帰省の折、デジタルの腕時計をつけていた。母が
「珍しい。買ったの?」
と聞いてきた。
チープカシオだけど。
前の時計を壊しちゃって(強引に自分で電池交換しようとして、いただきもののダニエル・ウェリントンをお釈迦にしてしまった・反省)、
スマホの時代も私は時計なしでは心細いタイプなので、新しい時計を探していた。
普段はアナログが好きだけど、アナログ時計が好きだと思い込んでいる人も、
意外とデジタル時計がハマったりするという記事を読んで、
試しに安いデジタル時計を試したくなった。
その時初めてふと、思い出して言った。
「私、生まれて初めて持った腕時計もデジタルで、ちょうどこういうのだったよ。
おじいさん(母の父)に買ってもらった。どこかに連れてってもらう途中で、
キオスクか何かで売っていた、子供向けの黄色い、でもこんな形のだよ。
買ってもらってすぐ、電車の中で時計の読み方、おじいさんに習ったよ。」
大阪の祖父はコロナ禍の2020年の冬の始まりに亡くなった。
脳出血?と言われた気がする。私はよくわかってない。
直前まで元気で、急に倒れて亡くなってしまった。
いい年だから、覚悟はしていた。
遠方に住んでいるので、もし祖父母に何かあったら駆けつけるのだ、ということを、
私は意識しないでいたことは無い。
早朝に、父からのLINEを受けて、すぐに帰るよと返事をした。
ところが、父は来なくていいという。
その時大阪の新型コロナの感染者が国内で一番多く、増えているところだった。
それで、私が東北から駆けつけることを止めた。
私はコロナ禍だろうと、身内の死に帰らないという選択肢はないと思っていたから驚いた。
それから父と母と私と少しだけもめた。
お葬式はしないから。会話せずに帰るから。お焼香だけしてトンボ帰りするから。
でも両親の決意が固くて、一致しているらしかった。
私がもしコロナを大阪から東北に持って帰ってしまったら、
周りに責められて辛い思いをする、たぶんそれを気にしているのではないかと思った。
最終的には父の言葉で私は折れた。
「おじいさんは天寿を全うして眠っています。
〇ちゃんが帰ってもそれは変わりません。
来年帰っても今帰ってもそれは同じです」
1人になれる、お風呂で泣いた。
父は多分、「帰らないと決める」ということを引き受けてくれたのかなと思った。
だから父に従おうと思った。
その時父を、獅子座っぽいなと思った。
結局それから1年経ってワクチン接種がすんで、やっと帰った。
祖父は耳は悪くしていたけど、90代でパソコンが使えてかっこよかった。
母が最後に会った時も普通で、別れ際に「またおいでな」って言ってたらしい。
私も最後はそんな風だといいと思った。
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