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サウスベイ・マネジメント・セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。 トーランスのニューガーデナホテルが会場になります。

「ここが知りたい、外交官夫妻の日常・・・」

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「ここが知りたい、外交官夫妻の... 「ここが知りたい、外交官夫妻の... 「ここが知りたい、外交官夫妻の... 「ここが知りたい、外交官夫妻の...
今回は、2016年7月にロサンゼルス在日本国総領事に就任された千葉明氏と奥様をお迎えし、会場の質問に自由に応じて頂くことになりました。知っているようで知らない公的な仕事、例えば大使館、総領事館の役目とそれらの違い、総領事夫人の日常その他、公私にわたる事柄をご夫妻と会場とのQ&A形式で自由に語り合いました。

モデレーターは、国会と中央官庁街・霞が関を担当した経験(財務省、経産省、農水省を2、3年づつ担当)がある元・時事通信社の後藤英彦氏にお願いしました。

今回はオフレコでとのご依頼を受けましたので、残念ながら内容の詳細は記載できませんが、先ず、モデレーターの後藤氏からの質問で、ご夫婦の馴れ初めの話しから始まり、大使館と領事館の違いや、千葉総領事の出生地でもあり過去の赴任地の一つでもあったイランのお話し、その他の赴任地であった中国やアメリカのワシントンでの体験談のお話を頂きました。

また、最近日本を取り巻く近隣諸国間での数々のネガティブな問題に関しても毅然と返答されていました。

最後に中国自身が1969年まで尖閣諸島は日本の領土であると認めていた事の証拠となる尖閣諸島を含む台湾近辺の中国政府発行の地図のオリジナルを見せて頂き、そのコピーを参加者に配布して頂きました。

講師: 千葉 明(ちば あきら)氏プロフィール
ロサンゼルス在日本国総領事
1959年 テヘラン生まれ
1984年 東京大学法学部卒業、外務省入省
1985年 北京大学研修
1987年 カリフォルニア大学バークレー校(修士)
1988年 在中国日本大使館二等書記官(政務)
1991年 大臣官房総務課
1993年 経済協力局無償資金協力課
1995年 欧亜局大洋州課首席事務官
1997年 経済協力局政策課首席事務官
1999年 在ジュネーブ代表部参事官
2001年 在中国日本大使館参事官(経済)
2004年 国際報道官
2005年 兼東京大学教養学部講師
2006年 国連企画調整課長
2008年 法務省入国管理局登録管理官  司法試験問題作成委員(国際法)
2010年 在アメリカ合衆国日本大使館公使(連邦議会)
2013年 在イラン日本大使館公使(次席)
2015年 日本学術会議事務局次長

<著作>
“Pacific Cooperation and China” The Pacific Review Vol. 2 No. 1 1989 “Traumatic Legacies in China and Japan: An Exchange” Survival, Vol. 47 No. 2 2005 「日中体験的相互誤解」 日本僑報社 2005 「一歩先を行く人の美しい中国語手紙の書き方」 国際語学社 2009 (中国語訳《中国传统书信鉴赏与写作》 世界图书出版公司北京公司 2014) 「中国語のきほんドリル」 国際語学社 2009 「日本人は誰も気付いていない在留中国人の実態」 彩図社 2009 「なぜアメリカでは議会が国を仕切るのか」 ポット出版 2014
<訳書>
「何たって高三!僕らの中国受験戦争」 日本僑報社 2006

千葉裕子(ちば ゆうこ)氏プロフィール
神戸大学教育学部卒業後、ロータリー財団の奨学金でカリフォルニア大バークレー校に留学、言語学修士を修めたあと、NTT 情報通信処理研究所に入所、自然言語処理技術の開発に携わる。結婚後、海外では夫、千葉明氏のサポート、日本では専門学校で言語学、日本文化等の非常勤講師を務めている。Japan America Student Conference(日米学生会議)の OGで、OB、OGにはキッシンジャー、猪口邦子等の政治家、経済人、茂木健一郎等の学者や政府高官等がいる。Washington Tokyo Wemen’s Network が発行する VIEWS の Web Magazhine に時々執筆している。
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2017年5月10日(水)セミナーの予告ー「アルツハイマー病の話」

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講師 三橋将人氏 講師 三橋将人氏

タイトル: 「アルツハイマー病の話」



高齢者社会にとって最大の関心事の一つがアルツハイマー病を含む認知症です。
 
そこで本セミナーでは一般向けに、
1.認知症とアルツハイマー病とはどうゆうものなのか、

2.どうして起こるのか、

3.最新の診断と治療はどうなっているのか、

4.どうすれば予防できるのか、

5.そして予防するために必須なアルツハイマー病の超早期診断とモニタリング検査の実態などを解説します。
  
  
講師: 三橋将人(みつはし まさと)氏プロフィール

日本では小児科医。1985年にUCサンフランシスコ校に留学後、1990年からアーバイン在住。UCアーバイン校キャンパスにあるHitachi Chemical Research CenterのChief Scientific Officer、同大学病理学Associate professor兼任を経て、2014年にNanoSomiX社設立、Chief Technology Officerとしてアルツハイマー病の血液診断開発に従事。

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* 開催日: 5月 10日(水)
* 時 間: 6:00 p.m. ― 6:30 p.m. (ソーシャルタイム)
       6:30 p.m. ― 8:30 p.m. (セミナー)

* 場所:   ニューガーデナ ホテル   
       1641 W. Redondo Beach Blvd., Gardena, CA 90247
   Tel: 310-327-5757

* テーマ: 「アルツハイマー病の話」 
* 講 師 : 三橋将人氏
* 連絡先: 太田光子 Tel: 714- 557-2424 
* 締 切 : 5月8日(月)

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2017年度4月12日(水)セミナーの予定ー「世界の宝、日本のおもてなし~心を伝える~」

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2017年度4月12日(水)セ...
タイトル: 「世界の宝、日本のおもてなし~心を伝える~」

なぜ、日本社会では接遇やビジネスマナーが必要なのでしょうか。
「知らないと恥をかく」とか「それくらい知らないと恥ずかしい」などとお考えの方もいるかもしれません。
実は知らないことで、自分でも気が付かないうちに相手に失礼をしてしまっていることがあるからです。そのようなことがないように、私たちは日常やビジネスでのマナーを学ぶ必要があると考えます。

ルールやマナーという言葉から、わかりやすく説明してまいります。なぜ大事なのかということに気づくとその必要性に納得がいくのではないでしょうか。

例えば、名刺のルール一つとってみても、ざっと8原則ほどあります。アメリカでも、ほとんど全員の方が名刺をお持ちですが、その扱いのぞんざいさに驚きました。

人は見かけが9割と言われておりますが、土地柄でしょうか服装のカジュアルさにも違和感がありました。
また、その方の印象を決定するのに、たったの数秒です。第一印象が大切なのには理由があります。

敬語の使い方もとても心配になってしまいます。「ここは、アメリカなんだから誰もそんなこと気にしない。」ではなく、アメリカにいるからこそ、日本人の代表であるということを忘れるべきではないと思います。

相手の立場や心を思いやるおもてなし文化は、先人たちの知恵であり、美しい習慣です。日常の生活においても、より良い人間関係を築き、社内や家庭内での生活環境を整えます。この文化を次の世代の方々に正しく伝えていく事が、私ども大人の責任であるのかもしれません。
  
