もしこの世が喜びばかりなら、
私たちは決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。
ヘレン・ケラー
神は私に力を下さる。
命は神からの贈り物であり、
彼が我々に下さったものだ。
だから我らはそれを大事にせねばならない。
アイルトン・セナ
もの言う牧師のエッセー 再投稿
第234話「 文春砲 」
週刊文春の勢いが止まらない。年明け早々に好感度ナンバー1タレントだったベッキーと人気バンド「ゲスの極み乙女。」のボーカル・川谷絵音との不倫疑惑に始まり、甘利明元大臣の金銭授受疑惑、「育休議員」として知られた宮崎謙介元衆議院議員の不倫、そして巨人選手の野球賭博など、特大スクープは全て文春によるものだ。
さらに、SMAP分裂騒動においては、昨年1月に同誌が報じたジャニーズ事務所・メリー喜多川副社長の独占インタビューが重要なカギとなり、2月に覚せい剤の所持・使用で逮捕された清原和博元プロ野球選手については、2014年の時点で薬物疑惑を報じていた。今や「文春砲」として有名人に恐れられるその取材力は、社会情勢を左右する存在になりつつあると言っても過言ではなく、新聞やテレビなど他の報道機関では、文春の記事を後追いする“コピペ報道”が常態化しつつある。
実のところ、これは日本特有の事情で、権力の監視が重要な役割となっている海外の報道機関には奇異に映っており、米国のメディア研究機関「Open Source Center」は、「政治や企業などほとんどのスキャンダルは新聞ではなく、週刊誌や月刊誌から公表されている」と驚きを交えてレポートしているほど。 一体なぜ文春ばかりが大スクープを連発できるのか?
文春の編集長、新谷学氏によれば、入念に現場の状況を把握する取材チーム、記者のやる気が出る仕組み、給料を貰わずネタで報酬を稼ぐフリーランサーたちなど色々あるが、極めつけは “タブーを恐れないこと“ だ。「訴訟や炎上を恐れてキレイごとしか言えない雰囲気はマズイ。建前があふれる今だからこそ、本音の情報を伝えるメディアが必要なのでは。」 なるほど!
人々にキリストの到来を宣言し、
「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。まむしのすえたち。
だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。 」
マタイの福音書3章2,7-8節、
と言い放ったバプテスマのヨハネを思い出した。怒鳴られているのは誰あろう神に選ばれたイスラエルの人々で、神を信じる人たち。しかし、彼らの不信仰のゆえに長らく続く困難の中、ヨハネを慕って会いに来た群衆たちである。だが、そんな彼らにお構いなくヨハネは叱りつけたのだった。
今、会員や献金が減るのを恐れ、罪やその結果である滅びを人々に伝えるのを躊躇する教会が少なくない。人に嫌われるのを恐れ、はっきりキリストの救いを示さないクリスチャンもいる。また、“神を信じるだけで救われる”などと頓珍漢な解釈をしている信者も多い。神を信じるとは、己の罪を恥じ、「悔い改める」ことである。これからも大胆に罪を示し、イエスの救いを宣伝する決意を新たにした。
2016-5-13
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第235話「 世界一貧しい大統領 」
質素な暮らしぶりから「世界一貧しい大統領」の愛称で親しまれる、南米ウルグアイ前大統領、ホセ・ムヒカ氏が初来日した。2010年の大統領就任時の資産は約18万円相当の自家用車だけ。任期中の5年間は大統領公邸に住まず、給料の9割を貧しい人々に寄付し、首都モンテビデオ郊外の農場の畑を耕して暮らす清貧ぶりが、国民から愛された。その好々爺ぶりと笑顔からは想像もつかないが、元左翼ゲリラで4度の逮捕、刑務所暮らし、2度の脱獄の経験があり、6発の銃弾を受けたこともあるというから驚く。
彼を有名にしたのは12年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた「国連地球サミット」での演説だ。「私たちの目前にあるのは環境の危機ではない。政治的な危機なのだ。グローバル経済や消費主義社会をコントロールできないばかりか、逆に人類が振り回されている。」さらに、「貧しい人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人だ」と。
演説全文が世界に流れ、多くの人が共感し、日本でもいくつかの本が出版された。しかし、今や世界的に注目される彼だが、「みんな私のリオでのスピーチに感動したというが、あそこで言ったことは悲劇的な内容なんだぞ!」と本人は不満げだ。問題が増大しつつあるのに、目をそらし議論もしない世界の政治家に腹を立てていたようだ。 聖書は言う。
「 むさぼってはならない。」 ローマ人への手紙7章7節、
飽きることなく欲しがり、際限なくそれを続けることをやめよと。それを続けると中毒となり、やがて抜け出せなくなる。しかし、神を敬することなくむさぼりをやめることは相当難しい。なぜなら、むさぼりとは満ち足りることを学べず、感謝が出来ないことなのだから。
2016-5-21
今日でカミさんと付き合い始め40周年を迎えました!
付き合ったのが8年、結婚して32年です。
ここまで導いてくださった神さまに感謝!
初めてのデートはスターウォーズ・ジェダイの復讐でした(^^)
平和は力によって保つことはできない。
平和は理解によってのみ成就できる。
アルバート・アインシュタイン
愛する皆さま、
ミッキー牧師のこの度の大阪でのミッションは主の憐みにより大いに祝されました。お祈りくださった皆様と主に心から感謝します。
東京在住の櫻井姉の三男、碧君が無事に受洗できたことを初め、FB関連では、キューバ系アメリカ人で大阪在住のビビンさん、初めてお会いする松岡夫妻、6年ぶりにお会いできた小林兄らが礼拝に駆けつけてくださり、さらには東京三鷹市の横溝兄は献金を送ってくださるなど祝福と恵みに満ちた時となりました。
全関係者の方々に神の豊かな祝福が注がれますように!
