《襍・/・画 “あづさい'23(7)”  ❖’23-50》

ヒメアジサイ(姫紫陽花) アジサイ科(Hydrangeaceae)
学名:Hydrangea serrata (Thunb. ex Murr.) Ser. forma cuspidata (Thunb.) Nakai
synonym Hydrangea macrophylla (Thunb.) Ser. var. megacarpa Ohwi f. cuspidata (Thunb.) H.Har
泉の森・姫紫陽花系園芸種?? 2023/5/28

《姫紫陽花と自生紫陽花等懐古》
愈々、己の心高鳴る季節になる。額庭に紫陽花が楚々と顔を見せ始めた。
“おたくさ”とも呼称される花だが、辛抱強さと言った花言葉もある。
ことしは、コロナの悪夢から漸くときはなたれた感をもつ。よかった!
孫の成長を見て思う事は、6月と言えば、我が子達のお囃子・太鼓の練習。
夕飯を済ませ練習場の地蔵堂に行き遊びながらおじちゃんお爺さんにならった。
交代の合間に近くの田んぼ脇小川に蛍を見に行った。
蒸し暑い日によく飛ぶ。最初は、源氏蛍、二週間後に平家蛍が舞い始める。
子供達は、楽しそうにお菓子を食べたり老人達に行儀を習った。
鎌倉の海岸近くの極楽寺・地蔵堂。素朴で静かな環境であったが、今や観光地。
時代の流れを想う。近くの成就院前の紫陽花群が移植されなくなった事は寂しい。
他方、鎌倉市内ではそこら中の社寺で紫陽花が見られる。流行りか!?!
かつて見られた三浦半島での自生紫陽花が減少してるのを復興させたい。
紫陽花ブルーと呼ばれる、北鎌倉明月院の姫紫陽花、今や自生種みたいだ。
§     §     §     §     §
ヒメアジサイ(姫紫陽花);
エゾアジサイとホンアジサイの交雑種ではないかとも言われてるが仔細はわからない。
北鎌倉の名月院や千葉の本土寺の青色アジサイが代表的な推定姫紫陽花とされている。
葉面に光沢がなく、花球はアジサイより小さい。
昭和初期、牧野富太郎博士が植物の採集旅行で信越地方で見つけた新種紫陽花。
ホンアジサイに比べ小振り。その優美な姿から「ヒメアジサイ」と名付ける。
ホンアジサイとエゾアジサイの交雑種であると考えられている。
手鞠形の澄んだ青い花、その花房は5個に分かれ凸凹した形状になることが多い。
未だ自生地は、確認されていない。ある種”幻”の紫陽花でもあろう。
さし木は、1年間は鉢で育てる。その後、地植えで4~5年で移植可能。
葉に光沢が無く、質が薄く、花がやや早咲きといった特徴もある。
樹高は2m前後。葉の形状は卵形もしくは広楕円形で、対生する。
葉質は、幾分薄く、葉の縁には整った鋸歯があり、先端は鋭頭となる。
6月頃、ほぼ球状で青色装飾花と両性花の混じった花序をつける。
姫紫陽花は、明治12年(1879)にイギリスに渡った由。
英国人、チャールズ・マリーズ(Charles Maries)が持ち帰った。
独特な青色であるが、ヨーロッパ各地ではアルカリ性土壌地が多い。
その為に赤色に開花する事で西欧では姫紫陽花を「ロゼア」と呼ぶ。
その後、西洋アジサイの育種親として多用されこんにちに至っている。
又、単に小形のアジサイを「ヒメアジサイ」と呼ぶことがあることから、
区別し「マキノヒメアジサイ(牧野姫紫陽花)」と呼ぶことがある。
§     §     §     §     §
半世紀ほど前の鎌倉で紫陽花と言えば北鎌倉の明月院、極楽寺坂成就院、
名越切通・お猿畑あたり(今のハイランド周辺)が地元で知られた場所。
今の鎌倉の寺社各所は競って紫陽花を植栽してるが、私的には???
土地開発で在来種のガクアジサイが消えた。鎌倉にも自生していたのである。
園芸種・人気種を植栽するなら、原種のガクアジサイをもっと植栽して欲しい。
野山で野草を見せてくれた両親、自然保護を教えてくださった宮脇 昭博士。
昭和は遠くなったが、昭和の記録はしっかりと記録して置くべきだ。
余談だが、鎌倉の貴重な花に“ユキヨモギ”がある。
行政や植物研究者は、この半世紀もの間・・何をやって来たか??
観光都市であってはいけない、って思う昭和人。
子供の頃、鎌倉駅から亀ヶ谷を通って長寿寺に出て北鎌倉駅方面へ。
ちょっと下った右手の山間に伊東深水画伯の家があった。
家脇を通り山に入ると明月院本堂裏に通じていた(今は通行不可)。
幼児から少年期の紫陽花見物は、いつもこの道でいった。
小学4年生の時、夕方に父親を北鎌倉駅で待ち合わせ、一緒に紫陽花見物に。
紫陽花を見て、夕飯を駅近くで済ませ蛍を見に行った。
明月院から今泉台方向に庚申塚あり脇の小川で源氏ホタルが見れた。
鎌倉には今でも蛍が生息してる場所がある。後世に残してほしい。
 

