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これは何か分る方は

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これは何か分る方は
殆どの人は、この画像だけを見て
瞬間的に分る人は少ないと思います

むべ (郁子)

果皮は裂果しません
同じ仲間の「あけび」は裂果します

種に付いたジェル状のものの仄かな
甘さが昔は子供たちの喜びでした
#グルメ #バー #レストラン

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KUMA
Commented by KUMA
Posted at 2010-12-11 14:40

宜なる哉・・・・
は、たしかこれが語源と記憶しておりましたが?

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wahootaste
Commented by wahootaste
Posted at 2010-12-12 00:02

カミさんは、この「むべ」から百人一首を思い出した
と議論になりました

確かに文屋康秀の句に
「吹くからに秋の草木のしをるれば
      むべ山風をあらしと
         いふらん」がありましたが
この「むべ」は接続助詞だそうです

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Toshiaki Nomura
Commented by Toshiaki Nomura
Posted at 2010-12-11 17:39

初めて見ましたよ・・・。

カラスウリみたいですね・・・。

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wahootaste
Commented by wahootaste
Posted at 2010-12-12 09:28

多分、Mr.Nomuraの御近所にもあると思いますよ
Mr.KUMAの「宜なる哉・・・・」の説明を

長文ですが(インターネットでの引用)

宜(うべ)なるかな
「もっともなことだなあ。」「いかにもそのとおりだなあ。」
ムベはアケビに似た蔓性の常緑低木で、当地(兵庫県相生市)にはたくさん自生しています。近くの生島(赤穂市)では、異常繁殖して天然記念物の照葉樹林を圧迫しているとして、ボランティアの手で伐採されたりしました。その影響で近隣では、生態系を破壊する「悪役」のイメージが定着しています。

 しかし、ところ変われば何とやら。ムベを由緒ある霊果として「町おこし」のシンボルに据え、駅前や町内に植栽し、果実を皇室に献上するなどの活動をしている地域もあります。下の記事はその町、滋賀県近江八幡市北津田町の取り組みを紹介したものです

むべなるかな 伝説の果実   深井武臣

◇「天智天皇の一言が語源」ムベで街づくり◇   日本経済新聞(2003/12/03)文化面より

 「むべなるかな(いかにももっともなことであるなあ)」

 晩秋、ほのかに甘い赤紫の実のなるアケビ科の低木「ムベ」。この植物の語源が、天智天皇が発せられた一言だったということをご存じだろうか。
 琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っている。蒲生野に狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ健康な老夫婦に出会った。
 「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の霊果であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。賞味した天皇は「むべなるかな」と得心して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた。
 10世紀の法典集に記録
 その時からこの果実をムベと呼ぶようになった。10世紀の法典集「延喜式」31巻には、諸国からの供え物を紹介した「宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)」の段に、近江の国からムベがフナ、マスなど、琵琶湖の魚と一緒に朝廷へ献上されていたという記録が残っている。
 以後、北津田町は朝廷や幕府からの賦役の免除、献上の道中に帯刀するなどの恩典を受けた。献上は1982年まで続いた。天智天皇を祭神とする大津市の近江神宮へも1940年の創祀(そうし)以来、毎年献納を続けている。
 漢字で「郁子」と書くムベは、アケビ科のツル状の常緑性低木で、10月中旬から11月にかけて、鶏卵より少し大きいくらいの赤紫の実をつける。実を割ると緑色の果肉と種がキウイフルーツのようにあり、種を口の中でより分けながら食べる。食感はブドウのようで、強い味はしないがほのかな甘みがある。
 子供のころ、戦後の食糧難の時代に、ムベやアケビ、山モモ、山ブドウなど山で採れる実をおやつがわりにしたものだ。図鑑によると西日本に分布しているというが、滋賀県近辺ではここ北津田町の奥島山以外で広く自生しているという話はあまり聞かない。琵琶湖を通る風の吹き具合や適度な冷気が関係あるのかもしれない。
 町内外に棚や挿し木
 町の大島神社・奥津島神社の宮司の家に生まれた私は、父から天智天皇の話を聞かされて育ったが、若い世代には意外と伝わっていないようだ。市役所に勤めていた時から、このムベを町のシンボルにして、ふるさとに誇りを持ち、かけがえのない景観を守ろうと思っていた。そこで市職員や会社員らが集まってまちづくり委員会を結成、「むべに親しむ郷づくり」を1995年から始めた。私は昨年から2代目の委員長を務めている。
 秋には町内のどこでもムベの実が見られるようにしたい。町内の3カ所と、市の中心部のJR近江八幡駅にブドウ棚のようなムベ棚を作り、挿し木をして育てた。秋になるとムベの実の赤紫、葉の緑、小川の青が鮮やかな対比をなす。ムベ棚の下で遊ぶ子供たちを見るととてもうれしい。

 皇室への献上再開実現
 1878年に明治天皇が北陸に巡幸した折、当時の滋賀県令がムベを献上し「大君にささけしむべは古き代乃(よの)ためしとしたふ民のまこころ」という歌を詠んでいる。私の神社では、この歌を絵馬に刷って、300枚を氏子に配った。歴史への理解を促したかったのだ。
 途絶えていた皇室への献上はどうしても復活したかった。かつては、伝説の老夫婦の親せきといわれ、長い間献上の供御人(くごにん)を担っていた家があった。しかしこの方が町外へ出られたあと、献上が中断していたのだ。
 神社が中心になって県を通じて働きかけ、昨年ようやく献上の許可がおりた。今年も10月末に収穫し、よりすぐった15個を青竹で編んだかごに包み、ヒノキの箱に入れて献上した。町から出ていった人がこの話を聞き、喜んで連絡をくれた。
 ムベをきっかけに自然への関心を高めようと、町の総合的な環境保全にも取り組んでいる。子供のころは夏の夜空に乱舞していたホタルが、高度成長期以降めっきり見られなくなった。郷づくりに歩調を合わせて、全60戸に合併浄化槽を取り付けたところ、昨年あたりからホタルが舞う夜空が戻ってきた。
 子供たちを山へ連れて行き、食べられる果実を教えたり、古墳を案内したりする学習的な事業も考えている。由緒あるムベと豊かな自然を次世代に伝え、子供たちが誇りを持てるふるさとにしたい。(ふかい・たけおみ=大島神社・奥津島神社宮司)

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