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もの言う牧師のエッセー 傑作選
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第312話「 窓ふきスーパーヒーローズ 」
第312話「 窓ふきスーパーヒーローズ 」
北カリフォルニアのローズビル市の病院で数日前から入院している6歳のジェームズ君は、ベッドに横たわりながら窓の外に広がる穏やかな秋空をぼんやり眺めていたが、突然、「あれ? 何だ?? スパイダーマン??」 何とスパイダーマンが窓ふきをしているではないか! ジェームズ君は思わずニッコリ。さらに、スパイダーマンは一人ではなかった。スーパーマン、キャプテンアメリカ、バットマンなどのアメコミ・ヒーローがゾロゾロと繰り出し、屋上から吊るしたロープに体をくくり付けて一斉に大きな病院のビルの窓ふきを始めたのだ。
仕掛け人は同市にある窓の清掃を行なう会社「マスターケア・ウィンドウ・ウォッシング」。しかも彼らはこのサプライズをこれまで35年間続けて来たというから驚く。自らアイアンマンに扮しインタビューに応じた同社の社長ボブ・カーンズ氏は「パッと見てわかる喜び、興奮、驚き。たった一瞬で多くを表現することなんて出来ないと思うかも知れない。でも出来るんです。」
彼ら“窓ふきスーパーヒーローズ”は愛を分かち合うスーパーパワーを持っていると笑う。そして、「月並みかも知れませんが、やるべき何かがあると思います。もし世の中を少しでも良くすることにトライ出来たなら、私たちはその日に何か良い事をしたということになるでしょう。」 ズバリこれが愛の力であり、それは力なく横たわっていたジェームズ君を外へと連れ出した。 イエスは厳命する。
「あなたがたは互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、
そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネの福音書13章34節、
わたしがあなたがたを愛したように、
そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネの福音書13章34節、
と。 増大する社会不安と不寛容、憎しみ。それらをひっくり返すのは愛の力しかない。私たちのために十字架にかかったイエスの愛のスーパーパワーを信じ、それを実行することで世の中を少しでも良くするスーパーヒーローになれるよう努力したい。 2017-12-2
もの言う牧師のエッセー 再投稿
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第311話「 カズオ・イシグロさん 」
2017年のノーベル文学賞が長崎県出身の日系英国人で作家のカズオ・イシグロさんに決まった。スウェーデン・アカデミーによる授賞理由は「偉大な感情の力をもつ小説で、我々の世界とのつながりの感覚が不確かなものでしかないという、底知れない淵を明らかにした」とあるが、イシグロ氏の作品にいつも現れるテーマとして「記憶、歴史、自己欺瞞」を挙げている。
第311話「 カズオ・イシグロさん 」
2017年のノーベル文学賞が長崎県出身の日系英国人で作家のカズオ・イシグロさんに決まった。スウェーデン・アカデミーによる授賞理由は「偉大な感情の力をもつ小説で、我々の世界とのつながりの感覚が不確かなものでしかないという、底知れない淵を明らかにした」とあるが、イシグロ氏の作品にいつも現れるテーマとして「記憶、歴史、自己欺瞞」を挙げている。
1954年、日本人を両親として長崎で生まれ、5歳の時、海洋学者の父が英国政府に招かれたのを機に家族で渡英。デビュー作「遠い山なみの光」など最初の2作は故郷長崎など日本を舞台に書かれたものであるが、描いた日本は想像の産物であったと語り、いっぽうで「私はこの他国、強い絆を感じていた非常に重要な他国の、強いイメージを頭の中に抱えながら育った。英国で私はいつも、この想像上の日本というものを頭の中で思い描いていた」とも述懐している。
彼が影響を受けた日本人作家は殆どおらず、幼いころ過ごした長崎の情景や小津安二郎、成瀬巳喜男ら両親と見た50年代の日本映画から作り上げた独特の日本像が描き出されると同時に、89年に英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を受賞した「日の名残」以降の作品では英国人としての自己を反映しており、紛れもない“日本生まれ英国人作家”と言える。フィナンシャル・タイムズのロリエン・カイト記者は、子供時代のイシグロ氏が「いつかは日本に帰るだろう」と思いながら生活をしていた事に注目する。これが「小説家に必要とされる、現実からの乖離の修行になったのではなないか」と。