令和伍年(皇紀2683年)6月1日、記」

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《襍・/・画 小さな“春”(13) ❖’23-49》

ムサシアブミ(武蔵鐙) サトイモ科 (Araceae)
学名:Arisaema ringens (Thunb.) Schott、 在来種;本州(関東地方以西)


イチヤクソウ(一薬草) ツツジ科(Ericaceae)
学名:Pyrola japonica Klenze ex Alefeld
イチヤクソウの満開期に訪れられなかった。今年は増えたのだろうか??


ハンショウヅル(半鐘蔓) キンポウゲ科(Ranunculaceae)
学名:Clematis japonica


ハナイカダ(花筏) ハナイカダ科(Helwingiaceae)
学名:Helwingia japonica
別名:ママッコ、ヨメノナミダ


ハナウド(花独活)     セリ科(Apiaceae)
学名:Heracleum nipponicumu kitagawa
Heracleum sphondylium L. var. nipponicum (Kitag.) H.Ohba
《“泉の森“今” ❖2023/5/28❖》
春先に見た黄色い花々が終わり、野草仲間もちょっと休憩。森の中は、緑一色。
草木の葉が自己主張し始め、森林浴一杯の感が強い。眼や指を休めるのにちょうど良い。
4月に顔を見せるムサシアブミがまだ健気に姿を見せているのには驚いた!!
§       §       §
ムサシアブミ(武蔵鐙);
横から見ると馬具のアブミ(鐙)のつま先囲い部分に似ているのが和名由来。
アブミに似た部分名を正式には、仏炎苞と呼ぶ。草丈は、30cm前後。
葉は2枚、小葉は3枚。小葉幅は広く、長さ20㎝前後。葉柄は高さ20cm前後。
葉柄の間から葉よりやや低い花茎をだし、仏炎苞に包まれた肉穂花序をつける。
仏炎苞は、暗紫色か緑色と変化があり白い筋がある。筒部は長さ5cm前後。
口辺部は耳状に張り出し舷部は袋状に巻き込む。花序の付属体は白い棒状。
仏縁苞中に肉垂花序があるが、苞が縁両側横に張り出すので肉垂花序は見えない。
肉穂花序(にくすいかじょ:多肉な花軸の周囲に柄のない花が多数密生する)、
仏炎苞(ぶつえんほう)共々難しい名称だ。
「仏炎苞」とは、形が仏像の背後にある仏炎に似ているためだとか。
現代では、武蔵の国と言ってもピンと来ない。
おまけに「武蔵国」関東地方では、ムサシアブミは余り見かけなくなった。
この泉の森では、最近、見かけるようになった。
花の姿は、運よく先般見る機会を持てた。
開花~花後、時間がたっているのだろう。羽毛状の花柱が見えた。
 
ハナイカダ(花筏);
葉の真ん中に花が咲く。若葉をテンプラ等で食べる。結構いける。
雌雄別株で直径5㎜位の淡緑色の花を中央付近の葉の主脈上につける。
花から葉身の基部までの葉の主脈が太く、花柄が葉脈と合着したもの。
雌花は1個、雄花は数個、花弁は3~4枚。今年は、花を見れなかった。
 
ハナウド(花独活) ;
茎は直立し太くて中空、まばらに長毛が生える。
葉は3出複葉~羽状複葉。小葉は浅裂し、先が尖り、鋸歯がある。
葉面にも柔らかい毛が生え、葉柄の基部は大きな鞘になる。
茎頂の大きく広がった花序(白花)を多数つけ、花序の柄は20~30本。
花は内側より外側の花弁の方が大きく外側花弁が最大で先が2深裂(特徴)。
花後の果実は倒卵形、2個の平たい分果が合わさっている。
背隆起線は糸状で目立たず、両側は翼状に広がっている。