  世界の宝、「日本のおもてなし~心を伝える~」
【1】  挨拶
【2】  笑顔
【3】  態度
【4】  身だしなみ
【5】  言葉遣い

講師: 釘宮史子(くぎみやふみこ)プロフィール

大分県別府市出身。大分上野丘高等学校から早稲田大学文学部を経て、1978年 全日本空輸株式会社客室乗務員124期生として入社。国内外線7年間乗務。
1998年 大分市内に唯一の航空業界専門学校を設立。一方で複数の大学で秘書実務、敬語などを教える傍ら過去約15年の間に、年間100回を超える人材育成研修やセミナーを、官公庁を含む多くの一般企業で行ってまいりました。
2012年渡米。NYにおいて、世界に誇れる日本の宝、「おもてなし」を世界に発信していく為に、「おもてなCA,NY」を立ち上げ、日系の企業をはじめとする日系社会に、「(日本からお越しの)お客様に対して、日本にいるときと同じサービスを提供しませんか。」と、提唱し、多くの日系企業より招致され、セミナーをいたしました。全米をカバーしている(ハワイ、アラスカを除く)日系経済紙、「企業概況ニュース」で、NYで活躍する女性として、半面の記事でのインタビューを受けました。その後、同新聞社の雑誌「Come to America 2017」で「クレーム処理の極意」と題して、記事を寄稿いたしております。
2016年9月オペラ歌手の夫と共にLAへ。この活動を通して、日本のビジネスマナーや敬語を改めて見直していただき、また社内や家庭で良い人間関係を築き、ますます業績が上がるお手伝いができますように活動を始めました

* 開催日: 4月 12日(水)
* 時 間: 6:00 p.m. ― 6:30 p.m. (ソーシャルタイム)
       6:30 p.m. ― 8:30 p.m. (セミナー)
* 場所: ニューガーデナ ホテル   
       1641 W. Redondo Beach Blvd., Gardena, CA 90247
     Tel: 310-327-5757

* テーマ: 「世界の宝、日本のおもてなし~心を伝える~」
* 講 師 : 釘宮史子氏
* 連絡先: 太田光子 Tel: 714- 557-2424 
* 締 切 : 4月10日(月) 5:00 p.m. までに出欠のご連絡をお願いいたします。





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アメリカで俳優として生き抜いてきた50年

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アメリカで俳優として生き抜いて... アメリカで俳優として生き抜いて...
ニューヨークでのブロードウェイからロスアンゼルスでの映画、テレビドラマに出演してきた芸歴50年の経験を持つトシ・トダが自らの経験を元に どのようにアメリカの芸能界を生き抜いてきたのか、いろいろな人間との出会いを経て、その中から生きていく目的、それに必要なエネルギーをどう作って行くかをみなさんと考えて行きたいと思います。 アメリカに来た時と今の状態の違い、役者たちの経済、映画や舞台の裏話など興味深い話が満載です。

講師
戸田年治(とだ としはる)氏プロフィール

東京都杉並区阿佐ヶ谷出身。 小学校時代には祖母に映画、母親に東宝の舞台によく連れて行かれて過ごす。 19歳の時に浪人をしながらモダンダンスを当時ニューヨークに住む著名舞踊家三条万里子に師事。初めて海外の舞台の情報を得る。役者に成る為にはまず体をコントロールすることを学ばなくてはいけないと認識したのが、きっかけとなる。 すぐにプロの役者に本当になりたいのか、自分を確認する為にとにかく大学に入り、演劇部で経験してからでも遅くないと思い、大学に入るが、当時の学生運動、東大闘争が勃発し、演劇部も潰れてしまうが、自ら演劇集団黒猫を作り演劇活動に2年間勤しみ、この仕事をしたいと再確認し、劇団四季に受験、合格となり、そのまま大学退学。プロとしての道が始まる。四季に在団中バレー、ジャズダンスも始める。3年間四季に在団のあと、オペラ歌手の帆足拓也率いる音楽シアターに参加。その後、バレー学校の姉妹スクールがニューヨークにあり、1974年留学する。1年留学の予定がそのまま永住権を取得、オフ、オフオフ、オンブロードウェイの舞台に出演。ブロードウェイミュージカル“Anything Goes” を2年間続けたあと、ロスに移住。ニューヨーク生活17年。ロスに移住後数々のテレビ番組、映画に出演。現在に至る。ロス在住25年。舞踊家時代を含め50年の芸歴になる。 
主な作品: 『硫黄島からの手紙』『ジャスト・マリッジ』『もしも昨日が選べたら』『パール・ハーバー』『GODZILLA ゴジラ』『ER』『フラッシュフォワード』など、アメリカのテレビ・シリーズや映画を中心に活躍。


講演録
米国では、年治ではなく、TOSHI で活動

役者だというと、どんな作品にと聞かれますが、聴く人が知らない作品ばかり。
そして、役者というのは、派手で特別なイメージがありますが、本当は地味な仕事。
オーディションに受からないと無職ですし、いつ仕事が入るかわからない。
未来が見えずに不安になることも多い仕事ですが、必ず夢は叶う。仕事が入ると信じられる人が役者を続けられるんだと思います。

昨年のオートショーのことですが、チケット担当の黒人の方に「あの映画に出てたでしょ」と声をかけられたんですが、その映画は、「MENACE II SOCIETY」
米国の映画界では、黒人映画では、スタッフも黒人のことが多く、言葉遣いも仲間内のラフなもので、知らない人が聞いたら、本当に俳優?と思いたくなるような現場。
“I Feel Sorry For your Mother” というセリフがきっかけで、殺されてしまう役なのですが、
このセリフは、監督の要請で、僕が考えたセリフ。
そして、殺した犯人を演じた俳優にも、このセリフのおかげで感情移入ができたと感謝された。
そして、“I Feel Sorry For your Mother”というこのセリフが黒人の間で流行りました。
そして、この映画の続編もできた。喜劇:「Menace II Society while drinking juice in the hood」
これらの映画の中では韓国人役を演じることが出来ましたが、最近は、韓国人の役は韓国人の俳優が、チャイニーズは中国人の俳優が演じるようになり、日本人俳優が雇われることはほとんどなくなりました。

なんで役者になったんですか?とよく聞かれますが、
小学校5年生くらいの時に、教科書の中にある戯曲があり、そのセリフを自分で読んでいたら木j持ちよく、翌日学校でも当てられ、自然にその役を演じられ 、クラスのみんなも喜んでいた、その快楽的な感覚を今でも覚えています。

子供の時祖母によく映画を見に阿佐ヶ谷のオデオン座に連れてってもらいました。
当時は2本立てで、超満員。通路にも人がいた時代でした。
また、母親には帝国劇場にミュージカルや演劇などを観に連れていってもらいました。

でも、そんな時、自分だったらこう演じるのにという思いを抱きながら作品をみていました。

家族に「役者になりたい」と話をすることができず、2浪の最中 に役者に成るためにはまずは体が動けなくてはいけないと思い、ダンス学校を探し、
阿佐ヶ谷で「三条万里子」というモダンダンスの先生に師事、この先生がニューヨークのダンス学校のメンバーであり、アメリカの情報が入り始めた。日米文化交流会を通し、六本木にある外国人のお宅でモダンダンスを踊ったこともありました。

