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翻訳・広告代理店Ru Communications LLC便り

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私のハートのかけら

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穏やかな性格で甘えん坊だったバターカップちゃん
 
 
先日、公営シェルターの駐車場でナンパされて、NPO団体のボランティアメンバーになったと書きましたが、今年、既にそのNPOを通じて2匹の犬のお世話をしました。フォスターボランティアーーNPO団体がラスベガスのシェルター等から引き出した犬を一時的に自宅で預かる仕事です。
 
これまで公営シェルターのボランティアを含め、フォスターした犬は6匹。長い子で2年、半年、短い子で1週間。たとえ1週間でも、ワンコが去った後は寂しさを感じます。
 
チワワ&パグミックスのティリーちゃんはいつも、庭のザクロの実をかじったり転がしたりして遊んでいました。あの子が家を去った後、庭に出ると、かじりかけのザクロがいくつも転がっていました。遊び道具になってイキイキしていたザクロも、今は寂しげな残骸です。
 
一昨日、我が家を去ったバターカップちゃん。やたらにおしっこをするので動物病院に連れて行ったら(尿道炎でした)、よほど怖かったのか、私の腕にしがみついて離れませんでした。バターカップちゃんは犬としては珍しく、世話などしない夫になつくのではなく(犬は体の大きい人間、声の低い人間をリーダーとみなす)、私のそばにだけいたい犬でした。庭でも家の中でも、「おいで!」と手を広げると、目をピカッと輝かせて、鉄砲玉の勢いで私の腕の中に飛び込んできました。
 
一昨日、バターカップちゃんがシアトルのNPO本部へ旅立った後、にぎやかだった家の中はシンとなりました。耐えかねてモールに出掛けると、ペットショップ。「あの子はまん丸い体だからな、あの服なんか似合いそう」なんて、棚を覗き込んで、「あ!もういないんだ」。涙を隠して立ち去ります。
 
毎回毎回、馬鹿ですね、こんなんじゃあボランティアさえできませんよ。
 
バターカップちゃんが去った後、NPOのリーダー、リサとのチャットで思わず、「It was hard to say good‐bye to Buttercup...(バターカップとの別れは辛かった…)」と漏らすと、こんな返事が返って来ました。
 
She was a beautiful baby. A little piece of your heart goes with each one of them,  but she wouldn't have had anywhere to go if not for you. So, thank you again. (バターカップは美しい子でした。どの犬もあなたの心の小さな一部分を一緒に持ち去ってしまう。でも、あなたがいなければ、あの子はどこにも行く場所がありませんでした。だから、もう一度言わせてください、ありがとう」)。

ああ、リサもこの気持ちを知っているんだ。そう思った時、救いを感じました。「心の小さな一部分を持ち去る」…これほど的確な表現はあるでしょうか。そして想像してみました。私のハートのかけらを持って行ったワンコたち。私のハートのかけらがお守りになったらいいのに、なんて思いながら。
 
 
#アメリカ在住ライター

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シェルターでナンパされて

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たくさんの人の手を経て、シアト... たくさんの人の手を経て、シアトルに向かったティリーちゃん
 
亡くなった愛犬バクスターへの恩返しとして始めた、公営シェルターのボランティア。シェルターでパニックになっている犬を自宅に緊急ステイさせるというもので、自分で勝手に「バクスター活動」と名付けています。こちらが現在、一時避難を必要としている動物のリストです。
 
1月は既に3匹の犬を預かりましたが、その1匹目を公営シェルターに引き取りに行った時、駐車場で白人女性に声をかけられました。「ラッキードッグね!アダプトしたんだ?」。「いや、フォスターのボランティアです」、そう答えると、「私たちのレスキューもフォスターを探しているの。電話番号を聞いてもいい?」。
 
その女性がケージ入りの犬を3匹も車に乗せて、誰かを待っていた様子だったことから、詐欺師ではない(笑)と判断。電話番号を教えると、その一週間後、シアトルのレスキュー団体から連絡があり、面接、家や庭のチェックを受け、私も彼女の仲間となったのでした。
 