令和伍年(皇紀2683年)5月30日、記」  

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《襍・/・画 “あづさい'23(6)”  ❖’23-48》

《“あぢさゐ鑑賞・我が家の紫陽花 ❖2023/5/28❖》

日本固有の原種「萼紫陽花」、それが環境等の影響で数が減っている。

自生(野性的)地が年々変わっている。我が家のは、自生ではない。

がしかし流行り的に植栽したのでもない。

この先いかように変わっていくのか見たいのである。

成長の過程は、微妙に変わっていく。ドキドキと毎日が楽しみだ。
令和伍年(皇紀2683年)5月28日、記」

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《襍・/・画 “あづさい'23(5)”  ❖’23-47》

'23/5/25 開花準備の途って、微妙な違いを見せる。
ひとり悦にいってる。


野放図な花壇、紫陽花脇を切り取って撮ってみる。
ドクダミ等蔓性野草もいいものだ(26日朝撮)。
《自庭の紫陽花観察(5)'23/5/25》
リモート的に異国人と一晩中画像を見ながら語れる。
便利になったものだ。アマチュア無線での交信が懐かしい。
集まりに出向かなく済む。半面、何時でも連絡できるので困る。
此の所、雑用交信で大変。楽しくもあるが時差で!?!ねむい。
だが趣味って恐ろしい。観察してるとねむけも吹っ飛ぶ。

令和伍年(皇紀2683年)5月26日、記」

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《襍・/・画 “あづさい'23(3+1)”  ❖’23-46》

以上3画像、2023/5/13の紫陽花姿。


以上3画像、2023/5/16の紫陽花姿。



以上、5画像 2023/5/22


《自庭の紫陽花観察(3+1)23/4/~5/》

1/30に数株の地植え紫陽花の新芽を観た。順調に成長。
花芽からいよいよ輪形が現れて紫陽花らしくなってくる。
我が家の紫陽花は、近所の紫陽花に比べ生育が遅い。
大輪を咲かす里紫陽花(自然交配種??)、山紫陽花系、
葉芽から花芽が出てきて膨れてはっきりと識別できるように。
葉形や色がそれぞれ自己主張し、魅せ始めている。

令和伍年(皇紀2683年)5月22日、記」

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《襍・/・画 小さな“春”(12) ❖’23-45》

ラショウモンカズラ(羅生門蔓) シソ科(Lamiaceae)
学名:Meehania urticifolia



2015年5月23日撮影。昼寝 バニュー。
今年のドクダミ開花は、5月10日頃。
《 時節・_・襍囈⇔私的"幻”の植物(2)+α!?!》
ラショウモンカズラ(羅生門蔓);
八ヶ岳連峰の最北に位置する蓼科山。昔、四季折々、その連峰周辺を歩いたものだ。
八ヶ岳連峰には、希少な高山植物が幾種類も自生しているが、麓にも野草は多い。
首都圏では土地開発等であまり見掛けなくなった植物に羅生門蔓がある。
本州、四国及び九州に分布、と広範囲で見られるシソ科の多年草。
初めて見たのは、蓼科山麓の湿気のある林縁であった。5月下旬のことだった。
鮮やかな青紫色で、古名を瑠璃蝶草(るりちょうそう)というに相応しい花姿。
花の基部は筒状で、筋肉質の腕を曲げたように見える。
これを平安時代の武将「渡辺綱(わたなべのつな)」によって切り殺された、
羅生門(羅城門)に住む鬼女の腕に見立てたのが名前の由来。
カズラは「ツル性植物」を意味する。
開花までは茎が直立するが、花後は地を這い茎が横に伸びる「半つる性」性質。
花は、4~5cmの唇形、葉脇から伸びた花茎に2~4輪が纏まって階段状に咲く。
上唇部分は二つ、下唇部分は三つに裂け、下唇の中央はさらに二つに裂ける。
白地に濃い紫の斑点模様と長い白毛がある。その姿は、美しい。
葉は、三角状で茎から対になっている。上部の葉には柄がほとんどない。
茎を抱くように生じる葉。下部の葉には長い柄がある。
全体に白い軟毛を生じて柔らかく、さわやかな芳香がいい。
蓼科山周辺には、羅生門蔓の群落あった。今は、如何なっているだろうか??
§    §    §    §    §
五月十八日は、特段・・・感慨深い日。
我が家族に最大の癒しを与えてくれた、愛猫が天に召された日。
猫アレルギーあった妻をも虜にした男の猫子(三男と言っていた)。
16年もの間、我々夫婦を見守り、介護??してくれて^^)。
台風が接近してる天候の昼下がり突然、我が家にやって来た。
平塚・馬入川(相模川)河口橋の袂で踞っていた赤ちゃん猫。
それを見た長男・・「連れ帰るしかないっしょ」、と連れ帰った。
掌大の可愛い赤ちゃん猫、タオルに包まって次男の膝で怯えていた。
足の肉球が火傷状態、暑い道路か砂浜をさ迷っていたのだろうか?
家族会議^^)で同居決定、馬入川をもじって「バニュー」と命名。
色々と思い出を作ってくれた子だった。16年余り健気に寄り添ってくれた。
2017年5月18日午前4時5分永眠。漸くブログに書けるようになった。
バニューは、晩年、庭の野草の中でよく昼寝していた。気持ちよさそう!!