超話題作「わたしを離さないで」では臓器提供のために生まれたクローン人間の若者たちの悲しい運命と生きる努力を描き、「忘れられた巨人」は人々が忘れたがっている過去の集団的怨恨と民族紛争がテーマだった。アカデミーのデニウス事務局長は、「過去を理解しようとすることに大いなる関心を抱いている。過去を取り戻そうとしているわけではないが、個人として、あるいは社会として生きていくために、まず何を忘れるべきかを探す道を追求している」と批評したが、何のことはない、これは我々全てが一生のあいだ繰り返す業と言って良い。 聖書は
超話題作「わたしを離さないで」では臓器提供のために生まれたクローン人間の若者たちの悲しい運命と生きる努力を描き、「忘れられた巨人」は人々が忘れたがっている過去の集団的怨恨と民族紛争がテーマだった。アカデミーのデニウス事務局長は、「過去を理解しようとすることに大いなる関心を抱いている。過去を取り戻そうとしているわけではないが、個人として、あるいは社会として生きていくために、まず何を忘れるべきかを探す道を追求している」と批評したが、何のことはない、これは我々全てが一生のあいだ繰り返す業と言って良い。 聖書は
「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、
初めから終わりまで見きわめることができない。」
伝道者の書3章11節、
神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。
しかし、人は、神が行なわれるみわざを、
初めから終わりまで見きわめることができない。」
伝道者の書3章11節、
と言っている。未来に想いを馳せ、過去をふり返り、己のアイデンティティに悩み格闘するのは神が人間にのみ与えた特権である。限られた情報、曖昧な記憶と確信を頼りに浮き世の荒波を乗り越えようと必死にもがく人間。そこには「帰ろう。」という本能が見え隠れする。それは過去への帰結などではなく、我々人間を創造した神への帰結ではなかろうか。その事実を知らず今日も不条理に喘ぐ大勢の人々に対し、神は今日も招いておられる。「帰って来い」と。 2017-11-25
もの言う牧師のエッセー 再投稿
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第310話 「 ダルの恵み深い対応 」
試合に負けはしたが、ドジャースのダルビッシュ有投手がワールドシリーズ(WS)で見せた寛容な態度に対し全米が賛辞を送った。WS第3戦の2回、相手のアストロズのユリエスキ・グリエル内野手がダルビッシュから先制ソロを放った後、ベンチで目尻を指で押さえて目を細くし、スペイン語でアジア人の蔑称「chinito(中国人の少年の意)」と口にした。この様子はテレビに映し出され、SNSで「明らかな人種差別だ」として拡散され瞬く間に全米に広がった。
第310話 「 ダルの恵み深い対応 」
試合に負けはしたが、ドジャースのダルビッシュ有投手がワールドシリーズ(WS)で見せた寛容な態度に対し全米が賛辞を送った。WS第3戦の2回、相手のアストロズのユリエスキ・グリエル内野手がダルビッシュから先制ソロを放った後、ベンチで目尻を指で押さえて目を細くし、スペイン語でアジア人の蔑称「chinito(中国人の少年の意)」と口にした。この様子はテレビに映し出され、SNSで「明らかな人種差別だ」として拡散され瞬く間に全米に広がった。
よりによってWSの真っ最中、グリエルにごうごうたる非難が巻き起こる中、ダルビッシュが試合後にツィッターに載せたコメントに全米が驚いた。「パーフェクトな人間はいない。あなたも僕もそうだ。彼が今日やったことは正しいことではない。けれども、僕は彼を非難するよりも、学ぶように努力するべきだと信じている。ここから何かを得ることができればそれは人類にとって大きな一歩になる。僕たちは素晴らしい世界に暮らしている。ポジティブであり続け、怒りに集中するのではなく前進したい。僕はみんなの大きな愛を頼りにしている。」
NBCスポーツは「He reacted “graciously”.(彼は“恵み深い”対応をした)」と絶賛したが、正にそれはキリストの福音そのものを想起させる。なぜなら、恵みとは自分には受ける資格のない良いものを受けることだからだ。イエスの弟子パウロはかつて教会を迫害し、さんざん人を危めたが、
「神の恵みによって、私は今の私になりました。」
第一コリント人への手紙15章10節、
第一コリント人への手紙15章10節、
と言っている。キリストを信じるというのは宗教に凝ることではない。彼の恵みの中に生きることである。なぜなら誰一人として自分を自分の罪から救える者はいないからだ。ちょうどグリエルが自分を救えずダルビッシュが彼を助けた結果、WS出場停止の裁定を免れたように。キリストを心に迎えた者は、彼の恵みの力によって怒りではなく寛容さを示し、非難するより学ぶ努力することが出来る。そうする者が増えることによってのみ愛が増幅し、世の中はポジティブで素晴らしいものとなっていく。 2017-11-24
やったぜ!地元オレンジ郡最高峰サンチャゴピーク走破!
