赤いよ赤いよ 夕波を聴く僕がいるよ 君を待つ 寄せてはかえす波時計 きっと僕の顔は 恥ずかしいくらい赤くなり ひとりよりふたり 不思議と強くなくちゃ そんなふうに思えるんだ そして 君を大好きだ と叫びたくなるんだ 待ち遠しい物語は どんどん 僕よがりなってしまう 君が現れたら ちょっと遅くねえ そういって 照れ笑いをして だからさ いろいろ考えちゃうんだよ まだ君が来ないのに もう君でいっぱいの僕なのさ
ぶんぶんぶん僕は羽もなければ針もない蜂。だけど飛ぶことも刺すことも忘れてはいない。飛べない、刺せないと思うかもしれないが、信じないで死んでしまうより信じて死にたいんだ。いいんだよ、僕の生なのだから好きにするさ。僕は蜂には変わりないだろ。笑われたって、弾かれたって、無視されたって、もう僕はそんな弱い蜂ではないのだから。目を閉じればほらっ、僕は飛べているじゃないか、そこに嘘などひとつもないんだし、誰が文句を言ってみても僕の心を潰すことなんてできやしないんだ。ぶんぶんぶん僕は針もなければ羽もない蜂。まだ君の心に突き刺せる針は隠し持っているんだよ。気をつけた方がいいよ。僕が本気になったら僕が知らないくらい凄いってことを信じているんだから。それに僕が僕を信じないで誰が僕を信じてくれるというんだよ。ぶんぶんぶん僕は針もなければ羽もない蜂。
みんな暗者であって 明者なんだと思う 詩作も詩人のスタイルも 意識して、無意識で真似っこして でも守破離が必要なのかも そしたら作品も詩人も 比べる必要もなくなるから そして、ひとりではたいした作品 たいした人間にはならない そう思うこの頃であった この一作一作に感謝しながら
「人」という字は ひと同士が 支え合っているのではない 関係が崩れて疲れるより 「人」という字の 自立したひとりの姿を見る 二人、三人、四人だろうと ひとりひとりが 知識、感情、意志の調和とれた 全人であれば疲れはしないのだが