このレスキュー団体はパグという犬種を専門としています。パグを専門とし、ラスベガス他、全米からパグをシアトル本部に集めることでパグ好きの注目を集め、アダプション率のアップに繋げているようです。
 
実際にこのグループに仲間入りして気付いたのは、一匹の犬を助けるために、何人もの人が携わっていることでした。公営シェルターをチェックする人、アダプトの手続きをする人、フォスターとして自宅で短期間世話する人(←私)、その後、飛行機で犬をシアトルまで運ぶ人(サウスウエスト航空が無償で協力)、現地で世話する人。それぞれ一銭のお金も受け取りません。
 
病気の犬も寄付金で治療。死ぬ間際の犬でも、このレスキュー団体は引き取ります。
 
一匹の犬を助けるために、随時10人ほどのグループチャットが作られます。あなたが行けないなら、他に行ける人、いませんか?などなど、会話のテンポも早く、ただ一人外国人の私(なぜか全員白人)にももちろん容赦なし(笑)。さらに毎週のように誰か新しい人が家に来たり、私が行ったりして、コミュニケーションを取らねばなりません。誰も押す人のいなかった我が家のスマートドアベル「Ring」は、今年になって押されまくってます。前述したように全員白人のグループですが、動物のために何かをしたいという同じ目的の人々なので壁は感じません。
 
シェルターの駐車場であの女性(パメラさん)に話し掛けられた日、私は夫に言いました。「アメリカでの私の小さな世界が、今日を境に広がっていく気がするの」。そしてそれが今、現実になっています。
 
バクスター、ありがとう。
#アメリカ在住ライター

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泣きながら会いに来た人々(レスキューの話)

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非常に寒い!ですが、庭で仕事し... 非常に寒い!ですが、庭で仕事しています。フォスター犬のバターカップちゃんが日向ぼっこをしたがる&私だけ室内に入ると泣き叫ぶので、ダウンジャケットを着込んで手袋をしてパソコンを打っています。
 
 
 
愛犬バクスター君が亡くなってもうすぐ2年です。大丈夫になってきた?ーーイエスとも言えますし、ノーとも言えます。先日、夜、一人で車を運転しながら「バクスター!」と大きな声をあげてみたら、なんだかバクスターと周波数が合ったように思えました。それで家に着くまで20分間、ずっと「バクスター!バクスター!」と叫んでみました(狂気?)。
 
義姉の愛犬は亡くなった後、そのまんまの姿で空の雲になって出てきました。まさか思い込みでは?と思ったのですが、雲を写した写真を見せてもらったら、まさに彼女の愛犬そのものでした。
 
そんな写真を見ると、「バクスター!あなたはいつ雲になって私を喜ばせてくれるんですか?」と聞きたくなります。しかしそう思った瞬間、どこからともなく「難易度高い、練習してるけど無理かも」という情けない声が聞こえた気がしました。あの不器用なワンコには無理か。
 
と、2年経っても未だナメクジのようにしゃんとしない私ですが、公営シェルターでパニックになっている犬を自宅に一時避難させるボランティアは「バクスター活動」として続けています。バクスターがくれた愛を他の不幸な境遇の犬に分けることができたら...。
 
この公営シェルターのフォスターボランティアではSNSなどで預かった犬の宣伝をし、飼いたいという人と積極的に会っていかなければなりません。これまで何人もの人が犬を見にやって来ましたが、その多くの人たちに共通の一点がありました。それは、ほとんどの人が「泣きながら会いにくる」ということです。
 
かつて犬を飼い、犬が大好きで、犬と暮らしたい、でももう二度と犬を亡くす苦しみは味わいたくないと何年間も迷った後の第一歩。
 
最後に会った方とは公園の丘の上で待ち合わせました。遠くから彼女がやって来るのが見えます。お互いに目に涙を溜めながら。まだ何も言葉を交わしていないけれど、だけど涙ぐみながら「初めまして」。彼女の目を見ただけで、彼女の苦しみが分かりました。「4年経ちました。ようやく心の準備ができました」。そう言いながら、亡くなった愛犬の写真を見せてくれました。
 
この「バクスター活動」を通じて、私は意外にも、同じ悲しみを持つ人たちと数多く出会いました。会った瞬間に、涙ぐみ、お互いに肩を叩き合うような、そんな不思議な体験こそ、雲が作れなかったバクスターからの最大の贈り物かもしれません。
 
#アメリカ在住ライター

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荷風『あめりか物語』:読後の雑談

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荷風『あめりか物語』:読後の雑...
 