「令和伍年(皇紀2683年)5月18日、記」 

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《懐・/・古 “Smith CORONA” ❖’23-44❖》

1934年製、スミス・コロナ社製 タイプライター。
《大学生(学部)時代の思い出???》
我が学生時代、’70年代前後は・・安保闘争真っ只中で社会全体が混沌と。!
学部の4年生頃は、大学自体が封鎖され自宅待機。やりきれない日々だった。
そろそろ卒論を完成させないと、焦っていた頃。図書館も立ち入り禁止。
提出卒論(清書)は、原稿用紙で綴った。読みやすかったからか???
我々の原稿用紙は、1頁200字詰め横書きで一般的な縦書き用紙と異なっていた。
卒論には、レジメ(要約)を英文でしたいと原稿は準備したのだが。。。?
学んでいた原点・原書は、独語。ドイツの法律論(民事訴訟法)ゆえ独文にした。
当時、typewriterは、英文用がほとんどで一般的に独文用はほとんどなかった。
手書きでは綺麗に書けないのでどうしても活字にしたい。
当時は、今のようにPCとかワープロなんて未だなかった時代。
英文用・日本語用が一般的で独文用を探すのに苦労したものだ。
タイプライターと言えども高価。英文用は、自宅にあったが、
独文用は、父親の仕事場にはあったようだが、頼むに躊躇する。
何か中古のものを、と探していたら携帯用??のものを見つけた。
かなり使い込まれたものだったが、何とか使えた!!
可愛い機械??孫たちに使わせてあげたい。
綺麗に印字するには、指の力加減が必要だがそれ又楽しい。
今のPC等での印刷は、実に綺麗にプリントされる。
でも、なんでもかんでも簡単にできるのもいかがなものか??って思う。
製造されたのが1934年製、Smith CORONA。納戸から引っ張り出した。
 
