愛犬の死:サイキックに頼る
Apr
11
アメリカに来て間もない、15年ほど前の話です。友人、そして最初の愛犬・アルジンと一緒にカフェにいたら、友人の知り合いという人が店に入って来ました。友人いわく「彼女は有名なサイキックなのよ」。続けて「動物の心も読めるの」。
当時私は元夫と離婚過程にあり、“2人の愛犬”だったアルジンを悲しませているのではないかと心配していました。それでアルジンの気持ちをそのサイキックさんに聞いてみました。
サイキックさんは静かに目をつぶって、テーブルの足元を嗅ぎまわっているアルジンの心を読み始めます。1分ほど待つと、彼女はゆっくり目を開けました。答えを聞くのはちょっと不安でもあります。「ごめんね、アルジン…心配ばかりかけて」。しかしその答えは――「アルジンはお腹減った、何か食べたいって考えています。それ以外は何も考えていません」――コケっ!
一瞬「なんじゃい笑」と思いましたが、よくよく考えてみると、犬というものは確かにそんなに小難しいことを考えていないのではないかと思えてきました。人間よりももっとシンプルに「お腹空いた」「遊んでくれて楽しいな」「一緒にいたい」などの考えの中で生きているのではないかと。もっと神秘的な、“らしい答え”を言おうと思ったら言えたのに、このサイキックさんはそういった事は言わずに、本当の事を答えてくれたような気がします。
去年、愛犬を亡くした友人はサイキックを通じて数カ月に一度は愛犬と話しています。愛犬が話す内容はとてもハイレベルで、「あの時、私が足を怪我したのはあなたに成長の機会を与えたかったからなの」「私は若い自分が好き。年を取りたくなかったから早く死ぬことにしたの」など。料金もかかりかかるようですが、友人はサイキックのサポートなしには、正気を保てていなかったでしょう。
私もバク君と死ぬほど話したい!でも多分、バク君はそういう高尚なことは言えないと思います。あの子はポケッとしてて、それでいてお互いの顔を見たらお互いに心にぴかっと光が灯って…とそういう本能的な感じのつながりでした。
私は私の中に、バク君の声を探すしかありません。