入学後東大闘争の時代になり、演劇部も廃部となり、自分たちで「黒猫」という演劇集団を結成。
また当時の状況劇場とか天井桟敷、東京キッドブラザーズなどに刺激を受けました。演劇でやっていけると確認したあと、劇団四季を受け合格。青年座が好きで受けるつもりが四季の試験で疲れ、入団テストを受けず、そのまま四季に入り、役者として活動を開始。
そして、劇団「四季」の入団テストが一番早くあったこともあり、試験を受け合格。
当時は、今のような大きな劇団ではなく、会社を回って切符を売り、その売り上げが配役に関係するような小さなものでした。四季にいる時からこれも阿佐ヶ谷にあった 東京バレーアート・カーネギーホールにも所属し、NYのカーネギーホールの中に稽古場があるBallet Art Studio66と姉妹校だったこともあり、留学を決意。
渡米時は1400ドルぐらいの所持金で、交通費を使ったら、所持金100ドルくらい。
ですが、NYにいるという興奮から、お金があるないなどは、あまり関係がなくなっていました。

裸のミュージカルLet my people come(Village Gate)で知り合った人の友達がブロードウェイで活躍している人で、渡米後すぐにそういった人に知り合えたことに興奮。
1年の滞在のつもりが、1年たった時、結婚する直前でした。
結婚した相手は、行きの飛行機の中で知り合った米国人女性。
今はこの女性とは離婚し、2番目のワイフがいます。

米国、NYは、こんな楽しい場所はないと思わせてくれるほど、当時の私には、楽しい場所。
そして、当時のワイフは、自分が出演してる芝居にタレントエージェントを招待しても来るわけがない わよと言っていましたが、来てくれただけでなく、テレビの仕事をすでに見つけてくれていた。
ですが、子供ができ、もう役者の仕事は無理かと思いきや、 ユニオンにも加盟でき、また其のおかげで、特別なアパートに入ることができました。
それは、2ベット、2バス、38Fで、自由の女神も見られる場所。それが月95ドル。
自分の収入の4分の1が家賃というアパートだったのです。
毎年、1年間の収入予定を自己申告し、家賃が決まるというところでした。
此のお陰で役者を続けていけるようになりました。

ホテル・レキシントンという由緒あるホテルがあり、その中の「ROPPONGI」というピアノバーでアルバイトしていた時、手相を見るお客さんがいて、「あなたは舞台で絶対成功します」と言ってくれたんですが、そういう、小さなことかもしれませんが、心の支えになっていました。

役者はセリフを覚えるので、記憶力が大切なんですが、
麻雀屋でのアルバイトでも、6テーブル24人分のオーダーを紙に書かずに覚えていたり
自分は聖徳太子よりすごいとか思ったりしてました。そういうとこで鍛えられたのかと。

僕は、米国で演劇学校ではなく、個人授業を受けていたのですが、たまたまバレー学校の友人がActor’s Studioの創立メンバーの一人で、彼女に頼まれスタジオでシーンを演じる機会を得ました。
そこで映画「エクソシスト」の母役をやったエレンバースティンにも指導を受けました。Actor’s Studioはとてもリアルな演劇をさせるのですが、非常にと変わった人が多かった。
レイプシーンのアクティングで、もう少しで本当にレイプが起こりそうになったとか。

ナショナルツアー
ブロードウェイでヒットした作品をキャストを替えて、全米ツアーをすること。
このナショナルツアーで、ジャッキー・グリースンなどとも一緒に舞台に立つことができた。
彼は、セリフがすべてリハーサル初日には入っていて、他のキャストがセリフを覚えるまで練習に来ないのです。Honey Moonerという番組で有名になった大スターですが、撮影ぶっつけ本番で演技するので有名だった人。しかし、ヘビー・スモーカーで、シカゴでハートアタックになり、心臓の手術で全国公演が途中でキャンセルになりました。このSly Foxという芝居のディレクターは
アーサー・ペンで彼はNYではトニー賞、ハリウッドではアカデミー賞をとった人で、こういう一流の人と一緒に仕事をしたということが今の自分に大きく役立っています。

嘘の演技をしない。
役者は嘘を言っちゃだめ。
泣きたかったら本当に泣き、笑いたかったら本当に笑う。
その時々の経験を忘れず、もう一度振り返って其の経験を再認識することが大事。
演技の幅を作るには、自分の表現の引き出しを多く持つこと。立ち止まってかんがえる時間も必要。
忘れない思い、痛み。そういったものを引き出しから取り出し、実際に感じたことを再表現する。それが大切だと思います。

今は合併しましたが、以前はAFTRAはビデオテープを使う、SAGがフィルムを使うユニオンでした。
ある程度仕事があると、ユニオンから健康保険ももらえるようになる。
忙しかった時は、昼間ソープオペラ、夜舞台、おなじ日にテレビで30分間の間に出演CMが3本流れることもあり、舞台のユニオンEquityを含め同時に3ユニオンの保険をもらうこともあった。
例えば11月、12月の2ヶ月で4万ドルの収入があることもあった。
今の若い人に言いたいのは、僕の頃は、河原乞食でないと、いい演技は出来ないと言われてた時代で、贅沢をせず、俳優をするのが当たり前でしたが、今の若い人は普段の生活も普通の人と同じように楽しんでいるが、其のお金があったら、自分に投資して勉強にお金を使ってた方がいいと思う。若いときにしか身につかないことが多くあるので、お金はあとからついてくるから、
その時にしかできないことがあるので、其の時を大切にしてほしい。

当時のニューヨークはモダンダンスの文化庁の派遣ダンサーぐらいしか、日本人がいない時代だったので、日本人役が回ってきやすかったのではないでしょうか?

昔の米国で活躍してた日本人の俳優さんに、
早川雪洲、青木つるこ、上山草人などがいました。 
当時、雪洲さんは、週に5千ドル(1920年代)をもらっていた。 サイレント映画時代。
自分の劇団もお持ちでしたし、演じた役柄のため、日本人コミュニティーから嫌われていたが貢献しようともしていました。

青木つるこさんは約40本の映画に出演。
雪洲さんが帰国後活躍した上山草人さんは47本の映画に出演。しかし無声映画時代が終わるとトーキーになり仕事がなくなった。

英語と日本語がネイティヴに喋れる人が増えてきている今、日本人の俳優も変わってくるのでは?と思います。

他によく聞かれるのは、「出演料はいくら?」という質問。
ユニオンが決めるミニマムレートがあります。
いろんなクラス、例えば エリアごとなどがありますが、
CMですと、8時間まで$671.69。しかし、放送ごとにお金が入る仕組み。
ネットワーク(TVドラマ)毎年値段が上がってきています。
現在:996ドル 

我々の仕事はエージェントがいないと成り立たないので、このミニマムレートではエージェントの仕事にならないので、上乗せの交渉をしています。

映画 8時間$933
映画1本いくらとか、Weekly Player とか、 とか、こちらもいろいろあります。

役者としては、今はあまり良くない時代。
昔は、戦後に近ければ近いほど、戦争物が多かったので、日本人、日系人の役も多かったのですが、今は減ってきていますよね。

他界された日系人のactorも亡くなる前、「俺がやりたかった役はみんな三船が持っていった」とおっしゃったように、米国にもたくさんいい日系の役者はいるのですが、日本で配役することがおおかった。それは、お金の問題(スポンサー)も関係してくるんです。


