日曜日の午後、移動のために小田急線に乗っていると、向かいの座席に座っている6人が全員ケータイ電話を開けて操作をしていました。こういった光景は最近では度々目にします。これを批判する人もいますが、個人的には悪いものとは思っていません。こういった時間に使う道具としては最適のものとも思えるし、子供の頃にあこがれていた通信手段そのもの、あるいはそれ以上のものだからです。ただ、歩きながらの操作には苦情の1つも言いたくなるのですが。
子供の頃、テレビ漫画などで一番多く考えられていた未来像でよく覚えているのは、ちょうど今のケータイ電話のような携帯する通信手段と、テレビ電話、そして、自動で料理が出てくる装置と空中に張りめぐらされた道路です。自動で料理のできる装置としては、冷凍食品を電子レンジでチンするものがこれに近づいていますし、空中の道路は高速道路がこれに近いイメージになっています。ところが、携帯できる通信手段に関してはそのころの予想よりもはるかに進んだものとなっています。ワンセグによるテレビ受信や音楽配信、そして電子マネーといったものはそのころは想像もできませんでした。
こういったものを可能にしたのがコンピュータだと思います。まだそのころは、これだけコンピュータが発達することは想像にもなかったからです。
コンピュータの可能性はまだまだ広がると思います。しかし私たちの基本的な生活、私たちの子供達の成長の過程等は昔のままで、基本的には違っていないことにも気付きます。まだ単に“欲しかった道具がようやく手に入った。”ぐらいの段階なのかも知れません。ではその先の未来像はどうなのでしょうか。その未来が実現するまでは生きてはいられないでしょうが、そのヒントぐらいは私たちが子供の頃に描いていたのと同様に現在にもあるはずです。じっくりと探してみようと思い始めました。
カーネル笠井
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