「令和伍年(皇紀2683年)5月16日、記」 

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《襍・/・画 小さな“春”(11) ❖’23-43》

《愛鳥の日 “バードウィーク!!” 5/10》
1947年4月10日、この日をバード・デーとして日本鳥類保護連盟が催しを持った。
国民に野鳥保護と愛鳥思想を広めたい、が目的であった由。
そもそもバードデー(愛鳥の日)とは、米国が起源。
1894年、米合衆国のペンシルバニア州オイル市の教育長、
バブコック(Charles A Babcock)が5月4日を「バードデー」として制定した。
制定経緯は、存ぜぬ。が米国の影響が色濃い時代、日本での導入は理解できる所。
バード・デーが4/10とされた当時だが、北国ではまだ積雪がある時期だ。
野鳥が活発になり始め時期に野鳥を取り巻く環境保全環境(自然保護)を考える。
そんな理念を啓蒙する記念日としては相応しくない、と変更が検討された。
結果、1950(昭和25)年から愛鳥週間(バードウィーク)に変更された。
5月10日~5月16日。その初日を“愛鳥の日”と呼んでいる。
日本の「愛鳥の日」は、米国人鳥類学者、オリバーL.オースチン(Oliver L. Austin)が提唱した。
§     §     §     §     §
バードウイークの初日(愛鳥の日)、我が家周辺でも小鳥が色々と飛び交っている。
近間の泉の森でもバードウォッチャーであふれていることだろう。
雑用処理でPCとにらめっこしていても電話線に止まっている小鳥が見える。
突然、急降下し庭で餌を見つけつついている姿は、可愛いものだ。
何の鳥だろう??よく見ると”ムクドリ”か??この鳥の話には思い出がある。
ドイツ自然保護の発祥の地、ボン近郊のジーベンゲビルゲ(七つの岩)で、
モーツアルトとペットのツグミの逸話を面白可笑しく聞いた。
日本でも聞く迷惑な鳥と言われるが、人の声や音楽をマネする能力があると!!
モーツアルトの飼っていたムクドリは、ピアノ協奏曲17番大楽章の主題を口ずさんだ由。
1784年5月27日の支出簿に、34クロイツァーでムクドリを購入した記録があるとか。
色々な逸話があると教えていただいたことを思い出した。
ドイツやウィーンのムクドリは、今目の前に見える鳥と違って見える。
調べてみたら、種類が違うようだ。目の前の鳥は、嘴が黄色い。
西欧で見えるムクドリは、暗い茶褐色の体に星状の斑点が広がり嘴は黒っぽい。
西欧のホシムクドリは国際自然保護連合の「世界の侵略的外来種ワースト100」。
つまりは、ムクドリは世界的に好まらざる鳥と言うことか??
§     §     §     §     §
鳥の鳴き声を騒音と言う。子供の遊び声も騒音と言う。
これらの事を聞くと??? 子供の声・赤子の鳴き声を”煩い・うるさい”ってか。
不快と言う大人に、、、あなた子供の時に泣き叫んだことないのか、と言いたい。
現代社会では「我儘」「身勝手」なのは人間が一番ひどいと感じるが、偏見か?

「令和伍年(皇紀2683年)5月11日、記」 

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《襍・/・画 小さな“春”(10) ❖’23-42》

ドクダミ(毒矯み、毒痛み) ドクダミ科(Saururaceae)
学名:Houttuynia cordata
別名:十薬(ジュウヤク)

電蓄と呼ばれた画像のような装置。大正時代から昭和初期のもの。
そんな100年も前の頃、ドクダミは6月に咲いたと資料にあった。
50年ほど前では、6月初めころに咲いていたと記憶する。
懐かしくも遠い昔、と感じる。。。!


 
《“観察の花・・庭の十薬花!!”》

特段、珍しくもないドクダミ(毒矯み、毒痛み)が、今年も花を見せた。
ゴールデンウイークが終わる頃、地震や雨で各地は大荒れ状態。
被害を被った方々にお見舞い申し上げます。
我が地辺りは、何事もなく今朝は晴天。紫陽花を観察しようと庭へ。
紫陽花の根本周りに、楚々とドクダミが花を見せ始めている。
毒と名付いてること、臭い的にも毛嫌いされる野草だが、、、。
本来は解毒・痛み止め薬を意味し、薬効が10種もあることから十薬。
毒矯みは、乾燥させると臭いは消え、ドクダミ茶となる。
心形で鋭尖頭の葉。茎頂に近い葉脇に花をつけ穂状の花序をつける。
花弁のように見えるのは苞葉(ホウヨウ)、または総苞(ソウホウ)片と称する。
本当の花は、苞葉上にのっている筒状の花穂に咲く小さな淡黄色の突起部分。
この黄色い花は、 トウダイグサ等と同じで「無花被花」と呼ばれ、花弁や萼が無い。
淡黄色の突起に雄蕊と雌蕊がある。この花を見ると梅雨まじかと感じるが。。。?
まだ、5月上旬。花の開花時期が早くなっている。歳を重ねている、と痛感。

「令和伍年(皇紀2683年)5月9日、記」 

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《襍・/・画 小さな“春”(9) ❖’23-41》

センダイタイゲキ(仙台大戟) トウダイグサ科(Euphorbiaceae)  
  学名:Euphorbia sendaica



フタバチャルメルソウ(双葉哨吶草) ユキノシタ科(Saxifragaceae)    
学名:Mitella DIPHYLLA
 (筑波大・実験植物園温室・・自生地を知らない。)



坂村真民(さかむら しんみん)・・仏教詩人の詩。一遍に共感した癒やしの詩人。
画像は、臨済宗の円覚寺境内にある。
此の節、舎利殿が一般公開されている。こけら葺きではなく茅葺を知るものも少なくなった。
昭和は、遠くなりにけりだ。

