高倉健の「唐獅子牡丹」「網走番外地」「昭和残侠伝」、藤純子の「緋牡丹お竜」などなど、当時のヤクザは本当にカッコよかった。
この頃の映画館は大抵が2本立てで、入れ替え制などなかったから、少なくとも2回は観て、存分にヤクザの世界を堪能し、映画館を出ることにはすっかりヤクザ気分で「義理と人情を秤にかけりゃ~義理が重たい男の世界♪」と口ずさみながら、肩をいからせてながら夕闇せまる街を闊歩したものでした。
義理と人情の狭間の世界に生き、ここぞと言うときには、涙を飲んで人情を捨て、義理を果たす、そして、カタギの人には決して迷惑を掛けない、これが本物のヤクザと思っていましたから、当時の若者は、これをカッコよい生き方と捉え、熱狂したのです。
風呂屋(銭湯)に行けば、立派な入れ墨をした人がゴロゴロしていた時代ですから、ヤクザは身近な存在で、カッコよく、怖いが、カタギの人には決して迷惑をかけない、心根の優しい人達でもあったのです。
こうしたヤクザ像が壊れ、暴力団へと変化する契機となったのが、広島での実話をもとにしてヤクザの抗争を映画化した「仁義なき戦い」でしょう。
この映画では、義理も人情もへったくれもない、裏切り、裏切られ、欲望丸出しで抗争を繰り広げ、真昼間、街中で拳銃をぶっ放し、ドスを振り回して殺し合うという場面が嫌と言うほど出てきます。
この時期を境に、ヤクザは暴力団へと変貌し、これまでヤクザに寛容であった社会は、暴力団を世間の厄介者と見做し、排除へと向かうのです。
村田英雄が唄った「人生劇場」の中に、「義理がすたればこの世は闇だ」と言う一節がありますが、暴力団と化したヤクザは、今じゃ、ドル箱であった芸能興行からも締め出され、入れ墨者は銭湯にも入れず、ゴルフもできず、家を借りることもままならず、まともな仕事にもつけない、正に、お天道様の下では歩けない、暗闇の中でしか生きて行けなくなっているのです。
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