《 “悲惨!!・_・復興??”朴訥・/・私心》 2011年(平成23年)3月11日(金)14時46分頃、三陸沖を震源とする大地震が起こった。 「東日本大震災」地震動に伴う津波、後の余震で東日本一帯で甚大な被害をもたらし、 更には、津波に寄る福島第一原子力発電所事故も発生してしまう大惨事に。 あれから9年の歳月を以っても未だ完全復興とまでは言えない現地を見てきた。 大津波に巻き込まれ命をたった後輩の追悼とご遺族を訪ねよう、と仲間が集る。 故人の両親は、年老いたとはいえ、お元気であった(安堵)のが救いだ。 仲間の尽力もあって、海辺の住まいを高台に移し生活しておられる。 マスコミに良く登場する市町村は、復興に値する環境になりつつあると。 だが人里離れたところには、今も爪痕が残っている。そんな所をこの目で見た。 仲間の言を借りれば、縦割り行政そのものとか!! 私有地だが、涵養保安林的場所は荒れっぱなしのままだ。 僕自身は、都合で半日しか見れなかった。が仲間は、山地を調べると、残った。 山間部での弱い線と強い線をドローンを使って調べると張り切っている。 現役は退いたが、専門知識をもったものが、喧々諤々やっていることだろう。 日本の環境を踏まえて、実情を真摯に記録し後世の参考に供せれば。 僕の知り得る半世紀前の記憶のあやふやさ! 記録は大切だ。 * * * * * 今の住まいの環境も日々変化はしているのだが、無自覚に生活している。 散歩の徒然に見る光景にしても、次々と忘れていく。 「東日本大震災」の頃??、里山の整備のために伐採された樹々がある。 周辺は、雑木林として自然植生環境としてひと目に触れることは少ない。 そんな伐採の樹に立派な「サルノコシカケ」見つけて、感慨を新たにした。 被災された環境がより良い環境に整備されることを祈る。 日本は、緑おおき国だ。防災にしても緑の活用を希してやまない。 災害で亡くなられた人々のご冥福を改めてお祈りする。 そして、今ひとつ思うのは、脚光を浴びない小さな寒村に行政は心せよ。 縦割り行政で、一番の弱者に陽を当てるのが遅すぎることだ!?!