《時節・_・襍囈⇔私的"幻”の植物》
例年、連休の一日は、必ず泉の森へ散歩に出掛けている。
目的は、イチヤクソウとサイハイランの生育状態観察だ。
どちらも健気な姿を見せていた。
サイハイランの株は、飛び地的に広がっていた。

他方、この森の特徴に二級河川の原点がある。
森の中に引地川の源泉、大池と小池がある。
水源地は、神奈川県水道局の管理で立ち入り禁止区域。
それ故、この池周りは金網で囲われ、池の縁には入れない。
一般人からすると、神秘的で探索したい場所である。
そんな池の縁に最近希少植物が生育してるのが確認された。
植物に関心を持つ者からすると調査を公表してほしいのだが!?!
長い間、閉鎖的環境で育った植物、この季節に花が咲く。
センダイタイゲキ(仙台大戟・トウダイグサ科トウダイグサ属。)
学名:Euphorbia sendaica 日本固有種。環境省準絶滅危惧種。
泉の森水源地のセンダイタイゲキは、野生生育地の南限に由。
自生の花姿を見たい、而して記録データをも公表して頂きたいものだ。

又、私的感心ある植物でこの季節に咲く野草がもう一種類ある。
フタバチャルメルソウ、ユキノシタ科チャルメルソウ属の多年草。
草丈は20~50cmになる。雪の結晶のような花がなんとも可憐である。

未知の野草、いずこかで野生化してはいまいか。
植物・・自然はある日、突然に目の前に出現する可能性がある。
散歩での楽しみの一つである。イチヤクソウにして然り。
 
「令和伍年(皇紀2683年)5月7日、記」  

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《襍・/・画 小さな“春”(8) ❖’23-40》

以前、田沢湖畔で鯉のぼり群を仰いだことがあった!!
泉の森・民家園の風景!!
左側に見えるのは、水車小屋でそこから流れる小川、引地川の源泉にあたる。
ハナウド(花独活) セリ科(Apiaceae)
学名:Heracleum sphondylium L. var. nipponicum (Kitag.) H.Ohba
Heracleum nipponicum Kitag.
子どもの日に出会えた花。
《時節・_・襍囈⇔子どもの日 泉の森2023/5/5》
端午の節供・・「柱のきずは一昨年の五月五日の背くらべ」
子供の頃に聞いた童謡?? 今でも子供達は、聞くのだろうか?
 旧暦(陰暦・・)五月五日は端午の節供。
三月三日の桃の節供が女の子の節供、対して男の子の節供を言う。
 端午は「月の初めの五日」と言うこと(更に古くは月初めの「午」の日)。
日本における端午の節供の記録は、日本書紀にまで遡る。
推古十九年(611年)五月五日に「薬猟りす」と言う記述が有る。
ここでいう「薬」とは鹿の若角の事。鹿の若角を採るのは、男性の仕事。
 一方の女性は、野原で薬草を摘むのが常であった由。
この行事の合間に「あかねさす紫野行き標野行き・・・」
等という有名な相聞歌のやりとりも行われていた。
ここで摘まれる薬草の中には、菖蒲や蓬も入っていたと思われる。
 宮中行事として行われた端午の節供の薬猟りであった。
それが時代が下るに従って、貴族社会の行事が、武家や庶民まで広がった。
 日本には古くから五月を「悪月」などと呼び、物忌みする事も有った。
これを「さつき忌み」と言う。
菖蒲と蓬で屋根を葺いた「女の家」と呼ぶ小屋を造り女性達が忌みごもりした。
 これは、田植えが始まる前に身を清め豊作を祈った儀式であったか??
田植えの主役は女性で「実りを生み出す」。
田植え作業を「子を産む」性である女性でなければならないと言う発想もあった由。
元々は端午の節供も女性のための節供だったようだ。
その名残か、五月五日の「こどもの日」の趣旨に見える。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」。
 元々、女性のための節供だった端午の節供が「男の子の節供」に変化したのは??
武家社会の発達のためだったようだ。
端午の節供の植物、「菖蒲(しょうぶ)」が「尚武(しょうぶ)」に通じる。
端午の節供を想うと公家の儀式が、武家に広まり一般化した。
*     *     *    *    *
今年は、わたくし事で、自宅等でPCとにらめっこの日々。
ちょっと息抜きに近間の泉の森へ。移築された古民家には、五月人形が。
甲冑飾り(鎧飾り・兜飾り)や武者人形(子供大将人形・童子人形)が飾られていた。
外には、鯉のぼりが・・・最近屋外(自宅庭)に鯉のぼりを観なくなった。
都市部の一軒家では、広さの問題もあって見かけなくなった。
鯉のぼりを飾るポールの高部先端には、避雷針をつけたものだ。
泉の森民家園の鯉のぼりは、古いもので色あせていたが素朴であった。
コロナ禍もおさまり、森の中は子供たちの歓声にあふれていた。
 