やったぜ!
ハーレーXR1200で地元オレンジ郡最高峰サンチャゴピーク走破!
オフロード約15マイルを激闘1時間で辿り着きました。
見渡す限りの雲海!
オフロード約15マイルを激闘1時間で辿り着きました。
見渡す限りの雲海!
遥か彼方には残雪頂く南カリフォルニア最高峰サンゴルゴニオ山(標高3500M)が見えた!
神に感謝!
もの言う牧師のエッセー 再投稿
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第308「 正岡子規 」
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 」などで知られる俳人・正岡子規が生誕150年を向かえた今年、死の前年の正月に詠んだ未発表の5句などが載った冊子が見つかった。
第308「 正岡子規 」
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 」などで知られる俳人・正岡子規が生誕150年を向かえた今年、死の前年の正月に詠んだ未発表の5句などが載った冊子が見つかった。
調査を行った国文学者で神奈川大名誉教授の復本一郎氏は、発見された5句の中で最も印象的な句に「暗きより元朝(がんちょう)を騒く子供哉(かな)」を挙げ、「お正月にワクワクする子供たちの姿を詠んだ句。かつてあった日本の正月の風景が浮かぶようだ」と話すように、子規の最大の功績は、現在の俳句・短歌には難解なものが多いのに対し 、「分かりやすく、読者に語りかけるような作品 」であること。そして、事物を見たままに写しとる「写生」の重要性を訴えたことで、今回見つかった5句も明治期の正月の情景を見事に描写している。また、それは明治という近代主義とも重なった主張でもあり、現代の日本語散文の成立に大きな影響を及ぼした。
とは言うものの、この頃の子規は、翌年に34歳の若さで死去していることからも分かるように、脊椎カリエスに侵され、 臀部や背中に穴があき膿が流れ出るようになり、歩行不能どころか座ることさえ困難になり、ほぼ寝たきりで寝返りも打てないほどの激痛と闘っていた。にもかかわらず、彼と周囲はとことん温かく生き生きしている。
私個人は「鶏頭の十四五本もありぬべし」が大好きだ。彼の住んでいた東京台東区の「子規庵」の庭には、洋画家の中村不折から贈られた鶏頭が十数本植えられていたが、病に臥せていた彼が病床から庭先の鶏頭を喜び愛でるディーテールが明滅し、子規の豊かな感受性と表現力に圧倒される。
「主をほめたたえよ。主をおそれて、
そのもろもろの戒めを、大いに喜ぶ人はさいわいである。」
詩篇112篇1節:口語訳、
そのもろもろの戒めを、大いに喜ぶ人はさいわいである。」
詩篇112篇1節:口語訳、
と聖書にあるが、言うまでもなく“喜び”は”幸せ“とは異なる。喜ぶは能動的な努力が必要な動詞であり、幸せは受動的で形容詞的な”運“と言える。もろもろの苦悩が錯綜する21世紀の現代、ブツブツ不平を鳴らし不幸に埋もれる御仁が多い。だが覚えよう。キリストを心から信じる者は、喜べる者となれることを。子規のような感受性を持たなくても、神の力で誰でも出来る。
2017-11-10
2017-11-10
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