 
 1903年から907年までアメリカで暮らした永井荷風が、1908年に出版した『あめりか物語』。そこに出て来る日本人町中華街の様子についてこれまで記しましたが、今日は個人的にこの小説の中で印象に残った文章を紹介します。
 
”荒野の夕暮れは人生の悲哀、生存の苦痛を思出させる。”
アメリカの田舎町に住んだ主人公が、墓場を眺めるよりも荒野の夕暮れを眺める方が生きることの苦しみを感じると語った一文です。
 
”何しろ、この米国という所は、人間社会の善悪の両極端を見る事の出来る場所なのですから”
130年前もですか。日本の大震災の時、小さな子供まで自分の貯金箱をそのまま募金に差し出してくれた姿。10万円までなら窃盗罪にならないと(カリフォルニア州法)店頭の品物をごっそり盗む人々。荷風は、この国ではどちらでも自分の好きな方になれると続けます。
 
”ああ、しかし、世界の事件というものは、何の珍しい事、変った事もなく、いつでも同じごたごたを繰返しているばかりではないか。外交問題といえばつまりは甲乙利益の衝突、戦争といえば、強いものの勝利、銀行の破産、選挙の魂胆、汽車の転覆、盗賊、人殺し、毎日毎日人生の出来事は何の変化もない単調きわまるものである。”
今年書かれたと言われても、信じてしまいそうな一文です。
 
”両の脚は日本人特有の彎曲をなし”
主人公はアメリカで会う日本人を見極める時に、足が湾曲しているのが特徴だと言っています。そうなんですよね、といっても私の足のことですが、正座して育ったために足が歪んでいます。同じアジア人でも正座の習慣のない中国人や韓国人の足はまっすぐなので、機会があったら比べてみてください。

最後に、どうでも良い共感部分ですが、
”余は都会の夜を愛し候。燦爛(さんらん)たる燈火の巷を愛し候。”
私も燈火=ネオンが大好きなので、同じことを声高々と言いたいです。「余は都会の夜を愛しそうろう!」。
 
”ああ!紐育は実に驚くべき不夜城に御座候。日本にては到底想像すべからざるほど、明るく眩き、電燈の魔界に御座候。”
日本も既に明治時代でしたが、ニューヨークのきらめきは比べ物にならないほど大規模だったのでしょう。”電燈の魔界”、心躍りますね〜。
 
 
 
#あめりか物語 #アメリカ在住ライター #永井荷風

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【約130年前】荷風が描いた私娼窟、最下層”以下”の人々

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【約130年前】荷風が描いた私...
 
 
昨日、永井荷風が描いたニューヨークの中華街について紹介しましたが、そこで春をひさぐアメリカ人娼婦の廃人ぶりは胸に迫ってくるものがありました――「私だって(度の差こそあれ)こうなり得る」と身につまされたのです。
 
『あめりか物語』は小説なので脚色があることを忘れてはいけませんが、花街に並々ならぬ興味を持ち、足しげく通い、娼婦らと交流した荷風の人生を考えると、その描写はかなりリアルなものではないかと思われます。
 
”米国の社会一般が劣等な人種とよりは、寧(むし)ろ動物視している支那人”(※原文ママ)の客を取るために、中華街の長屋を根城にしているアメリカ人娼婦たち。強い酒をあおり、腹痛に叫ぶ者あり、アヘンの吸引器を抱いて眠る者あり、そこは生き地獄を思わせる世界です。
 
