西江大学の教室にて、クラスメートと(右から3番目が私)。
今でこそ、韓国といえば韓流ですが、私が住んでいた90年代は『釜山港に帰れ』のチョーヨンピルが‟韓流”でした。韓国に住むと言ったら「北京に住むの?」などと聞かれた時代です。
また、日本の韓国語クラスに通っていた80年代は、クラスメートの中高年女性に「どうして韓国語を習おうと思ったんですか?」と問うと非常に慌てられ、「ち、違うんです、違いますよ」と言われたような時代でした。その理由は未だ定かではありませんが、長年時折思い出しては考えた結果、もしかしたら自分は韓国人じゃないと言いたかったのかも?と推測しています(どちらでも良いのに)。
韓国に引っ越した最大の理由は、やはり私が育った福岡という立地にあります。ラジオでは韓国の放送が聞こえていましたし、自転車でぷらっと船着き場に行って、気が向いたらしばしば釜山行きの船に飛び乗ったものです。するとわずか2時間45分で釜山に着きます。
最終的に決意したのは『るるぶ』という雑誌の韓国版の編集者になってからです。韓国にちょくちょく取材旅行に行くのですが、会社がけちって雇った学生通訳さんは、なかなか通訳してくれません。長々と話し込み、時に大声で口角泡を飛ばすこと20分。しびれを切らして、「どうしたんですか?」と聞くと、「OKだそうです」とただ一言。
街角でもやたらに怒鳴っている人が多く、一体何が起こっているんだと思うことばかりでした。「知りたい。なんて言っているか知りたい!」。そんなむくむくと気持ちが芽生え、しまいにはソウルの西江大学の教室に座っていたのです。
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