プラハ城 窓に注意のウラディスラフホール
May
12
その東側に小さな噴水をもった建物入口が有り、そこから旧王宮に入る。中に入れば、すぐに『ウラディスラフ・ホール』だ。
田舎の小学校の講堂ほどのホールは2つの意味で見ておく価値がある。
1つは、その意匠。ホール天井を支えるリブボールトが花弁の様にあしらわれていて美しい。ゴシック造りの教会の代表的な建築構造として紹介される事が多い「リブボールト」だが、このホールにおいては、構造体そのものが内装の意匠として立派な装飾となっている。ゴシックも最後期のホールだけに、建築史の変遷の一端を垣間見れる。余談だが、2011年の東日本大震災で多くの体育館の屋根が落ちた。「吊天井」という構造の物が殆どなのだが、地震の無い国とは言いながら15世紀のホール建築が美しく残っているのを見ると建造物のコストバランスという物を考えさせられてしまう。
もう1つの価値は、このホールが舞台となった歴史的イベントに由来する。もちろん、多くの戴冠式などが執り行われたのだが、何と言ってもハイライトは「三十年戦争」の切っ掛けとなった「デフェンストラツェ」=「窓外投擲」事件の現場だからだ。
「窓外投擲」事件とは、1618年にボヘミアの貴族が、ハプスブルク家の皇帝代理人を「窓の外に放り出した」という事件である。何か、昔からボヘミアでは「抗議」=「窓外投擲」という伝統が有ったらしい。ホンマかいな。
いずれにしろ、そこからヨーロッパ全土を戦渦に巻き込む「三十年戦争」が始まった。この戦争が歴史上、非常に有名なのは、その規模やドイツ全土を荒廃させた戦禍の悲惨さも然ることながら、戦争の終結となった1648年の「ヴェストファーレン条約」において「主権国家」「政教分離」という概念が提示され、これが現代の「国際法」の創出につながった為である。(一応、法学部政治学科出身)
それにしても窓から放り出されてはたまらない。ちなみに放り出した窓の高さは地上15mと伝えられる。
ホールを出て廊下を進むと『ボヘミア王の玉座の間』に至る。ここには、「ボヘミア王の三種の神器」(レプリカ)を展示されていた。本物は『ヴァーツラフ礼拝堂』の奥に「7つの鍵の扉」によって守られている。
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