が、『あめりか物語』には驚くことに、彼女らよりさらに深く堕ちた人々が描かれています。
 
”殊更(ことさら)哀れと恐しさを見せるのは、明日は愚か今日の夕(ゆうべ)の生命さえも推量(おしはか)られぬ無宿の老婆の一群である。”
 
この老婆たちは、話の展開から、かつての娼婦らと推測できます。

”かの女郎の身の上をば、これが人間の堕ち沈み得られる果(はて)の果(はて)かと早断(そうだん)したが、そのまた下には下があった。最後の破滅”
 
”彼らは、その捻曲がった身をば、やっと裸体(はだか)にせぬばかり、襤褸(ぼろ)を引纏い、腐った牡蠣のような眼には目脂(めやに)を流し、今はただ、虱(しらみ)のために保存してあるといわぬばかり、襤褸綿に等しい白髪を振乱して、裏長屋の廊下の隅、床下、共同便所の物陰なぞに、雨露を凌いでいて、折々は頼まれもせぬのに、女郎の汚れ物を洗ったり、雑用をたしたりして、やっとその日の食にありついているのである。”
 
娼婦の部屋を巡り歩いて物乞いするこれらの老婆を邪険に扱えば、その場で夜を通して泣きわめいたり、寝ころんで動かなかったりする上、呪いのような言葉を言い放つこともある、と。
 
”「(前略)お前さんも、もうじきだ、みじめを見た暁(あかつき)に思知るだけのこと...。お前さんはまだ若くって、いくらでも商売が出来るつもりだろうが、瞬く中だよ。じき及公(おら)見たようになっちまう」”――そう言い放った老婆が自分の手を突き出すと、娼婦は叫び声をあげてベッドに突っ伏した、とありますが、差し出したのはどんな手だったのでしょう。もしかしたら当時有効な特効薬がなかった梅毒の症状が出ていたのかもしれません。
 
この章は”ああ、私は支那街を愛する。”で締めくくられています。
#あめりか物語 #ちゃいなたうんの記 #アメリカ在住ライター #ニューヨークのチャイナタウン #永井荷風

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荷風が描いた約130年前のNY中華街が貧民窟

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荷風が訪れたと思われるニューヨ... 荷風が訪れたと思われるニューヨークの中華街、現在の景色
 
 
 
 
先日、永井荷風が描いた1903年頃のシアトル・日本人町がエグいという話を書きましたが、同『あめりか物語』内で描かれたニューヨーク・中華街の貧民窟ぶりは日本人町の比ではありません。

”紐育の中の貧民窟という貧民窟、汚辱の土地という土地は対外歩き廻ったが、ああ! この恐るべき欲望を満すには、人の最も厭み恐れる支那街の裏屋ほど適当な処はないらしい。しかり、支那街――その裏面の長屋。ここは乃(すなわ)ち、人間がもうあれ以上には、堕落し得られぬ極点を見せた、悪徳、汚辱、疾病、死の展覧場である…”

人間が堕落し尽くしたその極点の場所であり、「死の展覧場」ですよ。しかしなるほど、その表現が決して大袈裟でなかったことは後の話でよく分かります。

と、その前に、私はニューヨークに詳しくないのですが、中華街は数カ所あるようですね。この『あめりか物語』の一章「ちゃいなたうんの記」に登場するのは私も行ったことのある、ブルックリン大橋そばの中華街のようです。

”そこがもう貧民窟の一部たる伊太利亜の移民街で、(中略)だらだら坂を上れば、忽(たちま)ちプンと嫌な臭気(におい)のする処、乃(すなわ)ち支那街の本通りに出たのである。”

ここに出て来る「伊太利亜の移民街」は地理的にも、現在、人気観光スポットとなっているリトル・イタリーのことかと思います。

――中華街の裏長屋の描写
”(前略)敷石の上には、四方の窓から投捨てた紙屑や、襤褸片(ぼろきれ)が、蛇のように足へ纏(まつわり)付くのみか、片隅に板囲いのしてある共同便所からは、流れ出す汚水が、時によると飛越し切れぬほどな、大い池をなしている事さえあり、また、建物の壁際に添うては、ブリキ製の塵桶(ごみおけ)が幾個(いくつ)も並べてあって、その中からは盛(さかん)に物の腐敗する臭気(におい)が、ただでさえ流通の路を絶れた四辺(あたり)の空気をば、殆(ほとん)ど耐えがたいほどに重く濁らしている。”

