私のハートのかけら
リサもこの気持ちを知っている...。「心の小さな一部分を持ち去る」…これほど的確な表現はあるでしょうか。そして想像してみました。私のハートのかけらを持って行ったワンコたち。私のハートのかけらがお守りになったらいいのに、なんて思いながら。
シェルターでナンパされて
泣きながら会いに来た人々(レスキューの話)
荷風『あめりか物語』:読後の雑談
日本も既に明治時代でしたが、ニューヨークのきらめきは比べ物にならないほど大規模だったのでしょう。”電燈の魔界”、心躍りますね〜。
【約130年前】荷風が描いた私娼窟、最下層”以下”の人々
”米国の社会一般が劣等な人種とよりは、寧(むし)ろ動物視している支那人”(※原文ママ)の客を取るために、中華街の長屋を根城にしているアメリカ人娼婦たち。強い酒をあおり、腹痛に叫ぶ者あり、アヘンの吸引器を抱いて眠る者あり、そこは生き地獄を思わせる世界です。
が、『あめりか物語』には驚くことに、彼女らよりさらに深く堕ちた人々が描かれています。
”殊更(ことさら)哀れと恐しさを見せるのは、明日は愚か今日の夕(ゆうべ)の生命さえも推量(おしはか)られぬ無宿の老婆の一群である。”
”かの女郎の身の上をば、これが人間の堕ち沈み得られる果(はて)の果(はて)かと早断(そうだん)したが、そのまた下には下があった。最後の破滅”
”彼らは、その捻曲がった身をば、やっと裸体(はだか)にせぬばかり、襤褸(ぼろ)を引纏い、腐った牡蠣のような眼には目脂(めやに)を流し、今はただ、虱(しらみ)のために保存してあるといわぬばかり、襤褸綿に等しい白髪を振乱して、裏長屋の廊下の隅、床下、共同便所の物陰なぞに、雨露を凌いでいて、折々は頼まれもせぬのに、女郎の汚れ物を洗ったり、雑用をたしたりして、やっとその日の食にありついているのである。”
娼婦の部屋を巡り歩いて物乞いするこれらの老婆を邪険に扱えば、その場で夜を通して泣きわめいたり、寝ころんで動かなかったりする上、呪いのような言葉を言い放つこともある、と。
”「(前略)お前さんも、もうじきだ、みじめを見た暁(あかつき)に思知るだけのこと...。お前さんはまだ若くって、いくらでも商売が出来るつもりだろうが、瞬く中だよ。じき及公(おら)見たようになっちまう」”――そう言い放った老婆が自分の手を突き出すと、娼婦は叫び声をあげてベッドに突っ伏した、とありますが、差し出したのはどんな手だったのでしょう。もしかしたら当時有効な特効薬がなかった梅毒の症状が出ていたのかもしれません。
荷風が描いた約130年前のNY中華街が貧民窟
”紐育の中の貧民窟という貧民窟、汚辱の土地という土地は対外歩き廻ったが、ああ! この恐るべき欲望を満すには、人の最も厭み恐れる支那街の裏屋ほど適当な処はないらしい。しかり、支那街――その裏面の長屋。ここは乃(すなわ)ち、人間がもうあれ以上には、堕落し得られぬ極点を見せた、悪徳、汚辱、疾病、死の展覧場である…”
人間が堕落し尽くしたその極点の場所であり、「死の展覧場」ですよ。しかしなるほど、その表現が決して大袈裟でなかったことは後の話でよく分かります。
と、その前に、私はニューヨークに詳しくないのですが、中華街は数カ所あるようですね。この『あめりか物語』の一章「ちゃいなたうんの記」に登場するのは私も行ったことのある、ブルックリン大橋そばの中華街のようです。
”そこがもう貧民窟の一部たる伊太利亜の移民街で、(中略)だらだら坂を上れば、忽(たちま)ちプンと嫌な臭気(におい)のする処、乃(すなわ)ち支那街の本通りに出たのである。”
ここに出て来る「伊太利亜の移民街」は地理的にも、現在、人気観光スポットとなっているリトル・イタリーのことかと思います。
――中華街の裏長屋の描写
”(前略)敷石の上には、四方の窓から投捨てた紙屑や、襤褸片(ぼろきれ)が、蛇のように足へ纏(まつわり)付くのみか、片隅に板囲いのしてある共同便所からは、流れ出す汚水が、時によると飛越し切れぬほどな、大い池をなしている事さえあり、また、建物の壁際に添うては、ブリキ製の塵桶(ごみおけ)が幾個(いくつ)も並べてあって、その中からは盛(さかん)に物の腐敗する臭気(におい)が、ただでさえ流通の路を絶れた四辺(あたり)の空気をば、殆(ほとん)ど耐えがたいほどに重く濁らしている。”
どんだけ汚いんでしょ。馬糞だらけ、機関車の煙で煤だらけ、労働者の汗のにおいが漂う日本人町(シアトル)は不可抗力の汚れとして、こちらは”人”がまき散らした汚れですね。
こんな裏長屋になぜ主人公が訪れるかというと、ここが私娼窟だからでした。荷風の小説『墨東奇譚』でも主人公は私娼窟のある町(東京の向島区にあった玉の井)を、貧しい身なりに変装してまで訪れています。また、『ふらんす物語』でも娼婦との交流が多く描かれています。
が、『墨東奇譚』や『ふらんす物語』に登場するどこか趣ある私娼窟と、このニューヨーク・中華街の私娼窟は悪い意味でレベチ。中でも中華街を根城にしている”アメリカ人私娼”の描写は悲惨そのものです。
