《時節・_・襍感⇔“自誓・期待”》 「敬老の日」制定由来は、戦後の昭和22年に遡る(仔細は略)。 地方の「としよりの日」が、国民の祝日「敬老の日」制定につながった。 1963年(昭和38年)に制定された老人福祉法で9月15日が老人の日、 9月15日~21日までが老人週間として翌1964年(昭和39年)から実施された。 今年は、オリンピックの前年、何か因縁を感じる。 而して先日、安倍晋三首相は「第4次安倍再改造内閣」を発足させた。 布陣を見ると憲法改正に向けて並々ならぬ思いがあると、映った。 秋の臨時国会での改憲議論が進展することを祈らずにはおれない。 「長年の悲願である憲法改正を、党一丸となって力強く進めていきたい」 首相は11日の党役員会で憲法改正への思いを語り党四役も改憲を表明した。 9月15日といえば、伝聞では聖徳太子が四天王寺に悲田院を建立した日。 聖徳太子は、「四箇院」(今で言う社会福祉施設)を設立したとある。 聖徳太子は、17条憲法をも表わしている。我が国の思想の原点でもあろうか。 前東京オリンピックで異国の友人と出会って、以来、半世紀を持った。 人との出会いは、人格形成に影響する。又、教育も己の人生を左右する。 ‘60・70年、安保闘争’時代に青春時代を持った者としては感慨深い。 育った環境もまた人格形成に大いに影響するか、と自分の人生を思う。 「法を学ぶ」を糧として人生を歩み来た者として「駐留軍」「自衛隊」、 この二つの語彙、脳裏の奥で、もやもやとつきまとって来た。 庶民として国の安全保障に関わることはないが、生活の背景である。 「自由」「民主主義」とは!?!隣国等を観て自分の環境を思うのだ。 今の日本は、「良き」国になったと。 だが、敗戦国という「自縛」から解放されても然るべきだと思うのだ。 歴史的経緯を真摯にみつめるべきではなかろうか。 天皇制下にある日本、木の文化と共に流れ来た伝統・思想潮流は止まらない。 「サガミオサチラガニ(サカイラ・インペリアル)」 昭和天皇が発見された新種の小さくも神々しい程の蟹に日本国がかぶる。 日本民族的思想の背景にあるものが、「なにか」・・見えてきた。 歴史の検証が、庶民・国民に分かりやすく明かされ而して解説されている。 日本の歴史に則って、日本国の法の根幹をなす「憲法」、見直す時が今。 例えが悪いかもしれないが、カメラの進化に同じ!! 西文明として日本に入って来た「撮影機器」が、今や世界を席捲している。 そんなカメラ界で融合的進化を模索するメーカーが出てきた。 その一端を担う「シグマ」という実にユニークなメーカーがある。 そのシグマが、発表したシステム。温故知新そのものだ。 「令和」時代の幕開けの時、国の在り方も思考して然るべき。 我が人生の伴侶(カメラ)も、面白くなってきた。 「爺」だが、新たな仕様のカメラで謳歌したい。斯様な思いを持った日。 「2019年敬老の日」