オーディション
時間に合わせて会場にいくのですが、オーディション会場で待っている人を見ると、大きな役をもらって活躍してた人がいたりします。
役が終わったらただの人。
よっぽどの俳優さんは別ですが、普通はそんな感じ。
僕はエージェントのオフィッスに遊びに行くように努めています。来るなというところもあるのですが、エージェントが何をやっているのか知りたいですよね。
昔は、今のようにインターネットでプロフィールを送る時代ではなく、郵送の時代。
なので、顔写真headshotとか履歴書(resume)の在庫をエージェントに行って確認を定期的に確認しに行ったりしてました。その時にエージェントと話も出来ます。今はインターネットで全て行います。

オーディションというのは、サイドというのがあり、そのシーンしか見られないのです。
新しいシーズンが始まると、それを全部みて、自分で研究したりします。
そのオーディションで出て来るキャラクターをどんな役者がやっているのかを調べたりします。
セリフとセリフの間のト書きは自分で作る。自分で足して行く。
だからactorによって解釈が違い、その解釈があっている役者が役を勝ち得たりします。
オーディションでやった演技が本番でもできることも大切。
受かればいいのですが、落ちた場合、受かった役者の演技をみて、反省。
そして その役のキャラクターにあっているか否かなど、いろいろな要因の運、不運があります。
自分で選ぶことができない。
落ちたら、また次があるさ、そういう気持ちでやっていかないと続きませんよね。

自分に役にたつのは、ショートフィルム。
お金にはなりませんが、精神的な充実感が得られ、デモテープにも使えます。
ビッグプロジェクトでは、自分のパートを演じ、お金にはなり、多くの人にみてもらう喜びはありますが、
ショートフィルムは、自分たちで作っているという過程も楽しめるんです。
そのフィルムメーカーがいつ有名になるかもわかりません。そこにチャンスが生まれる可能性があります。
[Eight Samurai]という、黒沢映画をフューチャーしたものを学生が作ったのですが、
それは日本の黒沢映画祭でも上映され、出演料チェックを送ってくれた初めての学生映画。


硫黄島からの手紙。
二宮くんに「自爆しろ」と命令する役だったのですが、その撮影現場に入るときには、彼は遠くにいても私の姿を見るとすぐ来て、しっかりと挨拶をしてくれ、礼儀正しく、本当にいい役者さんでした。

この映画に関して、日本からの俳優さんのオーディションを受けられる権利は何かの作品で主役をやったことがある人だけにしか与えられなかったそうです。

クリントイーストウッドのクルーは、何年も同じチームで動いていて、クリントが何も言わなくても、それぞれの役割が分かっていて、とても早いスピードで撮影が進んでいきました。



明日は明日の風が吹く そういう精神で今日まできました。

若い方々には、自分に投資をしていってほしいと思います。
お金は後からついてきます。
目の前のものを一生懸命やることが大切。
持って生まれたもの。それはハンデにもなりますが、
僕は才能がないと言われ続けました。しかし、唯一、続けていける才能があると言われました。
だから僕は今も続けています。





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2017年度 新年会 - エンターテイメント紹介

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2017年度 新年会 - エン... 2017年度 新年会 - エン... 2017年度 新年会 - エン...
エンターテイメント

"Viva la vida 2017 ¡Ole!-人生万歳2017!オーレ!" パッションとエネジーに溢れるSBMS新年会スペシャル”情熱フラメンコナイト”をどうぞお楽しみに!

2017年度新年会でのエンターテイメントはミカエラ・カイさんによるよりますメンコ舞踊を披露してして頂きます。

http://mikaelakaiflamenco.blogspot.com/p/blog-page.html

出演者 Mikaela Kai(ミカエラカイ)のプロフィール

99年よりフラメンコを始めグレンデール在住スペイン人アーティストのヨランダ・アローヨに師事。その後、何度か渡西し現地のアーティストのワークショップを通して習得を続ける。10年以上に渡り南カリフォルニアアンダルシア人会会員およびダンサーとしてイベント多数参加。結婚式などのプライベートパーティ―から一般イベントに幅広く出演。2006年にはギターリストのパコ・アローヨ氏率いるフラメンコグループに抜擢され、ラスベガス国際ギターフェスティバルにダンサーとして参加、スペイン領事公邸主催パーティー、日系県人会行事、日系アメリカ人協会、アルゼンチン人会、キューバ人会などの特別イベントなどに出演。最近では日米劇場で開催される南加県人会協議会年次イベントでフラメンコパフォーマンスを演出、披露。2010年には台湾系音楽アカデミーで子供向けリトミッククラス、大人向け舞踊クラスを指導し発表会で演出。2009年よりガーデナ市のフラメンコスタジオで指導活動を開始し、過去に6回の発表会を実施し、毎回完売のショーとなっている。高齢者、軽度認知症患者のためのカスタネットを使った脳トレクラスも実施中。ロスと熊本で高齢者施設での慰問ショー実施。Paco & Yolanda Arroyo Company “Herencia Flamenca”ダンサー、南加熊本県人会会員、南加埼玉県人会副会長。米国リフレクソロジー認定資格協会認定資格所有。西洋レイキ指導者、伝統靈氣施術者。

共演者Becky Stokes & Juanita (Jani) Quintero

Becky Stokes
Becky started dancing at the age of 3 with her first dance teacher, Estelita Russek. Becky’s studies in dance include, ballet, tap ,jazz, Mexican folklore and Spanish Dance.. She continued her passion for dance and was introduced to Flamenco as a teenager. She has studied with various teachers including Carolina Russek, Lola Montes, Juan Talavera and Angelita Macias. She has performed with the Carolina Russek Dance Company, performed at the Ramona Pageant in San Jacinto, and toured 3 years with the World renown “Charo” in Las Vegas and Lake Tahoe. Beckys passion for dance and theatre has allowed her the opportunity to choreograph musicals for the last 6 years at Cantwell –Sacred Heart of Mary High School.
Juanita (Jani) Quintero
Jani began her career in television as an actress appearing in soap operas and commercials. Once she was introduced to Flamenco in 1987, she decided to devote all creative endeavors to the dance. Jani has received most of her training from legendary dancer Yolanda Arroyo. For the past 15 years she has been performing on stage with Yolanda and Paco Arroyo’s Flamenco troupes, “Mosaico Andaluz” and “Caminos De España”, in various tablaos and festivals, including for the Spanish cultural organizations, Pena Andaluza en California and The Casa De España, for special events such as weddings and university events throughout Southern California. She has been collaborating and performing with renowned L.A. Philharmonic Orchestra Principal Cellist Dr. Janice Foy. She has had the distinct honor of performing at the Daniel Pearl World Days Music Festival in Santa Monica and at the Las Vegas Performing Art Center with special guest guitarist Paco Arroyo and his Flamenco Ensemble. She was the Flamenco dance choreographer for the Bilingual Foundation of the Arts (BFA) production of Federico Garcia Lorca’s Blood Wedding (Bodas de Sangre) (2011) and Child of the Moon (2013) and their 2011 plays La Vida es Sueño and La Salamandra.
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2017年度 3月 セミナーの予定 ー「ここが知りたい、外交官夫妻の日常・・・」。

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サンゼルス在日本国総領事 千葉... サンゼルス在日本国総領事
千葉 明(ちば あきら)氏
千葉裕子(ちば ゆうこ)氏 千葉裕子(ちば ゆうこ)氏
2017年 3月8日(水)のセミナーのお知らせ

