《 緑気浴(52)“2020年紅葉・黄葉探し(ロ)❖20-108❖》

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煉瓦のアーチには惚れ惚れする。
雲場池(くもばいけ・通称スワンレイク)脇のレストラン。
観光客は多かったが、静かな佇まい!!
石の教会・内村鑑三記念堂。
堂の全体像は、何処と無く記憶のイメージと異なっていた??
ヒッソリと佇む牧師館。
《“信州・旧18号線沿線”❖2020/11/11❖》
『季節_探訪・・時節感慨』
碓氷第三橋梁は、旧信越本線アプト式時代の廃線を利用した遊歩道(アプトの道)。
アプトの道、全行程をゆっくりと散策してみたら凄さをより体感出来ると思った。
碓氷第三橋梁を観て、来た道を少し戻って碓氷湖(うすいこ)を訪れたが??
碓氷湖、碓氷川に建設された坂本ダムを形成する人造湖(ダム湖)に由。
空腹で散策を早くに切り上げ軽井沢市内に向かったが、街中は混雑していた。
街中を走り廻り雲場池(くもばいけ・通称スワンレイク)脇で駐車。
池畔のレストランで昼食、古き軽井沢を思いながらも早々に遅昼を済ませた。
初めて家族以外と軽井沢に行ったのが高校3年生の時。
その時訪れた、軽井沢高原教会を訪ねることにした。!
旧軽井沢より少し離れた中軽井沢にある軽井沢高原教会。
木立の中に佇むとんがり屋根が特徴的な軽井沢高原教会、
大正10(1921)年に材木小屋での「芸術自由教育講習会」が原点。
キリスト教思想家内村鑑三、詩人北原白秋、小説家島崎藤村等々、
文化人が集い、「遊ぶことも善なり、遊びもまた学びなり」が理念。
それ故に内村鑑三は、この場所を「星野遊学堂」と名づけた。
思想・宗教にとらわれず、心から交流し合える布教の場にした。
第二次世界大戦後、「星野遊学堂」から「軽井沢高原教会」に改名。
「星野遊学堂」の木の看板は、今も建物の正面に掲げられている。
建物自体は何度か改修されているが、地上からの三角形は健在。
現在では、信仰にとらわれない“リゾートウェディング”の場である。
僕は、隣接する「牧師館」の方に興味を覚えた。建物雰囲気ともに。
そして今ひとつ見たかった場所が、石の教会・内村鑑三記念堂。
ホテルブレストンコートに隣接、“リゾートウェディング”の場であった。
訪れた時は、式典の最中で近寄れなかった。
明治・大正期のキリスト教指導者・内村鑑三の顕彰目的の礼拝堂。
地上は礼拝堂、地下が内村鑑三記念堂となっている由。
石とガラスの異なるアーチが重なり合う独特のフォルム。
アメリカ人建築家ケンドリック・ケロッグによって設計された。
石は男性で、ガラスは女性を象徴しているとされる。
竣工 - 1988年。初めてこの地を訪れた時には無かった礼拝堂。
懐古趣味感覚は持たないが、初めて時の此処の環境のほうが好きだ。



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