「令和伍年(皇紀2683年)5月5日、記」

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《凡・/・声 小さくも“大きな思い”!?! ❖’23-39》

《時節・_・襍囈⇔憲法記念日に思う》
過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果をみよ
未来の果を知らんと欲でば、其の現在の因を見よ
反観合一・・・に然り。

1945年(昭和20年)8月6日、広島市に核兵器・原爆が投下され56万余人が被爆した。
続く8月9日には、長崎市にも原爆が投下され一瞬にして甚大な被災が出た。
被災地、悲惨な出来事が真実の歴史だが、戦争とは悲惨なことは今でも見られる。
「核抑止」という表現、背景での原爆被爆者・被災地が利用されていまいか??
思想信条は、自由だ。しかし武力の大小を問わず「虐殺」は許されるはずはない。
その上で原爆の犠牲者のみならず戦没者すべての御霊に謹んで哀悼の意を捧げます。

今の我が国の安全保障環境は、如何に。近日の隣接国に大いなる疑義を持つ。
「核抑止」を隠れ蓑に軍備拡大している隣国に矛盾を感じ、如何に対応すべきか。
今回の広島サミットでは日本の現況・主張を世界に発信してほしく思って止まない。 

自国民を守るための施策、先ずは「法」に基づくしかないと、と確信、断言したい。
現行日本国憲法、、、今の時代に不備・不適合な部分が在ることは当然の理!?!
70年の歳月を以って、不備が出てきて当然ではあるまいか??
真摯な議論の上での判断。国民も参加し、より良い憲法を模索すべきではあるまいか。
付け足しを重ねてきた現行法。根本から是正する時期に来ていると思うのだ。
民主主義とは、単に多数決の論理ではない。少数意見に配慮を!!と申したい。
充分すぎる検討、そして議論を重ねた上での票決なら納得出来る。
何も議論せず時を重ねている現国会。真に国民の代弁者であるとは思えない。
憲法審査会という国会議論の場で大いに精査・検討して頂きたい。
わたくし的には、聖徳太子の「十七条憲法」を再考すべきだと思うのである。
夏四月の丙寅の朔戊辰に、皇太子、みづからはじめて憲しき法十七条作りき。
推古天皇十二(604)年4月3日、聖徳太子は自ら初めて十七条からなる厳然たる法を作った。
一にいはく、
和らかなるをもつて貴しとなし、忤ふることなきを宗となす。人みな党あり、また達れるひと少し。
ここをもつてあるいは君・父に順はず、また隣里に違へり。
しかれども上和らぎ下睦びて、事を論ふに諧ふときは、すなはち事理おのづからに通ふ、なにの事か成らざらん。
現代語に訳してみれば;
和をなによりも大事にし、いさかいを起さぬよう心掛けよ。
人は徒党を組みたがり、道理をわきまえる者は少い。
故に、君主や父親に従わず、近隣の者たちと仲違いをする。
しかし、上下の者が協調の気持ちをもって話し合うことができるならば、
自ずからものごとの道理にかない、何事も成就しないことはない。
まったくもって、法の根幹・理念ではないだろうか??
二にいはく、以下は略。
「和を以って貴しとなす」、この聖徳太子の言葉は、日本文化の「基」日本憲法の前文に相応しい。
『日本書紀』にある「以和為貴」は、聖徳太子が制定した日本最初の成文法の最初の言葉。
仏教伝来と日本的神道との対立が抗争に至ることを危惧した聖徳太子の施策「和を以って貴しとなす」。
支配原理でなく「寛容」の精神をまず説いたのは、国家基本法の条文として世界史的には珍しい。
現日本国憲法の前文には、
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。
だが隣国は、急速に軍備を拡大し海洋進出を図る。日本の安全と生存を保持してくれるのか??
近隣諸国の「公正と信義に信頼して」との文言をいかように定義すればよろしいか??
現行憲法の平和主義を良しとしても、日本古来よりの自主的平和主義に改めるべきだ。
日本の伝統に即した新しい憲法、和を尊ぶ国、古代からの伝統的理念を世界に宣言すべきだ。
今年の憲法記念日、愈々以て憲法改正が現実味を帯びてきた。真摯に見守りたい。
 