今回は、2016年7月にロサンゼルス在日本国総領事に就任された千葉明氏と奥様をお迎えし、会場の質問に自由に応じて頂くことになりました。 最初に興味深いイランの体験談を語っていただきます。その後、知っているようで知らない公的な仕事、例えば大使館、総領事館の役目とそれらの違い、総領事夫人の日常その他、公私にわたる事柄をご夫妻と会場とのQ&A形式で自由に語り合います。

モデレーターは、国会と中央官庁街・霞が関を担当した経験(財務省、経産省、農水省を2、3年づつ担当)がある元・時事通信社の後藤英彦氏にお願いしました。 微笑みと納得と今後の相互理解につながる場となるようみなさまのご協力を切に期待しています。

講師: 千葉 明(ちば あきら)氏プロフィール
ロサンゼルス在日本国総領事
1959年 テヘラン生まれ
1984年 東京大学法学部卒業、外務省入省
1985年 北京大学研修
1987年 カリフォルニア大学バークレー校(修士)
1988年 在中国日本大使館二等書記官(政務)
1991年 大臣官房総務課
1993年 経済協力局無償資金協力課
1995年 欧亜局大洋州課首席事務官
1997年 経済協力局政策課首席事務官
1999年 在ジュネーブ代表部参事官
2001年 在中国日本大使館参事官(経済)
2004年 国際報道官
2005年 兼東京大学教養学部講師
2006年 国連企画調整課長
2008年 法務省入国管理局登録管理官  司法試験問題作成委員(国際法)
2010年 在アメリカ合衆国日本大使館公使(連邦議会)
2013年 在イラン日本大使館公使(次席)
2015年 日本学術会議事務局次長

<著作>
“Pacific Cooperation and China” The Pacific Review Vol. 2 No. 1 1989 “Traumatic Legacies in China and Japan: An Exchange” Survival, Vol. 47 No. 2 2005 「日中体験的相互誤解」 日本僑報社 2005 「一歩先を行く人の美しい中国語手紙の書き方」 国際語学社 2009 (中国語訳《中国传统书信鉴赏与写作》 世界图书出版公司北京公司 2014) 「中国語のきほんドリル」 国際語学社 2009 「日本人は誰も気付いていない在留中国人の実態」 彩図社 2009 「なぜアメリカでは議会が国を仕切るのか」 ポット出版 2014
<訳書>
「何たって高三!僕らの中国受験戦争」 日本僑報社 2006

千葉裕子(ちば ゆうこ)氏プロフィール
神戸大学教育学部卒業後、ロータリー財団の奨学金でカリフォルニア大バークレー校に留学、言語学修士を修めたあと、NTT 情報通信処理研究所に入所、自然言語処理技術の開発に携わる。結婚後、海外では夫、千葉明氏のサポート、日本では専門学校で言語学、日本文化等の非常勤講師を務めている。Japan America Student Conference(日米学生会議)の OGで、OB、OGにはキッシンジャー、猪口邦子等の政治家、経済人、茂木健一郎等の学者や政府高官等がいる。Washington Tokyo Wemen’s Network が発行する VIEWS の Web Magazhine に時々執筆している。



* 開催日: 3月8日(水)
* 時 間: 6:00 p.m. ― 6:30 p.m. (ソーシャルタイム)
           6:30 p.m. ― 8:30 p.m. (セミナー)
* 場所: ニューガーデナ ホテル   
            1641 W. Redondo Beach Blvd., Gardena, CA 90247
     Tel: 310-327-5757

* テーマ: 「ここが知りたい、外交官夫妻の日常・・・。」
* 講 師 : 千葉 明氏
* 連絡先: 太田光子 Tel: 714- 557-2424 
* 締 切 : 3月6日(月) 5:00 p.m. までに出欠のご連絡をお願いいたします。

出欠登録状況により会場の手配等をおこないますので、必ず登録をお願いします。

セミナーのお申込みはこちらから
http://www.sbmseminar.org/page/registration

* 非会員の方はお一人につき参加費$15となっております。
* 会員家族(配偶者, 親, 子)の参加費は無料です。

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#SBMSセミナー情報

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2017年度総会・新年会のお知らせ

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恒例のサウスベイマネジメント・セミナー総会及び新年会(お食事付き)を、以下の要領で開催いたします。 パートナー、友人をお誘い合わせの上、是非ともご出席ください。
SBMS会員の皆様には詳しいインフォメーションをお送りしていますのでお確かめください。
日 時:2017年1月18日(水)
受付開始:5:30 pm
総 会:6:30 pm - 6:50 pm
新 年 会:総会終了後(6:55 pm頃) - 9:00 pm頃
場 所:Miyako Hybrid Hotel Torrance (ミツワ・トーランス店隣)
21381 S. Western Avenue
Torrance, California 90501 USA
Phone: 1-310-212-5111
SBMS会員の方は専用の申し込み書をここをクリックしてご使用ください。 Media:2017New_Year_Party_Registration
#sbmsご報告

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2017年度 2月 セミナーの予定 ー 「アメリカで俳優として生き抜いてきた50年」

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講師 戸田年治氏 講師 戸田年治氏
2017年2月8日(水)のセミナーの予定

タイトル:「アメリカで俳優として生き抜いてきた50年」

ニューヨークでのブロードウェイからロスアンゼルスでの映画、テレビドラマに出演してきた芸歴50年の経験を持つトシ・トダが自らの経験を元に どのようにアメリカの芸能界を生き抜いてきたのか、いろいろな人間との出会いを経て、その中から生きていく目的、それに必要なエネルギーをどう作って行くかをみなさんと考えて行きたいと思います。 アメリカに来た時と今の状態の違い、役者たちの経済、映画や舞台の裏話など興味深い話が満載です。

講師
戸田年治(とだ としはる)氏プロフィール

東京都杉並区阿佐ヶ谷出身。 小学校時代には祖母に映画、母親に東宝の舞台によく連れて行かれて過ごす。 19歳の時に浪人をしながらモダンダンスを当時ニューヨークに住む著名舞踊家三条万里子に師事。初めて海外の舞台の情報を得る。役者に成る為にはまず体をコントロールすることを学ばなくてはいけないと認識したのが、きっかけとなる。 すぐにプロの役者に本当になりたいのか、自分を確認する為にとにかく大学に入り、演劇部で経験してからでも遅くないと思い、大学に入るが、当時の学生運動、東大闘争が勃発し、演劇部も潰れてしまうが、自ら演劇集団黒猫を作り演劇活動に2年間勤しみ、この仕事をしたいと再確認し、劇団四季に受験、合格となり、そのまま大学退学。プロとしての道が始まる。四季に在団中バレー、ジャズダンスも始める。3年間四季に在団のあと、オペラ歌手の帆足拓也率いる音楽シアターに参加。その後、バレー学校の姉妹スクールがニューヨークにあり、1974年留学する。1年留学の予定がそのまま永住権を取得、オフ、オフオフ、オンブロードウェイの舞台に出演。ブロードウェイミュージカル“Anything Goes” を2年間続けたあと、ロスに移住。ニューヨーク生活17年。ロスに移住後数々のテレビ番組、映画に出演。現在に至る。ロス在住25年。舞踊家時代を含め50年の芸歴になる。 
主な作品: 『硫黄島からの手紙』『ジャスト・マリッジ』『もしも昨日が選べたら』『パール・ハーバー』『GODZILLA ゴジラ』『ER』『フラッシュフォワード』など、アメリカのテレビ・シリーズや映画を中心に活躍。

出演作品
https://drive.google.com/file/d/0B1scdJVhAJdjcF9Cc2k1Q3VJVXM/view?usp=sharingOn

* 開催日: 2月 8日(水)
* 時 間: 6:00 p.m. ― 6:30 p.m. (ソーシャルタイム)
           6:30 p.m. ― 8:30 p.m. (セミナー)
* 場所: ニューガーデナ ホテル   
            1641 W. Redondo Beach Blvd., Gardena, CA 90247
     Tel: 310-327-5757

* テーマ: 「アメリカで俳優として生き抜いてきた50年」

* 講 師 : 戸田年治氏
* 連絡先: 太田光子 Tel: 714- 557-2424 
* 締 切 : 2月6日(月) 5:00 p.m. までに出欠のご連絡をお願いいたします。

   セミナーのお申込みはこちら登録できます。
   http://www.sbmseminar.org/page/registration
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2016年度 12月 豆腐バカ 世界に挑む!

