最近子供達と話をしていると、よくこんなことを言われます。「先生も、空気を読んでよね。」これに対して私は、「先生はKYNだから。」「何、それ?」「先生は、(K)空気を(Y)読ま(N)ない、主義だから。」そう言うと「へえ、そうなの。」と納得してくれるのです。押し付け教育の反動か、どうも流行に対してはまず反発していまします。そして、その流行が終わってから面白がってそれを使うという間の悪さです。
子供達の会話を聞いていて面白いのは、普段はチームワークをみだすタイプの子でも、他の子から「KYだから。」と言われると「あ、そうか。」と言って素直に従っていることが多い点です。私とはちがって“欧米化”(これももう古いようです。)された個人主義の価値観の中で育っていると、その反動で流行は素直に受け入れるということなのでしょうか。
個人主義と言うと、イギリスがすぐに頭の中に浮かびます。その典型例としてこんなことがあります。イギリスでも一昨年あたりから、公共機関によるゴミの収集が始まったそうです。しかし、決められた曜日、決められた時間にゴミを出すという行為は人に支配されるようでいやだと、このルールに従わない人がほとんどなのだそうです。そして、わざわざ自分でお金を払って、民間が運営しているゴミ収集会社に自分の都合の良い日時に取りに来てもらうそうです。ここまで徹底していると見事としか言えません。
ところが一方、イギリス映画の“ハリー・ポッタ”や“ナルニア国物語”を観ていると、ドラマの前半で決められたルールが、国王などの一言によって逆転されてしまっている場面が見受けられるのです。まさに“つるの一声”なのですが、日本の子供達にとっては流行が“つるの一声”に当たるのでしょうか。
カーネル笠井
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