《 緑気浴(54)“Weihnachten2020"❖20-110❖》

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さかたの種・グリーンセンターからのフランス庭園。
グリーンセンター入り口で出迎えてくれたクリスマスツリー。
フランス庭園を囲むメタセコイア。色づきはいまいち。
公園の大木を使った、ツリークライミング。
懸垂下降の感覚が蘇った。
楽しそうなサンタスタッフ。鷹取山・三つ峠を思い出す。

《“県立相模原公園・クリスマス様(よう)”❖2020/12/06❖》
『季節_探訪・・時節感慨』
ここ数年来、師走に入ると必ず訪れるのが相模原公園。
公園内にある「サカタのタネ・グリーンハウス」のクリスマス飾り。
そして二階から観るフランス庭園とメタセコイアは、見応えがある。
今年のグリーンハウス、クリスマス飾りは、簡素だった。
簡素といえば・・縁あって南独でクリスマスを数十回余り過ごせた。
南独では、12月6日(ニコラウスの日)からがクリスマスが始まる??
12月5日の夜、子供達は靴を綺麗に磨いていた。
また、幼児達は大きな靴下を用意して眠りにつく。
6日の朝、見ると色々なお菓子が、靴や靴下に入れられている。
運び屋さんは、聖ニコラウス(Christkind、「キリストの子」)!!
日本では、サンタクロースだが、南独ではチョット違っていた。
プレゼントを貰えるのは、前1年間に良い子だった子供だけ。
悪い子は石炭を与えられたり、木枝で打たれる予告状が入ってたり!
宗教改革の影響で、クリスマス文化が25日に移ったが、
南独地方では古き伝統的行事が残っている。
聖ニコラウスは、4世紀頃に実在した人物らしい。
ある説ではサンタクロースの起源となった人物なんだとか。
慈悲深い司祭が恵まれない人々を支え続け、人々に慕われていた。
家計に苦しむある3姉妹の様子を知ったニコラウスは、
その家の煙突にお金の入った袋を投げ入れた由。
その袋が暖炉横にあった靴(靴下)に入った。それが習わしの起源。
聖ニコラウスは司祭杖と金色の本を持ち歩き、
その本には子供の一年間の行いが記されていたとされている。
子供の一年間、良い子だったか否か、聖ニコラウスは総てお見通し!
聖ニコラウスはKnecht Ruprecht(クネヒト・ルプレヒト・・付き人)
をお供に悪い子を見つけると、鞭で尻を叩き袋詰にし連れ去った!?!
そんな伝説が語り継がれてるが、クリスマスイブは、家族団らんで。
*     *     *     *     *
日本国内でのクリスマスの歴史を調べると、、意外と古くからあった!!
1552年(天文21年)に周防国山口(現在の山口県山口市)において、
カトリック教会(イエズス会)の宣教師であるコスメ・デ・トーレスらが、
日本人信徒を招き降誕祭ミサを行ったのが、日本で初のクリスマス。
江戸幕府の禁教令によってキリスト教が禁止された。
だが、長崎出島のオランダ商館に出入りするオランダ人たちは、
自分たちでクリスマスを祝うため、オランダの冬至の祭りとして、
「オランダ正月」として開催していた。
この場に幕府の役人、通訳や蘭学者等の日本人も招かれた。
また、長崎に住むオランダ通の日本人達も、真似て祝事をしていた由。
オランダ商館人は、江戸に出向いた折、
江戸の役人は、オランダ正月を真似て料理等でオランダ人達を饗した。
近代では、大正天皇崩御の後、大正天皇祭(12月25日)が設定された。
日本でクリスマス習慣が普及したのは12月25日が休日となった事に寄るらしい。
また、昭和初期の東京都内では多くのカフェや喫茶店がクリスマス料理を出した。
1948年(昭和23年)、大正天皇祭は休日から外されたのだが、、、。
クリスマスは行事として定着し、行事も盛大に行われるようになる。
昭和30年代のクリスマス、生クリームホールケーキで溢れていたと思う。
だが我が家ではバタークリームのブッシュ・ド・ノエルを父が持ち帰っていた。
学部学生の頃は、山・山小屋でクリスマスを過ごすしか脳の無い男の子だった。
懐かしくも学友と離れた年末を過ごしていたことを思い出す。
コロナ禍でも公園で見かけた子供達に元気をもらった。
世界中、日常生活が混乱しきっている。
落ち着けって、己に言い聞かせる日々だ。




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