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雲田康夫氏 雲田康夫氏
副題 コンニャク シラタキで世界を救うか。。。。。

今から32年前、”アメリカ人の食卓に豆腐(TOFU)を載せること”それが会社が私に与えたミッションでした。最初の私のニックネームも誇らしいものでした。豆腐を米国人市場に普及する豆腐伝道師(MISSIONARY)、次いでMr TOFU(ミスター豆腐)

ミスタージャイアンツと言えば あの有名な長嶋茂雄だからMr TOFUも悪くはない。しかし寝ても覚めても豆腐の事しか考えず20年間猪突猛進、結局最後 は”豆腐バカ”となった。
でもバカで見えてきたものがあった。
それはなにか?
豆腐に続いて、世界で日本人しか食べないコンニャクの普及に挑戦は何を意味するのか?豆腐の角に頭をぶつけて死ねないでいる姿をお話する。

雲田康夫(くもだ やすお)氏プロフィール
日本食文化振興協会(NPO法人)理事長
元米国森永乳業社長
現フレックフード社 会長CEO
1941年、旧樺太生まれ。
1965年、青山学院大学卒業、同年森永乳業入社。
新製品開発部で、「ビヒダス牛乳」の開発を手掛けた後、国際部に転籍し、長期保存の豆腐プロジェクトに参画。
1985年6月、米国現地法人「Morinaga Nutritional Food, Inc.」を設立し、社長に就任。
2005年 社長を退任、顧問に就任。
2007年、顧問を退職するとともに、森永乳業東京本社も退職した。
2006年、フレックフード社会長就任。
2007年、農林水産大臣表彰。
2008年、日本食文化振興協会、理事長に就任。
2015年 総領事表彰
2016年 叙勲表彰旭日双光章
食文化の壁を乗り越えて、米国に豆腐を普及させた「ミスタートーフ」。家畜の餌だった大豆を「トーフシェーク」として米社会に定着させるまでの悲喜こもごもの奮闘記を、時に聞き手をほろりとさせながら、表情豊かに語る。新規ビジネスを模索する企業経営者はもちろん、すっかり元気がなくなった最近の日本人に活力を与える講演。会場は、講師の人柄から出る「一生懸命な雰囲気」に包まれるという。
〔主な兼職〕 中京大学客員教授
〔主な著書〕「豆腐バカ、世界に挑む」(光文社)
「売れないものは俺に任せろ」(光文社)
(豆腐バカ世界に挑んだ20年)集英社文庫本
なぜそこに日本人が? スペシャルバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=irAmv157HyY&feature=youtu.be

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開催日 :2016年12月14日(水)

時間
受付  : 6:00 P.M.― 6:30 P.M. (ソーシャルタイム)
セミナー : 6:30 P.M.― 8:30 P.M.

場所:New Gardena Hotel
1641 W Redondo Beach Blvd, Gardena, CA 90247   Tel: 310-327-5757

連絡先
太田光子 714-557-2424
メールアドレス ota#pi-water.com
スパム対策のため'#'を'@'で置き換えてください。

締め切りと出欠登録
12月12日(月)5:00PMまでに出欠のご連絡をお願いいたします。
出欠登録状況により会場の手配等をおこないますので、必ず登録をお願いします。

参加登録は、ここをクリック(会員専用)
非会員の方でセミナーへの参加ご希望の場合
セミナー委員長:太田光子までご連絡ください。

連絡先 714-557-2424
メールアドレス ota#pi-water.com
スパム対策のため'#'を'@'で置き換えてください。

#SBMS過去のセミナー

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2016年度 11月 いざという時でも慌てない! 「がん」という病気への知識と心構え

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2016年度 11月 いざとい... 2016年度 11月 いざとい... 2016年度 11月 いざとい... 2016年度 11月 いざとい... 2016年度 11月 いざとい... 2016年度 11月 いざとい...
日時: 2016年11月9日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師:谷川啓司(たにがわ けいし)氏
講演録担当:佐伯和代