どんだけ汚いんでしょ。馬糞だらけ、機関車の煙で煤だらけ、労働者の汗のにおいが漂う日本人町(シアトル)は不可抗力の汚れとして、こちらは”人”がまき散らした汚れですね。

こんな裏長屋になぜ主人公が訪れるかというと、ここが私娼窟だからでした。荷風の小説『墨東奇譚』でも主人公は私娼窟のある町(東京の向島区にあった玉の井)を、貧しい身なりに変装してまで訪れています。また、『ふらんす物語』でも娼婦との交流が多く描かれています。

が、『墨東奇譚』や『ふらんす物語』に登場するどこか趣ある私娼窟と、このニューヨーク・中華街の私娼窟は悪い意味でレベチ。中でも中華街を根城にしている”アメリカ人私娼”の描写は悲惨そのものです。

”べったり白粉を塗立てた米国の女が、廊下に響く足音を聞付けさえすれば、扉を半開に、聞覚えのある支那語か日本語で、吾々(われわれ)を呼び止める。”

日本語で呼び止めるぐらいですから、当時そこに通う日本人がいたということでしょうね。

”哀れ、この女供は、米国の社会一般が劣等な人種とよりは、寧(むし)ろ動物視している支那人をば、唯一の目的にして――その中には或る階級の日本人も含んで――この裏長屋に集まって来たものである。”
 
ここからの描写も痛ましい。

”人間社会は、如何なる処にも成敗、上下の左右を免れぬ。一度(ひとたび)、身を色慾の海に投捨てても、なおその海には清きあり濁れるあり、或者は女王の栄華に人を羨ますかと思えば、或者は尽きた手段の果が、かくまでに見じめを曝(さら)す。彼らは、何(いずれ)もその身相当の夢を見尽くして、今はただ「女」という肉塊一ツを、この奈落の底に投げ込み、もう悲しいも嬉しいも忘れてしまった。”
 
既に堕落したと思われる世界にも、さらにその下があると語っています。

”幾杯となく煽った強い火酒(ウイスキー)に、腸(はらわた)を焼きただらせ、床の上に身をもがいて、大声に自分の身の上をいい罵り、或いは器物を破(こわ)し、己の髪毛を引きむしっているなぞは珍しからぬ例である。”

”この狂乱の時期さへ経過してしまって、折さえあれば鴉片(あへん)の筒を恋人の如くに引抱え、すやすやと虚無の平安を楽しんでいるも少くはない”。

「廃人」という単語ほど適切な表現はないでしょう。
 
しかしここには、そんなこの世の底辺以下に堕ちてしまった女性たちよりも、そのまた下の女性たちが描かれています。その惨状たるや、もう絶句しかありません。が、長くなってしまったので、それは次の機会にでも。
 
 
#あめりか物語 #ちゃいなたうんの記 #アメリカ在住ライター #ニューヨークのチャイナタウン #永井荷風

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荷風の描いた約130年前のシアトル・日本人町がエグい

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シアトルの日本人町があった場所... シアトルの日本人町があった場所は現在、”インターナショナル・ディストリクト”と呼ばれています
 
 
 
ロサンゼルスにはかの有名な日本人町・リトルトーキョーがありますが、シアトルの日本人町もかつてはかなりの賑わいだったんですね。永井荷風の『あめりか物語』を読むまで、想像もしていませんでした。
 
荷風は1903年、24歳の時に渡米し、1907年までアメリカで暮らしました。その後、1908年に出版された『あめりか物語』は”小説”ですが、語り部の人物設定が荷風を思わせるものもあり、脚色はあれど旅行記、体験記のようにも読めるのが面白い所です。
 
日本人の米移民は1800年代後半から始まります。当時は船での渡航ですからやはり、アメリカの西海岸ーーロサンゼルスのあるカリフォルニア州や、シアトルのあるワシントン州が主に最初の滞在先、または居住地となりました。
 