Hallelujah!
大阪に帰省して久しぶりの心斎橋!
551蓬莱で昼食、デパ地下の押し鮨を買って帰りました。
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第233話「 子供の声がうるさい 」
出産3カ月目から子供を預けられずに、退職に追い込まれそうな母親が匿名ブログを通じ、『保育園落ちた日本死ね!!!』という痛烈なメールを発信し、これを受け、民主党の山尾志桜里衆院議員が、2月29日の衆院予算委でこの記事を読み上げたところ、安倍首相が「匿名である以上、実際本当に起こっているか、確認しようがない」などと言い放ち、日頃から待機児童問題に悩む“保活ママ”たちの怒りが爆発。記事に共感する人たちによるネット署名運動が始まり、開始僅か48時間で2万人以上の署名が集まるなど社会問題となった。
いっぽう、4月に入り、千葉県市川市では、開園予定の保育園が「子どもの声がうるさい」などといった住民の反対で建設中止になった。同市の待機児童は373人で全国市区町村では9番目に多く、関係者らはショックを隠しきれない。子供の遊び声に加え、保護者が送迎する車の通行にも厳しい要求が突きつけられ、その結果、園の庭を半地下にしたり、民家に面した方向には窓を一切作らなかったり、園側の費用負担で民家に防音窓をつけたりすることもあり、「外での遊びは1日45分」「プールでは水をかけ合わない」「送迎時は親も子どもも私語は禁止」といった規則が設けられ、今や迷惑施設の扱いだ。
別に子供の声が昔より大きくなったわけではない。接する機会が減った結果、「今までは地域の音として容認されてきたものが苦情対象に変化した。」と、騒音問題に詳しい橋本典久・八戸工業大大学院教授は述べる。少子化にともない出現した、子供の声に慣れない不寛容な大人たち。待機児童問題と騒音問題に挟まれ、保育施設建設の課題は前にも後ろにも進めず身動きが取れない。
実は聖書には、子供を叱った大人たちをイエスが戒める記事がある。
「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。』」
マルコの福音書10章13-14節。
見ての通り、子供たちを疎んじたのは、日頃から弱き人々を助け、貧しい人たちに施し、慈善に熱心であったイエスの弟子たちであることが、この問題がいかに複雑かを表している。これは現代日本社会の問題ではなく、もっと普遍的な、もっと根幹的な、人間の罪とエゴにかかわると言えよう。社会の弱者や貧しい人々、そして子供たちを本当に救えるのは神である「救い主」キリストしかいない。日本人がキリストを信じ、彼の聖霊の力で愛の満ち満ちた社会へと内側から造り変えられることを祈って止まない。
2016-5-4
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第231話「 ジョーの明日 」
当時、日本最短記録の8戦目で世界王座を獲得、その後も3度の戴冠を果たし、一時は網膜剥離により引退を勧告されたものの劇的KOで復活を成し遂げ、今なお現役ボクサーとして生き続ける辰吉丈一郎。原則的に37歳とされる日本人ボクサーの定年をすぎて45歳になった“浪速のジョー”の日常を20年にわたり追いかけたドキュメンタリー映画「ジョーの明日」が公開された。彼はなぜ辞めないのか?
「僕にとっては、ボクシングが生活の一部なんです。」と答えた彼。「みんなも朝起きると歯を磨くでしょ?それがボクサーだから “走る“ が生活の一部で毎日走る。階級ごとに体重制限があって太ってはダメだから、一日1食を続けてるのもそう。朝起きて走って、掃除して、買い物して、夜練習して、帰って、洗濯して、飯作って、風呂入って寝る。極端に言えば、それを365日繰り返すのが日常というか。正直、試合が組めない今の状況はきついんです。でも、何かを引っくり返すためにやっているんだから、練習は一日たりとも休めない」。
試合がないから全く無収入で、3度チャンピョンになった時のファイトマネーを切り崩し生活しているという彼だが、過去には数千万単位のCM出演を断ったとの“伝説”もある。「だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで。ボクサーがCMって違うと思うんで。小銭ならいいですよ。でも何千万というお金を稼いではダメだと思った」。 後悔は一切ないと言い切る。
引退を条件にWBC(世界ボクシング評議会)は、彼の殿堂入りを確約し、4つ目のベルトまでくれるという話もあったが、「丁重にお断りしました。だって、ベルトって恵んでもらうもんじゃないでしょう?ボクサーにとってのベルトは、自分で戦って勝って獲るものでしょ?」 いやはや何とも痛快である。
「ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ
伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。」
第一コリント人への手紙9章26-27節、
と聖書に記されている、かつて“やんちゃ”していたがイエスの弟子となり、壮絶な人生を送ったパウロの言葉を思い出す。彼が宣教した約2000年前のローマではグラディエーター(剣闘士)が盛んで、彼は己の信仰の戦いをそれに重ね合わせたのだろう。
キリストを信じて救われた者には、無条件に信仰の戦士のチャンピョンとしての資格が与えられる。いっぽうでそれは、試合に出てベルトを目指し続ける人生でもある。そのために地道に祈り、聖書に親しみ、教会に通い、善に親しむ毎日が続く。金のない時もある。何も起こらず苛立ちがつのる時も。しかし、真の信仰者は、何かをひっくり返すのを信じ、今日もキリストと共に走り続ける。
2016-4-22
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