講師略歴:
ビオセラクリニック 院長 (東京都新宿区) 東京女子医大・消化器外科非常勤講師 医師・医学博士
1964年東京生まれ。 防衛医科大学を卒業後、東京女子医大・消化器外科入局。
1996年から1999年ミシガン大学医学部腫瘍外科にて癌免疫療法の研究にsenior fellowとして従事。帰国後も外科医だけでなく癌免疫療法医として多くの臨床研究に参加。
2003年より現職。 「がん」やその治療の意味をわかりやすく説明しながら、患者の持つ免疫の重要性を説いた著書の「がんを告知されたら読む本」は様々な書店やネット販売で何度となくベストセラーになっている。
講演録:   講演の資料はここをクリックしてご覧下さい。Media:Dr.Tanigawa PDF.pdf
東京女子医大で外科医としてがんの手術や抗がん剤治療などに携わってきましたが、それ以外にも学生時代から、『免疫』という研究テーマを持っていました。 「免疫」という観点から見てみると、がんについて、いろいろなことがわかってきました。現在治療をうけていらっしゃる方もがんというものがどんなものなのかもわからず治療を受けていることが多いのが現状です。そこで本日はがん自体やがん治療というものを皆さんに理解して頂くようなお話をします。
がんとはどういったものでしょうか?
がんというと「怖い」「死に至る病」といったイメージばかり先行しますが、「がん」とはなんなのか、その実態を理解するところから始めましょう。
がんの実態とは。 がんと言う塊ができるという知識は誰にでもありますが、その塊は何からできているのでしょうか? それはもちろん細胞です。つまり、ただの細胞が増え続けた結果、塊になったものです。その塊を作った細胞(つまりがん細胞)とは、いったいどんなものでしょうか。
まずその前に、私たち人間が何からできているのかを知ることから始めましょう。私たち人間の成り立ちは精子と卵子が受精した受精卵という、たった一個の細胞から始まりです。この一個の細胞が数を増やし、ただの細胞の塊だったものが、いろいろな形や役割をもった細胞に変化しながら生育し赤ん坊として生まれます。さらに細胞数は増え続け、60兆にまで増えて今の成人としての私たちの身体ができています。
細胞は生き物である以上、必ず寿命があり、定期的に死んでいきますが、それと同時に新しい細胞を作り続けることで細胞数の数を維持しています(新陳代謝)。
作られる新しい細胞も同じ正常な遺伝子をもち続けなければいけません。しかし、残念ながら大量にある遺伝子情報を間違いなくう写しつづけることは難しく、少なからず間違いが起こってしまいます。実はこの遺伝子の写し間違いを起こす細胞数は日々、数千個の単位でおこっています。しかし、それらが全てがんになるわけではありません。たまたま、ここに間違いが起こればがん化してしまうという遺伝子の部分があります。このがんになってしまう遺伝子の間違いの条件は二つあります。
一つ目の条件は細胞が増え続けてしまう事。細胞は寿命が来る前に一度だけ分裂して新しい細胞を作っておけば、細胞の数を維持することができます。しかし、寿命が来る前に2度以上分裂すれば、寿命が来る前にどんどん細胞が増えてしまいます。その細胞は、次々と生まれる細胞にその性格を伝えるために常に増え続けてしまいます。肉眼で見えなかった細胞も、いずれ塊をつくり、さらに大きくなり続けることになります。
この条件だけでは、まだがんにはなれません。
二つ目の条件は転移できる性格を持つことです。私たちの細胞は既に皮膚の細胞、筋肉の細胞、肝臓の細胞と最終の成熟した細胞になっています。同一の人間であれば皮膚の細胞は皮膚へ、肝臓の細胞から肝臓へは移植をしても簡単に生着することができます。しかし、皮膚の細胞が肝臓へとか、乳腺の細胞が肺組織には生着することはできません。それが生着できるようになる事がもう一つの条件です。 つまり最初の条件で細胞が増え続けると、大きくなる途中で血液やリンパ管といった流れのある部分に到達し、その流れにのって移動することが可能になります。そこでこの条件が同時にあれば、他の組織で生着可能となり、そこで増殖し続けて塊が確認されれば、それを転移と診断されます。
この二つの条件を同時にもつ細胞をがん細胞といい、この細胞はどんどん増え続けて塊を作り、それだけでなく、途中で血液やリンパの流れに入って移動してもそこで増え続け、転移の塊を作ることができるのです。
これらの間違いが起こるのは、細胞分裂で遺伝子を写すときに生じるただの偶然です。ただし、この偶然の頻度も一様ではなく、様々な要因でその偶然の頻度も変わります。そこには環境(住居環境、地域環境)や生活(喫煙、飲酒等)、時間(長寿)といった因子が関わってきます。
がんはあくまでも、がん細胞というただの細胞が増え続ける病気でしかありません。にもかかわらず、どうしてがんを恐れるのでしょうか?
がんは日本人の死因第一位の不治の病として恐れられ、誰もががんになることで死の恐怖を感じます。しかし、よく考えれば、私たちはがんとは関係なく必ず「死」を迎えます。

では、「死」とはどうして起こるのでしょうか?つまり私たちが命を失うとはどういう状況なのでしょうか? 
私たちの体は腕、足、内臓、いろんな臓器や器官でできています。これら全てが生きるために必要というわけではありません。なければ不便というだけで、死ぬことのない器官や臓器もあります。しかし、心臓、肺、血液、肝臓、脳など、、いわゆる五臓六腑と言われるようなもの多くは、生きるために絶対必要です。これら重要臓器が生きるために最低限必要な機能を維持できなくなれば命を失うことになります。がんが進行して死んでしまう理由も必ず同じ理由です。 例えば、肺にがんができて大きくなれば、がんの部分は肺の機能を持たないので、その分だけ肺の機能は落ちます。大きくなったり数が増えれば、その分機能がおち、最低限の肺機能を失うほどがんが大きくなれば命を維持できなくなるのです。骨肉腫なら骨の部分だけにしか癌がなければ、死ぬことはありませんし、乳癌もそうです。ただし、肺や脳といった重要な臓器機能に転移した場合命を落とす可能性がでてくるのです。
皆さんが癌と診断されれば、いよいよ治療を受けます。通常の治療は手術、放射線、抗がん剤といった三大治療です。これらは大きく二つのグループに別れます。手術と放射線治療のグループ、そして抗がん剤がもう一つのグループです。
手術治療と放射線治療:
手術も放射線もがんと診断される塊が存在していなければ治療はできません。がんはがん細胞が増える病気でありながら、細胞自体は肉眼で見ることができません。つまり、手術も放射線も、がんの実態であるがん細胞を対象としているのではなく、細胞が増えた結果、肉眼でも見えるくらいの大きさになった塊を治療の対象にしている、局所的な治療なのです。
抗がん剤治療:抗がん剤は、がんの存在部位がわかろうと、わかっていまいと構わず点滴や飲み薬で治療ができる全身治療です。つまり、抗がん剤は肉眼でも見ることができないがん細胞に対する治療でもあります。
がん細胞を一個残らず排除できれば、増える細胞がなくなるので、必ずがんは治ります。がんの進行度がStage I であれば、まだ血管やリンパ管に入り移動していない可能性が高く、局種の治療、つまり手術などで根治できる可能性は高くなります。ステージIVであれば、既に血管などを通して転移している状態なので、肉眼で見える部分を治療しても、必ず見えない部分にがん細胞は残っているので、手術をしても痛い思いをするだけで、基本的に手術適応はなく、全身治療として抗がん剤治療となります。
癌に対する抗がん剤治療。
抗がん剤はエビデンスのある治療とよく言われます。これは既に臨床試験で一定の割合の人にがんが小さくなることが認められています。この一定の割合でがんが小さくなる率が有効率とよく言われる値になります。この有効率は通常20-30%程度、とてもよく効く抗がん剤でもせいぜい40-50%程度までです。ただこの値は治る確率ではなく、小さくなる確率でしかありません。このことを知ると、多く患者さんはがっかりすることもあるかもしれませんが、放置すればがんは確実に増え続けるので、大きくならなくなるどころか、小さくすることができる事の意義はとても大きいのです。 塊が小さくなるというのは、そのがん細胞の数が減ることを意味します。
そして抗がん剤を使って、がん細胞数が減るという事は、抗がん剤がそのがん細胞を直接殺してくれているのかと思いがちですが、実はそうではありません。 抗がん剤は、増えるのを止めているだけなのです。では、増えるのを止めているだけなら、がんの塊はどうして小さくなるのでしょうか。。。
抗がん剤で増えないように止めている間に、実は、自分の「治癒力」「免疫」ががんを殺傷し数を減らしているのです。
身体の免疫の働きを考えてみましょう。これはとても本能的なもので、身体の中に異常なものがいれば排除しようとする働きです。
例えばミツバチの巣に、スズメバチが1匹舞い込んできたら、ミツバチの働きバチはいっせいにそのスズメバチを攻撃します。それと同じです。
がん細胞は元々正常だったといっても、今となっては遺伝子異常をきたした異常細胞であり、当然免疫はがん細胞を排除の対象として攻撃を始めます。しかし、残念ながらがん細胞自体も増え続けており、その速度は免疫による排除速度よりも速いのです。したがって、免疫が働いているのに、がんは増え続けて大きくなってしまうのです。