荷風が描いた当時(1903年頃かと)のシアトルの日本人町の様子をここに書き出してみましょう。
 
ーー船で渡米し、シアトルに初上陸した時の描写
”(前略)ちょうど宿引に出ている日本人の旅館(やどや)の番頭だとかいう五十ばかりの男に案内されて、電車に乗込み、日本人街へ曲る角の、汚い木造りの旅館に送り込まれた。”
 
ーー日本人町は町の「果て」にあった(現在では、むしろシアトルの中心部にあたる)
”なるほど、あの地方では日本人が誤解されるのも無理はない。この界隈は、商店続の繁華な街が、ちょうど人の零落して行くように、次第次第に寂れて行って、もう市が尽きてしまおうかとする極点である。四辺(あたり)の建物は、いずれも運送屋だの、共同の馬屋などばかりで、荷馬車と労働者ばかりが、馬糞だらけの往来を占有している。”
 
ーー貧民窟のような描写
”案内された旅館の窓から首を出すと、遙かなる市中の建物の背面が見え、正面には近く、浅草のパノラマ館を見るような瓦斯溜所(ガスタンク)が、高く、黒く、大きく立っている。その辺りから往来が俄(にわか)に狭くなって、汚い木造の小家のぼたぼたしている間へ、一筋の横丁が奥深く行き先を没している。(中略)機関車の鐘の音につれて、凄まじい黒煙が絶え間なく湧出で、屋根といわず往来といわず、時々の風向によっては、向(むこう)も見えぬ位に棚引き渡って、あたり一面を煤だらけにしている。この横丁、この汚い木造の人家、これが乃(すなわ)ち、日本人と支那人の巣窟、東洋人のコロニーで、同時にまた、職に有りつかぬ西洋の労働者や、貧と迫害に苦しんでいる黒奴(ニグロ ※原文ママ)が雨露(うろ)を凌ぐところである。”
 
荷風は裕福なエリート家庭のお坊ちゃんで、潤沢な資金を持ち、この後のアメリカでの暮らしもシルクハットをかぶって外出するほどの上流階級ぶりなので、描写は上から目線です。とはいえもしかするとお坊ちゃまには、この町の様子が本当にカルチャーショックだったのかもしれません。
 
荷風はそんな町の様子にすっかり辟易し、移動の日までホテルに籠っていようと思ったものの長い船旅の後でやはり陸地が恋しく、散歩に出掛けます。
 
ーーアメリカの子どもたちが知っていた驚きの日本語
”汚い宿屋の一室に引き籠もっているのが厭さに(中略)、朝から晩まで歩き回ったが、いずこへ行っても子供が、吾々(われわれ)日本人の顔を見ると「スケベイ」と言って囃(はや)す。驚くべきもので、この言語は日本の就業婦(売春婦)の口を経て、或る特別の意味を作り、広く米国の下層社会に行き渡っているのである。”
 
ーー日本人町の夜の様子
”往来傍(ばた)には、日中その辺をうろうろしていた連中の外に、諸所の波止場や普請所(工事現場)に働いていた人足どもが、その日の仕事をおわって何処からともなく寄集まって来るところから、ただでさえ物の臭気を絶やさぬ四辺(あたり)の空気は、更にアルコールと汗と臭気(におい)を加えたかとも思われる。重い靴の響、罵る声につれて、土塗(つちまみ)れの破れシャツ、破れズボン、破れ帽の行列は、黒い影の如く、次第次第に明るく灯(ひ)の点いている日本人街の横丁へと動いて行く。と、その横丁からは絶え間なく、雑然たる人声に交じって、酒屋や射的場の蓄音機にしかけてあるらしい、曲馬の囃と同様な騒がしい楽隊の響きが聞え、同時にチンテンチンテンと彼方此方(かなたこなた)で、互いに呼応(よびあ)うように響く三味線の音、それに続いて、女の歌う声、男の手をく音...”
 
