《 “プロロードレース風景”(襍・_・囈5)》 “ジ-ロ・ディ・ィタリア(Giro de Italia)”にかぎらないが楽しい光景がある。 “世界最高の自転車ロ-ドレ-ス”一瞬にしか見られない沿道観戦。 場所場所では、面白い光景があるものだ!! 走ってる競技者自身も目を見張ったことだろう。大レースって感じさせる光景。
《 “日本人プロロードレーサー、サポート日本製車(襍・_・囈3+1)》 “ジ-ロ・ディ・ィタリア(Giro de Italia)”も徐々に熱がアップしはじめた。 “世界最高の自転車ロ-ドレ-ス”に相応しい盛り上がりを見せている!! 今年のジ-ロに出場している“新城幸也選手”報道の表には登場していないが、 想像するに地味だがプロの仕事をきっちりとこなしているように感じる。 ロードレースは、ティーム競技。ティームの状態を巧く導く人が必要だ。 走ってる競技者自身が纏める力を持ち、勝負勘・勝負観を持っているリーダー。 今現在の総合成績(マリアローザ)だが、2位に BILBAO Pelloがついている。 個人成績も凄いが、ティ-ム (BAHRAIN – MCLAREN)全体が機能してる証。 其のまとめ役が、新城選手。職人・仕事人に成長した。嬉しい限りだ。 今年のジロ報道を見ていて、スポンサーとしてTOYOTA自動車が名を連ね!! パートナーとして、自転車部品メーカーのシマノの名前があった(当然か)。 そしていま一社YAMAHAの名前があり誇らしい限りだ。 バイク支援だが、前が二輪のスクーター!!観ていてワクワクするね。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 『 時 節 感 』 ロードレースの報を見ながら、日本国内の動向を見聞きしている。 北朝鮮は、相変わらず武力を誇示。拉致問題を如何にするか!?! 安倍前総理の対応を進める兆しを菅総理に感じる。 一見、関係ないように見えるが日本学術会議問題の対応に菅総理の姿勢を見た。 しかし、野党の姿勢を思うとやりきれない。また、“モリカケ”同様の追求か!?! 何の施策をも発信・提案していない団体、良心・良識ある学者・研究者もいるだろうに。 思想的・政治的な発言ばかりが目立つ。日本学術会議内の推薦方法を明示すべきだ。 毅然とした発言・ぶれない姿勢の菅総理に拉致問題解決に向けての対応に期待したい。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
《 “伝統の自転車ロードレース(襍・_・囈 3)》 “世界最大の自転車ロードレース”と呼ばれるツール・ド・フランス。 ツールと肩を並べ“世界最高の自転車ロードレース”と称んでいるレース。 ツール(フランス)のお隣、イタリアで開催されるもう一つの自転車ロードレース。 ジロ・デ・イタリア(Giro de Italia)が10月3日に始まった。 今年は、日本人が一人出場している。ベテランの域にある“新城幸也選手”。 BAHRAIN – MCLAREN ティームメンバーとして、それもエースナンバーで!! この大会に出場するだけでも凄い事なのにエースナンバー、信頼されている証。 今年のジロは、目が離せない。眠れない日々が続きそうだ。 初日の個人タイムトライアルは、今年の世界チャンピオンが区間初優勝した。 平均時速・・58,831 km/hなんて驚きだ。 そんなスプリンター、フィリッポ・ガンナ(イネオス・グレナディアズ)も注目したい。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 『 時 節 感 』 大好きな自転車ロードレース観戦、機会を以って現地で大レース観る事が出来た。 30年以上、古い話。そんな遠い日よりもっと前の事、昨日という日は沈痛・極まる。 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの誕生日が昨日。言葉に失する。 安倍前総理の心中、思うに余りある。菅総理、国民に向かって大キャンペーンを。 ※ ※ ※ ※ ※ ※