がんは初めてがんができたころから、このがん細胞が増える速度と、免疫が排除する速度の差の速度で増え続けます。最初は肉眼で見える大きさではありません。しかし、いずれ肉眼でも見えるようになり、いよいよ我々はがんを診断される時が来ます。そこで、手術や放射線といった塊を排除する治療を行ったとします。そこで、その排除される部分にすべてのがん細胞が肺っていれば、がんは根治します。しかし、血管やリンパ管で移動しているかもしれないがん細胞を私たちはどんな機器を使っても診断できません。もし残っていれば、手術の後に、やはり同じ速度で増え続けて、いずれ検査で見える大きさになります。その時再発と診断されます。これに対して抗がん剤はがんが増える速度を下げる薬ですが、この時がん細胞自体が持つ増殖の速度が減らされて、その増える速度が、免疫による排除速度を下回るほど減らすことができれば、がんの増える速度よりも免疫により排除される速度が上回るので急激にがんは小さくなることができるのです。つまり、抗がん剤は、がんの増殖速度を減じることで、免疫の排除速度を下回るように力のバラスの逆転を狙っている治療になります。
しかし、現状の医療をもってしてもがんが根治していることはあまりありません。がんが増える力と免疫による減らす力のバランスの逆点を狙う方法をがん自体の増殖力を減らす事だけでなく、排除する免疫の力を上げる新しい試みが今、模索されているのです。
どうすれば免疫を上げられるのか、そのためは、まずどうして免疫は、うまくがん細胞を攻撃できないのか?を理解する必要があります。
*相手を敵として見つけにくい
免疫は異物を排除する力ですが、異物であることがわからなければ何もすることができません。ところが、がん細胞はもともと正常細胞であったもので、免疫細胞にとって異物だと判断できる外見上の違いや特徴がとても少ない細胞なのです。区別できる特徴が少なければ、見つけて攻撃する頻度も減るし、そもそも区別する特徴自体が少なければ対応も難しくなります。
*免疫の攻撃を邪魔される
免疫は私たちの正常組織を攻撃することは基本的にありません。しかし、がんは異物でありながらも、自分が正常である振りをして免疫からの攻撃を避けるように働きかけるというメカニズムは解明されてきました。
*現場の士気も落ちている
免疫は私たちの身体の防御という役割を担っており、そこには現場で働く選手や兵士といった多くの力と、それを指示・指導するコーチのような存在があります。異物の目印を指示して攻撃目標を教えたり、また攻撃させないように邪魔させたりといったメカニズムは、主に指導するコーチ側によるものですが、現場の戦力として士気が下がるようなことも起こっており、これも免疫がうまく働かない理由の一つにもなっています。
免疫療法(免疫を上げる方法)
がん細胞を敵として見つけにくいことの対策
異常な侵入者に対する私たちの免疫反応には、見つける専門の細胞と、攻撃専門の細胞が存在しています。攻撃専門細胞は普段は待機しているだけの状態で、自らが攻撃状態になることはありません。ところが見つける専門細胞が異物の存在情報を察知すると、攻撃専門の細胞に戦闘状態にさせるべく活性化刺激を与えるのです。しかし、がん細胞に関しては正常との違い自体があまりないため、見つける細胞も気づく機会が少なく、またそれに伴って攻撃細胞への活性化刺激を与える機会があまり訪れません。そこで、攻撃する免疫細胞(リンパ球)を採取して、強制的に体外で活性化刺激を人工的に与えて身体に戻す方法が考えられました。これを活性化リンパ球療法と言います。さらに、私たちの身体の免疫は気づいていなくても、がん細胞の外見上、区別できる目印があり、これを自分たちの免疫に目印と新しく教えることで、これまで対応できなかったがん細胞を新しく攻撃できるような対応をさせることができるようになりました。このように、今まで気づいていなかったがん細胞の目印・特徴を免疫に伝えることをワクチンといいます。この目印や特徴は私たちの免疫の細胞である樹状細胞という細胞の働きで行われます。そこで私たちの樹状細胞を採取して、がんの目印を強制的に与えて身体に戻すことを樹状細胞ワクチンと言います。どちらの方法も、がん細胞を見つけにくさに対する免疫反応を増強させる手段になります。

免疫の攻撃を邪魔されることの対策
免疫はがん細胞の外見上のある特徴に対してこれを攻撃しようとします。しかし、がん細胞は増殖するうちに、私たちの免疫に働きかけ、自分は仲間であるために攻撃をかけさせないように働きかけ、それに応じてしまう免疫細胞を誘導するというシステムがあることがわかってきました。このようにがん細胞の攻撃をさせないように邪魔をする働きを免疫チェックポイントと言います。このメカニズムがわかってきたために、これを阻害することで本来のがんに対する免疫反応を邪魔されることなく、攻撃ができるようにさせる薬が開発されました。これを免疫チェックポイント阻害剤といい、今世界中で画期的ながん治療薬として研究開発が進んでいます。
現場の戦力が落ちていることの対策
免疫の基本的な力が既に不十分であったり、がんがあるために低下させられたりすることもあります。これらの基礎的な力を上げるために、様々なことが補完・代替医療として利用されることがあります。それには食事療法、サプリメント、漢方医療といったもの、心身療法や鍼灸・マッサージなど、心理療法やカウンセリングによっても免疫を上げる事ができます。そして症状を感じなくさせる緩和医療も免疫の低下を防ぐ方法と考えられます。これらによって、がんが治るわけではありませんが、免疫を少なからず上げる事により、がんの進行を抑制したり、がんを刻激する免疫によっての補助的な効果を発揮します。
がん治療と心の問題
がん患者の心理状態の変化はがんを告知された以降に始まります。また、がんとの係の有無に関わらず、何らかの症状があると突然不安になるような変化を生じます。この心理状態の変化は正常状態と抑うつ状態とが繰り返すように現れ、基本的には抑うつ状態が優勢になります。
心理的に抑うつになると、様々な症状も過度に敏感になるために出やすくなり、これがさらに不安や心理的抑うつを誘導します。 心理的抑うつは免疫の低下も起こすことも以前から知られており、この心理的な抑うつが免疫力の低下を、そして免疫の低下が治療に抵抗したり、病状を進行させたり、これが結局症状の悪化につながり、心理的な抑うつを誘導するといった悪循環に陥りやすくなります。したがって、この悪循環を断ち切ることががん治療によっては重要になります。
増えるがん細胞 VS 減らそうとする免疫
がんに対する考え方のまとめです。がんと言う病気はあくまでも、がん細胞自身が止まることなく増え続け、血管やリンパ管といった部分侵入することで身体の様々な部分にまで移動し増えることができます。しかし、それと同時に、私たちの免疫もがん細胞を異物としてとらえ、これを排除しようとしています。
つまり、身体の中では増えるがん細胞と減らす免疫との闘いが常に繰り広げられています。この二つの力のバランスを常に私たちに有利になるようにもっていく必要があります。がんとの闘いは勝ち負けで語るのではなく、増えるがんをおさえ、排除する免疫を上げる事で、体内のがん細胞数の増加を防ぎ、可能ならばその数を減少させるようにすることを考えることが必要です。

増えるがんに対しては、現代の医療の大半がこの対策になっており、細胞が増えた結果、塊として存在するものに対しては、その容量を減らす手術や放射線治療が、そして、増えようとする力を減じさせるのが抗がん剤治療です。また減らそうとする免疫の力を上げるために、見つけにくいがんに対して少しでも攻撃性を増すように、活性化リンパ球療法、樹状細胞ワクチン療法、また温熱療法なども行われています。また免疫の反応を邪魔するメカニズムの解明により、免疫チェックポイント阻害剤の登場がこれから大きな力となるでしょう。そして、皆さん自身ができる免疫を上げる方法は、少しでもがんの実態を含む意味を認識し、恐れることなく、前向きに対応していくことががん治療を有利に運ぶことになるのです。
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