私は中学生のときにお年寄りの介護施設でボランティアをしたことがある。
中学生から大学生まで20人くらいの有志が一週間ほど泊まりこみ、施設のお掃除、修繕やペンキ塗り、コンクリートの散歩道作り、毎日お年寄りとお話しの時間、最後の晩には演芸会の開催、など様々な活動を行った。
お年寄りとお話しをする時間では、寝たきりのおばあさんがよく聞き取れないほどの弱々しい声で若いころの話をしてくださった。私はただ横へ座って、半分くらいしか理解できない話へ相槌をうっているだけだったが、私が話を聞いていることを心から喜んでいるのが伝わってきた。
夜はボランティアの学生同志で討論のような活発な意見交換があった。
その中で、大学生のメンバーが
「我々は、お年寄りの方たちへお世話をしているのではなく、させていただいているのだ」
ということを熱く論じていた。
私は、
「“させていただいている”とへりくだらず、”お世話をしている”と考えて何が間違っているのか?」
と反論をしたことを覚えている。
できる人ができない人へしてあげる
そしていつの日か、自分ができなくなったらしてもらう
それが自然な助け合いなのではなかろうか?
それをへりくだって
「させていただいている」
と考える必要はないと感じた。
我々が滞在を終えて帰るときに、お年寄りの方たちが別れを惜しんで涙を流していた。
ボランティアの学生もみんな泣いた。私の目にも涙が溢れてきた。
子供心にも、魂に響く経験だった。
私は今でも、
できる人がしてあげる、
できなくなったらしてもらう
が自然でいいと思っている。
してあげるチャンスは周囲に沢山ある
だから、気付いた時にできることをしてあげる
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