皆さんは読む本を、どのように選んでいますか?

こんにちは!「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしおです。

今日のテーマは「本の選び方」です。

「お父さんの読んでいる本って、なんかいつも同じじゃない?なんて言うんだっけ、『ビジネス本』とか言うんでしょ、会社とか経営とか....」

うちの末娘からのこんな一言に対して、

「そんなこと無いぞ!小説だって読むし、洋書だって読む。去年の夏休みに一緒に『海辺のカフカ』を二人でそれぞれ読んで、ディスカッションしたじゃないか!」

私に負ける劣らず、無類の本好きの末娘。

しかし他人にそう言われて、はた!と気付いた。自分はどういう視点で、読む本を選んでいるのか?と。


章立て
1.自分にとって「本を読むこと」とは?
2.昔のほろ苦い経験
3.「読みたい本」を選ぶ vs. 「それほどでも無い本」を選ぶ?


1.自分にとって「本を読むこと」とは?

凄く当たり前のことだが、本を読むのが楽しいから読んでいる。それ以上でのそれ以下でもない。もちろん、仕事で必要だから、新しい知識を得るためとか、参加している読書会で扱う本田だから、ということもある。

しかし、基本は読みたい本を読む。

では視点を変えて、自分にこう問いてみる。

「もし本を読むことを禁じたら、自分はどうなるのか?何を思うのか?」

質問が突飛ではあるが、ここはプロコーチという職業柄、敢えて極端な状況を設定して、自らの素の姿をセルフ・コーチングで浮き彫りにしてみる。

「人生の楽しみの『半分』を失う!」

これが、最初に浮かんだ答え。

恐らく私は、自分の生きている人生と平行して、もう一つ別の人生を「本を読むことで」歩んでいるのではないか?

言い換えるとするならば、

読んでいる本に、リアルな人生を歩んでいる自分と、伴走してもらっている感じ。

ここまで考えると不思議、変ですね!

本は決して私に、能動的に語りかけたり、働きかけたりはしない。私自身が、その本の世界に能動的に入っていく、浸かっているというイメージ。

これはひょっとしたら、リアル人生からの一種の逃避行動、なのかもしれない。


2.昔のほろ苦い経験

本を読むことの楽しみを実感したのは、実は大学に入学した時。受験勉強から解放されたことによるのか、とにかく本を読んだ。しかしそれは授業で使う教科書などではない。小説だったり、エッセイだったり、映画や舞台のシナリオだったり。

小遣いやバイトで稼いだお金を使って本を買って読んだ。そしてその時、こんな風なことに思い付いた。

「もし自制せずに読みたい本、欲しい本を買っていったら、自分は一ヶ月でいったい何冊の本を買うのだろう? いったいお金は、いくらかかるんだろう?」

実際に自分で実験したことがある。

いったい、この実験の結果はどうだったのか?

実は、途中で挫折した。月半ばでお金が底をついて、止めざるを得なかった。部屋に何冊モノの本が並び(いわゆる積ん読)、散乱し、部屋を埋め尽くすようになると同時に、財布の中身がどんどんと軽くなっていったのだ。

そこで私が気が付いたのは?

自分は本を読むのが好きなのではなく、本を購入すること、が好きなのではないか?、と自分を訝しく思った。実は今でもそう感じることがある。一種の収集癖なのかも知れない。

もう一つその時に気が付いたのは、趣くままに本を購入すると、

同じようなテーマやジャンルの本ばかりを買ってしまう、

と言うことに気が付いたのだ。

あれから30年くらい経った今、末娘に指摘されて、ぎょっとしている。


3.「読みたい本」を選ぶ vs. 「それほどでも無い本」を選ぶ?

読みたい本を読めば良い。読書は読みたい本を読むこと。

しかし、上記のような性癖?がある私は、何とかならないかと色々と以前から考えていた。

- 友人や書評を参考に本を選ぶ。
- 信頼している先輩や恩師に、本を紹介してもらう。

色々試してみたが、何かすっきりしない。他人からの勧め、というところが気に入らないのかもしれない。自発的でない、内発的動機に基づいていない選び方、だから?