アメリカの街角に三味線の音が響いていた時代もあったんですねえ!しかし荷風にとってはこの音色が「不調和」「不愉快」だったようで、「耳について眠らねぬ」とまでなり、遂には夜半、横丁に歩いて行きます。
 
”日本人町に入込んで見ると、いや、大弓場から、その他の飲食店や、道傍まで、日本人の寄集まっている事は非常なもので、しかし、いずれもどこやら沈着(おちつ)いて、ここ及公(おら)達の縄張中だといわぬばかり、入込む西洋の労働者をば、さも外国人らしく見遣(みや)っている。”
 
ーーおそらく売春婦の様子
”両側の木造家の窓からは、折々カーテンを片寄せては、外の景気を伺う女の顔がみえ、中には黄(きいろ)い声を出して誰かを呼ぶのもあった。いずれも鼻の低い、目の細い、顔の平たい、西国地方の女で、前髪を切り下げた束髪に、西洋風のガウンを着ているらしく見えたが、私は外から一瞥しただけで、早や十分の...満足といおうか、不気味といおうか、とにかく、それ以上近づいて見るには忍びない、心持ちになった”
 
シアトルの日本人町は今は中華街などと併せたインターナショナル・ディストリクトとなっていますが、日本人町の名残はそう多くは残っていないようです。ですが今も営業中のパナマ・ホテル(1910年創業)内にある日本人移民が利用していた銭湯橋立湯(今は見学のみ)は一度見てみたいものです。
 
 
 
 
 
#あめりか物語 #アメリカ在住ライター #シアトルの日本人町 #パナマホテル #橋立湯 #永井荷風

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ハーブで記憶力アップ作戦

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バクスターの肖像画の周囲で宗教... バクスターの肖像画の周囲で宗教染みた雰囲気を醸し出すローズマリー




1階に物を取りに行ったら、何を取りに行ったか忘れる――なんてまだ数分間あくので良い方です。戸棚を開けて何を取ろうとしたか忘れる、さらにはバッグを開けて何を取り出そうとしたか忘れる昨今の私。

仕事も随分手間がかかるようになりました。文字表記統一も(出版物では全体を通して同じ表記である必要があります。例えば「癒し」「癒やし」など)、以前は丸暗記していたのにもはや怪しく、いちいち表記辞典を開かなければなりません。

そんな中、ふと読んだのが雑誌『Women's Health』の「記憶力アップに効果的な、ある香りとは?」という記事です。英国心理学協会の最新の研究結果で明らかになった、ローズマリーによる記憶力向上効果を紹介したものでした。

「ローズマリーの香りを嗅いだ被験者は、高い記憶力を発揮した」「香りを嗅いでユーカリプトールが血液中に入ると、血液を通して脳に運ばれ、記憶をつかさどる部位に作用する」(本文より)。

 

嘘か本当か、とりあえず庭にごうごうと生えているローズマリーの枝をたくさん切って、仕事場の壁にぶら下げてみました。なんと部屋中に良い香り!

 

去年亡くなった愛犬、バクスターの肖像画の周りに怪しくぶら下がるローズマリーの束。「宗教でも始めたのか!?」と夫に茶化されながら、「バクスターが時々、ローズマリーの香りを頭に付けて庭から戻って来たっけ…」なんてことを切なく思い出したりしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#アメリカ在住ライター #ローズマリーの効能

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いとこを(悪く)誤解していた私

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なぜだかやっちゃんのリクエスト... なぜだかやっちゃんのリクエストで見に行った、超巨大ガンダム。






いとこのやっちゃんは”恵まれた子”のはずでした。父方の本家の長男で、雪国の歴史あるスキーロッジの跡取り。約束された将来。

子供の頃に一度会ったっきりですが、次男坊の父の子である私たち姉妹は一族の外れ者で、幼心にきれいな服を着たやっちゃんを下から眺めているような、そんな距離感があったのでした。

そんな本家のスキーロッジが人手に渡ったという知らせが届いたのは去年のこと。「やっちゃんは継がなかったんだ?」。母曰く「妹のともちゃんが戻って継ぐことになったんだけど、結局ともちゃんもやめてしまって」――「へえ~」。