「令和伍年(皇紀2683年)5月3日、記」

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《襍・/・画 小さな“春”(7) ❖’23-38》

泉の森・・森の林床にも春が来たことを感じさせる。手前のサイハイランも開きかけている。
サイハイラン(采配蘭) ラン科(Orchidaceae)
学名:Cremastra appendiculata var. variabilis


シロツメグサ(白詰草) マメ科(Fabaceae)    
学名:Trifolium repens L
別名: クローバー, オランダゲンゲ
 


イチヤクソウ(一薬草) ツツジ科(Ericaceae)
学名:Pyrola japonica Klenze ex Alefeld
イチヤクソウの葉は、どことなく亀甲模様に映る。



 


オオアマナ(大甘菜) キジカクシ科(Asparagaceae)
学名:Ornithogalum umbellatum L.


シャガ(射干) アヤメ科(Iridaceae)    
学名:Iris japonica
別名:著莪


オドリコソウ(踊り子草) シソ科(Lamiaceae)    
学名:Lamium album L. var. barbatum (Sieb. et Zucc.) Franch. et Savat.


《時節・_・襍華⇔野草&形(6)泉の森2023/4/29》
 
サイハイラン(采配蘭);
山林内の林床に地味に咲く花。葉は、1〜2枚。基部は、葉柄となる。
花茎は、直立して高さ4・50cm、太さ3〜5mm、数個の鞘状葉。
花は、偏側性の花序、淡緑褐色で紅紫色を帯び下垂で弁は余り開かない。
 
シロツメグサ;
江戸時代にオランダからガラス器が入って来た時の緩衝材に使われていた草。
茎は地を這い、節から根を出して広がる。葉は、3出複葉、両面とも無毛で長柄がある。
托葉は葉に合着、小葉には白い班紋、鋸歯がある。
球形の総状花序が頂生し、花柄は葉柄より長い。花は20~50)個つき、筒状の蝶形花。
萼筒の先は5裂し裂片は先が鋭く裂片より萼筒が長い。萼裂片の基部に赤い班紋が出る。花が淡紅色はモモイロツメクサ。ムラサキツメクサは、淡紅色、葉に軟毛があり花柄が短い。
 
イチヤクソウ(一薬草) ツツジ科(Ericaceae)
学名:Pyrola japonica Klenze ex Alefeld 
 
オオアマナ(大甘菜);
【神奈川県植物誌(2018)の解説】
多年草、高さ15~30㎝。地下に多数の小鱗茎をつけ、増える。
葉は線形、幅2~6㎜。花序は散房花序、花が6~10個つく。
花は白色、直径約4㎝。花被片は6個、長さ12~22㎜。
蒴果は6稜があり、長さ約2㎝。花期は4~5月。
神奈川県植物誌88ではOrnithogalum umbellatumとしていた。
 
シャガ(射干);
最近は、園芸的にごく普通に植栽されている。
葉は、暗緑色~黄緑色。有花茎は直立し、上部で短く、細く分岐する。
花は、帯淡青色~淡白紫色の花色。花は、朝開いて夕方にしぼむ。
外花被片のふちは細かく切れこみ、中央部に橙黄色の斑点ととさか状の突起がある。、そのまわりに淡紫色の斑点がある。内花被片はやや細く、先は浅く2裂する。
花柱の裂片の先は2裂し、さらに細かく裂け、花弁のように見える。
 
オドリコソウ(踊り子草) シソ科(Lamiaceae)    
学名:Lamium album L. var. barbatum (Sieb. et Zucc.) Franch. et Savat.
和名は葉の間から出る花が、笠をかぶった踊り子に似ていることに由来。
漢方薬として利用され、野芝麻(やしま)と呼ばれ乾燥した根が利用される。
茎は、4稜形で中空。紫褐色を帯び葉表に白毛がある。若芽は、食用。
茎はやわらかく、節に長い毛がある。葉は対生、卵状三角形〜広卵形で先端はとがる。縁に荒い鋸歯があり網目状の脈が目立ち上部の葉腋に白色〜淡紅紫色の唇形花が輪生。花冠は、上唇はかぶと状で下唇は3裂。側裂片は小さく中央裂片は前に突き出し、浅く2裂する。
 
愈々春到来。。。!
 
「令和伍年(皇紀2683年)5月1日、記」 


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