そんな難しいことは良い。とにかく他人からのお勧め本は、なぜか最後まで読了できないのだ。

そこで色々考えた結果、幅広いジャンルやテーマの本を読むことを目的として、私が編み出した「無茶苦茶」な方法は、こんな感じ。一言で表現するなら

「セレンディピティ選択」

である。

「セレンディピティ」とは、素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。 また、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値があるものを偶然見つけること。

具体的にはこんな感じだ。

書店で本を探している際に、書棚を順繰り見ながら「この本、読みたいな!この本、欲しいな!」と見つけたとする。これは良くあること。

そこで普通は、その本を購入するのだが、そうではなく、

最初に読みたいと見つけた本の「隣の本」を買って読む、という方法だ。

かなり無茶苦茶な方法である。最初はとても勇気が要る。清水の舞台から飛び降りるような気分。

詰まらなかったらどうしよう。一生後悔するかも?大した金額の投資ではないが、適切でない本を選んでしまった自分が許せない、などなど様々な不安が頭をよぎる。

しかし、何食わぬ顔でレジに持って行っていく。はい、1320円です!会計を済ます。

しかし、何度か実際に試してみたが、これが意外に奏功する。

なぜなら、書店の書棚はあるジャンルやテーマを同じ棚へ陳列している。従って、隣の本を選んでも、実はそれ程かけ離れたテーマの本を選ぶことにはならないからである。

これは「ビジネス本」では典型的である。しかし、実際に読みたかった本では無かったことはある意味で事実である。

一方、もし小説を選ぶ時にこの「セレンディピティ選択」を実行すると、かなりスリリングな結果が待っているように思う。まるで鑑賞しようと思って入った映画館で、買ったチケットを上映している部屋の隣の部屋で映画を鑑賞するようなものだ!

偶然を楽しむか、隣に座る彼女を怒らせるか?

映画と書籍とでどちらがリスクが大きいかは議論の余地はあるが、新たな本との出会いがあることは請け合いである。

こんな風に選んだ本をページを手繰りながら、秋の夜長を楽しんで行きたい。


ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお

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宮田穣著「組織に効くコミュニケーション」を読んで(Day13、最終日)「組織にとってコミュニケーションとは?」

こんにちは!「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしおです。

これまで読み進めてきた、宮田穣著の

「組織に効くコミュニケーション」

いよいよ最終日まで来ました。

今日のテーマは

組織にとってコミュニケーションとは何か?

章立て
1.ファースト・ハンドの技術
2.組織はコミュニケーションによって変わっていく
3.組織は学びの場でもある


1.ファースト・ハンドの技術

(1)古いメディアに心惹かれることがある。例えば「ガリ版の話」。惹かれる理由は、それが「ファースト・ハンドの技術」、つまり「ある一つの技術が民衆の中にひとつの小躍進を引き起こす」技術だから。

(2)ファースト・ハンドの技術は、粗削りで未完成ながら、小さなメディアに宿った「思い」がリアルに伝わりやすいスタイル。

(3)昔勤務していた会社に、ワタキロ(私の記録)というものがあった。従業員は、毎日終業後にその日を振り返って業務日誌を「手書き」で書く。書かれたワタキロは部署ごと束ねられ、全員に回覧板のように閲覧する仕組み。

(4)その慣行がインターネットの出現・普及とともにパソコンで書くようになり、そしてメールで毎日送るようになって、他の人が読むことが無くなった。


2.組織はコミュニケーションによって変わっていく

(1)組織で日々行われるコミュニケーションには、様々な目的がある。しかしその色々な目的が目指している方向は、組織がより良く変わりながら、持続可能な存在となっていくこと。

(2)そして組織を支える全てのメンバーにとって、組織が「充実感のある居場所」になっていくこと。

(3)池井戸潤氏著の直木賞受賞作、「下町ロケット」を読んでみると、様々なことに気が付かされる。その中で一点言えるのは、コミュニケーション次第で、組織はどんどん変わっていく、ということ。


3.組織は学びの場でもある

(1)組織でのコミュニケーションで忘れてはならないのは、組織は「学びの場」でもあるということ。

(2)なぜ、学びとコミュニケーションが結びつくかと言うと、職場で働き続けるためには、学び続けることが必要だからである。

(3)そのためにも「等身大コミュニケーション」の実現が重要。

(4)「人こそ、最強のメディアである」そして、「組織は、それを最高に活かせる場である」ということ。

このシリーズは今日で終了です!


ではまた明日!
「働くあなたを元気にする」プロコーチ、砂村よしお


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