《 “伝統の自転車ロードレース(襍・_・囈 2)》 世界最大の自転車ロードレース第107回ツール・ド・フランス。 例年7月に開催されているが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、 8月29日に南仏ニースで開幕~9月20日に巴里で幕を閉じた。 歴史に残るタイムトライアルでのレース、凄絶な戦いでの大逆転劇は凄かった。 筋書きのないドラマ。ラ・プランシュ・デ・ベルフィーユの個人TT決戦だった。 スロベニア出身、タデイ・ポガチャル(UAEチーム・エミレーツ)が総合初優勝。 ポガチャルは、21歳でツール初参加そして9月21日が22歳の誕生日。 年齢的には、ツールドフランス史上で2番めの低年齢総合優勝者に由。 最年少優勝者は1904年のアンリ・コルネで19歳11カ月20日。これは、驚き。 ツール初参加で初優勝は、1983年のローラン・フィニョン(フランス)以来に由。 ポガチャルは、総合優勝・山岳賞・新人賞を受賞、快挙としか言いようがない。 “超人"ツールに登場!!現地で観たかった。 ツールで5勝のエディ・メルクス(ベルギー)は、 1969年のツールで総合優勝した時、ポイント賞と山岳賞も同時に取ったが、 当時は、まだマイヨ・アポワは導入されていなかった。 山岳賞では、ポガチャルは最年少受賞者になった。 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 『 時 節 感 』 先週は猛暑だったが、今日は10度も気温が低いらしい。 先週末から4連休だった。行楽地はかなりの人出だったらしい。 昨日、買い物途中、踏切で小田急のロマンスカー(特急)が通った。 見たところ満席のようだった。一寸、ホットした!?! 楽しみにしていたツール・ド・フランスも幕を下ろした。 今年は、開催が延期されたがこの大レース開催中に発売されるお菓子。 そのお菓子(ホールケーキ)を、”パリ・ブレスト”と言う。 其のことを教えて下さったのは、André Lecomte(アンドレ・ルコント)さん。 1963年、ホテルオークラの招聘で来日。前東京オリンピックで活躍した。 1968年12月、六本木に日本初のフランス人パティシエの菓子店、 フランス菓子専門店「A.ルコント」を開店。1999年 逝去された。 大学生時代、時折訪れたケーキ屋さん。2階のサロン・ド・テを思い出す。 ”パリ・ブレスト”は、ツール・ド・フランス(Tour de France)縁のお菓子。 ツールの前身レース(モデルになったレース)・・・ 1891年にパリとブルターニュ地方の町ブレスト間で、 「パリ・ブレスト・パリ」(PBP)が行われた。 パリ~ブレスト間の往復約1200kmを90時間以内に往復する。 このレースの開催を記念して作られたと言うのが有力な説。 パリの「メゾン・ラフィット」という菓子店の職人、 ルイ・デュラン氏が考案したと伝えられている。 ”Andre Lecomte”さん、彼のエスプリに富んだ会話が懐かしい。 ロードレーサーで訪れた変わり者ゆえ、解説して下さったか!?! リング状に絞ったシュー生地にクレーム・プラリネを挟んだ姿は、 自転車の車輪をイメージしている!?! 上には、アーモンドスライスをたっぷり振りかけて。。。 又、上にアーモンドが無く中にクレーム・シブーストを使ったものは、 パリ・ニースと呼ばれている。 今では中に挟むクリームも色々と変化工夫されているらしい。 イタリアンメレンゲを加えた軽いバタークリームを使ったり、 カスタードを加えたり、シャンティを加えて軽やかにしたり等々。 お店によって、シェフによって、少しずつアレンジされて楽しい。 *パリ・ブレストそしてパリ・ニース共に現役のロードレ-ス* ルコントのパリ・ブレストは、クレームパティシエールにバター、 プラリネ、シャンティー、イタリアンメレンゲも加えたケーキだった。 手間がかかるためか、一般的なお菓子屋さんで余り見かけない。 アンドレ・ルコント氏は、伝統的フランス文化(お菓子等)を示された。 昭和は・・・遠ぉ~くなりにけり!?! パンも少し出しておられた。特にルコントのクロワッサンは、絶品だった。 日本国内で、あれを超えるものを食した事がない。 フランスの街角にある”サロン・ド・テ”僕には「A.ルコント」が最初。 懐かしく思いだすが、チョット淋しい。 “Salon de Thé”なる言葉をブログルのシュクレさんで見つけた。 一度訪ねたいケーキ屋さん。ロードバイクでは一寸遠い。輪行か。。。! ※ ※ ※ ※ ※ ※