”べったり白粉を塗立てた米国の女が、廊下に響く足音を聞付けさえすれば、扉を半開に、聞覚えのある支那語か日本語で、吾々(われわれ)を呼び止める。”
日本語で呼び止めるぐらいですから、当時そこに通う日本人がいたということでしょうね。
”哀れ、この女供は、米国の社会一般が劣等な人種とよりは、寧(むし)ろ動物視している支那人をば、唯一の目的にして――その中には或る階級の日本人も含んで――この裏長屋に集まって来たものである。”
”人間社会は、如何なる処にも成敗、上下の左右を免れぬ。一度(ひとたび)、身を色慾の海に投捨てても、なおその海には清きあり濁れるあり、或者は女王の栄華に人を羨ますかと思えば、或者は尽きた手段の果が、かくまでに見じめを曝(さら)す。彼らは、何(いずれ)もその身相当の夢を見尽くして、今はただ「女」という肉塊一ツを、この奈落の底に投げ込み、もう悲しいも嬉しいも忘れてしまった。”
”幾杯となく煽った強い火酒(ウイスキー)に、腸(はらわた)を焼きただらせ、床の上に身をもがいて、大声に自分の身の上をいい罵り、或いは器物を破(こわ)し、己の髪毛を引きむしっているなぞは珍しからぬ例である。”
”この狂乱の時期さへ経過してしまって、折さえあれば鴉片(あへん)の筒を恋人の如くに引抱え、すやすやと虚無の平安を楽しんでいるも少くはない”。
「廃人」という単語ほど適切な表現はないでしょう。
荷風の描いた約130年前のシアトル・日本人町がエグい
ハーブで記憶力アップ作戦
1階に物を取りに行ったら、何を取りに行ったか忘れる――なんてまだ数分間あくので良い方です。戸棚を開けて何を取ろうとしたか忘れる、さらにはバッグを開けて何を取り出そうとしたか忘れる昨今の私。
仕事も随分手間がかかるようになりました。文字表記統一も(出版物では全体を通して同じ表記である必要があります。例えば「癒し」「癒やし」など)、以前は丸暗記していたのにもはや怪しく、いちいち表記辞典を開かなければなりません。
そんな中、ふと読んだのが雑誌『Women's Health』の「記憶力アップに効果的な、ある香りとは?」という記事です。英国心理学協会の最新の研究結果で明らかになった、ローズマリーによる記憶力向上効果を紹介したものでした。
「ローズマリーの香りを嗅いだ被験者は、高い記憶力を発揮した」「香りを嗅いでユーカリプトールが血液中に入ると、血液を通して脳に運ばれ、記憶をつかさどる部位に作用する」(本文より)。
嘘か本当か、とりあえず庭にごうごうと生えているローズマリーの枝をたくさん切って、仕事場の壁にぶら下げてみました。なんと部屋中に良い香り!
去年亡くなった愛犬、バクスターの肖像画の周りに怪しくぶら下がるローズマリーの束。「宗教でも始めたのか!?」と夫に茶化されながら、「バクスターが時々、ローズマリーの香りを頭に付けて庭から戻って来たっけ…」なんてことを切なく思い出したりしています。
いとこを(悪く)誤解していた私
いとこのやっちゃんは”恵まれた子”のはずでした。父方の本家の長男で、雪国の歴史あるスキーロッジの跡取り。約束された将来。
子供の頃に一度会ったっきりですが、次男坊の父の子である私たち姉妹は一族の外れ者で、幼心にきれいな服を着たやっちゃんを下から眺めているような、そんな距離感があったのでした。
そんな本家のスキーロッジが人手に渡ったという知らせが届いたのは去年のこと。「やっちゃんは継がなかったんだ?」。母曰く「妹のともちゃんが戻って継ぐことになったんだけど、結局ともちゃんもやめてしまって」――「へえ~」。
そんなやっちゃんと先々月、日本でほぼ半世紀ぶりに再会しました。私の帰国に合わせて、遠路飛行機で訪ねて来てくれたのです。「るーちゃん(私)のお父さんが生前、いとこ同士は交流しなきゃだめだって言ってて、それを叶えに来た」とやっちゃん。父がそんなことを? 一緒に参った父の墓前でやっちゃんは「お父さんが好きだったから」と懐からワンカップの焼酎を取り出し、供えてくれました。
やっちゃんの仕事はコンピューターのプログラマーです。「すごいね、やっちゃん」「そんなことないよ」――「いつプログラマーを目指したの?」――「子供の頃から…」。
その言葉を聞いて、やっちゃんの苦悩に満ちた青年時代が一瞬で想像できました。「約束された将来」はどれだけ彼の足かせだったことでしょう。
「僕が歴史あるロッジを終わらせてしまった――そのせいで、妹とも何度も喧嘩になってしまったしね…」
去年、やっちゃんのお父さん(私の叔父)が亡くなり、ロッジは完全に幕を閉じました。その後、やっちゃんが心の安定を失ってしまったこと、そこまでの話のつじつまが半世紀の時を経て、一直線につながりました。
「ごめんね、やっちゃん。私、やっちゃんのことを誤解してたよ。やっちゃんはいつも恵まれた子供だと、いや、全く気にかけなくてもいいほどの子だと思い込んでいたんだ」。ほぼ半世紀を経てやっといとこの苦悩に気付いた私は、これからやっちゃんの良い友達であろうと誓ったのでした。
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