐ母親が亡くなり、母親の実家で育てられる。14、15歳の時東京は出て洗礼を受ける。津田米子と結婚。米子の姉、津田梅子は、津田塾大学の創設者。安孫子は、日本人が差別を受けるのは、出稼ぎ根性でいるからだと、アメリカへの定住を訴える。そのため、新聞社、銀行、労働者斡旋会社(日米勧業社)、殖産会社を作った。

ヤマト・コロニー
 サンフランシスコから車で、1時間ほどの距離にある、マーセッド・カウンティーに、安孫子は、1906年にヤマト・コロニーを作った。ヤマト・コロニーは、高学歴、クリスチャンの集団だった。その後、近くに仏教徒とクリスチャンが混じり合ったクレッシー、コーテス・コロニーができるが、身近な距離であったにもかかわらず、協力関係がなかった。
 コロニーの日本人は、地元の白人と対立することを避けるため、商店などはあえて開かなかった。しかし、白人と仲良くしていれば、差別はなくなるという理想は崩れ、日米開戦、日本人の強制収容が行われる。

コーテス・コロニー
 わたし(山本)は、20年前と今回と2回、コーテスの調査を行っている。この間の変化は、インターマリッジ(異人種間結婚)が増え、離婚率も上がっている。学歴が高くなるにつれて、農業に従事しなくなっている。また、農業規模も、80年前は、20から40エーカーで生産が成り立っていたが、現在は最低100エーカーが必要。コーテ
スの農業は企業化し、白人が経営するコーポレーションが多い。

創意工夫の国府田敬三郎
 国府田米で、有名。福島県出身。元武士だった父は精米業を営んでいた。敬三郎は教師をやっていた。敬三郎は、労働者としてはアメリカへに入国許可が、出なかったので、視察という名目で1907年、25歳の時、アメリカに入った。飛行機でモミを蒔く方法を考案し、カリフォルニアでは米ができる南限のサリナスで、戦前、米を作った。日本人の土地所有権を認めさせるために「民権擁護協会」を作たり、日本人の米国帰化権を認めさせるためのロビー活動に潤沢に資金を出した。日本から農村青年
の、カリフォルニアへの受け入れの先頭に立った。(非買品、『国府田敬三郎伝』が福島の新聞社から出版されている)

日本人移民の実業家から学ぶこと
● 事業の絶頂期に次ぎの方策を考える。いいことは長く続くはずがない。
● 密かに考え、大胆に勇気を持って行動する。
● スケールの大きな発想
● 徹底した調査・研究。他人がやったことで、マネできないことはない。
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2004年度 11月 - 投票日直前、大統領選挙のゆくえとその後について語る

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2004年度 11月 - 投票...
講師 加賀崎雅子氏
講師紹介と略歴
「この11月2日、いよいよ第44代アメリカ合衆国大統領選挙の 一般投票が行われます。その日は事実上“世界で最も強大な権力を持つ”男が決まる日であります。
そこで次回のセミナーは日程を変更し、11月1日(月)の投票日前日にブリッジUSA編集長の加賀崎雅子氏を迎え「投票日直前、大統領選挙のゆくえとそ の後について語る」と題してお話しを伺いたいと思います。はたして次期大統領はブッシュかケリーいずれか?その結果アメリカはどうなるのか?日米関係は どうなるのか?等について熱く語っていただきたいと思います。ふるって御参加下さい。


〔加賀崎雅子氏プロフィール〕(ご本人の原文のまま)
親の転勤で小学校を名古屋、中・高校を札幌で育つ。聖心女子小等部⇒中等部⇒大学卒と、完全無欠の女子校育ち。1986年渡米しネバダ大学へ留学。修学 後、ネバダでギャンブラーとして生きていく素質も勇気もなかったので、ロサンゼルスの日系の新聞社に二年半勤務。その後、独立・起業したものの、根本的な経営能力に 欠けていたためあっという間に倒産。92年から現職のブリッジUSAの編集長。94年からブリッジUSAラジオのニュースディレクター。日系記者クラブ会長。


紹介者 能智氏
講義内容
大統領選挙のある年の10月は、偉いアナリストは講演を引き受けないという。
でも自分はチャレンジャーとしてお話ししたい。
*今回の選挙の特徴は共和党か民主党か、ブッシュかケリーか、ではなくブッシュか反ブッシュかの戦いという所にある。
*アメリカの有権者は好感度で投票する傾向がある。西部や南部では反エリート主義というのがあって、エリート的ではない事が好まれる。
ケリーさんはウィンドサーフィン、サッカーを好み、フランス語に堪能。ブッシュさんは野球と畑仕事が好きでスペイン語(ただしテキサス風)を話す。
遊説先の会場ではケリー陣営はブルース・スプリングスティーンの音楽を流す。
それに対してブッシュ陣営はベタなカントリーを流す。これはブッシュ陣営の選挙参謀カールローブの作戦である。
本来は貧困層の味方である民主党の候補者がインテリで、共和党候補が庶民的というイメージをつくっている。
*カンサスは平均的な普通のアメリカ人が住む所と云われている。従ってマーケティングに利用される所でもある。
そこで何が起きているか。それはもはや貧困層が民主党支持ではない、という事。
同時に共和党の中の共和党と呼ばれている人達の反ブッシュ発言という反乱もある。
そのように支持者の逆転、クロス現象が起きている。
*海外では、イギリス、フランスで反ブッシュの風潮が強い。アメリフォビアと呼ばれる、アメリカを畏敬の念でみる人々が、この4年で消えてしまった。
ロシアはプーチンがブッシュと気が合うということで、ブッシュ支持。イスラエルもブッシュ支持である。サウジ、パレスチナは一応ケリー支持であるが、
どっちもどっちと思ってる。
*日本政府はブッシュ支持であるが、日米関係は両候補いずれが勝利しても変化なし。現在日米間に特に懸案事項はない。というよりもアメリカは中国の方に
関心がある。
*どちらが勝利するか、接戦の中、色々な意味(開票が正しく行われるかどうか?)で有利な現職のブッシュではないか。
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