《 “伝統の自転車ロードレース(襍・_・囈)》 世界最大の自転車ロードレース第107回ツール・ド・フランスが始まった。 例年7月に開催されているが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で、 8月29日に南仏ニースで開幕。初日は、天候不良で落車が続出で波乱の開幕。 21日間、全長3470kmの長き戦い。今年は、どんなドラマが繰り広げられる!?! 1980年代から90年代に、現地・各所で幾度と無く観戦させてもらった。 平地では、選手の姿など、一瞬しか見れない。だが観客は、7時間も前から待って。 世界中から集まったファンどうしの交流も面白いものがあり、懐かしく思い出す。 最後に観戦した場所は、死の山・モン・ヴァントゥ“Mont Ventoux”と呼ばれている所。 フランス南部、プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏にある独立峰。 標高1912m。「プロヴァンスの巨人」という異名を持つ強風で知られている山。 ツール・ド・フランス2016年大会では山頂フィニッシュが短縮された程の所である。 この山は、珍しい植物も見られる事でも知られる。頂上周辺は非常に気温が低い! それ故か、北欧より北に見える植物、スピッツベルゲン・ムラサキユキノシタもみれる。 昆虫記で有名なファーブルはこの山に生涯30回も登って植物や昆虫を観察している。 だが、有名な伝説が生まれた場所としても記憶に残る霊峰でもある。 標高1912mと、それほどの高い山ではない。上りのきつさもそれほどではない。 それが、一度この山岳に足を踏み入れると、立ち込める霊気に驚くに違いない。 セミ時雨が聞こえるプロバンス地方にあって特異な景観と異様な雰囲気に満ち溢れている。 森林限界でもないのに草木もなく白い瓦礫が白骨のように敷き詰められる光景。 頂上より2kmほど下ったところに1つの墓石があった。 「トム・シンプソン。オリンピックメダリスト、1967ツール・ド・フランス、7月13日、ここに死す」。 かつてレース中に昏睡したイギリス選手が命を落とした故人の記念碑だった。 シンプソンは、1962年のツールではイギリス選手として初めてマイヨジョーヌを着た。 1967年、春先のパリ〜ニースで総合優勝したシンプソンは、ツールのメンバーに選ばれた。 しかし彼を取り巻く環境は、よくなかったと記録にある。英国という国家の威信を背負って。 更には、モンバントゥーに登る前日、次年度契約を更改しない最後通告を受けた!?! 翌日のモンバントゥーは気温40度を超える猛暑に見舞われていた。 諸々のプレシャー故か、体調を崩し、ヘリコプターで搬送された先で息を引き取った。 この山岳地、悲惨な過去の上にあるが、魔物がいると言われるのを実感した。 2000/7/13、ツーの12ステージ、ここで凄絶なレースが繰り広げられた。 そんな場を実際に目にできた事は、最高のことだった(一ファンのことだが)。 感心あったマルコ・パンターニ(Marco Pantani)、「海賊 (il Pirata)」「走る哲学者」、 といった愛称で呼ばれていたイタリア人の山岳スペシャリスト。 当時、イタリアのメディアはパンターニを「ドーピング」問題で責め立てていた。 この過酷なモン・バントゥー第12ステージでのランス・アームストロングとの死闘、 それに勝利はしたが、その後に怪我で最終ステージまで行けず途中棄権した。 その後も彼へのバッシングは続き、2004年2月14日に他界した。 死因や彼を取り巻く周辺、マスコミを含めて今でも何か嫌な空気を感じる。 イタリアの伝説的巨人と讃えられている“マルコ・パンターニ” 精神的に追い込んだのは、報道者。当時の司法関係者にも疑問を持つ。 以後毎年2月14日は、僕にとってはマルコ・パンターニを思い出す日である。 2011年、イタリア統一150周年記念祭が全土で盛大に行われた。 その時、イタリア統一後もっとも影響を与えた人物たちにスポットが当てられた。 イタリア全国紙のコリエーレ・デッラ・セーラや、ラ・レプッブリカなどには、 イタリア統一の父カヴール男爵やイタリア統一を進めたジュゼッペ・ガリバルディ、 そこに並んでパンターニの名前が、記載されている。 伝説のファウスト・コッピとジノ・バルタリ、そしてマルコ・パンターニが加えられた。 モン・バントゥーでの死闘は、パンターニの最高の結果として残るだろう。 ※ ※ ※ ※ 今年もツールは開催され激闘が繰り広げられている。 あのパンターニを思い出すと、偶然かと思うが今の日本の政局も似通っている。 総理の揚げ足だけをとって、報道陣も野党も本質を真摯に追求しない。