そんなやっちゃんと先々月、日本でほぼ半世紀ぶりに再会しました。私の帰国に合わせて、遠路飛行機で訪ねて来てくれたのです。「るーちゃん(私)のお父さんが生前、いとこ同士は交流しなきゃだめだって言ってて、それを叶えに来た」とやっちゃん。父がそんなことを? 一緒に参った父の墓前でやっちゃんは「お父さんが好きだったから」と懐からワンカップの焼酎を取り出し、供えてくれました。

やっちゃんの仕事はコンピューターのプログラマーです。「すごいね、やっちゃん」「そんなことないよ」――「いつプログラマーを目指したの?」――「子供の頃から…」。

その言葉を聞いて、やっちゃんの苦悩に満ちた青年時代が一瞬で想像できました。「約束された将来」はどれだけ彼の足かせだったことでしょう。

「僕が歴史あるロッジを終わらせてしまった――そのせいで、妹とも何度も喧嘩になってしまったしね…」

去年、やっちゃんのお父さん(私の叔父)が亡くなり、ロッジは完全に幕を閉じました。その後、やっちゃんが心の安定を失ってしまったこと、そこまでの話のつじつまが半世紀の時を経て、一直線につながりました。

「ごめんね、やっちゃん。私、やっちゃんのことを誤解してたよ。やっちゃんはいつも恵まれた子供だと、いや、全く気にかけなくてもいいほどの子だと思い込んでいたんだ」。ほぼ半世紀を経てやっといとこの苦悩に気付いた私は、これからやっちゃんの良い友達であろうと誓ったのでした。




#アメリカ在住ライター

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日本旅行で夫が仰天したこと

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もつ鍋、食べてきました! もつ鍋、食べてきました!



日本で1カ月過ごして来ました。本来の目的は家族への寄り添いだったのですが、何十年も離れて暮らしている母親と急に何日間も一緒に過ごすのは、結構キツイものですね(汗)。長生きしてくれるだけでもありがたいし、後で懐かしくて恋しくて、となるのは分かっているのですが、正直3、4日一緒にいたら、2日間は離れていたい(笑)。

何しろ、「これ食べなさい」「熱いうちに食べなさい」「これ持って出掛けなさい」といちいちモーレツなのです。猫舌だからと断っても母、「熱いうちがおいしいんだから」と諦めませーん涙

だんだんイライラしてきますが、4日目ぐらいに別宅に泊まって少し離れると、また母のおせっかいに笑顔で対応できるようになります。「なぜ一日でも多く一緒に過ごさない?」という罪悪感もありますが、やはり笑顔でいるためには休憩が必要です。

さて、前置きが長くなりましたが、アメリカ人夫が日本で1カ月間暮らして、どえらく驚いたことが2つあります。

1つ目は、ショッピングモールが夕方閉店したときなどに、各店舗がネットを商品にかけただけで無人になること。「これじゃあ簡単に盗めるじゃん!」。そうなんです、ネットをぴらっとめくったら盗めます。「人を信用しすぎじゃない!?」。おりしもアメリカでは真昼間からモールに押し入る窃盗集団がニュースをにぎわせていますからね。彼にとっては驚きでしかありません。「でも、誰も盗まないんだなー、これが」(私)。

2つ目は、あまりの食べ物の多さ。福岡の広大過ぎる地下街(本当に広い。歩いても歩いても終わらない)にまず、「これで日本5番目の市!?」と度肝を抜かれていましたが、そこにおいしそうなレストランやパン屋、カフェがぎっしり並んでいます。さらに地下街はいくつものデパートのいわゆる「デパ地下」に連結。デパ地下はまるで食べ物を散りばめた巨大な宝石箱でした!

「これは食べ物の洪水だ!もう食べ物に溺れそうだよ! 日本は、豊かなんだなあ!」。日本が貧しくなったとよく言いますが、アメリカ人から見ると、度肝を抜かれるほど豊かな世界が広がっています(さらに、安全と来たもんだ!)。




#アメリカ在住ライター

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